<16-3-2>P夫人のケース(2)

<16-3-2>浮気のケース研究~P夫人のケース(2)

(主訴)
 さて、カウンセリングを受けに来たP夫人は、初回面接で次のような訴えをしました。「夫が浮気をしています。夫の浮気をやめさせたい」と。これは彼女の言葉通りのものではありませんが、彼女の訴えを端的に表現するとそのようになるということです。
 彼女のこの主訴は二つの問題を含んでいます。一つは夫が浮気をしているというその断定であります。二つ目は夫の浮気をやめさせるという願望であります。前者に関しては後に取り上げますので、最初に後者の方を取り上げることにします。

(自己への無関心)
 すでに私たちはP夫人に見られる一種の「逆転性」を取り上げました。
 最初に彼女の決断と占いとの関係から見ました。通常なら主体的な決断や選択に占いが従うもの(と私は考えています)でありますが、彼女はその関係が逆転していました。占いに彼女の決断が従うという関係を見ました。
 次に彼女の結婚を取り上げました。通常なら相手が先にあって、交際していく中でこの人と結婚しようとかいう選択なり決断なりが生まれてくるもの(と私は考えています)でありますが、ここでもその関係が逆転しており、先に結婚ということがあり、相手はその結婚に従属しているという関係を見ました。通常(と言ったら語弊があるでしょうか)では、相手との関係に結婚ということが従属するものであると思うのですが、彼女の場合、それが逆転しているわけであります。
 この主訴にもその逆転を見る思いがします。夫が浮気しているということであれば、そこでどうすれば夫の愛情が自分に向けられるだろうか、そのために自分がどういうことができるだろうか、そういうことを考えたりするのではなく、単に相手にその行為をやめさせたいと言っているわけであります。自分がどうしたらいいだろうかとか、自分に何ができるだろうか、あるいは自分が何をしていいか分からないとか、そういう訴えではないことに注目する必要があります。
 これら三者に共通しているものがあるのですが、お分かりになるでしょうか。それは自分に対する無関心なのであります。自分の要求や願望、感情には焦点が当てられず、それらは無視されているに等しいのであります。
 彼女は、こう言ってよければ、自分自身との接点を持たないのです。しかし、それは彼女に特有であるというわけではなく、クライアントには多かれ少なかれそういう傾向があるのが常であります。自分自身との接点を持たないためにその人はクライアントになるのです。
 今後の記述においても、彼女のその傾向が随所で見られますので、彼女にそういう傾向が認められるという点は少し記憶にとどめておいていただきたく思います。

(自己の接点を失う)
 さて、人が自分自身と関係できず、自己との接点を失うような状態になるとどういうことが起きるでしょうか。その点を少し考えてみたいと思います。
 自己との接点の喪失とは、私と私の内部との関係の喪失ということでありますので、これは「自己-内」関係の喪失と捉えることができます。一方、私たちは外的な環境世界の中で生きていますので、外部(世界とか他者、並びにその他の事物・出来事)と私との関係があります。これを「外―自己」関係と捉えましょう。そうして内と外との仲介項として自己を置くことが可能であります。従って、それは「外―自己-内」という関係が成立すると考えることができます。
 外、内、自己はそれぞれは区別できても、一体となって私たちは経験します。一体となっているものを区別して言えば、「外―自己」関係は「自己-内」関係に影響するということであり、その逆方向にも影響するということが言えます。
 もし、「自己-内」関係が喪失していたり、あるいは希薄になっていたりするとどうなるでしょうか。その場合、その人は「外―自己」関係だけに生きるということになり、そうなると外的事物がその人にとって決定的な意味を帯びることになります。
 内的な接点を失っているために、外的な事物あるいは出来事などは、私によって吸収され、かみ砕かれ、自己の血肉になっていくことはなく、それはただ一方的に外から押し付けられ、迫ってくるものとなるのです。そのため、外的な事物や出来事の意味が肥大してしまうのです。
 例えば、2000円支払って映画を観たとしましょう。自分で言うのもおこがましいのですが、私は「外-自己」関係よりも「自己-内」関係の方が強い方なので、映画を観て、そこで自分の内部で発生したものに注意を向けることが増えるのです。一本の映画を観ても、それでどういう印象を受けたか、どういうことを感じたか、どういう思考や発想が浮かんだか、どういうことを思い出したか、など、私の内部に発生するものに興味が向かいます。「外―自己」関係が強い(「自己-内」関係が喪失している)場合であれば、映画を観たという外的事実、2000円を支払ったという行為の方が大きな意味を持つことになるでしょう。外的なものの存在が、内的なものよりも、大きくなることでしょう。
 ここでこういう話を展開していますが、後のQ夫妻のケースではこれが重要な意味を持ちますので、少し先走りして述べている次第であります。自己との接点が失われると、それだけ外的なことの意味や存在が肥大していまい、外的事物が一方的に自分に迫ってきて、自分を圧倒するような体験につながるのです。
 P夫人の場合で言えば、占いということ、結婚ということ、相手に何かをさせる(やめさせる)ということが、自分自身に関することよりも、大きな意味を帯びてしまっているということになります。

(目標)
 そのように考えていくと、P夫人にとって望ましい(と私が考えている)ことは、彼女が自分自身と関係できるようになることであります。自分との接点をもう少し持ってもらうことです。ただ、結論を言えば、この目標は達成されることもなく、また、その入り口に立つことなく、カウンセリングは終結したのでした。夫婦関係の問題ではよくあることではありますが。
 だからと言って、そういう目標が完全に達成されなければならないというわけでもありませんでした。P夫人の場合、少しだけでも自己との接点を取り戻せることができればそれで十分であるとも考えていました。彼女にとっては外的な事物や状況、出来事は過剰な意味を帯びて迫ってきてしまうとしても、それによって精神的に圧倒されてしまうほどではなかったように思うからであります。彼女の中にはそういう強さもあったように思います。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)