<12-7B>人はいかにして「自称AC」者になるか(2)

<12-7B>人はいかにして「自称AC」者になるか(2)

(振り返り)
 前項で述べたプロセスを、いくつか補足しながら、簡単に振り返っておきましょう。
 まず、「自称AC」の人たちは何らかの危機状況を経験しているのです。この危機体験を彼の自我は適切に対処できないようです。もし、適切に対処できていれば、それは脅威をもたらず体験ではあったけど、人間が普通に経験する範囲のものであり、その経験を人生上に位置づけることができるでしょう。自我が対処できないために、その経験は異常なものであり、およそ人間が経験する範囲を超え、あってはならない経験となり、自分の人生に位置づけることもできなくなるのです。
 この異常な経験をしてしまう自分に、最初は自分の中に何かおかしいものがあるといった違和感として彼らは経験するものだと思います。この違和感の間は、自分が他の人たちとそぐわない感じがあっても、これまでの生活と仕事を維持することもできます。その代わり、適応に莫大なエネルギーを費やすことになっているかもしれません。
 彼らはこの違和感をどうにかしようとします。そこに意識を集中させてしまうのです。一点に集中されることによって、自我や視野が狭窄することになるのです。そうすると、その一点が全体に見えてしまい、且つ、そのように体験されてしまうのです。かつて一部分であったものが全体となり、自分が他の人たちとは決定的に違ってしまったという、異質の存在となってしまったといった感覚を経験するのです。
 前項ではここまでのプロセスを追ってきました。

(異常意識への囚われ)
 上記のプロセスに続いて、自分がおかしくなったとか、他の人たちとは決定的に異なってしまったといった意識に彼らは支配されてしまうようになるのだと私は思います。この意識を「異常意識」と呼んでおきましょう。彼らは異常意識に支配され、それに囚われるようになるのです。
 彼らは自分の体験している異常意識を隠したいと思うのだと私は察します。自分がおかしくなったという体験を人に知られたくないということです。もし、人に知られたら、ますます自分が異常であることが証明されてしまうとか、他の人との差異をさらに見てしまうことになるとか、そういう類の恐れを感じてしまうのかもしれません。

(異常意識の隠蔽)
 異常意識に囚われていながらも、彼らはそれを人に知られたくないと願うのです。彼らは今まで通りに振舞おうとするかもしれませんが、やはり、どこか様子や態度に以前と違うものが見られるようになるのです。
 実は、親が同居しているという例では、親がその変化をきちんと見ていることもあるのです。彼らが「毒親」と呼んでいる親たちが、意外と彼らの変化をきちんと見てくれているのです。こうなる前に子供の様子がいつもと違う時期があったとか、態度が変わってきたというように報告された親たちもありました。
 親たちは子供の変化に気づいていても、子供に何が起きているのかが理解できないのです。子供が打ち明けないということも加担するのですが、親自身、これをどう理解していいのかが分からないのです。恐らく、当の子供自身が自分に何が起きているのかを理解できていないことでしょうし、取り組めないでいることでしょう。この事態は彼には手に余り、処理しきれず、抱えきれないといったものになっているからであります。

(秘密が暴かれる)
 親が子供の変化に気づいていても、親はそれを理解できないので、そっとしておくという経緯がよく認められるように思います。「自称AC」の人たちは、自分が苦しんでいる時に親が何もしなかったと、その時の親を責めるのですが、私はむしろその方がよかったと思います。
 うっかり親が指摘してしまう例もあります。「あなた、最近、おかしいわよ」などと母親が子供に言ってしまうのです。普通ではない雰囲気であることを子供にフィードバックしてしまうのです。
 子供は自分が隠しておきたいと思うことを、親から指摘されてしまうのです。この経験は彼らには苦しいものとなる場合もあります。
 ある人は、こういう指摘を受けてしまってから「自我漏洩」様の現象を現すようになりました。自分が隠したいと思っていることが、親に指摘されてしまう、つまり、自分の秘密が親には筒抜けであり、周囲に漏れてしまっているといった恐怖感に発展したと思われる例がありました。
 この人は、やがて、盗撮されているとか、盗聴器が仕込まれているといって騒ぎ、一歩でも外に出ると周囲の人すべてから自分が見透かされてしまうといった妄想様の訴えをするようになったのでした。
 この人の場合、こうした自我漏洩様の妄想体験は間もなく消失したのでしたが、この状態が生まれた経緯を調べると、親がうっかりそういう指摘をしてしまったことが分かり、それがこの人にかなりの衝撃を与えてしまったようであることが理解されてきたのでした。
 もちろん、親は子供の様子が今までとは違うので、それを心配して声をかけたのでした。しかし、結果的に、子供は自分の秘密をズバリと言い当てられたような経験をしてしまったのでした。彼がもっとも恐れており、隠しておきたいと願うものが、母親には見透かされ、それが白日の下に曝されてしまうかのような体験となったのでした。

(ひきこもり)
 このように考えていくと、「自称AC」者たちの一部がひきこもりのような状態になったとしても不思議ではないのです。
 もし、上述のような秘密を彼らが抱えているのであれば、人に会うことは、それ自体で脅威となるでしょう。人と会うということは、嫌が上でも自分の異常意識を高めてしまうでしょうし、自分のその異常な部分を一層はっきりと見てしまうでしょう。そういうことは避けたいと願う気持ちは理解できないこともないのです。
 家族でさえ彼らは拒絶することもあるのです。場合によっては、家族こそ自分の秘密を敏感に察知する存在であると映ることもあるかもしれません。
 異常意識に囚われれば囚われるほど、周りの人たちが余計に「正常」に見えてしまうことでしょう。そうなるとますます自分の異常意識が強まってしまうのです。孤立している方が安全であると彼らには感じられているのかもしれません。

(AC論との遭遇)
 囚われている異常意識そのものが彼らを苦しめ、脅威を与えてしまうのです。彼らはこれに対処しようとします。対処といっても、せいぜいインターネットで調べるくらいのものですが、なんらかの対処を試みるようです。
 一つ注意しておきたいのですが、彼らは「調べる」のです。これは考えたり取り組んだりしているのではないのです。ここは区別しておきたいところです。他人が考えてくれたこと、他人が取り組んでくれたこと、彼らはそれをただ「検索」しているだけなのです。
 こうして調べているうちに、彼らは「AC理論」に遭遇するのだと思います。
 この時、彼らは「自称AC」へとなっていくのです。彼らが「AC理論」と出会ってから「自称AC」となるのです。従って、前項と本項で記述してきたプロセス、彼らが「AC理論」と出会うまでのプロセスは「自称AC」の人たちに特有のものではないのです。心を病む人の多くが経験するプロセスであり、後に「自称AC」になる彼らもまた他の人たちと同じようなプロセスを踏んできているのです。彼らだけが特別なのではありません。
 しかし、AC理論と遭遇してから、「自称AC」と非「自称AC」とは違った道を歩むようになるのです。私はそのように考えております。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)