<12-7J>「自称AC」者として生きること(6)

<12-7J>「自称AC」者として生きること(6)

(結婚する「自称AC」者)
「自称AC」たちが密かに恐れていることの一つに、親になることがあると私は信じています。多かれ少なかれ、この恐れを抱いているのではないかと私は察しています。
 彼らの中には結婚して、子供を育てているという人もあります。私の経験では、かなり苦しい思いをしていることが多いようであります。結果的に夫婦が破綻することも少なくないように感じています。
 夫婦関係というのは、親子関係よりも多難であります。双方が一人の人間として確立されていなければならないからです。親との関係が上手く処理できないということであれば、夫婦関係は尚更難しいものになるでしょう。
 夫婦としてやっていくためには、双方がしっかりと自己確立できている必要があるわけですが、彼らは偽りの自己確立をしていると言えるかもしれません。

(「毒親」とされる側へ)
 彼らが親になるとは、かつて親を「毒親」と罵っていた自分が、今度は子供から「毒親」と罵られるかもしれない立場に立つということです。親を攻撃していた子供が、今では子供からいつか攻撃されるようになるのではないかと恐れるのです。このような恐れを抱いている女性のケースを後で取り上げます。
 一部の人たちにとっては、夫婦関係は親子関係の再現となるようです。特に「消極的」なタイプの問題がここにあるように思います。彼らは親を変えることはしないけど、理想の親に恋焦がれていたりします。その理想の親を配偶者に求めてしまうのです。配偶者はAC者の理想像を押し付けられてしまうことになるのです。配偶者の方が耐えられない思いをすることもあるようであります。
 もう一つの傾向として、ACどうしが一緒になるということもあるように思います。相手が「自分は親に愛されなかった」という話をすると、自分も同じ経験をしているので、お互いによく分かり合えるということです。お互いに傷をなめあうような夫婦になってしまうのだと私は思うのです。でも、この関係も長くは続かないようです。現実が彼らを襲うからであります。
 こうして、夫婦関係は破綻してしまう傾向が強まるのです。実際、「自称AC」は一生結婚しないか、結婚に失敗しているかのどちらかという印象を私は受けています。

(本当の因果)
 個人的には、彼らが親になって、子供から「毒親」と罵られてみればいいと思っています。彼らは子供に何て言うのでしょうね。「自分が毒親に育てられたから、親が悪いんだ」という理屈を子供に向かって放つのでしょうか。当然、子供には親の親なんて眼中にないでしょうから、そんな理屈は通らないことでしょう。あなたが「毒親」に育てられたと訴えても、子供からすれば他でもないあなたが「毒親」なのですから、そんな言い分は子供には通らないということです。
 こうして罵倒する側から罵倒される側に立つことになるわけです。因果応報というものです。これこそ本当の因果ではないかと私は思います。「親のせいでこうなった」という因果を彼らが主張するのですが、本当の因果とはこちらの方ではないかという気がします。

(一女性のケース)
 さて、ここで一例を挙げることにします。このケースは私が直接関わったものではなく、ある福祉関係の人から伺った話です。30歳代の一女性のケースですが、彼女は離婚し、二人の子供と生活しています。彼女は無職で、生活は元夫からの慰謝料と月々の養育費に頼っています。
 彼女自身は精神的に参ってしまい、精神科に通院しています。それ以外に外出することはなく、鬱々とした日を送り、無力な状態に陥っているようです。要するに、幼児のような段階に退行してしまっているということでもあると私は思います。
 子供たちはと言うと、朝は自分たちで起きて、その辺のものを食べて登校します。母親はベッドから出られないといった有様です。夕方頃、子供が帰宅すると、母親はまだベッドに寝たきりの時もあるようです。夕食も子供たちはその辺のものを漁って食べるという始末です。母親自身もほとんど自力で食事をせず、冷蔵庫にあるものを適当に取って食べるという感じであったようです。
 彼女が外出するのは、二週間に一度、病院に行く時であり、その時に買い物をする程度です。それと、元夫の両親から定期的に差し入れがなされるようです。離婚の原因を作ったのは夫の方だということになっているので、彼の両親も責任を感じているようでした。
 かつての義理の両親が良くしてくれば良くしてくれるほど、彼女は気分が落ち込むようでした。自分の親と比較してしまうのでしょう。あるいは自分の親を思い出してしまうのでしょう。
 彼女の親は健在でしたが、ほとんど絶縁状態となっていました。もし、母親が彼女の見舞いに来たとしても、彼女は母親を追い返したことでしょう。母親をひどく嫌っていたそうでした。
 それとは別に、彼女はすでに誰と会うことも欲していませんでした。人と会うこと、あるいは誰かが訪問してくることが、彼女には耐えられないようでした。
 この話を私にしてくれた人は、福祉関係の仕事をしていましたが、この女性を度々訪問しているのです。子供に虐待があるわけではないけど、子供にはどこか発育不良なところがあり、それで子供の様子を伺いに訪問するのです。
 訪問しても、大抵の場合、門前払いを食らうのでした。これは学校関係者も同様でした。彼女が人を門前払いするのは、主に彼女の状態によるものであったようです。多少とも状態のいい時には、彼女は少しだけ訪問客に応じるのです。
 さて、福祉関係のその人が彼女に尋ねます。「お子さんはご飯をちゃんと食べてますか」と。彼女はこうした言葉に激昂します。彼女は「私はちゃんと子供を育てている」「私は子育てで間違っていない」などと、怒鳴るのです。もちろん、母親を非難するために発せられた質問ではないのですが、彼女はそうは受け取らなかったようです。
 そして、彼女は繰り返し訴えるのです。「自分は母親に潰された」「自分がこうなったのはあの母親のせいだ」と。おそらく、これまでもずっと繰り返されてきた訴えだったろうと私は思います。

 福祉関係のその人は、この女性にカウンセリングが可能かどうか、有効かどうか、さらにはこの女性とどのように関わったらよいかということを私に求めてきたのでした。私のその時の見解は次のものです。
 彼女がカウンセリングを受けるのは構わないが、今の状態では彼女の方が受けたがらないだろうと思うこと。自発的に動ける状態にはないこと。もし、彼女を強制すれば、強制者に対して陰性感情転移を起こし、反抗的なクライアントになるだろうこと。当面は精神科の治療だけを続ける方がいいだろうこと。治療はもっぱら薬物療法であるが、このおかげで彼女は子供を虐待しなくて済んでいる可能性があること。
 また、福祉関係のその人がどう関わるかについては、とにかく定期的な訪問は続けた方が良いこと。特に訪問の曜日や時間を固定しておく方がいいだろうこと。事情聴取のようにならないよう心がけ、母親とちょっとお喋りしにきたとか、ちょっと子供の様子を伺いにきたといった感じで接する方がいいこと。彼女の敵意や疑惑を高めてしまわないようにだけ注意しておくこと。
 そうしたことを私はお伝えしたのですが、この母親もまた「AC」なのだと私は思いました。もちろん、「自称AC」者がすべて彼女のような状態に至るとは言いませんが、一つの結果だと思います。彼女は母親を非難するけど、その母親はほとんど彼女と絶縁しているのです。「親のせいでこうなった」と彼女は言うけれど、もはや誰も彼女の言葉を聞く人はいないのです。そして、自分の子育てが間違っていると言われること、自分が「毒親」だと言われることをひどく恐れているのです。
 これも「自称AC」者のもう一つの成れの果ての姿なのかもしれません。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)