<16-4-3>「発作」の過程(2)

<16-4-3>浮気のケース研究~Q夫妻とR夫妻~「発作」の過程(2)

(押し寄せる諸感情)
 妻に「発作」が生じる時、妻に何が起きているのかを私は知りたいと思います。しかし、妻自身もそれを上手く言えないのです。本節では本人たちが言語化できない体験を言語化してみようという無謀な試みをすることになるのですが、できるだけ彼女たちに起きることを推測してみようと思います。
 まず、「発作」が起きるまで、彼女たちは普通に日常生活を営んでいました。時にはなんの不安もない状態で過ごしていたりします。
 そこで夫の浮気を連想させるきっかけに遭遇するのです。もちろん、このきっけかとの遭遇はまったくの偶然によるものであります。テレビをつけたら芸能人の浮気報道をやっていたというのは、妻にも夫にも関係なく、まったくの偶然によるものであります。
 しかしながら、妻にとってこれは一気に脅威となってしまうようです。恐ろしいものを不意に、予測もできないまま、無防備な状態で、一方的に突き付けられたといった体験なのではないかと察します。
 そこで彼女の中で一気に恐ろしいもの、不快なものが込み上がってくるのでしょう。彼女たちがそれを「被害的」に体験したとしても不思議ではないのです。唐突に向こうから一方的に突き付けられたわけであります。この不意打ち感や一方的な強制感は、いわば奇襲攻撃とか先制攻撃をされたかのような体験に近いものではないかと私は思います。
 偶然のきっかけであれ、彼女たちはそれを「被害」的に経験しているように私は考えています。ここで彼女たちの「被害感情」が高まるのではないかとも思います。
 加えて、その「攻撃」は彼女の予期するものではなかったのであり、一方的なものです。その一方的に襲ってくるものが彼女たちを圧倒するのであれば、彼女たちはそれを「自分よりも強い何か」というように体験するかもしれません。それが強ければ強い(と感じられる)ほど、自分はそれに対して無力であります。こうして無力な自分を体験しているかもしれません。
 自分でもコントロールできない何かが圧倒してきて、それに対して無力であるとしたら、そこには敗北感情なんかも生まれるかもしれません。
 さらに自分のそれまでの平穏が失われたとか奪われたとかいった喪失感情や剥奪感情も込み上げてくるかもしれません。
 被害感情、無力感、敗北感、喪失感情、剥奪感情、それらに対する反応(あるいは防衛)として攻撃性が発揮されてしまうのかもしれません。
 いずれにしても、一気にいろんな感情が彼女たちを襲うのではないかと思います。ここで生じる様々な感情の束を「複合感情」と呼んでおきましょう。この複合感情が彼女たちを混乱させてしまうのではないかと思います。こうして、彼女の中では、いわばパニックが生じていくのではないかと思います。いろんな感情がごちゃ混ぜになったような訳の分からない感情体験を妻たちはしているのかもしれません。
 こうして妻たちに「発作」が生まれています。そこで夫に突っかかって行くことになるわけです。ここで私たちは②の段階に進みましょう。

(感情と出来事の同一化)
 パニックのような状態になって、彼女たちは夫のところへ突っかかって行きます。そして不満や怒りを「発散」させるのであります。彼女たちはそうせざるを得ないと感じているようです。
 夫たちによると、この時の妻は平常時とは別人のようであると言います。普段の妻とは違った妻が見えているということです。Q氏はそれを豹変と述べましたが、それくらいその時の妻は普段の妻とはかけ離れているということです。私はそのことはとても重要であると思いますので、後でまた取り上げることになるでしょう。「発作」時の妻はいつもの妻とは別人のように違うのです。
 彼女たちは、今自分が感情的にパニックになって苦しいなどとは夫に訴えないのです。彼女たちは夫の浮気問題をここで取り上げるのです。R氏に至っては十数年前のことをもう一度話せなどと求められてしまうわけです。しかし、なぜ、そうなるのでしょうか。
 個人的には外的なきっかけよりも、彼女たちの内的な類似性が彼女たちの感情状態を変えてしまうのだろうと思っています。つまり、浮気に関する報道に接したからそれを思い出すのではなく、不意打ちを食らう体験や被害感が高まることが以前の経験を思い出させるのだと考えています。それが以前の感情と類似しており、あるいは以前の自分と類似の状態に引き込むのであると私は考えています。夫の浮気は彼女たちにとっては「不意打ち」であったわけであり、また、自分たちが家庭を守っている間に夫に外で浮ついたことをされていたという「被害感」などがあり、それと類似の感情がこみ上げてくるのです。
 私はQ夫人の反省から得た教訓があります。彼女に発作が起きた時、それは現実ではないと私は指摘してきたのでした。過去の何かを想起しており、その想起されたことは今現実に起きていることではないのだと彼女に伝え続けてきました。今から思うと、彼女の中でそれが受け入れられないのは当然のことでした。浮気の情景は、過去の出来事であって、現在目の前に現実に見えているものではないということは、一面では正しいことであったとしても、彼女の中では以前と同じことが起きているのです。以前と同じような状態になり、同じような経験が生じているのです。彼女にとっては、それは以前と同じことが起きているに等しいということになるわけです。
 どうして過去に起きたことと現在において起きていることが同格になってしまい、区別できなくなるのだろうと、私は理解できなかったのですが、過去とか現在とかいうことは彼女たちには関係がないのでした。自分が以前と同じような体験をするということは、そのまま以前と同じことが起きているということであり、そのまま以前と同じ自分(夫婦)であるということであり、それが唯一の真実のようになっているのではないかと思います。つまり、過剰な同一化が起きているように思うのです。
 これは大切な知見だと思いますので、繰り返すのですが、分かりやすく言うと、きっかけとなった出来事がなんであれ、彼女たちが同じ状態を経験する限り、それはすべて同じ出来事になるのです。出来事の相違で判断されているのではなく、自分の状態で出来事が決定されているのです。
 従って、私が一つ一つの場面を区別して見ていきましょうなどと提案しても、彼女たちにはそれは受け入れることができないだけでなく、理解できないのも当然であると思います。彼女たちにとっては、同じ体験をしている限り、すべて同じ場面であるのです。過去も現在もなく、その都度の場面の区別なんてつけられないのです。
 こうして、彼女たちはそれを過去にできないのです。それは一回だけの出来事ではなく、現在起きていることであり、幾度となく繰り返し体験される出来事となってしまっているのです。
 ここで夫は齟齬をきたすのです。夫にとってはそれは過去の出来事になっているのです。R氏にすれば十数年前のことなのです。そんな昔のことを持ち出されてもとR氏は困惑するのですが、妻にとっては今起きていることなのです。R夫人の中では、十数年前の夫の浮気は今発覚したのと等しくなっているのです。
 妻たちに「発作」が始まり、彼女たちは夫に突っかかって行きます。私の記述も②の段階に入るわけでありますが、①の段階で起きていることはすべて謎であります。本節の焦点は①の段階で妻に何が起きるのかを理解することにあります。②から⑤の過程における妻の言動などから①を推測していくことになります。しかし、ひとまず、私たちは「発作」の過程を追っていきましょう。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)