<5-12>初回面接:解説(9)

<5-12>初回面接:解説(9)

(46)
 私が質問して、クライアントが答えてくれます。そして、この答えの中にはクライアントにとって決定的な何かが含まれているのが常であります。決定的な何かというのは、その人の抱えている「困難」であったり「コンプレックス」に関係する何かであり、その人にとっての最重要事項や最大関心事に関係する何かであります。
 分かりやすい例を挙げれば、スタイルのいい人に魅力を感じる人は、自分のスタイルにコンプレックスを持っている人だったりするわけです。口下手で悩んでいる人は、トークの上手な人に魅力を感じるものです。私が相手に認める良さ、魅力、長所などは、相手に属するものであるというよりも、私の中にあるものの反映であるわけです。もちろん、すべてがそうだという意味ではないにしても、私の中にある何かの反映が少なからず含まれているのが常であります。
 では、「私の何が良さそうに思ったのか」という質問に対して、A氏はなんと答えているでしょうか。
 A氏は、DVに関して、私が「加害者」と「被害者」を明確に分けない考え方をしていること、どちらの立場の人も同じように援助してきた人のように思えたと答えています。
 まさしく、これはこの時点でのA氏にとって最大の関心事だったことでした。ここにも、彼が自分は「加害者」だと決めつけられたくない、認めたくないと感じていることの証拠が見出されるように私には思われるのです。

 ここで少しカウンセリングに関することを補足しておきたいと思います。
 A氏は自分のカウンセラーに私を選びました。これはすでにA氏の抱えている「コンプレクス」が関係していることなのです。こうして、私とA氏は、A氏の「コンプレクス」で結びつくことになります。この時から、私はA氏の「コンプレクス」の渦中に身を置くことになるのです。
 以後、この関係において、私とA氏との間で生じる事柄は、A氏の抱える「コンプレクス」の顕在化として把握することができるのです。A氏の心の中で起きていることが、私との関係において顕在化され、私とA氏との関係においてそれが進行し、展開していくことになるのです。
 私はA氏の心の中を見ることはできませんし、そこに直接作用を及ぼすようなこともできません。でも、A氏と私との間で起きている事柄に関しては、私はそれを認識することができ、考察することができ、そしてこの事柄に対して対処することが可能になるのです。
 どうしてカウンセリングが「心の治療」になりうるかという疑問にも、これによって答えることができると私は考えています。
 これは適切な比喩とは言えないのですが、これを機械の故障で考えてみましょう。機械に不具合が生じるとします。その時、人はしばしばその機会を分解し、どこが悪いのかを調べます。調べると、どこかその原因となる部品が見つかります。そこを取り出して、部品を交換したり、補強、補修したりします。そうして部品を元に戻し、機械を組み立て直します。このことを理解することはそれほど難しくないと私は思います。
 カウンセリング、精神分析など、「心の治療」も原理としてはそれと同じことをしているのです。クライアントは自分の内面をカウンセリングの場に出しているのです。意識的にであれ無意識的にであれ、それはさまざまな形を採ることもありますが、クライアントは自分の抱える困難や「コンプレクス」をこの場に差し出してくれるのです。その多くはカウンセラーとの関係の場に出されるのです。私たちはそれを取扱い、考察し、クライアントに返していくわけであります。

(47)
 私はA氏の「コンプレクス」に関わるであろう部分をいささか回避しています。「(私に対して)そういうイメージを持たれているのですね」とだけ受け答えしています。
 それに続いて、「奥さんが反対しているのだったら、ここに来るのも辛くなかったか」と、今現在のことに焦点を当てています。
  (44)のA氏の発言まで、私はA氏が妻の反対を押し切ってここに来たということを知りませんでした。それを知ったので、これこそ早急に取り上げる必要のある話題だと私は思ったのでした。
 彼は妻の反対を押し切ってここに来ました。それだけでも彼の中では妻に対する罪悪感が経験されているかもしれません。ここを曖昧なままにしておく、あるいは手つかずのままにしておくと、この罪悪感はより大きくなってしまうかもしれないのです。

(48)
 彼はその辺りの事情を述べます。この時間に帰宅していないとあのカウンセラーの所へ行ったのだと見做し、それは裏切りだということを妻は言うようです。なかなか厳しい発言であり、拘束であるように私には思われるのです。

(49)
 「後のことを考えると、気が重くなるようですね」と私の応答が続きます。これはA氏の発言よりも、A氏の「ため息」の方により反応しています。
 よく見ると分かるように、(48)のA氏の発言内容はすべて妻に関するものでした。A氏自身のことがどこにも語られていないのですが、唯一、彼が表現されているのが最後の「ため息」の部分であります。私はそれを「気が重くなる」感じとして受け取ったので、そう返答したわけです。

(50)
 A氏の困惑です。「妻になんと言おうか」。彼は現実の部分に目を向けています。「自分は加害者か否か、妻や世間はそう言うけど、自分では認めたくない」といった事柄は、すべて彼の観念に属するものであります。彼はこの観念に取り組み続けてきたのですが、ここで少し現実のことも考え始めています。

(51)
 「なんと言うつもりですか」と、私はそのまま尋ね返します。特に方向づけることはありませんでした。と言うのも、彼がここに来た時点で彼の決心は固まっていたはずだからです。彼は、妻になんと言うか、その答えも持っているはずだからです。

(52)
 A氏は「正直に言わないといけないと思う」とはっきりそう言葉にしました。それはA氏の選択であり、私はそれに異議を差し挟むつもりはありませんでした。だから、ここで「妻には嘘を言うつもりだ」と彼が言ったとしても、私はそれがA氏の選択であれば尊重していたことでしょう。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)