<12-8-2>6つの問題点

<12-8-2>6つの問題点

(AC信奉後の問題)
 人の持つ信念とか信仰はその人の行動を規定するところがあり、従って、同じ信念・信仰を持つ人同士の行動は似てくることがあります。前項ではそれを述べました。AC信奉者も、AC理論を信奉していることによって、ある程度似てくる部分があると私は感じております。その振舞いや認知が似てくるだけでなく、彼らが抱えるようになる問題もまた似てくるように考えています。
 ここで「問題」と呼んでいるのは、AC信奉者が有している問題という意味よりも、むしろ、AC信奉後に新たに生まれる問題という意味であります。彼らがAC信奉する以前にはなかった問題、あるいは目立たなかった問題が、AC信奉後に顕著になることがあり、そうした問題を本節では取り上げていく予定であります。従って、親子関係や幼児期とか児童期とかの事柄には、つまりAC信奉者が問題として認識している事柄には、一切触れることがないでしょう。
 そうした問題をどのように整理し、分類するかは非常に困難であります。問題は多岐にわたっており、また、それぞれの問題は重複しており、さらに一つの問題から副次的な問題が派生したりすることもあるからです。多種多様な様相を示す問題を、かなり任意ではありますが、私は以下の6点にまとめることにしました。まず、その6点を列挙しましょう。
 ①敵意
 ②悲観主義
 ③自己への過度な没頭
 ④当然性の喪失
 ⑤社会性の喪失
 ⑥自己の喪失
 以上の6点は、先述のように私の任意による分類であり、正式な学問的裏付けのあるものではありません。しかしながら、これらの諸問題はAC信奉者には多かれ少なかれ認められるように私は感じております。
 当然のことながら個人差はあります。一つの問題なり傾向なりを取り上げても、それを全面的に出している人もあれば控え目に出している人もあるわけであり、その問題を強度に体験している人もあれば軽度に体験している人もあるわけです。6点挙げましたが、全部を顕在化させている人もあれば、そのうちのいくつかだけを顕在化させている人もあります。そうした個人差は常にあるものと思っていただきたいと願います。

(以後の構成)
 さて、以後において、私たちは上記の6つの問題をそれぞれ個別に見ていくことにします。最初にそれぞれを概観します。
 それからケースを通してそれぞれの問題を確認すると同時に、概説では取り上げられなかった細部のことを取り上げていきたいと思います。尚、ケースに関しては個人が特定できない範囲で記述することにします。必要最低限の範囲で記述することにしますので、個人の大部分の領域が省略されているものと思ってください。
 それと、彼らのAC信奉の起点を少し取り上げたいと思います。AC信奉の起点とは、彼らがAC理論に遭遇して、それが「自分にピッタリ当てはまる」という体験であります。これは一体どういう体験なのでしょうか。彼らはそこでどういうことを体験しているのでしょうか。私はどうしてもそこを考えたいと思うのです。と言うのは、この体験から後に引き続く6つの諸問題も生まれていると思うからであります。これら諸問題の原点がその体験にあると思うので、そこを取り上げることにします。
 そして、最後に結語と言えるようなことが記述できればいいと思っておりますが、これはどうなることか現時点では不明であります。ケースを列挙した時点で本節を終えるかもしれません。何か結論めいたことは言えそうにないと私は自覚しております。

(AC信奉は医原病のようなもの)
 私も20代の中頃から30歳まで、ACのような理論を信奉していました。当時、私のカウンセラーであったN先生からの影響でそうなったのでした。それはN先生の考えであって私の考えではなかったのでありますが、なかなかそこに気づけなかったのであります。それまで私の中ではそういう見解はなかったのに、N先生が言うのだからきっとそうなのだろうと純粋にN先生を信用したために、それは私の見解に入ってきたのでした。私は疑うこともなく、無批判にそれを受け入れたのでした。
 思い出すだけで恥ずかしい話でありますが、上述の6点の諸問題は私自身も経験したものでありました。自分も経験しただけに彼らのそれもよく見えてしまうのかもしれません。そして、自分が経験しただけに、それらをより問題視してしまっている部分もあるかもしれません。
 ただ一つだけ言えるのは、AC信奉者のようになっていた時代、私の20代はそれによってかなり不毛なものになったということでした。私は今でも後悔しています。今でいうAC理論(当時は何と言っていただろうか)に染まってしまったことで、貴重な20代をかなり損してしまったと感じています。
 別に競走するわけではないのですが、その時期に停滞したおかげで、同年代の人たちとかなり遅れを取ってしまったと私自身は感じています。そして、その遅れは20年を経ても取り戻せていないと感じております。
 しかし、AC信奉者のような経験をしたことで、それがなかった人生よりも違った経験ができたとも思っています。それで努めてプラスマイナスゼロであったと信じようとしているのですが、それも上手く行っているとは思えず、そして、そんな努力をしている自分もまた後悔の種になったりもします。
 ACだった時代がなければいいのにとも思うのであります。私にとって悪なのは、親とか家庭環境とかではなく、その理論でありました。
 私はこれは「医原病」のようなものだと思っています。臨床家がその理論を信仰しているのは構わないとしても、クライアントはそれを一方的に取り入れてしまうのです。これが転移の恐ろしいところであると私は思います。従って、臨床家は人を成長させるような理論を信仰している方が望ましいと私は思っています。敵意や憎悪を増長させてしまうような思想は、それが学問的に正しいか否かは別として、臨床家は信仰しない方がいいのであります。
 私は30歳の時にACのような考え方をすべて退けました。あるきっかけがあったのです。33歳で高槻で開業しましたが、初期の頃にはまだその思想の名残が私の中にあることが感じられました。やがてAC信奉者たちと会うようになって、私はAC理論を捨てたことは正解であったとますます確信するようになりました。もし、あのまま目覚めることなくAC者のままであったとしたら、今頃どうなっていたことでしょう。考えると恐ろしいことであります。きっと、独立することもなかったでしょうし、無産者とか社会不適合者とか呼ばれるような人間になっていたでしょう。人生を棒に振っていたのではないかと思います。
 私がお会いしたAC信奉者の中には若い人たちもいます。20代の方も多くいらっしゃいます。彼らからは私は厳しい人であるとか、分からず屋と映っていたかもしれません。それでも私は構いません。私の願いは、彼らがAC信奉者でなくなることであり、私のような過ちを踏ませないことであります。

 さて、前口上はこれくらいにして、本題に入って行きましょう。まずは6つの諸問題をそれぞれ取り上げていくことにします。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)