<16-4-1>Q夫妻とR夫妻~発作

<16-4-1>浮気のケース研究~Q夫妻とR夫妻

(「発作」という用語に関して)
 本節では二組の夫婦を取り上げます。Q夫妻とR夫妻とここでは呼びましょう。その他2,3組の夫婦の経験も織り込んで記述することにします。
 これらの夫婦は、すべて夫が浮気をしたというケースです。そして、夫の浮気が発覚した直後から、妻にある状態が発生していることで共通しています。
 妻のこの状態をここでは「発作」と表記します。この「発作」は別の呼称も可能です。できるだけ中立的な言葉を使用したいと思いますので、「病名」では記述せず、「発作」と称することにします。
 それに、もしそれを「病名」等で呼んだ場合、その病名に関するさまざまな要素とか先入観が混入するかもしれないので、「発作」と呼んでおく方が適切であるように思います。
 いずれにしても、それを「発作」と呼ぶのは単に本節における決まり事に過ぎないわけであるので、あまりこの言葉に拘泥しないようにお願いします。

(夫婦について)
 それぞれの夫婦について延べておきます。できるだけ彼らの個人的な事情には踏み込まないようにしたいので、簡単に紹介だけしておきます。
 Q夫妻は30代から40代の子育ての真っ最中にある夫婦です。夫であるQ氏の浮気が発覚してから、割とすぐにカウンセリングを受けに来ました。Q夫妻は、夫だけでなく、妻もカウンセリングを受けに来ており、妻の側からの話も聴くことができたので取り上げることにしました。夫婦の双方からの話が聞けたことで大いに参考になりました。
 R夫妻は60代の夫婦です。子育ては終えており、孫も生まれています。夫の浮気は十数年前のことでした。以後、妻であるR夫人に「発作」が断続的に見られています。R夫妻を取り上げるのは、そうした「発作」が年月とともに消失するようなものではないということを示したいと思ったからでした。
 R夫妻に関しては、カウンセリングを受けたのは夫でありました。妻の方は過去にカウンセリングなり「治療」なりを受けた経験があるのですが、長くは続けられず、カウンセリングに対してもいささか拒否的な態度を持っておられるようでした。
 その他の夫婦についても、カウンセリングを受けに来たのは夫でした。浮気をした側の人たちが受けに来られたわけですが、彼らの主訴は、浮気問題ではなく、妻にどのように対処したらいいかということでした。つまり、「発作」時の妻に対して何をどうしてよいか分からず、いわばお手上げ状態になって来談されたのでした。 
 ついでに述べておきますと、Q夫妻は別として、R氏などは自分がカウンセリングを受けていることを妻には隠していました。別に悪いことをしているわけではないのに、どうして奥さんには秘密にしておくのでしょう、私はR氏に尋ねたことがあります。R氏によると、きっと妻の機嫌を損ねるだろうとのことでした。これはここで取り上げる夫たちの典型的な態度が象徴的に表れているように思います。
 つまり、夫がカウンセリングを受けるのは、夫の浮気問題のためではならない、そうでないと妻の機嫌を損ねてしまうということなのだと思います。それ以外の主訴でカウンセリングを受けることは妻に対して後ろめたい気持ちを彼らに生じさせてしまうのでしょう。
 これは要するに、「妻の望んでいる通りのことを自分がしていない」という感情なのだと思います。ここには彼ら夫婦の関係性が、その特徴が端的に表れているのではないかと思います。
 その他の夫たちにおいても、妻に隠している人もあれば、一応、妻には知らせてあるという人もありました。知らせてある場合では、夫がカウンセリングを受けることに反対する妻はおられず、中にはある種の期待を込めている妻もおられるようでした。妻が反対しないのは、おそらく、妻はそこで夫の浮気問題に向き合ってくれるのだろうと期待しているのだと私は推測します。夫も妻のその期待が分かるのでしょう。だから妻の期待しているものとは違ったことで相談することに罪悪感のような感情を覚えてしまうのかもしれません。
 何よりも夫たちは妻の「発作」を問題視しています。妻自身も自分の「発作」をどうにかしたいと願っているようであります。時には夫婦でその問題を話し合ったりすることもあるそうです。ただ、話し合ってもあまり収獲はないようであります。それもそのはずで、この「発作」には多くの副次的なテーマが関係しているので、それらの諸テーマも含めて考えていかなければならなくなります。夫婦だけでは難しい作業になると思います。

(現象学的考察)
 では、妻の「発作」をどのように考えたらいいかということですが、ここでは私は妻の「発作」に焦点を当てます。本節ではもっぱらこの問題が追求されることになります。夫の浮気問題とこれを切り離して考察します。夫の浮気と妻の発作と切り離して考えることに、妻たちは賛同しないことでしょうが、一緒にしてしまうと却って収拾がつかなくなるように思いますので、両者を切り離して考えます。
 考察する際に、あくまでも「発作」という現象から離れないようにします。倫理的。道徳的観点も一旦は排除します。感情的要素であるとか、彼女たちの成育歴といった要素も一旦はカッコに括っておきます。心理学的な知もできるだけ最小限にとどめて、現象そのものに立ち返るようにします。あくまでも「発作」だけを取り上げて、できるだけそこから離れないようにすると同時に、他の要素をできるだけそこに混ぜ込まないようにします。
 純粋にその現象だけを取り上げ、その現象が何であるかだけを追求していきたいと思います。その現象に基づいて仮説を立て、その仮説を検証していき、そこからさらに次の仮説を構築していくといったプロセスで進めて行きたいと思います。
 また、本節において、何か法則のようなものを打ち立てる意図は私にはありません。基本的に、妻の「発作」をどのように理解することができるのか、それだけを追求するつもりであり、もっぱら夫の役に立つように努めたいと私は考えています。妻たちのためにこれを書くのではないという点は予めご了承いただきたく思います。
 
(「発作」の過程)
 多くを述べなければならなくなるでしょうから、速やかに本題に入っていきます。
 妻たちの「発作」にはある程度共通した展開が見られるように私は感じています。それを次の5つの過程に区分してみました。それを最初に提示しましょう。

 ①妻の中で悪い何かが起きる。
 ②妻は夫に突っかかって行き、夫へ不満や怒りをぶつける。
 ③妻は夫に何らかの要求を出す。
 ④夫はそれに反応する。
 ⑤妻は夫の反応を修正させる。
(以後、②~⑤、③~⑤、④~⑤のいずれかが反復される)
 そして、⑥妻の「納得」が来て終了となります。

 少し、この5過程を記述しておきましょう。
 まず、日常生活において、何らかのきっかけ、些細な出来事を契機にして、妻の中で悪い感情がこみ上げてきて、その悪い感情に妻は支配されてしまうようです(①)。
 妻は怒りに駆られて、夫のところへ駆け込みます。そして、ありったけの不満をぶつけ、怒りを発散させるのです。この時、妻が手を上げることも稀ではないようです(②)
 怒りをぶつけた後で、妻は夫に何らかの要求を出します。これこれのことをしろとか止めろとか、そういうことを妻は夫に求めるわけです(③)。
 ②と③はセットになっているように感じられるのですが、私はこれを別の過程とみなしております。
 その妻の要求に対して夫は反応します(④)。ここでは②以降の夫の反応が含まれています。しかし、大抵の場合、夫はここで「反応」に失敗するのです。妻の要求に対して「悪い」反応をしてしまうのです。とにかく、妻に対して夫は反応するのですが、この時点で夫が成功することはまずありえないものと私は考えています。
 妻からすると、夫の反応は気に入らないわけであります。そこで妻は夫にやり直しをさせたり、夫の反応を修正しようと試みます(⑤)。時には、あからさまに「正解」(妻にとって正しいという意味ですが)を夫に押し付けるといった場面が見られることもあります。ここで終了すればまだいいのですが、大抵の場合、一回の過程では終了せず、反復することになります。
 尚、例えばDV問題なんかの夫婦でも妻にこうした「発作」が見られることがあるのですが、その場合、④で終わることが多いように私は感じています。つまり、夫の反応が気に入らないと、妻はそこで夫に見切りをつけてしまうのです。⑤のような展開を見せるところに、Q夫人やR夫人たちの「発作」に特徴的な部分があるように私は感じています。
 ①から⑤の過程を経て⑥に至るのですが、数時間で至ることもあれば、そこに至るまでに数日かかることもあります。いずれにしても、概ねそのような展開を見せるのです。

 さて、私たちは次項から「発作」の過程の中身により詳しく入っていきます。この5つの過程を繰り返し取り上げることになりますので、少しご記憶願いたいと思います。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)