<16-4-8>意識水準の低下(1)

<16-4-8>浮気のケース研究~Q夫妻とR夫妻~意識水準の低下(1)

(「発作」は抑制されなければならない)
 妻の「発作」は一つのれっきとした「症状」であると私はみなしております。それが「症状」であるならば、できることならそれが表に出ないようにしたいと私は望んでいました。つまり、「発作」が抑制できるならそれにこしたことはないと思うわけです。
 彼らのカウンセリングにおいて、私が最初に考えたのはそれでありました。妻の「発作」をできるだけ出さないようにしたいと願っていました。
 夫たちは比較的よく耐えている方だと私は思います。妻たちが夫を諦めていないのと同様に、夫たちも妻を見捨てるつもりはないのです。ただし、夫の忍耐にも限界があるとすれば、妻の「発作」が激化すれば夫が音を上げてしまうことになりかねないとも思っていました。そうなると離婚の現実性が高まってしまうのですが、離婚は妻が望んでいることではないはずであります。
 DV問題で妻の「発作」に晒され続けると夫たちも嫌気がさすことがあり、そうなると離婚へ一直線となることもあります。何例もそういう夫婦を私は見ていますので、夫婦が離婚を望んでいないのであれば、「発作」が起きない方がいいのです。もしくは、その「発作」から破壊的な色彩が薄れていく方がいいのであります。妻の立場からすると、私のこうした見解は不本意なものに映るかと思います。しばしば彼女たちは自分の「発作」を正当なものだと信じているようなのですが、やはり「発作」はまずいのであります。
 妻の「発作」は抑制されていく必要があり、そのためには「発作」という現象をよく理解しなければならないのです。

(先行条件という視点)
 本項で取り上げるのは、妻たちの「発作」に先立つ何かです。そういうものがあるかどうかという見解を述べたいと思います。彼らはきっかけとなる出来事を挙げるのですが、そうではなく、先行条件と呼べるような何かであります。
 彼らによると、「発作」のきっかけとなる出来事が、最初の頃はあったのに、やがてなくなると言います。しかし、きっかけ無しに起るようになったと言っても、のべつ幕なしにそれが起きるというわけでもなさそうです。妻たちは日々の日常生活の中で、「発作」を起こす時と起こさない時とがあるのです。そうするときっかけとは別の次元の何かを想定する必要が出てきます。それを「条件」と仮定しましょう。
 条件という観点を導入することによって、次のような理解が得られます。きっかけは無くてもその条件が揃えば「発作」につながり。また、それとは逆に、きっかけとなる出来事が有ってもその条件が揃っていなければ「発作」は生じないという理解であります。実は後者のような場面もあるように私は感じています。
 もし、「発作」の先行条件が明確にできれば、妻も周囲の人も「発作」が起きる前に「発作」に気づくことができるようになると私は考えています。そこから「発作」を回避する手段が見えてくるのではないかという気がしています。
 もちろん、この条件となるものには個人差があることでしょう。Q夫人の先行条件とR夫人の先行条件とは、共通しているものもあれば異なっているものもあるでしょう。それはあまり一般化できないことではないかと私は考えており、且つ、そういう一般化は誤解を生む可能性もあると考えております。
 先行条件を考える際には一人一人を個別に考える必要があります。誰もに該当する法則を求めるのではなく、その人の法則を見いだしていかなければならないと思うのです。
 では、条件とはどういうものであるか、例としていくつか挙げようと思います。
 一つは時間的条件があります。この時間帯に起きやすいとか、特定の曜日に起きやすいとか、月のこの時期に起りやすいとか、そういった条件であります。
 物理的な条件、あるいは環境的な条件もあるでしょう。この場所で起きやすいとか、これをしている時に起きやすいとか、こういう出来事の後に起きやすいとか、寒い日に起きやすいとか、そういった条件であります。
 内面的な条件、体感的な条件もあるでしょう。意識が清明でない時に起きやすいとか、胃腸の具合が悪い時に起きやすいとか、頭が重い時に起きやすいとか、ボンヤリしている時に起きやすいとか、体がダルい時に起きやすいとか、そういった条件もいろいろあることでしょう。
 どんな些細なものであってもいいので、「発作」の先行条件となるもの、その「発作」の前兆として起きているものがあるかどうかよく観察してほしいと願うのです。私はきっとその人なりの条件があると思うのです。

(よく観察すること)
 当たり前のことを私が言っているように聞こえるかもしれません。しかし、不思議なことに、「先行条件」という観点を妻も夫も有していないことが多いのです。彼らの思考は、条件ではなく、原因という方に向かってしまうところがあるように私には感じられています。
 そうして彼らはなぜ「発作」が起きるのかという、その原因を探求し始めるのです。しかし、原因探求は不毛に終わる可能性も高く、さらには探求の手段や方法を先に身に着けていなければならず、そうこうしているうちに「発作」が定着してしまうことになりかねないように私は思うのです。
 条件の方ははるかに取り組みやすいのです。それは「観察」するだけなのです。自分に何が起きているのか、どういう状態になるのか、妻は自分で観察することができるのです。夫もまたそれに参加可能なのです。一緒に観察してもいいのです。加えて、心理学的な知識や専門的な知識がなくともできるのです。
 ただし、これもなかなか難しいことであるのかもしれません。妻たちは「発作」が終わってから、「発作」が始まる前のことを振り返らなければならないわけです。あまり覚えていないということも多いでしょうし、また、「発作」が長引いている間に忘れてしまうということもありそうです。他にも、彼女たちがあまり自分自身を観察することが得意ではないといった傾向もあるかもしれません。夫もそれを手伝えたらよろしかろうと私は思うのですが、なかなか夫婦でそういう方向には進んでくれないこともあります。
 「発作」はれっきとした症状です。それを体験している妻自身も「発作」を苦しいものとして経験しています。できることなら「発作」の発現に至る前にそれを別の方向へ水路づけたいものであります。先行条件を知ることは、いうなれば、「発作」に対して先手を打つことが可能になる、もしくはその手段を講じることができます。ちなみに、原因探求では「発作」の先手を打つことは無理であります。
 ここまで述べたことから明らかなように、先行条件を考察することは「予防」の観点に立っているわけであります。彼らもそうでありますが、一般にクライアントは「予防」の観点をあまり有していないことが多く、「予防」よりも「治療」を優先して考えるのであります。私の個人的な意見では、それは逆である方が良いと考えています。
 さて、先行条件となるものは人によって異なるものであると述べましたが、一つ共通しているものがあるように思います。それを「意識水準の低下」と呼び、次項で取り上げることにします。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)