<5-13>初回面接:解説(10)

<5-13>初回面接:解説(10)

(53)
 A氏は妻には正直に言おうと思うと述べました。それを受けて、私は「ここに来たことを隠す必要はないって思うのですね」と、少々大胆な言い換えをしています。
 まず、A氏が述べたような表現を見てみましょう。「そのことを正直に言わなければいけないと思う」という表現は、罪悪感に占められている人の言葉であることが窺われます。悪いことをした、申し訳ないと思っている、だからそれは正直に言わなければならない、というわけです。
 一方、「そのことを隠す必要はないと思う」というのは、先の表現と比べるなら、はるかに罪悪感の要素が少ないわけです。つまり、悪いことをしたわけではない、正しいと思っている、だからそれは隠す必要なんてない、というわけです。
 A氏は罪悪感に満ちた表現をし、私はそれを罪悪感のない表現に言い換えたということであります。これが功を奏すれば、A氏の次の発言は罪悪感のより少ないものになることが予想されます。A氏はなんと言っているでしょうか。

(54)
 A氏は「(自分は)何もやましいことはしていないはずだ」と、「無罪」を主張する言葉で始めています。彼は、カウンセリングの予約を取り、その予約を守っただけではないかと述べます。私はこの面接で初めてA氏の主張を聞いたような思いをしました。
 続いて、自分が選んだ所なのに、そこに行くな、真っ直ぐ帰ってこいと妻が言うのはおかしい、と述べています。私はA氏からこれが聞きたいと願っていました。
 DV問題などでしばしば私は遭遇するのですが、「加害者」とされる人たちは、その行為の故に罪悪感に襲われていることも多いのです。この罪悪感があるために、「被害者」立場の人の言動に何か疑問点があっても、それを認めることができなかったりするのです。それどころか、そんな疑問を抱く自分の方が悪いと信じてしまうこともあるように思います。また、その疑問を口にすれば相手にはたちまち「被害」体験となってしまうこともあるようで、なおさらそういう疑問が言葉にできなくなるのです。
 A氏は、妻の要求していることは「なんだかおかしい」と思い始めています。ずっと思い続けていて口に出せなかっただけかもしれませんが、いずれにしても、彼はこれを正直に言葉にしています。これがどういうことであるかを考えてみましょう。
 妻は、A氏に対して不当な要求を出しているわけです。もし、これに疑問を抱くことなく、妻に賛同しているなら、これはA氏と妻とが完全に「一致」し「一体化」している状態であると考えることができます。しかし、妻の要求のここが「おかしい」と見ることができるということは、この「一体化」からA氏が脱却し始めていることを表していると考えることができます。
 私たちは、相手と同じではないということを知っていくことで、自分を確立していくものなのです。相手と自分との差異を見せつけられることで、私は非常にショックを受け、傷ついたりするでしょう。傷つくことは辛い体験ではありますが、これは「必要な傷」であるのかもしれません。子供はそうして、大人や周囲の子供との差異に直面していく中で、自分を確固としていくものなのです。
 この傷つき体験にも関わらず、相手との違いを認めることができれば、その人は成熟していくでしょう。しかし、この苦しい体験に耐えられない場合、相手との差異を認めることができないので、この差異を無くそうとするのです。どんなふうにしてそれを無くそうとするのかは、いろいろなパターンがあると思うのですが、その一つに、相手を自分と同じままに留めておくというのがあるように思います。
 A氏が、「更生プログラム」に参加せず、私のカウンセリングを選んだということは、それ自体、妻にとってはA氏との差異を見せつけられる体験となったと考えられます。妻は、この差異を無くそうとしているとも考えられるわけです。A氏もまたそれに従わなければならないような気持になっていたのだと思います。だからここに来るということが罪悪感になっていたのでしょう。今、彼は、それに従わないことを、妻との差異を認めようとしているのです。

(55)
 もし、「なんだかおかいい」というA氏の発言に、私が「それは確かにおかしい」と同意すれば、おそらく、A氏の妻に対する不満が噴出していたことでしょう。それをしてもいいとは、個人的には、思うのですが、ただ、ここではそちらに向かわないようにしていました。終了のことも考えなければならなかったからです。
 私は、A氏の怒りにではなく、妻が彼に対してやっていることを明確にしています。妻はA氏の領域にまで入り込んでくるように感じているのではないかと、そうA氏に伝えています。

(56)
 A氏は、まさにその通りだと言わんばかりに、顔を輝かせ、賛同します。彼にとって、問題が一つ明確化された瞬間だったと思います。
「そこまで口出しするかって、思う」という部分は、(54)での彼の怒りの感情が引きずられているわけですが、上述の理由で、あまりここを取り上げることは得策ではないと判断しました。それで次のような発言になったのです。

(57)
 私の発言。「(そこまで口出しするか)そう思うんだけど、どうしていいか分からないとか、何もできない感じがあるんですね」と。
 この私の発言は何かと言うと、彼の怒りではなく、彼の怒りを抑制させるものに焦点を当てようとしたものでした。どうも、それは上手くいった感じはしませんでした。
 むしろ、「そう思って、それからどうなるの?」と訊いてみた方が良かったと思います。すると、彼は自分の感情をどこかで飲み込んでしまう場面を述べたかもしれません。

(58)
 A氏の返答は、後のことを考えると、後で妻が暴れるかと思うと、何もできなくなるということでした。彼が自らそう述べているのですから、彼はその通りのものを経験しているのでしょう。私はA氏の発言を疑うつもりは全くないのですが、これは途中のものがたくさん抜け落ちているという印象を受けます。
 私は、この抜け落ちている部分を私なりに補ってみて、(59)で返しています。

(59)
 A氏の中で生じていることを、私が推測して、述べてみた部分です。これは「明確化」であり「解釈」であり、幾分、「直面化」と「対決」の要素も含んでいます。
 つまり、「あなたは妻が暴れるということだけを見ているけど、本当はあなたの中でこういうことが起きているのではありませんか。この時、あなたは自分を見ることができなくなるのですね」ということを伝えているわけです。
 うまくA氏に伝わったかどうかは不明ですが、もし、こういう指摘をされた時、自我が脆弱な人であるほど、この指摘を攻撃的なものとして、暴力的な言葉として受け取るでしょう。一つの賭けのようなものですが、A氏はどのように反応したでしょうか。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)