<5-21>2回目面接:解説(1)

<5-21>2回目面接:解説(1)

(1)
 A氏の2回目の面接は、初回同様、予約の取り消しから始まりました。彼は「待ってほしい」と頼んできます。そして、「保留にしてほしい」と言ってきます。
 私には「保留」の意味がわかりませんでした。続けるとも止めるとも彼は言わないのです。そこのところは、彼にも決断ができないでいたのかもしれません。でも、「保留」にしておいてほしいということは、私とのつながりも残しておきたいという気持ちの表れなのだと、私は解釈しました。

(2)
 私は「都合が悪くなったのか」と尋ねます。彼は「ええ、ちょっと」と言葉を濁します。私はここにA氏の正直さを見る思いがします。
 すでに、彼は仕事を理由にキャンセルしています。言い換えれば、仕事を理由に挙げればキャンセルが受理されるということを学んで、知っているのです。ここでも「ええ、ちょっと、仕事で」と言ってもよかったのです。でも、彼はそういう嘘は言えないのだと思います。
 彼が言葉を濁すのは、それをここで言うのが憚られたということであり、おそらく、彼の抱えている困難に直接関わる事柄があったのだと思います。
 私は、キャンセルは受理しますが、次週の同じ時間を空けておくと伝えています。私には「保留」という言葉が引っかかっていたので、できるだけ関係を維持していこうという気持ちがありました。

(3)
 A氏からの連絡待ち状態が続いていました。しかし、その連絡もなく、A氏を諦めかけたその日にA氏から電話が来たのでした。こういうタイミングの一致というのは、カウンセリングの中ではよく生じることです。あの人どうしているかなと思ったら、その人から連絡が来たり、この人のカウンセリングでは今度はこの部分に焦点を当ててみようとこちらが考えていると、相手の方からその部分を話し始めたりするということが起きるのです。
 こうした一致は望ましいことであると私は考えています。クライアントに共感的になればなるほど、あるいは、クライアントと歩調が合えば合うほど、こうした一致が生じるように私は体験しています。
 こうした一致が生じるということで、クライアントとうまく合っているということが私に分かるわけであります。従って、私はこれを望ましい現象であると捉えているわけであります。

(4)
 さて、ここから「非来談者」の問題にも私たちは入っていくことになります。
 私は個人カウンセリングを実施しています。クライアントは一人なのです。従って、夫婦の問題で来談された場合、一方が来談し、他方は来談しないということが生じます。この時、来談した人がクライアントであって、来談しない側は「非来談者」と呼ぶことができます。ここでは、A氏がクライアントであり、彼の妻は「非来談者」ということになります。
 基本的に、私はクライアントのために仕事をするのであって、非来談者のために働くつもりはありません。極端な話、クライアントが良くなっていけば、非来談者がどうなろうと、私は自分の務めを果たしたと考えています。だからクライアントと非来談者とは切り離して考えようとするのです。
 しかしながら、私もそこまで非情になれないのです。そこまで切り離してしまえばもっと事態は容易になるのですが、そこまでできないのです。非来談者は、間接的なクライアントであり、表に現れない被援助者なのです。この回でも、私にとっては「非来談者」であるA氏の妻にも援助を受けた方がいいと勧めているのは、やはり私がそこまで切り離すことができていないからであります。
 それでも、基本的に私はクライアントのために仕事をします。ただ、私にとっては非来談者も無視できない存在なのです。と言うのは、大抵の場合、クライアントよりも、非来談者の方により重篤な問題が認められるからです。
 これに関して反論をされたことが私にはあります。それは、クライアントはカウンセリングで自分を良いように話すだろうし、非来談者のことを悪く言うだろう、カウンセラーはそれをそのまま信じるので、非来談者の方が重篤な問題を抱えているように見えてしまうのだと、そういう反論でした。
 この反論は、一理あるということは認めましょう。しかし、二つの点で間違っているのです。クライアントは必ずしも自分を良く言うばかりではないし、相手を悪く言うばかりではないということがこの反論では見過ごされているように思います。また、カウンセラーがクライアントの言葉を信じることは、それが即座にカウンセラーの偏見を生み出すということにはならないということも見過ごされています。
 この反論に対して、もはや反論のしようのない反論が可能であります。それは、もし、非来談者側により重篤な問題があるなら、非来談者は必ず妨害的な行動を示すということであります。非来談者側が「重たい」問題や病理を抱えているほど、カウンセラーやクライアントに対しての妨害戦術が激しいものになるということです。
 つまり、それだけ影響を受けているということが窺われるからです。パートナーがカウンセリングを受ける、それが「非来談者」にとって脅威と感じられれば感じられるほど、この人はパートナーのカウンセリングを妨害するような動きを見せるわけです。それだけこの「非来談者」が事態に容易に圧倒され、脅威や影響を体験しやすくなっており、それに適切に対処できないでいることが示されているように私には思われるのです。
 ここでA氏の妻は私に何を要求しているでしょう。A氏のカウンセリングを断れと、彼が来ても追い返せと言っているわけです。これは、当然、私には受け入れることのできない要求であります。私はA氏と面接する約束をしています。私はその契約を守る立場にあります。彼女の要求は、私に職業上の倫理を破ることを求めています。彼女はそういうことを考えていなかったかもしれませんいが、彼女の要求はとても暴力的なのであります。
 初回面接でも、A氏の妻は、A氏に私のカウンセリングを受けるなと言っていました。それが叶わなかったので、今度は私にA氏のカウンセリングを断れと言ってきているわけです。一体、どうしてそこまでして彼女は私のカウンセリングを恐れるのでしょうか。私には分かりません。
 このことは、言い換えると、どうしてA氏が私のカウンセリングを受けることが、彼女にとってそれほどの脅威となっているのか、私にはまったく分からないということです。一体、彼女は何を恐れているのでしょう。どうして、一度も会ったことのないカウンセラーをそこまで嫌悪し、毛嫌いしなければならないのでしょう。私にはとても非合理であるように思われるのです。
 この非合理さ、論理性の喪失という点で、彼女はより深い問題を抱えているように思われるのです。それは、例えば、「社長から見られているようで怖い」という訴えと、「街行く人すべてから見られているようで怖い」という訴えの違いに似ているように思われるのです。前者は自分と関係のある他者の視線を恐れていますが、後者は自分とは無関係である匿名の人たちまでが脅威になっているのです。
 彼女は明らかに私に何かを投影しているのです。私にはそう思われるのです。そしてそれは彼女の中にある何かであり、彼女を心底から恐れさせる何かなのです。ただ、それが何であるかは、今のところ、まったく不明なのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)