<5-23>2回目面接:解説(3)

<5-23>2回目面接:解説(3)

(11)
 ここでようやく「保留」の意味が私に分かったのですが、A氏は私とすでに約束しているのに、「プログラム」の方に参加することになったので、私に対して不実を働いているように感じていたのかもしれません。それがあの言葉を濁す返答に現れていたのでしょう。
 しかし、ここはよく考えてみる必要があります。A氏は私との2回目の予約をすでに取っています。その間に「プログラム」に参加してもなんら差し支えはないはずです。もっと言えば、彼が私のカウンセリングと「プログラム」の両方を続けても、別に支障はないのです。そういう「加害者」立場の人もあります。他にも、精神科に通いながらカウンセリングにも来られるという人もありますし、GAやAAに参加しながらカウンセリングも受けるというギャンブル依存、アルコール依存のクライアントもおられます。どちらか一方でなければならないという理由はないのです。
 一方が絶対ダメで、他方が絶対いいというのは、彼の観念ではなくて、むしろ妻の観念であるように思われます。つまり、ここで彼は妻の観念にひどく巻き込まれているということが言えるのです。
 しかし、彼は自分がそれに巻き込まれているということに気づいていません。それがフェアではないという妻の見解に同意しています。フェアではないというのは、誰にとってアンフェアなのでしょうか、また、そのアンフェアの責任はすべて彼にあると言えるでしょうか。
 彼はプログラムよりも先に私のカウンセリングを受けました。だからプログラムよりも先に私との2回目の予約が取られるのは当然であります。それでも、彼がプログラムの方も参加するのであれば、それで妻としては満足ではないのでしょうか。妻にしてみれば、夫が望み通りのことをしてくれるということにならないでしょうか。どうして妻はA氏の私との2回目のカウンセリングを中止させなければならなかったのでしょうか。
 私は次のように考えています。妻には別の動機があるのだということです。
 A氏はA氏の「治療」のためにある所を選んだ。妻はそれに反対している。つまり、A氏がA氏の「治療」のために選んだ所を、妻はそこはいけないと禁じています。妻が純粋にA氏に良くなってもらいたいと思うなら、A氏の選択に反対はしないでしょう。本人が選んだ所が、本人にとって一番いいだろうと考えるでしょう。妻が禁じるのは、それが妻自身のためにならないからです。まず、そう仮定してみましょう。
 この仮定に従えば、妻は自分の「治療」のためにA氏に「治療」を受けることを求めていることになります。ここでは、A氏が「治療」されることよりも、妻自身が「治療」されるということが望まれているわけです。しかし、妻のこの願望は背後に隠れていて、表には現れてこないのです。
 妻は自分の「治癒」のためにA氏の「治療」を求めています。これはあくまでも仮説でありますが、これが正しいとすれば、妻は、A氏が改善されることで、自動的に自分が改善されるという望みを抱いているということになるのではないでしょうか。自分が良くなるために相手を改善させるのです。そして、そうすることによって自分が改善されるということを信じているのですが、これは魔術的思考と呼ばれるものであります。幼児、児童によく見られる思考でありますが、これは彼女が魔術的思考の段階に退行していることを示しているように思われます。
 この魔術的思考、つまり「相手が良くなることで自動的に自分も良くなる」という思考(本当は受動的でマゾヒスティックな思考なのですが)は、それに期待が持てる間は当人にはとても有効であります。この人は、相手の「治療」に積極的になるでしょう。しかし、この期待が外れてしまった時が危険なのです。つまり、「相手だけ良くなって、自分はちっとも良くなっていない」という現実を見てしまう時です。いずれこれが訪れるということは、私は経験的に知っているのです。そして、魔術的思考に縋り付けなくなってしまうと、その人は一気に「破綻」してしまうのです。
 私はこの回の最後に、妻も「治療」や援助を受けることを勧めています。余計なお節介だとは思うのですが、いくら私のクライアントではないと言っても、誰かが精神的に破綻することは避けたいと思うからです。
 それはさておき、「相手だけ良くなって、自分はちっとも良くなっていない」という現実を認識することは自分の破綻をもたらすのです。これまではその魔術的思考に縋り付くことで自分を維持できていたのに、もはや縋り付くものがなくなってしまうのです。自分が維持できなくなり、破綻してしまうのです。当然、この人は自分の破綻を食い止めたいと思うのです。
 それを回避するために、つまり破綻を防ぐために、この人たちはどういうことをしてしまうかということですが、それは相手をずっと悪い状態に留めておこうとするか、相手の「治療」をなんとしてでも妨害し、阻止しようとするかなのです。前者では、「相手が良くならない、だから私も良くならない」というように、魔術的思考の文脈が維持できるのです。後者は、それ以上に相手が良くなることが許せないということ、より正確に言えば、これ以上相手が良くなることで自分にもたらされる事態が許せないということであり、「治療」がその事態をもたらしそうであれば、「治療」を妨害することでそれを回避したいということなのです。
 私の述べている仮説は、おそらく、すぐには信じられないと思います。臨床の現場ではこういうことは頻繁に見られることなのですが。一般の方々には理解しにくい観念ではないかと思います。
 今後、A氏が「良く」なっていけばいくほど、妻は崩壊していくはずであります。一方が上がると他方が下がるという関係があるわけなのです。シーソーのような関係、しかも着地点のないシーソーのような関係で、一方が上がり続けると、他方はどこまでも下がり続けなければならなくなるのです。
 私の言う「DV関係」とはこういうものなのです、そこには二人の人間が存在していながら、一人だけが完全に救済されることが目指される関係なのです。その一方の救済のために他方がとことんまで犠牲にならざるを得ないという関係なのです。
 A氏の改善が進むほど、妻の妨害戦術はさらに激しいものになっていくことが予想されるのです。従って、皮肉なことにとでも言いましょうか、妻の言動はすべてA氏の改善のバロメーターになってしまうのです。

(12)
 彼は「プログラム」に参加した時のことを話します。そこは他の「加害者」たちの体験が語られる場であったようです。彼は、これをあまりいいものとは体験しませんでした。
 私はA氏の感想は正しいと思います。そのプログラムは、おそらく、「罪の認識」というところに重点が置かれていたのだと思います。超自我形成が不十分で、罪悪感に乏しい人には適した方法であるかもしれませんが、むしろ罪悪感を強く体験しすぎているA氏に適しているようには思われませんでした。
 それに、グループワークということもA氏には適さなかっただろうと、今では、思います。これは後々明確になってくることですが、A氏にとっては、臨床家と一対一の関係でやっていくということにとても大きな意味があったからです。
 そうして、プログラム参加の話をしたA氏に、私は少々意地悪な質問をしています。それが(13)の私の発言なのですが、これについては次節で述べましょう。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)