<5-10>初回面接:解説(7)

<5-10>初回面接:解説(7)

(39)
 A氏はその「問題」が生じている場面での自分自身を正確に把握できていません。これはDVに限らず、他の諸問題であっても同じことで、「問題」となっていることを体験しているけれども、具体的にどういう状態になっていて、どういう体験をしているのかに人は気づかないものなのです。
 A氏はそれを「訳が分からなくなる感じだ」と述べています。私は「訳が分からなくなるのですね」とそのまま応じています。実際、彼はそのように体験しているのだと思います。そして、訳が分からなくなるということが承認されると、彼の罪悪感が軽減することが予想されるのです。
 続けて、その辺りを丁寧に見ていく必要があると私が提案していますが、これは、つまり、罪悪感を見るのではないということをも伝えているのです。ただ、その時の彼がどういう状態であるか、双方の関係で何が起きているかを見ていくということなのです。
 もし、罪悪感を喚起する内容の後で、それを丁寧に見ていきましょうと提案されると、それは罪悪感を直視していくことだというように解釈されるかもしれません。ここで、「訳が分からなくなってそうなるのだ」という形で、無罪証明的に承認した上で、そこを丁寧に見ていきましょうという構造になっているのは、そのためであります。

(40)
 A氏はその提案を受け入れています。そして、その作業がどうして必要であるかということも彼は述べています。私としてはこれ以上言うことはないくらいに、彼は理解してくれています。
 続いて、彼は「どうしたらいいのか」と、二度目の困惑を示します。

(41)
 A氏の「どうしたらいいのか」の困惑を、ここでも私は真正面からは受け止めない形で、少し話題を移行させています。
 こういう話題転換は、ある種のカウンセリング理論では正しいことではないと見做されるものであります。つまり、カウンセラーは話題を転換したり、リードしたりしてはいけないと考える理論があります。その理論に従えば、この対応は正しくないということになるでしょう。
 その理論自体は私も賛成なのですが、私は幾分ラディカルに考えています。基本的には、クライアントの話題を変えたりしない方がいいけれど、それは時と場合によると考えています。
 A氏の(40)の発言を見てみましょう。それが起きる時にはどういう状態になるのかを丁寧に見ていきましょうという私の提案(39)を受けて、彼はまず、「自分でもそう思います。でも、自分でも分からないんです」と両価的に反応しています。続いて、「分からないから問題になる、分かっていくことが先決だと納得できる」と述べているのですが、これはいささか性急すぎるように思われるのです。そして、「どうすればいいのか」と、あたかも一足飛びでそこに至ろうとしているかのような印象を受けたのでした。
 私は、まず、「それを一緒にやっていきましょう」という形でA氏の性急さを緩和しようとしています。その上で、話をそこ(性急な解決)に戻さないように、私が疑問に思ってきたことを尋ねてよいかと訊いているのです。

(42)
 私の質問の許可を彼は認めます。彼はにっこり笑って、いいですよと快諾しています。私には、性急になりそうになったA氏が歩調を緩めてくれた感じがしました。
 後半の、「先生の方からいろいろ訊いてくれると助かります」という部分は、それも特に「助かる」という部分に関しては、私は二つの意味合いがあるように思いました。
 一つは、彼が依存的になっているという意味合いのことです。この場合、主体的に話していくより、尋ねられたことに答えるという受動的なやりとりが助けになると言っているわけなので、この場において、彼は依存的であるとみることが可能であります。
 クライアントはカウンセラーに対して多少とも依存的になるものです。その他の場面であっても、専門家に依頼する時、依頼者はある程度の依存性を示すものであります。こうした依存性は、何よりも、通常の場面でも見られるものであるという点をまずは押さえておきたいと思います。
 次に、専門家に頼り、その専門家に依存するとはどういうことであるかを考えましょう。私たちが専門家に頼るのは、簡単に言えば、その専門家を専門家として信頼しているからであります。その時、依頼者側は、その人を自分の専門家としてみなしているわけであります。
 A氏が私に依存的な態度を示したとすれば、それは、A氏が自分のカウンセラーとして私のことを受け入れているということを意味するわけです。このことは逆の立場を見ると一層よく理解できるでしょう。「この人を自分のカウンセラーにしたくない」と思っていれば、この人は目の前のカウンセラーにもっと敵対的な態度を採ることでしょう。決して、依存的にはなれないはずであります。
 こうした依存性というのは、通常見られることであり、それ自体は「問題」であるとは思われないのですが、それ以外の要因が絡んでくるのです。例えば、「依存的でありながら主体的であろうとする人」もあれば、「依存的になって、非主体的になり、自分を喪失してしまう人」もあるわけであり、後者はより「問題」となるのです。
 ここでのA氏の場合、依存的になっていることは「問題」ではないのですが、もし、彼が私の言われることに答えるだけという在り方を採択するなら、そちらが「問題」となるわけであります。
 さて、彼の「助かる」という言葉のもう一つの意味合いは、私から尋ねられることが彼にとって文字通り救いになるという経験をしているというものです。つまり、彼が主体的に話す場合、彼にとって苦しい内容のことを話してしまったり、罪悪感を刺激するような話題を選んでしまったりするけれど、私の質問はそういうものに触れないので、だから救いになるように体験されているということです。
 クライアントの中には、カウンセリングとは問題となっていること、苦しみが伴うことを必ず話さなければならないのだと信じている人もいるようで、その人たちは、マゾヒスティックなほど、自分を苦しめる内容を積極的に話されたりするのです。実際は、そんなこともないのです。クライアントは、いずれそういうことを話す日が来るとしても、それが脅威と感じられなくなるという体験をしていく方が先なのであります。
 彼が「助かる」という体験をするなら、それがどの領域において「助かる」のかに関わらず、彼が自分の中で感じられている脅威を減少していくでしょう。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)