<5-7>初回面接:解説(4)

<5-7>初回面接:解説(4)

(23)
 A氏が自分の行為を述べる内容が「力づくで抑える」から「手を上げる」と推移してきました。より具体化してきていることが分かりますが、それはA氏の安全領域が増え、罪悪感が減少し、それによって抵抗感が薄れてきたことを示しているように考えられます。
 そこで、私はもう一押ししているのです。「手を上げるとは(どういうこと)?」と。A氏がこれに乗ってくればカウンセリングは展開していくでしょうが、もし、A氏がそれを拒絶すれば、「手を上げる」という段階にとどまることになります。
 A氏はなんと答えたでしょう。

(24)
 「つまり、妻を叩いてしまうんです」とA氏。
 ここに初めて、DVとみなされる行為、暴力とみなされる行為が登場するわけです。口にすることさえ憚られた行為、認めることもできない行為を、彼は自ら表明したわけです。もっとも、それでも具体性には欠けているのですが、最初の段階から比べると大きな進歩だと言えそうに思います。
 彼はここで一つの「告白」をしたわけです。少し、この意味を述べようと思います。
 もし、言いにくいことを相手に告白しなければならない時、相手に対する信頼がなければとてもできることではないでしょう。信頼を欠くほど、告白は不可になり、より相手から隠したいと思うことでしょう。打ち明けるということ、言いにくいことを話し、聴いてもらうということは、相手への信頼という軸と深く関係している行為なのです。
 もし、正直に言えないでいたことが告白できたとすれば、それは相手への信頼の度合いが増したということを意味すると、そう考えることができます。
 そして、相手への信頼度が増すということは、いずれは自己への信頼度を増すことにつながっていくのです。私はそのように考えています。他者信頼と自己信頼は一つなのです。一方が増せば、他方も増すことになるのです。同じように、それが低下する時には双方が下がるものだと思います。
 人によっては違った考え方をされるでしょう。他者信頼度は低いけど、自己信頼度は高いという状態の人もあるかもしれません。しかし、私の見解では、この場合、その自己信頼度はとても低いところで突き出ているようなものだと思います。あるいは、それは、望ましい自己信頼ではなかったり(例えば自己欺瞞であったり)、他の感情(他者蔑視の感情など)であったりすることが考えられるように思います。
 自己信頼は高く、他者信頼が低いというようなことが一人の個人に生じるというのは、言ってみれば、ある人が、正面から見ると痩せているのに、背面から見るとすごく太っているというようなものだと思います。これは、当然、考えにくいことです。痩せている人は正面から見ても背面から見ても痩せて見えることでしょう。同じように、太っている人も、正面から見ても背面から見ても、やはり肥満しているように見えるでしょう。太っていた人が痩せたという時、正面から見ても背面から見ても、その人がスリムになっているのが見て取れることでしょう。
 信頼度もそういうものであると私は考えています。信頼度が増せば、それは自己にも他者にも及ぶことになるのです。どちらが先であっても構わないのです。他者信頼度が先に増すかもしれません。ダイエットで言えば、お腹が少し減っこんだという段階であるかもしれません。しかし、それは、継続してその方向を進行することができれば、今は一部分のことであれ、やがては全体に及ぶことでしょう。
 A氏は、ここでは私を通して、私への信頼度を高めることができているのです。カウンセリング開始時よりも、彼は脅威を感じる度合いが減っており、罪悪感よりも安心感が増してきて、信頼の度合いを増しているということです。これが「問題となっている場面を具体化して話せる」という行為として現れているのです。

(25)
 妻を叩いてしまうというA氏の発言に続く私の応答ですが、まず、私は「奥さんを叩いてしまったのですね」と過去形にして返しています。クライアントが現在形で語ろうと、カウンセリングの場面で話す事柄はすべて過去に属しているものです。つい先ほど経験したことであれ、それを語る時には、それは過去に属しているのです。
 過去形にすることで、それが過ぎたことであるということをここでは強調しているのです。
 ここも私がいささか急ぎ過ぎた部分だと思うのですが、「奥さんを叩いてしまったのですね」で終わると、再びA氏の罪悪感が戻ってくるのではないかと心配してしまったのです。それで、「本当は叩きたくないんですね」とか「それを何とかしたいと思うのですね」と矢継ぎ早に補足してしまったのです。
 今から思うと、「奥さんを叩いてしまったのですね」とだけ答えておいても、A氏のほうから「そうなんです。本当は叩きたくないんです」と返していたかもしれません。私が少し先走りしてしまっているのです。

(26)
 A氏は私の指摘を「そうなんです」と受け入れ、認めています。その上で、「どうしたらいいのかわからなくて」と困惑を表明しています。
 自分が困惑しているということ、困っているということを素直に表現できない人もおられます。一概に言えないことかもしれませんが、そういう人の中には自尊心がとても低い人たちがおられるように思います。
 例えば、困ったことがあっても、自分でなんとかしなければならないと考え、他者を頼ったりしないという人もあります。私の考えでは、これは自尊心の高い人の行動や思考ではないのです。むしろ、自尊心が低く、自虐的な傾向を示しているように思うのです。
 自尊心の高い人は、たとえ人の力を借りてでも、自分の困難を処理していくことを目指すでしょう。決して、一人でなんでも処理しなければいけないとは考えないでしょう。自分がこの困難から抜け出ることを一義的に考えるでしょうし、そのために専門家の力を借りることにも抵抗がないでしょう。自尊心の高い人にとってもっとも大事なことは、すべてを自分一人でやることではなく、自分を大切にし、自分自身を良くしていくことにあるからです。
 自分を良くしていくことを一義的に目指さず、人に頼るのは情けないとか、他の人からどんなふうに思われるだろうかとか、ダメなやつとみなされないだろうかとか、そういうことを一義的に考えてしまうのは、得てして、自尊心の低い人であります。そして、こういう人は、自分が困っていること、助けてほしいと思っていることを、素直に表明したりはしないのです。援助を求めることは、自分を良くしていくための一歩とは映らず、自分の価値を引き下げる行為として感じられたりするのです。
 従って、A氏がここで困惑を、隠したりごまかしたりせず、素直に表に現しているということは、私にとっては望ましいことであるように思われるのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)