<5-6>初回面接:解説(3)

<5-6>初回面接:解説(3)

(15)
 私はここで具体的な場面に移ろうと試みています。
 A氏は、「自分はDV加害者であるとは認めたくない、でも妻は加害者だと言う、私はそれを不本意でも認めなくてはならない、そうでなければ私の何かが損なわれてしまう」と、こうした観念的なことを述べてきました。話題を変えるわけではないのですが、私はこのまま続けることは発展がなさそうだと感じていました。そこで、具体的な場面に入ろうとしたのです。
 発展がなさそうであるというのは、彼のその観念が循環的に展開していくからであります。「認めたくない―でも、認めないといけない、そうでないと苦しい―でも、やはり認めたくない」というように、出発点に常に戻ってしまうからであります。

(16)
 詳しく話すように求められて、A氏は困惑しています。それでも何とかして話そうとされていることがわかります。これはA氏がカウンセリングに参加していることを示しています。このカウンセリングに協力しようとしているのです。ただし、この段階では、それは十分な参加や協力ではないかもしれません。
 彼は非常に曖昧な表現で場面を説明しています。妻が暴れる、止めようと思う、いけないと思いながら力づくでやってしまうと、具体的なことは語られていません。それを語るには強い抵抗感があるように私には思われるのです。

(17)
 私はここで選択的にA氏の話を取捨しています。
(16)におけるA氏の発言に耳を傾けてみましょう。彼は困惑しています。そして、具体的な場面を「妻が暴れる」という部分から始めています。そこに至るまでの経緯を彼は省いています。
 そして、「(妻が暴れるので)それを止めなければいけない」という展開を見せています。当然、これは正しい表現ではないのです。「妻が暴れ、それによって私の中に何かが起きて、それで妻の行為を止めなければいけないと思ってしまう」という展開があるはずだと私は思うのです。そうだとすれば、彼は中間の部分をここでも省いているのです。
 妻を止めなければと思い、その後に「つい、力づくでやってしまうんです」とA氏は続けています。ここにも多くの省略が見られることに気づかれるのではないかと思います。まず、「つい」が挿入されています。ここはA氏に禁止が働いた部分だと私は考えています。つまり、「妻を止めなければと思い、こういうことをしてしまう」とスムーズに流れていなくて、「つい」のところで流れが中断されているわけです。彼の中で警戒信号が発せられたのです。それで、「力づくでやってしまうんです」が次に続くわけですが、力づくで何をやってしまうのかは語られません。彼はこれを語りそうになったのだと思います。その瞬間に警戒信号が発せられて、無意識的に隠ぺいしてしまったのだと私は考えました。
 では、何が彼に警戒信号を発したのか、それは次の言葉、「いけないと思いながら」に表されています。罪悪感なのです。彼はここで激しい罪悪感に囚われているように私には思われるのです。
 従って、彼の罪悪感を喚起するこの領域について、少なくともこの段階で、これ以上追及することは、ますます彼の罪悪感を高め、ますます彼は自分を隠ぺいするようになってしまうだろうと、そう思われるのです。それで、話題の領域、焦点を少しずらしたわけです。
 「奥さんはそれをDVだと言っているのですね」と私は、事実や具体的な場面を聴く代わりに、一つの確認を行っているのです。

(18)
 それを聞いて、A氏の顔から笑みが浮かびました。警戒信号が多少なりとも解除されたことを示しているように私には思われました。
 A氏は私の確認を承認します。妻はそれをDVだと言うんですと。ここでも「力づくで抑え込んでしまうんです」と彼は語っていますが、おそらく、これが、この段階において、彼が罪悪感を覚えることなく表現できるギリギリの表現なのだと思われます。

(19)
 私の発言。「Aさんがそうしなければならない、よっぽどな事情があるんでしょうね」というこの発言は、無罪証明的なものであります。それと同時に、行為の方ではなく、その事情の方に視点を移そうという試みでもありました。

(20)
 これに対して、A氏はなんと応じているでしょうか。「ホント、激しいんですよ、妻が暴れ出すと」と彼は述べています。
 これは先の私の発言に正確に対応しているものではありません。私はA氏にとっての事情に視点を当てたのでしたが、彼は妻の行為に視点をすり替えています。妻の行為を示すことで、自分の事情の説明の代わりにしているわけです。
 このことは、彼の行為に焦点が当てられると困惑してしまうけど、視点が妻の方にある限り、彼の罪悪感や不安が少ないということでもあるように思われます。彼にとっては、より安全な領域なのだと思われます。

(21)
 奥さんが暴れると、Aさんが困るのですねと、私は再度A氏に視点を当ててみます。A氏が体験しているであろう困惑に焦点を当てています。

(22)
 それに対して、A氏は再度、すり替えをしています。もちろん、こういうことはA氏が意識してなされたものではなく、無意識的な過程であるということは強調しておく必要があるでしょう。
 さて、妻が暴れると相当なものだと彼は言っています。辺りはメチャメチャになるし、子供にも影響があるんじゃないかと思ってしまうと、彼は述べます。しかし、彼自身がどう困っているかは明確にされません。そこは省略されて、「早く妻を鎮めなければって思ってしまう」に続けられているわけです。
 その後に注目してほしい。「それで、つい、手を上げてしまうんです」と彼は述べます。これを(16)のA氏の発言と比較してみましょう。(16)では「つい、力づくで抑えてしまう」でした。ここでは「つい、手を上げてしまう」となっています。彼の行為がより具体化されていることが窺われます。つまり、彼が罪悪感を覚える臨界点が移行しているわけです。安全領域が少し増しているのです。
 これはさらに(24)のA氏の発言につながっていくことになります。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)