<16-4-5>「発作」の過程(4)

<16-4-5>浮気のケース研究~Q夫妻とR夫妻~「発作」の過程(4)

(真の要求とは)
 私たちは妻に見られる「発作」を5つの過程に分けて、順を追って見ています。妻に何か悪いことが起こり、悪い状態に陥り(①)、夫に突っかかって行って、夫に不満や攻撃をぶつけ(②)、妻は夫に何らかの要求を出します。この要求を出す段階(③)を今は取り上げています。
 この③の過程は②とセットで出されます。それでも私は②と③を分けて、それぞれ別の過程であると見なしています。先述しましたが、時間的に後になるほど②は減少傾向が見られますが、③は減少することなく後々まで残る過程です。その点から見ても両者は一つの過程ではないということが窺われるのです。また、②から③へと展開するのですが、その逆は生じないという印象を私は受けています。③の前に②の段階が来なければならないのです。両者がセットであり、一つの過程であるなら逆の流れが生じても不都合はないはずだから、このこともまた両者が別の過程であることを証ているように思います。
 ③の段階のものが後々の時期まで残るということは、ここに妻にとって重要な何かがあるためであると私は仮定しています。
 さて、妻に生じる「発作」を理解するためには、夫に要求を出すというこの現象に注目するのが良いと私は考えています。そのため、これに関しては(④段階の夫の反応も含めて)多くを記述することになるでしょう。
 妻は夫に様々な要求を出しますが、時間を経るに従って、それらは三つに収斂されていくように思います。それを罪を償え式の要求、事実を言え式の要求、私を治せ式の要求というように表現しました。
 しかし、いくら夫がそれらの要求を満たそうとしても、妻はそれで満足するわけではありません。「発作」のたびに常に何らかの新しい要求がだされたりもするのです。
 一体、妻は何を求めているのでしょうか。妻が本当に要求したいことは何なのでしょうか。
 Q夫人はじめ、その他の妻たちの言葉から察すると「自分と同じ苦しみをお前も味わえ」という類の要求であるかのように思われてきます。しばしばそれに類した発言が妻の口から飛び出すことがあります。
 確かにそれもあることでしょう。妻が自分が辱められたと感じていれば、夫に恥をかいてこい式の要求が出てくるのでしょう。自分があれ以来くつろげなくなったと感じていれば、くつろいでいる夫にくつろぐな式の要求が出てくるのでしょう。そこには妻側の問題が見え隠れするように思うのですが、それは別の個所で取り上げましょう。
 このような要求、「自分と同じ苦しみを味わえ」式の要求とは、報復の原理に裏付けられています。要するに、夫に同じ目に遭わせて復讐したいという要求ということになるわけです。
 ちなみに自分が受けたのと同じ痛みを味わわせたいという復讐は幼稚な思考によるものであります。それは思考における象徴化機能が働いていないということであり、ピアジェのいうところの具体的操作期の思考様式であると私は思います。しかし、今はそこに踏み込まないようにしましょう。
 この報復要求は一部ではQ夫人もR夫人も認めているところがありました。彼女たちにはそういう気持ちがあるということです。私もそれは否定しません。しかし、それが本当に彼女たちが要求したいことであるかと問われたら、私はそれは違うだろうと答えます。気持ちとしてはそれがあるとしても、本当に求めているところのものは夫に対する報復ではないと私は思います。
 仮に報復であるとすれば、一体、何に対しての報復なのでしょうか。夫の浮気でしょうか。もし、浮気されたらどんな経験をするか味わせてやりたいと欲するなら、妻が浮気をするでしょう。でも、彼女たちはそれをしないのであります。
 彼女たちが自分と同じ苦しみを夫に味わってほしいというのであれば、そしてそれが本当の要求であるとすれば、それはどんな苦しみのことを指しているのでしょう。加えて、夫が同等の苦しみを経験すれば彼女たちは本当に満足するということになるのでしょうか。私には疑問であります。
 彼女たちは夫に攻撃的に振る舞うけれど、その一方で、Q夫人もR夫人も、自分でもどうしようもできない「発作」で夫を苦しめてしまっていることを苦にしています。彼女たちは、決して、夫を苦しめて満足なんかしていないのです。
 従って、夫への復讐は彼女たちが本当に求めていることではないのです。一部ではそのような気持ちがあるとしても、それは本当に彼女たちが望んでいることではないと私は思うのです。しかし、本当は望んでいないことなのに、それを望みたくなってしまうところに彼女たちの不幸の一つがあると私は感じています。
 妻の要求の話はひとまず置いておきましょう。私たちは後でこの問題に立ち返ることになりますので、そこで再度考察しましょう。とにかく、妻が本当に求めているものが何であるのかは今のところ保留にしておいて、私たちは次の段階へ進みましょう。

(夫の反応)
 妻が夫に要求を出します。それに対して夫は反応するわけですが、この反応は妻から見て正しいものではないと評価されてしまいます。夫はここで反応に「失敗」してしまうのです。
 妻の要求に夫が「正しく」反応できなかった場合、それが少しでも妻の望んでいるものと違っていれば、それは「間違い」となってしまうのです。そこで妻たちは次のような理屈を夫に言うのです。「わたしのことを真剣に考えている(理解している)なら、それを間違えるはずがない(間違えるとはなにごとだ)」と。間違える夫が悪いということになるわけです。このような妻の理屈はある一つのことを指しているように私には思えるのですが、それは後の考察で取り上げましょう。
 妻の要求に対して、夫たちはそれに失敗してしまうということになるのですが、決して、夫たちは意地悪をしているわけではないのです。夫は夫なりに真剣に妻の要求に応じようとしていることもあります。不思議に聞こえるかもしれませんが、その真剣さが妻たちに見えていることもあります。
 ところが、夫が真剣であっても、夫の反応は妻たちを失望させるのです。妻はショックを受けるようです。妻の要求に対する夫の反応は、妻にショック反応を引き起こすわけです。なぜ、なにがそんなにショックなのでしょうか。これを理解できることが妻の「発作」を理解するうえでも重要であると私は考えています。
 その前に、まず、この時の夫の反応が、彼にとっては自然な反応であるということを押さえておきたいと思います。それまでに妻に対して防衛的になっていたとしても、その防衛的になるということ自体が彼にとっては自然な反応であるように私には思われるのです。いきなり怒気をこめて向かって来られたら誰でも身構えてしまうでしょうし、そうなるのは自然な反応であるのです。
 夫は彼としては自然な反応をしているとしましょう。ここでも彼は彼らしい反応をしているわけです。言い換えれば、夫は夫の人格的な反応をしているということです。
 この夫の人格的反応が妻たちにとって衝撃を与えるようです。もし、夫の自然な反応が妻たちにとって脅威となるのであれば、妻にとってはそれ相応の理由があるはずであります。後に私たちはそのテーマも取り上げていくことにします。
 さて、夫が夫なりに自然な反応をするものの、その反応は妻たちからすれば「失敗」なのです。そして、妻たちは夫にやり直させたり修正させたりするのです。それが⑤の段階のものであります。それは次項で取り上げることにしましょう。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)