<12-5>危機と崩壊

<12-5>危機と崩壊

「自称AC」と一括りにして述べていますが、ここにはさまざまなタイプの人たちが含まれています。それぞれ違った性格傾向を持ち、経験した事柄にも家庭の環境にも違いがあります。何か一つのテーマを考察していく場合、どうしても個々人の差異を無視しなければならなくなるのです。一つ一つの差異を取り上げた場合、まとまりを失う上に、膨大な記述量になりかねないのです。だから、そうした個人差を除外して記述しているという点は常に念頭に置いていただければと思います。

 さて、個人差はあるとしても、「自称AC」の人たちは何らかの危機的状況を経験しているものです。これは失敗や挫折として経験されていることもあります。そして、この危機の後に「崩壊」と呼べる状態が続くのです。
 本項では、彼らが経験する危機を四つに分けて記述します。危機はこの四つだけに限らないのですが、彼らの多くが躓く部分であると私は考えています。また、これら四つは相互に関連しているものなので、一人の人がその複数個を経験していることもあります。
 この四つの危機を簡単に概観しておくことにします。これらの危機に関しては今後とも取り上げることになるかと思いますので、ここでは大雑把に述べておくことにします。

 最初に「評価」状況というものがあります。自分が何らかの形で「評価」されてしまう場面であります。ここで躓くという話をよく伺います。
 好むと好まないとに関わらず、人は自分が評価されてしまう場面を経験してしまうものです。ある人は会社の人事評価を境に崩壊してしまいました。また、資格試験の当日や入試を目前に控えた時期に崩壊してしまう人もありました。
 こういう評価は一時的なものであり、仮に現時点において低い評価を受けたとしても、今後の奮闘努力によって挽回が可能なものであります。彼らはそのようには受け取らないようです。あたかも最後通報を言い渡されたような、あるいは死刑宣告でも受けたかのような、何かよほど致命的な経験となってしまうようです。
 彼らの中には時間的展望を失ってしまっている人もあるようで、こうした「評価」経験が時間軸上に位置づけられることができないのかもしれません。

 二つ目は「複数の義務」と名づけておきましょう。これは案外見過ごされることの多い危機状況ではないかと思います。これはどういう危機状況かと言いますと、その人がしなければならないことが複数個、同時に圧し掛かってくるという状況であります。
 例えば、大学受験を控えている場合、大学受験と高校の勉強との両方をしなければならなくなりますが、これはどちらも重複している部分が多いので、それほど危機にはならないのです。この場合、複数個の義務とはならないのです。ところが、大学卒業と就職活動を同時にしなければならないという場合、この二つは別種の活動ということであり、両立がより難しいということになります。複数の義務ないしは活動が同時に当人に降りかかってきているわけです。
 仕事の場面を例にすれば、客対応しているところに、目を通さなければならない書類が回されてきて、さらに自分が取らなければならない電話がかかってきたというような場面であります。一つ一つ処理していけばいいと思われるのですが、ここでパニックになってしまうわけです。
 私たちは何事も一度に一つのことに取り組むことになるのです。もし、どうしても無理ということであれば、何か一つを断念しなければならないということも起きるかもしれません。そうして「複数の義務」に対処していこうとします。
 彼らは複数のものが一度に降りかかってくると、もはや手も足も出せないといった硬直状態に陥り、そしてやたらと「ジタバタ」したり、全てに背を向けるというようなことをしてしまうのです。

 三つ目の危機は、恋愛や性に関する危機です。これは「評価」と一部重なる部分があります。
 彼らは異性と恋愛します。それはいいのですが、その時に、改めて自分はどんな人間であるかが問われてしまうのです。相手からどのように評価されているだろうとか、そうした問題も抱えてしまうのです。
 大抵の場合、彼らは異性関係が上手くいかないのです。恋愛すると退行してしまうという人も見受けられるのです。男性の場合だと、相手の女性に母親のように甘えるか、あるいは相手を一個の人格としてみなさないかといった傾向になるように思います。女性の場合、相手の男性に対して無力な幼児のように振舞ったりすることが見られるように思います。
 相手なしには生きていけなくなるかと思うと、相手との関係が悪化すると一気に壊れてしまう人もおられるのです。
 また、お互いに自分本位なだけの恋愛をしたり、あるいは、恋愛ごっこのような恋愛になったりすることもあるようです。恋愛による自己の破綻を回避しようとすると、そのような形になるのではないかと私は考えています。

 四つ目の危機は「自己決定」場面であります。これは、要するに、何らかの形で自分自身のことを決定しなければならない場面で生じる危機ということです。二つ目の「複数の義務」という危機には幾分「自己決定」の要素が含まれています。
 彼らが躓く場面として、進路決定や就職があります。結婚もまた危機状況になります。自分自身を決定しなければならない場面において、彼らは決定する自己が欠落しているのを見てしまうのだと私は思います。決断する自分が希薄なのです。自分を拠り所にして決断すべき場面において、拠り所になるべき自分が無いのです。そういう経験をしてしまうのだと私には思えるのです。

 さて、「自称AC」の問題を考えていく上で、今後、繰り返しこの四つの危機状況を取り上げることになると思います。その都度、私の思うところ、考えたことなどを綴ろうと計画しております。
 最後に押さえておきたい所は、上記の危機はどの人にとっても危機となりえるものであります。それは「自称AC」の人たちに限ったことではないかもしれません。しかし、この危機状況において、一気に「崩壊」してしまうことと、そこからなかなか「立ち直る」ことができないという点において、「自称AC」の特徴があるように感じています。
 まず、危機状況を経験して、そこからの「崩壊」の度合いが著しいのです。言い換えれば、簡単に「壊れて」しまうということなのです。この「崩壊」を食い止めることが彼らには難しいようであり、壊れ始めると、一気にとことんまで「壊れて」しまうのです。
 そうして「崩壊」した後、「崩壊」したままの状態で過ごすのです。自分の崩壊を、ある意味では放置してしまうのです。いずれ述べることになると思いますが、この崩壊に対して、親に責任を求めてしまうのです。彼らはそれで自分が快復するという幻想を抱いてしまうのだと思います。そのようなことしか彼らにはできないのかもしれません。
 何らかの形で彼らも快復していくこともあります。しかし、同種の危機で再び壊れることも珍しくありません。「同種の危機」とは、以前は「評価」状況で崩壊した人が、再び「評価」状況に直面すると崩壊してしまうということです。喩えて言えば、弱点のようなもので、弱点を突かれる度にダメージを受けてしまうということであります。こうして一人の人は同じ危機と崩壊を繰り返してしまうのです。そこで人生が停滞してしまうのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)