<16-4-7>夫たちの苦悩

<16-4-7>浮気のケース研究~Q夫妻とR夫妻~夫たちの苦悩

(夫たちのために)
 本節は妻たちに生じた「発作」に焦点を当てています。そこで彼女たちがどういう体験をしているであろうかを考察していきます。
 この考察は、妻たちではなく、夫たちに役立つように願っています。というのは、Q夫人は別にしても、他のクライアントたちはみな夫であり、彼らが苦悩しているからであります。
 ここで夫たちに関してのページを挟むことにします。
 この夫たちは妻がいるにも関わらず浮気をしたのでしたが、必ずしも悪い人間でもないのです。それ以前はどうであったかは分からなくとも、浮気発覚後は彼らは妻たちによく付き合うようになっています。もっとも、その付き合いの中にはあまり望ましくないと思えるものもあるのですが、いずれにしても、夫たちは妻に根気よく付き合っています。
 夫たちは離婚を望んでいないし、妻たちもそうなのであります。ただ、「発作」は離婚の可能性を高めてしまうかもしれません。だから「発作」についてよく考え、理解する必要があると私は考えています。
 無理もない話でありますが、夫たちは妻の「発作」を理解できないのです。妻自身もよく分かっているとは言えないのです。本節が夫たちの妻理解の一助になることを願っています。

(予測不能性)
 妻の「発作」を5段階に分けて述べてきました。話を進める前に、ここで夫たちの苦悩に焦点を当てておくことにします。
 彼らの苦悩は「発作」の各段階で見られるように思います。
 まず、夫たちが困ることは、妻のそれがいつ始まるか分からないということであります。そこにパターンとか法則性とかが見いだせないと彼らは感じています。妻たち自身にも分からないことであるとは言え、夫たちはいきなりそれが始まってしまうことに対処できないと感じているようなのです。
 妻の「発作」は夫には予測不能なのであります。

(暴力の問題)
 妻たちは夫に突っかかって行きます。その際に暴力的な行為が伴うことも少なくありません。激情に駆られた妻が夫に暴力を振るうわけであります。
 夫たちはこれに耐えられないと訴えることもよくあります。言葉で言われるのはいいけれど、手を上げられるのには参ると言うわけです。
 中には本当に怪我をしてしまう夫もあります。軽傷であるとは言え、暴力的な行為は少し問題であります。

(要求の反復)
 妻たちは要求を出します。これこれのことをしろ、などと。夫たちはそれ自体は不満ではないのですが、時に、その要求に無理を感じることもあるようです。夫からすると無理な要求を出されているように感じられるわけであります。そこで夫が「それは無理だ」などと言おうものなら妻の猛反発を食らうことになります。「無理とは何事だ、そんなの許されない」などと妻は反発するわけであります。この「許されない」という妻の言葉は典型的なものであり、本節で取り上げている夫婦のどの妻もその言葉を発しているのです。この言葉の意味は後に考察することになると思います。
 彼らは無理をしてでも要求に応じなければならなくなるのです。

(反応の修正)
 夫が妻の要求に答えたとしても、たいていはやり直しが来ます。夫たちの話を伺っている限りでは、このやり直し自体はさほど苦でもないという印象を私は受けています。
 しかし、このやり直しの作業がいつまで続くのかというところで夫たちは疲弊してしまうこともあるようです。いくらやり直しても、妻がオーケーを出さない限り延々と続けなければならないわけであります。

(進展の無さ)
 何度も繰り返し修正して、ようやく妻が「納得」したとしましょう。しかし、数日後、再び「発作」が起こり、同じ要求、同じ作業を夫は求められてしまうのです。私はここはとても重要なところであると思います。
 夫たちは失望するのであります。「その作業はこの前もやったのに」とか、「またそれを繰り返さないといけないのか」とかいう思いに駆られるようであります。中には、ついに怒って「いつまで同じことやるねん」と妻に言った夫もあります。
 つまり、夫がいくら努力して作業したとしても、妻の中でそれが残っていないということなのであります。妻は同じことを繰り返さなければならなくなるのです。もしかすると、妻の中では前回と今回のとは違うという認識があるのかもしれませんが、夫たちからすると、同じ所を行ったり来たりしているだけのような感覚に襲われるようであります。
 私は夫たちの嘆きに共感します。と言うのは、「発作」時の妻に何をしても、妻の中ではほとんど蓄積されていくものがないからです。どうしてそういうことになるのかということも追々述べていく予定でおります。
 夫たちは進展の無さ、一か所に停滞しているような状態を苦しいと感じることもあります。

(罪悪感)
 私がお会いした限りでは、この夫たちは自分の行為に対して罪悪感を抱いています。彼なりに反省していることも多いのです。妻はなかなかそれを認めようとはしないのですが。例えば、夫が休日に家に居て、家族と一緒に過ごしているということは、私から見ると彼なりに反省したところがあるように思えるのですが、妻はそれは反省していないということになるようです。妻の求める「反省」は文字通りの「反省」であり、反省の後の行為は反省とは認められないようであります。ある意味で、妻たちの認識水準は若干低いのであります。しかし、妻たちを批判するつもりもないので、その話は脇へ置いておきましょう。
 ただ、夫たちは「罪」の領域を間違えているのです。彼の浮気は確かに許されない行為であったかもしれず、それに対して罪意識を持つことはけっこうであります。私の本音を言えば、罪意識よりももっと違った意識を持ってほしいと願うのですが、そのことは今はいいとしましょう。しかし、夫たちがそれ以上の領域に渡って罪意識を持つようになることがいささか問題であると私は考えています。
 夫たちの中には、妻に関するあらゆることに対して罪悪感を持ってしまっているような人もありました。何が彼の責任の範囲であり何がそうではないのか、何が彼が改めるべきところであり何がそうでないのか、あるいはどこまでが彼の罪でありどこからがそうではないのか、夫たちはこうした区別をつける必要があると私は感じていました。
 R氏はこうした広範囲にわたる罪意識を抱え続けてきたのでしょう。十数年後には内面がすっかり貧困化してしまっていたのでした。もっとも、それ以前のR氏のことは分からないので何とも言えない部分もありますが。

 さて、夫たちは夫たちで苦悩を抱えるのです。「発作」のさまざまな段階、さまざまな場面で苦しい思いをしているものであります。私の個人的な見解にすぎませんが、「発作」を起こせる妻の方がまだましなのであります。彼女たちには夫がいるけれど、夫たちにはもう後がないのです。
 次項から、私たちは再び妻の「発作」の過程を追っていきます。さまざまなテーマを順次取り上げていくことにします。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)