<16-4-10>意識水準の低下(3)

<16-4-10>浮気のケース研究~Q夫妻とR夫妻~意識水準の低下(3)

(意識水準は条件の一つである)
 妻たちの意識水準が高い時には「発作」が起きず、意識水準が下がっている時に「発作」が起きやすいということであれば、常に意識水準を高めておくといいと考える人もあるかもしれません。しかし、私はそれは早急すぎる結論であると思います。そのように短絡的に考えるて処理することは控える必要があると思うのです。
 確かに、妻たちに「発作」が起きている時には妻たちの意識水準が下がっていることが認められるように思います。しかしながら、意識水準の低下はあくまでも「発作」の先行条件の一つであります。
 それが条件の一つであるということは、次のことを意味しています。妻に「発作」が起きる時には妻の意識水準が低下していることは確かなようでありますが、このことは意識水準が低下すると必ず「発作」が起きるということを示してはいないのです。この点は少し強調しておきたいと思います。
 もし、意識水準が低下するたびに「発作」を起こしていたら、妻たちは四六時中「発作」を起こしていなければならなくなるでしょう。くつろいだり、疲労を感じるたびに「発作」を起こさなければならなくなるでしょう。でも、現実はそうではないのです。意識水準が低下している状態の時でも「発作」が発生しない場面がいくつも認められるのです。
 意識水準の低下は「発作」の条件の一つであって、「発作」が発生するには他の条件もそこに加わらなければならないのです。今はその他の条件ということは置いておいて、もう少し意識水準に関して述べておきます。

(疲労と休養)
 私たちが精神的緊張を高め、何かに集中するとしても、それはある程度の時間しか持続しません。第一に疲労が襲ってきます。私たちが意識水準を高いまま保つということには限界があるわけです。
 これは誰もがそうなのであります。意識水準を高いまま保つということは相当な心的エネルギーを要することなので、長時間続けているとエネルギーを消耗しつくしてしまいます。要するに疲労に襲われてしまうことになります。
 疲労が襲ってくると私たちは一服します。休憩します。そこで私たちは精神的緊張を解き、意識水準を下げるわけです。この休養によってエネルギーが回復すると、私たちは再び集中可能になります。もう一度意識水準を高めることができます。
 こういうことは日常的に私たちが経験することでもありますので特に説明を要さないことでしょう。疲れたら集中できないし、休憩して疲労回復したら再び集中できるというだけのことです。
 もし、そこで休憩できず、疲労回復できなかった場合はどうなるでしょうか。集中することがますます困難になり、疲労度が高まり、意識水準は低い状態で維持されることになるのではないでしょうか。作業に集中できず、注意散漫になり、ダラダラやってしまうという場合、意識水準が低いところで維持されていて、そんな状態で作業を続けているということになるわけです。
 従って、意識水準を高めようとするとしっかり休憩を取らないといけないということにもなります。意識水準を下げることが、それを高めることになるというわけです。いささか逆説めいて聞こえるかと思いますが、私たちは日常の生活でそれを経験していることと思います。
 今の話を踏まえて、妻たちのことに戻りましょう。ある意味では彼女たちは過活動であるという印象を私は受けています。過剰に活動するのです。仕事でも家事でも育児でも万全にこなそうとするのです。少しも手を抜いたりすることもできず、ちょっとした空き時間なんかにも活動を組み込むのです。時には、わざわざ遠回りなことをしたり、労の多いことを選択したりすることもあるようです。
 そこには彼女たちの性格傾向も関係しているのですが、そのことはひとまず置いておきましょう。端的に言えば、彼女たちは休憩できないのす。私はそういう印象を彼女たちから受けています。
 Q夫人に対しては、少し休んでほしいのにと思うことが幾度かありました。彼女はあれこれのことをやり過ぎると私は感じています。私の見解では、彼女は逆方向に向かっているのです。「発作」を起こさないためにあれやこれやのことを彼女はするのですが、それをすればするほど「発作」が起きやすい状態になってしまうと私は考えています。
 しかし、Q夫人の個人的なことにはあまり触れないでおきましょう。また、R夫人にもそういう傾向があるとだけ述べておきましょう。
 私が思うに、休むことができないということが彼女たちの抱える悩みの一つなのかもしれません。そして、このことが外在化されて、夫に投影されることもあると私は感じています。休んでいる夫を許せないとかいう言動にそれが現れているようにも思われてくるのです。
 上述のことはQ夫人にもR夫人にも見られることであります。彼女たちからすると、私が休みなく働き、休みなく問題に取り組んでいるのに、夫はなにゆっくり休んでいるのだといった非難になるわけです。単純に考えると、妻は自分にできないことを夫が普通にやっていることが許せないということ、あるいはそれが普通にできる夫に妬みのような感情があるということではないかと思います。
 妻たちは、言葉はキツイかもしれませんが、休んでいる夫がおかしいと批判しているけれども、過剰に活動して休むことのできない自分がおかしいとは決して言わないわけであります。このことは少し頭の片隅にでも置いてほしいと思います。
 それはさておき、彼女たちの過活動傾向は、仕事などの面ではとても素晴らしいのですが、「発作」に関してはいささか問題になってしまうのです。R夫人は(R氏によると)「発作」のあとはヘトヘトになるそうですが、それも当然でしょう。意識水準が低下している時、つまり疲労している時に「発作」が起きて、夫に対する活動(つまり攻撃的な言動)に駆り立てられてしまうのです。エネルギーが消耗しているような状態なのに、さらに強制的にエネルギーを費やさなければならなくなることになるからであります。
 また、Q夫人に関しては、私の個人的な印象ですが、早朝に生じる「発作」の方が、夕方や夜に生じる場合よりも、一層激しいという感じがしています。これは早朝の方がエネルギーが蓄えられているからであると私は考えております。

(想起の問題へ)
 さて、私たちが集中を解き、意識水準を下げている時には、さまざまな観念が思い浮かんだりします。それ自体は何もおかしなことではなくて、リラックスしている時の方がいろんなインスピレーションが湧いたりすることもよく知られていることです。
 私たちは何かをしている時よりも、何もしていない時の方がいろんなことを思い出すこともあります。時には空想や夢想と戯れたりすることもあります。外的な活動を何もしていない時の方が内面の活動が活発になるのかもしれません。
 時に、私たちはあることを思い出そうとして思い出すわけでなく、非意図的に何かを思い出したり、何かが脳裏に浮かんできたりすることもあります。理由もわからずそれらが浮かんでくるのです。非常に不思議な現象であると思います。
 私たちは次に「想起」の問題へ入っていくことにします。妻たちは「発作」の最初の段階に何かあることを「思い出す」と表現します。その言葉通りに受け取ると彼女たちの中で何かが想起されているということになります。彼女たちの話に基づけば、この想起が「発作」に結びついていくことになります。
 意識水準の低下は想起を容易にします。いろんな観念や想念、記憶が意識に上がりやすい状態になります。その意味でも意識水準の低下は「発作」の条件の一つなのですが、少し言い換えれば、それは「想起」の条件ということになるでしょうか。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)