<2-1A>「前提」とは

<2-1A>「前提」とは

(個人が内面に持つ「地図」)
 この第2章は「私のカウンセリングの前提」というタイトルを付しています。私がカウンセリングをしていく上で前提として持っている諸思想のことであります。まず「前提」とはどういうものかという問いから始めたいと思います。
 私たちはどの人も自分の中にある種の「前提」となる思想なり観念を持っていると私は思います。コージプスキーの比喩を借用させてもらうと、それは「地図」のようなものであります。人は自分の中に自分なりの「地図」を持っていると仮定してもいいでしょう。
 この地図が正確であれば、私たちは迷ったときにいつでもそれを参照して、目的地へ方向づけをしたり、あるいは軌道修正なりをして目的地にたどり着くことができます。しかし、もし、その地図が間違っていたり、あるいは最初から地図を持っていなかったとしたら、その人はあらゆる場面で道を間違え、迷い、一歩も踏み出せなくなったりすることでしょう。その人は自分を目的地にたどり着くための手段を持たないということになるでしょう。
 地図は私たちを現地に導く役目を持つだけではなく、その現地に到着するための道順を考えることをも可能にしてくれます。つまり、計画ということも私たちはこの「地図に」頼ることになるわけであります。そして、例えば、地図上にて通行の危険な道があるとすれば、私たちはそこを回避するコースを考えたり、そこを通過するための心構えをすることも可能になるのです。つまり、地図は、計画や準備にも役立つわけであります。
 見知らぬ土地に行く際にいつでも地図を参照するように、さまざまな場面で参照する「地図」を私たちは内に有しているのです。私たちは生活場面で常にその地図を参照しているのであります。そのように仮定しておきましょう。「前提」とはその「地図」であり、その「地図」に記されているものであると考えると理解しやすいでしょうか。
 また、この地図は、地図というものがそうであるように定期的に刷新されることになります。私たちは経験などを積んでいくに従って私の中にある「地図」の方にも変更を加え、訂正し、より最新のものにしていくものであり、後に述べるように、私の中にある前提は常に「現時点」でのものであり、決して完成形ではないのであります。

(専門家もまたその人の「前提」を持つ)
 どの専門家もその人の「前提」となる考えを有して仕事をしているものであります。これはどの職業においても言えることであると私は考えています。
 例えば内科のお医者さんが4人いるとしましょう。それぞれABCDと呼んでおきましょう。
 医師のAとBは治療に熱心であります。医師CとDはむしろ予防の方に力を入れています。この時、前者は「予防も大切だけど、完全に予防することはできないのだから、治療に力を注いだ方がいい」といった前提を持っているわけであります。後者は「治療も大切だけど、何よりも病気にならない方がいいのであって、病気の予防こそ人々に奉仕する活動である」といった前提を持っていたりするわけであります。それぞれが有している前提に基づいて、彼らの仕事への姿勢やそのアプローチに違いが生まれているわけであります。
 さらに、治療に価値を置くAB二人の医師の間にも違いがあるかもしれません。Aは病院に来た患者の治療に一生懸命になればいいと考えています。しかし、Bは治療に力を入れることは当然であるが、応急処置の仕方など、もっと治療を一般の人に啓蒙していく必要があるなどと考えています。AとBとでは、一部では同じ前提を有していても、他の部分では前提として持っているものが異なっているわけであります。
 同じように、CとDの間にも異なる前提を見いだすことができるかもしれません。こちらは予防に力を入れなければならないと考えている二人ですが、Cは受診した患者さんに予防の大切さを教えるだけでいい、一般の人に啓蒙したとしても非専門家は間違ったことをしてしまう可能性もあるから、啓蒙はしなくていいと考えているとしましょう。D医師は、たとえ一般の人が間違ったやり方をしてしまう可能性があるとしても、それでも予防を知識として持っているだけでも価値があると考え、予防をもっと啓蒙していくために、たくさんの啓蒙書を書き、テレビやマスコミにも顔を出すといった活動を展開しています。CとDとでは、共通する前提を有しているけれども異なる前提部分も持っているわけであります。CはDと異なる前提部分を持っているけれど、C医師のその部分はA医師が持っている前提と共通しているということが言えるのであります。同じくその部分に関してはD医師とB医師は同じ前提を有しているということになります。

(前提とは)
 ここで「前提」ということをまとめておこうと思います。ここで言う「前提」とは人がその仕事をする上で自分の中に持っている「地図」であり「枠組み」であります。それは考え方や信念、価値観などを含むものでありますが、この「前提」に基づいて、その人の仕事の仕方や有り方が方向づけられているのであります。このことは上述の医師の例えで述べたことであります。その人の仕事の基礎を司る部分であります。
 この前提はその人の過去の経験、個人的な体験に基づいて形成されるものであると私は思うのですが、しかし、外部からの学びによって形成されている部分もかなりあると思います。こうして、人は今現在における「前提」を持って仕事なりその他の生活場面に臨むことになるわけです。
 それは「地図」のようなものだと述べましたが、地図は現地ではないけれど、地図が正確で正しいものであれば見知らぬ場所に行っても困らないように、つまり正しい地図があれば初めての土地でも旅行できるように、前提を持つことで私たちは仕事に困らないのであります。地図をいつでも参照するように、自分の前提とするところのものをいつでも参照することができるからであります。
 そして地図が常に現時点でのものであり、時間とともに修正されていくように、私たちの前提も今後の経験や学びによって修正される可能性を持つものであります。従って、どの人も「前提」となる考えを持っているとしても、その思想は完成形というわけではなく、現時点においての「最新版」ということに過ぎないものであります。
 私は、現在の私が持っている前提をこれから綴っていくことになると思います。これらの前提の中には今後とも変わらないものもあるでしょうし、変わっていくものもあるでしょう。10年前にはなかった前提が現在にはあり、10年前にはあった前提が今では放棄されていることもあります。また、現在において明確になっている前提もあれば、十分な形を形成していない漠然とした前提もあります。今後明確になっていく前提も私の中にはあるわけであります。
 人が生きている限り、常に私たちは内面を修正していくものであると私は考えています(これも前提の一つでありますが)ので、今現在において私が綴ることのできるものだけを取り上げることになると思います。

 さて、これを述べるのはたいへん難しいと考えいます。実際、この第2章は何度も書き直した章であります。私の中では当たり前のように存在している前提を、そういう前提を有していないかもしれない人にも分かるように説明するのは、至難の業であるように感じられています。できるだけ理解しやすい記述を心がけるつもりでありますが、そのため、時には冗長になるかもしれず、また体系的にまとまったものにならないかもしれません。
 尚、本章において私は私のカウンセリングの前提を綴っていくことになり、第3章ではカウンセリングの枠組みについて述べ、第4章ではカウンセリングの過程と言いますか、カウンセリングの経過の中で生じる諸現象を取り上げることにします。本章から第4章までの一連の三つの章は相互に関連する内容であるので、できれば併せてお読みいただければと思います。
 第5章でカウンセリングの実際を取り上げ、第6章以降において具体的な個々の問題を取り上げていくという構成を考えています。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)


2019年4月2日公開