<16-3-5>P夫人のケース(5)

<16-3-5>浮気のケース研究~P夫人のケース(5)

(内外の合一)
 夫であるP氏についてもう少し考えてみましょう。
 彼は子供の頃から「この子はやればできる子なのに」といった評価をされることが多かったそうです。このことから考えてみましょう。
 まず、この評価は彼が「できる子」とも「できない子」とも言っていないことに気づきます。P氏は、どちらに評価してよいか、あるいは、どう評価してよいか困るといった人であったかもしれません。
 おそらく、「できる」場面もそれなりにあるので「できない子」と評価することもできず、「できない」場面もそれなりにあるので「できる子」とも評価できないということなのだと思います。その時々によって、できたりできなかったりといったムラがあるということなのだと私は思います。
 彼のその傾向(があるとしての話ですが)は、学校卒業後も改善されず、残っているのだと思います。理由や目的のはっきりしない転職もその傾向が関係していることだと思います。会社の支店長が彼にプロジェクトを任せたのも、彼をどう評価していいか分からないためなのだと私は考えています。
 さて、彼にはできる時とできない時とのムラがあると仮定して、どうしてそのようなことが起きるのかを考えてみましょう。こういう人に対して、「意志薄弱だ」とか「根気がない」などと言うこともありますが、そう言ったところでなんら理解が進んだわけではありません。一つ一つを考えてみましょう。
 まず、これが能力の問題ではないことは明らかです。彼はそれをできる能力があるのです。その能力を発揮できた時はできるのであり、発揮できない時はできないということになると思います。従って、能力の欠如といった問題ではないのです。
 能力の問題ではなく、もっと心理的な次元の問題がそこにあると考えられるわけでありますが、では、それはどのような問題なのでしょう。
 一つのモデルで示しましょう。私たちが何かに集中する時、私たちの意識は一点に絞られています。これができるので、他のことに意識が逸れることなく、私たちは学業であれ、仕事であれ、その他の作業であれ、遂行することができます。
 作業を続けていると、例えば疲労感なんかが襲ってきます。私は一点に集中していると同時に疲労している自分も意識し始めます。そこで休憩がとれればいいのですが、休憩もとれず、最後まで作業を続けなければならないとなると、私たちは疲労しているという意識を意識から締め出そうとします。それを意識野から一時的に追放するわけであります。一方では疲労を感じながらも、集中して作業を遂行できるのは、その疲労を意識の背後に押しやっているからであります。
 もし、そういうことができない場合、後から生じた疲労に対する意識が意識の全体を占めることになります。そうなると一点に集中するということが困難になり、私はその疲労感と合一します。疲労している私が今の私に合一するために、集中している私は失われてしまうわけであります。後から生まれた意識が、先にあった意識を覆い隠してしまうわけであります。
 こうした傾向は転導性という概念で表されています。転導性が高いとは、他のことに流されやすいというわけでありますが、意識水準(あるいは人格水準、自我機能水準)が低下すると、どの人もある程度の転導性が高まることが知られています。そうなると集中困難とか作業継続が困難といった状態に陥るわけであります。
 転導性が高まること自体は問題ではないのですが、人によってはそれが速やかに高まる場合があるのです。言い換えれば、人格水準が速やかに低下してしまうという人もあるわけです。古い精神医学ではこういう状態を神経質とか神経衰弱などと呼んでいたのですが、それ自体は「健常者」でも経験することのある状態であります。
 さて、ここで押さえておきたいことは内外との合一という観念です。何かに集中している時に、その集中を妨害する何かが内的に生じてきて、その何かが心を占め、それに自己が合一するということです。これは外的なものに対しても起きることがあります。外的な出来事、人、あるいは雰囲気とか、そういうものに自己が合一するということです。外的な何かが浸透して、それが速やかに心を占め、それと一体化するかのように合一してしまうのです。
 合一という観念が分かりにくければ、内的であれ外的であれ、後から生じたものが先にあったものと速やかに入れ替わってしまうと考えてもよろしいかと思います。意識水準が低下するとそのようなことが起きることがあると、ひとまずその点を押さえておきたいと思います。この観念は後に取り上げることになりますし、他のケースにおいても登場する観念でありますので、ここで予め取り上げておく次第であります。

(証拠探しに熱心)
 さて、クライアントであるP夫人の方ですが、こちらはひたすら夫の浮気の証拠を獲得しようと懸命であります。
 夫の浮気相手は、同じプロジェクトのチームである若い女性社員であります。P夫人の中ではそれは確実なことでありますが、それにも関わらず、証拠がないと信じてもらえないというのは、彼女にしてみればなんとももどかしいことだったでしょう。
そして、P夫人は夫の浮気の証拠集めをしていきます。そこまで一生懸命になられるのであれば、証拠が欲しいと言ったことを私は後悔し始めました。
 それだけでなく、彼女は愛人女性のこともいろいろ調べたようです。愛人のブログか何かを熱心に見たりして、それをまた私に報告してくれるのです。
 結果的に彼女自身のことはほとんど取り上げることができませんでした。彼女とのカウンセリングの初期の頃は、それがどうも拙いと感じていました。あまりいい方向に進んでいないような感じがしていました。明確にいつからとも言えないのですが、途中から、彼女がそれをするのであればそうさせておいてもいいのかなと思うようになりました。そうして、彼女が夫や愛人の話をするのを聞き、彼女が収集した証拠を判定したりして面接時間が過ぎて行きました。
 彼女の方でもそういう話をするのがそれほどイヤという感じではなかったようでした。彼女からすると夫の浮気の有無が判明することの方が良かったのかもしれません。どっちつかずな状態、疑いの状態のままで過ごす方が耐えられないと感じていたのかもしれません。
 彼女のことに関しては最後に述べるとして、その後の経緯を追っていきましょう。夫は日々残業と称して遅くに帰宅していましたが、やがて休日出勤もするようになりました。彼曰く、プロジェクトの山場なのだ、そのために休日も返上しなければならないということでした。
 P夫人の疑惑は高まります。そして、彼女は夫の自動車にこっそりとレコーダーを隠しておいて、一日中録音したのでした。ちなみに、このレコーダーで録音するという行為は、私が面接場面をレコーダーで録音しているところから閃いたそうであります。
 そこで彼女は決定打を得ます。休日出勤などと称して実は彼は愛人とドライブしているのでした。そして、その一部始終がしっかり録音されてしまったのでした。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)