<16-1-2>浮気テーマ序説(2)

<16-1-2> 浮気テーマ序説(2)

(浮気問題のカウンセリング)
 浮気問題に関するカウンセリングと聞くと、あなたはどういうものを思い浮かべるでしょうか。浮気者が浮気をしないように指導するとか、被浮気者の受けた傷を癒すとか、そういう作業を連想する人も少なくないかもしれません。さらに、なぜその人は浮気をしたのかを探求するとか、浮気された人が今後どのような人生を送っていくかを考えるとか、そういう場面を思い浮かべる人もあるかもしれません。
 しかし、そのような作業に入れる人は稀であり、現実にはそれよりもはるかに前段階のものに取り組むのです。もしくは目前に迫っている事態に対して早急に対処するよう援助するのであります。当事者の浮気問題まで取り組めないまま終わるケースも少なくないのであります。
 私が浮気問題に関して書くことができないことの一因はその点にあります。そこまでの作業をするケースが少ないからであります。それについては事例を見ていくことで理解していただけるものと思います。

(夫婦であること)
 一人の相手と長年に渡って夫婦関係を維持することは難しいことであると思います。その間には大小さまざまな出来事が起きるでしょう。面白くないことや目を背けたくなるような出来事もその中にはあることでしょう。いっときの気の迷いや過ちのような出来事もあることでしょうし、どうしても許せないという出来事も起きることでしょう。。
 そうした出来事において、夫婦は時には衝突しあう(これはケンカするという意味ではありません)こともあれば、妥協したり許したりしなければならない場面もあるでしょう。無理をしてでも自分が折れなければならない場面だってあることでしょう。どの夫婦も修羅場のような場面を経験するものと私は思います。
 平坦な道を歩んでいる夫婦というものは存在しないものであると私は考えています。順風満帆にいっている夫婦があるとすれば、それは単に周囲からはそう見えるだけのことであると思います。確かに仲のいい夫婦もあるとは思いますが、それでも一度も意見が対立したことがないとか、問題になるような出来事が生まれていないとは限らないと私は思います。
 もし、本当に些細な出来事でさえも経験していない夫婦があるとすれば、私はその夫婦を少し疑いの目で見てしまいます。と言うのは、この夫婦はお互いに葛藤を避けながら生きている夫婦であるかもしれないからであります。本当に夫婦であるかどうかが疑わしいと思ってしまうのです。しかし、それはさておくとしましょう。
 大小さまざまな事件が夫婦の間には起きるものであるから、それを夫婦は協力して乗り越えていってほしいと私は願います。それぞれの夫婦にはそれぞれの背景があることでしょうが、愛し合って一緒になった夫婦であれば、できれば問題を乗り越えて、よりを戻してほしいとも思います。別れるのは簡単であり、且つ、それは選択肢の一つではあり得ても、問題解決とはならない場合もあります。
 浮気問題もまた夫婦関係の中で生じる事件であります。決して浮気者だけの問題とも言えない部分があります。DV問題と同じように、その関係が問題を生み出すものであると私は考えております。言い換えれば、浮気問題であれDV問題であれ、そういう問題を生み出してしまう関係が先にできているのであり、問題が顕現化するよりもはるかに以前に関係における問題が生まれていたと私は考えています。
 従って、問題が発生したなら、その問題の克服を通して夫婦関係が以前よりも良くなることが肝要であると私は思います。夫婦が夫婦になることが何よりであります。

(何を援助するのか)
 しかしながら、私がそのように望んでいようとも、現実にはクライアントの要望に沿って援助がなされていくものです。もし、夫婦が離婚するというのであれば、それに沿って援助を考えていくことになります。同じように、夫婦がもう一度やり直したいと望んでいるのであれば、それに沿って考えていくことにします。夫婦が何を望むかによって援助は変わってきます。同じように、その問題に関する考え方とか視点に関しても相違が生まれてきます。
 私の見解には一貫性がないように見える読者もおられることと思います。それは個々のクライアントの要望に沿って考えていくからであるという部分も少なくないように自分では思います。以後のケース研究において、その辺りのことも読み取っていただけると幸いに思います。
 クライアントの望むものに沿って援助がなされるのであります。同じ浮気問題でも、それによって離婚を望むクライアントと夫婦関係を続けることを望むクライアントとでは、援助の方向性が異なってくるのです。それに伴い、私の述べることにも違いが生まれてしまうのです。前者のケースでは私はこう言い、後者のケースでは私はああ言うといったことも生じることをご了承願いたく思います。

(「正常者の心理」にご注意を)
 他の問題でも生じることですが、浮気問題においても、浮気をするということは何らかの心の病を抱えている証拠であり、だから浮気者が治療を受けなければならないと考える当事者もあるようです。これは「正常者の心理」と私が呼ぶものに近いと私は感じています。
 後に述べるP夫人やQ夫人は浮気に関するサイトを検索しており、それを私に報告してくれたりします。実際にそのサイトを私は見たわけではないので何とも言えないのですが、彼女たちの報告から推測するに、それらのサイトも「正常者の心理」に裏打ちされているという印象を受けています。
 「正常者の心理」とは何かということでありますが、これはなかなか理解してもらうのが難しいかもしれません。「正常の心理」と謳っていないところに注目してほしいと思います。
 「正常の心理」には「異常性」も含まれているものです。生きている身体は病に罹ることがあります。身体が正常に生きているためにそれは異常の可能性を含んでいるのです。心も同じであると私は思っています。その人の心が生きているので、その心は病むことができ、「異常」に陥る可能性を秘めているのです。もし、心の病なんかと無縁の人がいるとすれば、その人の心が生きているかどうか疑わしいとさえ私は思います。
 「正常者の心理」とは、「異常性」をすべて排斥することによって確保されている「正常」を意味しています。この心理は、異常なこととか、悪とか、そうした受け入れがたいことは一切受け入れないという姿勢に基づいています。臭いものにはふたをして、自分とは無関係なものとして切り捨て、自分から遠ざけておくようなものであります。そうして、そんなものは自分にはないと信じこむという一つの防衛機制であります。
 私のこのサイトは「正常者の心理」をなるべく持ち込まないようにしています。そのため不快感を覚える読者も少なくないのではないかと思います。もし、あなたが不快感を覚えたとしても、それはあなたが悪いわけではないのです。あなたがあまり見たいとは思わないような内容のことであれ、私が記述している場面もきっとあることでしょう。 
 私たちは他人の経験からも学びます。現実に関わりのある他者からであれ、事例で記述された他者からであれ、私たちは自分の経験以外からも学びます。一人の人間に生じた事態は自分にも生じ得るものだと考えて真剣に学ぶ方が、この人は異常だから自分には関係ないといって排斥するよりも、はるかに多くを学び、自身が豊かになると私は考えています。「正常者の心理」でもって読む人は、私のこのサイトに限らず、他者の経験から学ぶところが少なくなるだろうと私は思います。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)