<12-7C>人はいかにして「自称AC」者になるか(3)

<12-7C>人はいかにして「自称AC」者になるか(3)

(「自称AC」者はある体験を語らない)
 異常意識に囚われている中で人はAC理論に出会うのです。ここでAC理論に出会ったからと言って、即座にその人が「自称AC」者になるとも限りません。それにはある種の体験を要するのですが、「自称AC」の人たちはその体験をまず語ることはありません。
 ところで、彼らはAC理論との出会いをどのように語るでしょうか。彼らが言うところでは、「AC理論が自分にぴったり当てはまる気がした」ということです。大体において、私はそのような表現に遭遇します。彼らの表現するところのものは大同小異でありまして、「それが自分にあてはまる」という感じを述べるのです。
 お気づきのように、この表現は彼らの体験を述べているわけではありません。彼らは単にその理論が自分に当てはまると言っているに過ぎないのです。その理論の方を述べているのであって、自分の体験を述べているわけではないのです。

(自分にすべて当てはまる理論というもの)
 ここで「自分にぴったり当てはまる」理論というものを考えてみましょう。私にはそれがあり得ないことが分かっています。というのは、人間から生み出された理論は常に人間の一部にならざるを得ないからです。生み出したものは生み出されたものより大きいのであります。
 従って、一つの理論が自分にぴったり当てはまるというのは幻想に過ぎず、理論か理論の受け取り手のどちらかが間違っていると私は思うのです。
 しかし、それでも一つの理論が自分の経験をすべて言い表しているように経験されているとすれば、その人が自分の一部分しか見ていないということになると私は考えています。一部分が全体になっているので、その一部分に該当する理論は自分の全体に該当してしまうのだと私は思うのです。そのように経験されてしまうのだと思います。
 このことも彼らが異常意識に囚われ、ある一点しか見ることができていないということを証明しているようにも私には思われるのです。

(AC理論と出会って彼らに何が起きるのか)
 さて、彼らはAC理論が自分にぴったりと当てはまるという経験をしました。それによって彼らに何が起きるのでしょうか。
 まず、異常意識が薄らいでいくのだと思います。自分だけがおかしいと感じられていたことが、多くの人が経験していることであると知ることができるからです。
 そして、もはやそれは自分だけの秘密にしておく必要がなくなるのです。それまでは自分がおかしいという感じを隠そうとしていたけれど、同じような経験をする人たちがいて、その人たちもまた物を言うのを見て、もはやこれは秘密にしておかなくてもいいものだと思えるようになるということです。隠し続けることの緊張感から解放されるのです。これは彼の負担をかなり軽減するのではないかと私は思います。
 最後に「悪」を転嫁できるのです。自分がおかしいのではない、自分がおかしいのは親がおかしいからだというように、「悪」を転嫁できるということです。また、親がおかしいとすることで、自分がおかしいという異常意識からも解放されるのだと私は思います。

(救済の経験)
 人が「自称AC」になるためにはAC理論に出会わなくてはならないのですが、それだけでは不十分なのです。その理論がその人を救済しなければならないのです。
 冒頭で「自称AC」者が体験を語らないと述べましたが、それがこの経験なのです。彼らはAC理論に出会うことで自分が救われたと経験しているものだと私は察します。ただ、彼らはそこを語らないのです。
 もし、ある理論がその人を救済したとすれば、それはそれで望ましいことであるかもしれません。救済されたその人が次の段階に進むことができれば尚望ましいことでしょう。しかし、彼らはこの救済にしがみついてしまうのです。私にはそのように見えてしまうのです。
 こうして、彼らはAC理論を捨てることができなくなってしまうのだと思います。自分に救済をもたらすものは正しいものであり、好ましいものであると考えるからであり、それを否定したり、自分から奪おうとするものは悪いものとして経験されてしまうのだと私は思います。
 彼らからそれを取り上げようとする人間は彼らには脅威に感じられてしまうのだと思います。そうして、彼らは一つの救済にしがみつき、生の一段階に踏みとどまることになってしまうのではないかと、私はそのように考えています。
 こうして人は「自称AC」者になっていくのだと私は考えています。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)