<16-4-13>「想起」(3)

<16-4-13>浮気のケース研究~Q夫人とR夫人~「想起」(3)

(「今-ここ」の喪失と再現)
 妻たちは過去のある一時点の出来事を想起しているようであります。妻たちの中ではその情景が見えているのかもしれません。ちょうど私が前夜の光景が頭の中で見えていたのと同じように見えているのかもしれません。
 しかしながら、妻の想起は通常の想起とは異なる部分があるように思われます。妻たちの想起は、現在の現実に組み込まれず、むしろ現在を奪うようであります。夫に突っかかって行く時、妻たちはもはや過去を思い出しているとは言えないと私は思います。
 その点は後で述べるのですが、妻たちの「発作」時の言動を伺う限り、現在の現実という基盤、「今-ここ」という基盤を失っているように感じられてきます。「想起」という段階はあるのかもしれませんが、それは速やかに彼女たちの「今-ここ」という基盤を奪い、過去の一時点に彼女たちを導いてしまうようであります。
 従って、彼女たちは現在において過去を想起するという体験をしておらず、現在が過去になってしまっていると考えてよさそうに思います。言い換えれば、それは過去の「想起」というよりも過去の「再現」という感じに近いと思います。
 現在は喪失し、過去は現在において再現されている、そういう感じではないかと思います。

(それは過去のことではない)
 妻たちが「発作」時において発する言葉からもそれが過去のことではないということが感じられるのであります。
 例えば、夫がそんな過去のことを持ち出さないでほしいと言った時、妻は、それは過去ではないということを言ったり、何を勝手に過去にしているんだと憤慨したりといった場面があるのですが、妻たちのこういう言葉から憶測すると、妻の中ではそれは過去ではないというように感じられてきます。妻の中では、それは「今」なのです。過去に起きたことではなく、今起きていることなのです。
 また、夫が未来に目を向けようと促しても、その状態にある時の妻には通用しない(通常の状態では妻はそれを受け入れることもできるようです)で、未来なんて見れないとか、そんなこと考えられないといった返答が来ることもあり、あるいはなにを何事もなかったようにしようと(過去を水に流そうと)しているんだといった怒りをかったりするという場面もありました。
 上記の話はすでに後のテーマを先取りしているのですが、私たちは後で妻の時間感覚、もしくは時間体験ということを取り上げるつもりでいます。そこで再度この話を繰り返すことになるでしょう。今は想起の問題をまとめておきましょう。

(想起は再現に席を譲る)
 妻たちは過去の一時点のことを思い出すと言います。その言葉通りを信じてみましょう。妻たちは過去の出来事とか情景とかを思い出しています。
 この想起は現在のどこにも位置付けられず、意味づけられることなく、速やかに再現に席を譲ってしまうのではないかと私は思います。従って、この想起は現在において受け止めることのできないものといった性質を持っているようであります。
 彼女たちにおいては、その想起が現在においては受け入れられないことなので、それは彼女たちの現在の現実を喪失させることになってしまうのではないかと思います。
 ところで、過去が想起されるのではなく、再現されるという現象はすでにフロイトがいくつも述べてきたところのものであります。特に初期のヒステリー研究において述べられているところのものであります。その症状とか行為には意味があり、その意味は過去の再現といったニュアンスを含んでいるものでした。
 「心の病」と呼ばれる現象にはそういう性質が認められていることが多いのです。過去が再現されるというニュアンスを認めることができるのです。ただ、その再現は直接的に再現されるとは限らず、象徴的に再現されていることもあるので理解することが難しいわけであります。
 妻たちの場合、こう言ってしまうのは失礼かもしれないのだけれど、けっこう直接的な再現をされているという印象を私は受けています。象徴化機能が働いていないような印象を私は受けることがあります。それはさておき、妻の再現は直接的であり、ある意味では非常に分かりやすい一面を持っているように思うのです。しかし、分かりやすい一面があるということで、夫たちは安易に了解してしまうこともあるようで、そこでも妻を理解をし損ねてしまうことがあるように思います。
 
(現状と気分)
 妻の想起は現在に組みこまれたり位置付けられたるするのではないようです。そうなる以前に再現が起きるのかもしれません。
 さて、想起の内容は現状と関係があるという仮定を立てました。陽気な場面が想起されたのは私の中に陽気さが欠けていたからであるようだと、そのように考えました。妻の想起にもそれが見られるかということですが、それは不明であります。でも、私は何らかのものがあると考えています。
 妻の現状に適合した何かが想起されているとすれば、それはどんな状態であり、妻の中で何が欠けているのかといった問いが生じてきますが、私はこの問いを少し先送りしたいと思います。後で取り上げる機会があると思いますので、その時に考えてみたいと思います。
 それと、想起されている時には、その想起されている情景の気分や感情が再体験されているものであると考えました。妻たちの想起にもそれがあることと思います。ただ、妻たちはあまりそこを表明しないのであります。どんな気分が体験されていたのか、それは後からは思い出せないのかもしれませんし、記憶されていないのかもしれませんし、言葉に言い表せないような気分であるのかもしれません。
 どのような気分とか感情であるかは分からないとしても、それはけっこう大きな位置を占めているように私は考えています。想起に伴う気分・感情は、速やかに妻たちの内面に浸透していくのかもしれません。

(気分と感情)
 すでに述べたことでありますが、想起には三つの柱、認知的な柱、気分とか感情といった柱、身体的な柱とがあり、想起には三者がそれぞれ働いているものであると私は仮定しています。妻の想起にもやはり三者がそれぞれ働いているものと私は思います。
 しかし、中でも感情とか気分といった要素が妻たちの中では大きいのではないかという印象を私は受けています。感情とか気分といった要素が彼女たちを占めていくように私には感じられるのであります。
 先行条件、想起に続いて「発作」が始まるのですが、この「発作」は妻の感情を軸にして動いていくように思われるのです。それだけ感情ということが大きな位置を占めているようであります。
 次に、「発作」という観点から離れるかもしれませんが、「感情」ということについて述べるつもりでいます。少し感情要素に目を向けておいた方が後の記述が理解しやすくなるようにも思います。それから引き続き「発作」の過程を追っていくことにします。
 もう一度、「想起」についてまとめておきます。妻たちの想起は、彼女たちの現在を奪うものであり、それは過去の「再現」となっているようであります。従って、通常の意味での想起とは異なる体験であると考えられるということでした。
 問題となるのは、過去の想起ないしは再現であることではなく、それらが彼女たちの現在を速やかに奪っていくこと、「今ここ」の現実を彼女たちが失ってしまうところに求められるように思います。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)