<15-1B>緒言(2)

<15-1B> 被虐待児のその後~緒言(2)

(軸となる7人について)
 本章は私の自験例のうち、特定の条件を満たしている7人のクライアントを軸にして考察していきます。彼らの経験したこと、また、彼らとのカウンセリングで私が経験したことなどに基づいて考察していくことになります。
 簡単にこの7人を紹介しておきましょう。
 クライアントA、40歳代女性。専業主婦。離婚歴あり。前夫との間に一子あり。解離性障害の訴え有り。虐待者は父親。虐待者とは絶縁状態。
 クライアントB、50歳代女性。無職、未婚。解離性障害の訴え有り。虐待者は父親並びに兄。虐待者とは絶縁状態(父は死去、兄は別居)。
 クライアントC、50歳代男性。会社員だが休職中。既婚、子供は無し。虐待者は兄。虐待者との関係は完全には切れていなかったが、カウンセリングの経過中、徐々に関係が薄れていく。
 クライアントD、20歳代男性。無職。解離性の訴え有り(フラッシュバックの形をとる)。虐待者は母親。虐待者との関係は継続中。
 クライアントE、20歳代男性。無職。解離性の訴え有り(離人症状の形をとる)。虐待者は父親。虐待者とは同居、後に絶縁状態。
 クライアントF、30歳代女性。未婚、パート就労。虐待者は父親。虐待者との関係は完全には切れていないが、距離が生まれつつある。
 クライアントG、30歳代女性。未婚、派遣社員並びにアルバイト。虐待者は母親。虐待者とは絶縁状態。
 以上の7人であり、年齢は私とのカウンセリング開始時のものであり、「発症」年齢を指すものではありません。7人全員が私以前にカウンセリングや精神科医などの「治療」歴を有していました。

(自分に関することは読まない)
 本章の記述はサバイバーや被虐待者にとっては厳しいものになるだろうと前項では述べました。それでも本章を記述するのは、彼らはこれを読まないと私が信じているからであります。
 上述の7人のうち、クライアントBはネットを見る環境がないからという理由で、クライアントFは閲覧する時間がないからという理由で、まったく本サイトを開くことはありませんでした。
 クライアントAは、どれだけ自分で読んだのかは不明ですが、多くは夫に読ませたようでした。クライアントCは部分的に読んだようでしたが、私がどこを読んだのかと尋ねると、Cには直接的に関係していない部分だけを読んでいるようでした。クライアントEは、本サイトを閲覧はしたのですが、彼にとって不快な内容に直面したようで、一時期、ひどく落ち込み、内省傾向を強めてしまったのでした。その後、本サイトを開くことがあるのかどうかは不明であります。
 あとの二人、クライアントDとGに関しては不明であります。私の記憶している限り、Dはあまり閲覧していなかったように思います。
 彼らは自分に関係がありそうな内容のものを回避したがる傾向があるように私は感じています。それに加えて、他者に関係する内容のものは積極的に読むという傾向が見られることもあります。特に、虐待者に関する記述は進んで読もうとする人もありました。
 それが顕著であったのはクライアントDでした。彼は虐待者である母親に関することはけっこう熱心に読んでいました。
 また、虐待者のことを知りたがり、私に虐待者のことを尋ねた人は、ほぼ全員であります。なぜ、虐待者はそういうことをしたのかなど、そういう質問を私に投げかけるのです。でも、なぜ、私はそういう目に遭うのか、こういう質問をする人は皆無といってもいいほどでした。
 ここには関係性の「病理」を認めることができそうに思います。彼らは、自分のことではなく、他者、虐待者のことを調べたがるのです。これは、自己への関与が不可であることと、虐待者を通してしか自分を考えられないということの、二つの要因が絡んでいるように私には思われるのです。
 いずれにしても、私がここで被虐待者やサバイバーに関して綴っていくとしても、彼らがこれを読む確率はかなり低いであろうと私は考えています。だから私も遠慮なく記述しようと考えている次第であります。

(再度の注意)
 これを読む確率が低いとは言え、中には読む人もあるかもしれません。そういう人たちに再度注意を申し上げたく思います。本章の記述はあなたにとって厳しいものであるかもしれず、また、あなたにとって受け入れがたい内容に満ちているかもしれません。くれぐれも自己責任でお読みいただくようにお願いします。もし、自分が苦しくなるように感じるのでしたら、今、この時点で読むのを中断していただいて一向に差し支えありません。

(「治療」上の困難)
 上記の7人の対象クライアントたちと私はカウンセリングをしてきましたが、結果は芳しくないものばかりであります。失敗例とまでは言えなくても、部分的な成功としか言えないものばかりであります。
 何をもって成功と言うかですが、これは後に詳しく取り上げることになりますので詳述しませんが、暴力状況からの脱却、並びに、サバイバーの個人要因と暴力との分離と、その二点で評価しているということだけをここでは申し上げておきます。
 彼らの「治療」には、とかく、困難がつきまとうのです。私の方法とかやり方の問題も度外視するわけではないのですが、私自身の限界もあります。彼らの中には「育て直し」の環境が必要だと思われる人もあるのですが、私個人ではその環境を提供することは不可能であります。それをしようと思えば、一~二週間に一度とか二度のカウンセリングではとうてい不十分であります。もっと安全が確保されており、いい意味での拘束的環境を整えなくては無理であります。
 本章の第3節以後、「治療」に関する内容に入っていくのですが、おそらく否定的な内容のことしか書けないでしょう。読み手によってはかなり悲観的な様相を帯びるかもしれません。また、その内容はサバイバーたちが望んでいることに反しているかもしれません。
 こういうことを逐一記述するのは、サバイバーや被虐待者たちは、ここでの記述を「暴力」として受け取る可能性が出てくるからであります。彼らを絶望的な気分にさせてしまうかもしれず、彼らはそれを「暴力」として解釈、評価する可能性があると私は思うのです。そういう事態が生じるかもしれないので、特に繰り返し注意を呼び掛けている次第であります。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)




2019年9月6日公開