<5-1>カウンセリングの実際~はじめに

<5-1>カウンセリングの実際(1)~はじめに

 この第5章ではカウンセリングの実際をできるだけ私と一緒にあなたにも追体験していただこうと考えています。カウンセリングの中でどのようなことが起き、どのように展開していったかを、一人のクライアントの事例を追うことで綴っていきたいと考えています。
 事例に関しては、個人が特定できないためにいくつかのアレンジが施されています。枝葉の部分は省略がなされ、個人が特定されそうな情報は変更が加えられています。また、複数のクライアントのエピソードを交えています。本章では一人の男性クライアント(A氏としておきますが)を取り上げますが、このA氏は現実の個人に基づいていると同時に、現実に存在する個人ではないことになります。
 A氏は、カウンセリングを受けた当時、30代後半の男性でした。DVの問題を抱えて来談されたのでした。DVに関しては、別に章を設けたいと思うのですが、ここでは簡単に私のDV観を述べておこうと思います。

 DVとは、夫婦間などで生じる暴力を差しています。この「暴力」とは、身体的なものから精神的なものまで含まれますし、言語や態度などで示されるものも含まれています。
 私の考えでは、DVの問題においては、「暴力」を中心に据えてしまうと、すぐに袋小路にぶつかるように思われるのです。そこでは、「暴力」があったかなかったか、どっちが悪いかといった問題に終始することになってしまうからです。
 従って、「暴力」という行為よりも、その行為が生まれることになった「関係」に焦点を当てる必要があります。私はそれを「DV関係」と名付けているのですが、「DV関係が形成されている関係においてDVが発現する」と考えています。先に「関係」が築かれており、その逆はあり得ないと考えています。
 では「DV関係」とはどのような関係かと言いますと、これは簡単に述べることが難しいのです。この関係においては、両者の境界が曖昧であり、何が自分に属し、何が相手に属しているのかが不明瞭であるように思われるのです。そして、アイデンティティを補完し合うような関係が生まれるのです。相手が否認して切り離しているものが自分に押し付けられ、自分はそれに同一化せざるを得なくなるといった状況があり、相手に対しても同じことを自分がしてしまっているというような状況であるように思われるのです。
 そのために、「DV関係」においては、決して二人の人間は二人の人間の関係にならないのです。お互いに対等ではなく、一方が上で他方が下という関係に陥りやすく、それが交互に入れ替わるのです。
 今のことを違った表現で言えば、DV関係とは、一方が「加害者」で他方が「被害者」になってしまう関係なのですが、「加害者」と「被害者」がその時々で入れ替わりながら進行する関係であるということになります。
 ちなみに、今、私は「加害者」「被害者」という言葉を用いましたが、この二つの言葉には人格的な意味合いが含まれていないということを強調しておきたく思います。DVというのは、問題となる場面があるのです。これらの言葉は、単に、その場面における双方の役割を示しているに過ぎません。その場面において、一方が「加害者」役割をしてしまうのですが、その人に「加害者」というアイデンティティが付与されているわけではなく、別の場面ではこの人が「被害者」役割をとることもあるのです。あくまでも、その場面における役割を示すためにこれらの言葉は使用されます。
 わかりやすく言えば、「加害者」「被害者」という言葉をレッテルにしないということです。これはけっこう重要なことで、「DV関係」においては、一方が他方に積極的にこのレッテル張りを行うことが観察できるのです。私がそれと同じことをすれば、私はこの関係の一方に与することになってしまうのです。

 さて、DVの問題とは、「DV関係」の問題であります。DVという行為に囚われ過ぎると、関係が疎かになります。つまり、相手のこの行為さえ止めさせればいいのだという発想は、結局のところ、新たなDVを生み出す温床となってしまい、また、問題の根底の部分をそのままに放置することになるので、必ず再発するのです。
 従って、DV問題の解消とは、この関係の改善に求められなければならないのです。では、関係とは何かということが疑問になります。
 二人の人間の関係において、二人はそれぞれ自分の何かをこの場に持ち込んでいます。パーソナリティや過去の経験を、お互いに二人の間に持ち込んできます。持ち込んでいるという自覚がなくとも、知らず知らずのうちに持ち込んでしまっているということもあるでしょう。その中には、相手の何かに無意識的にしてしまう反応も含まれるのです。
 双方がその場にどういうものを持ち込んでいるかで、二人の関係が決まるのです。持ち込んでいるものの種類によって、関係の質も変わってきます。  従って、DV問題の解決とは、なによりも、自分がこの関係にどういうものを持ち込んでいるかを知ること、相手がどういうものを持ち込んで、自分がそれにどう反応してしまっているかを知ることから始めなければならないと私は考えています。
 このことは、つまり、DV問題のカウンセリングにおいては、クライアントがその夫婦関係の中で、何が自分に属している事柄であり、何が相手に属している事柄であるかを、しっかり見分けるという作業から始められることになります。
 この作業から始めるとは言え、この作業は最後まで続けられるものでもあります。すごく単純なようでいて、実はクライアントもよくわかっていないのです。関係の真っただ中にある当事者であるが故によく見えていないことも多いのです。
 例えば、「もう少し経済的に余裕があればと思います。妻といつもそのことでもめるのです。そりゃあ、給料だって上げて欲しいし、余暇にもう少し贅沢したいと思いますよ」とある男性が言ったとしましょう。仮に、「あなたは本当に余暇に贅沢したいって思うのでしょうか」と尋ねてみると、「いや、贅沢はしたいとは思わない。余暇はゆっくり過ごしたいって思う」と彼が答えたとしましょう。「そうすると、余暇に贅沢したいっていうのは、あなたの願望というよりも、奥さんの願望なのですね」と指摘されて、初めて「そうですね、それは妻が望んでいることですね」と彼は気づくのです。つまり、「妻の願望」と「妻の願望を満たしてあげたいという彼の願望」とが、彼の中では区別されることなく、一緒になっているのです。いつしか妻の願望がそのまま自分の願望であるかのように彼には体験されているのです。DV問題の当事者たちとカウンセリングをしていると、こういうことがよく観察されるのです。

 詳細はDVに関する章で取り上げることにしますが、上記の作業を知っておくことで、A氏とのカウンセリングでどういうことがなされていったかをより理解していただけるものと思います。
 記述に関しては、まず、カウンセリングの場で語られたこと、展開したことを記述し、その後で、その解説並びに考察をしていくという形で進めたいと思います。例外はありますが、基本的にその順序で記述していくことにします。
 最後に、本章の目的を繰り返しておきます。ここではDVに関する考察よりも、実際のカウンセリングに重点が置かれます。カウンセリングの中で、より正確に言えば、A氏のカウンセリングの中で、どのようなことが起こり、それによってA氏がどのようになっていき、カウンセリングがさらにどのように進展していったかを、読者とともに追体験していくことが目的であります。
 では、クライアントA氏との最初の接触から見ていくことにしましょう。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)





平成28年9月9日 公開