<11-4L>思考~「10万円負けた」

<11-4L> ギャンブル依存者の思考~「10万円負けた」

 「昨日一日で、パチンコで10万円負けました」
 ギャンブルを止めようと言う人が、おまけにカウンセリング料金を割り引かなければやっていけないと訴えていた人が、屈託もなくそう言います。私に「それは残念だったね」とでも言ってもらいたいのでしょうか。頑張ろうとか、努力しようという気持ちがないのであれば、「治療」からさっさと消えて欲しいと私は思います。こんな状態で続けられても、私の損失は増える一方であり、彼の出費や負債も増える一方であります。彼が「治療」を続けない方がお互いのためであります。
 ところで、冒頭の言葉はあなたにはどのように聞こえるでしょうか。私は他の場面でも「パチンコで○○円負けた」とか「競馬でいくらスッた」という表現を耳にすることがあります。こういう表現は私には違和感を伴って聞こえるのですが、それは私だけでしょうか。
 彼は10万円負けたと言います。それは、つまり、10万円の遊びをしたということであります。一日に一人で10万円の遊興費と言えば、けっこう豪勢な遊びができるでしょうし、盛りだくさんな内容の日帰り旅行も可能でありましょう。彼はそれをパチンコでやったにすぎないのです。
 勝ち・負けの要素があるとすれば、彼がギャンブル依存の「治療」中の身でありながら、パチンコをしたというところにあるでしょう。その時点で勝負がついているのです。パチンコに行った時点で彼の敗北が決定しているのです。そこで10万円負けるかどうかということは、これは遊興費なので、勝負とは関係がないのです。仮に彼がパチンコで「勝った」としても、すでに敗北を喫しているのです。
 加えて、彼はパチンコ店に10万円奪取されたのではありません。確かに搾取される側の人生を送ってきた人でしたが、厳密に言えば、10万円負けたのでも、奪い取られたのでもないのです。彼が10万円も差し出したのです。店は彼にそんなことを少しも強要していないのです。3万円の時点で彼がパチンコ台から離れたとしても、お店は何の文句も言わないでしょう。
 3万円差し出した後、さらに7万円差し出すのは、それだけ遊びが長引くからでしょう。3万円よりも10万円の方が長時間遊べるわけでしょう。彼は10万円を取られたわけでもなく、負けたわけでもなく、自ら差し出すことによって長時間遊んだというだけのことなのです。私にはそのように見えるのですが、いかがなものでしょうか。
 一回の遊興費に10万円使おうと、それは個人の自由であります。私はそこに文句をつけるつもりはありません。でも、もしそれだけの遊興費が必要であるなら、それだけの給料を得る身分になることが先決であります。一回のパチンコ代に10万円消費できる身分になってから、そうすればいいだけのことであります。
 彼はそれだけの身分ではありません。それどころか、あちらこちらで借金をしているのです。私のところの料金も割り引いている始末です。お金が手元にあるのなら、先に返済に充てるのが道理であるように私は思うのですが、彼はパチンコに全額投資します。この問題の本質は、彼の不誠実さにあるわけです。
 彼自身が周囲の人に対して不誠実なのです。それを彼はパチンコ店が不誠実だと考えているのです。自分は単に不遇なだけだと考えているようです。加えて、彼は自分自身にも不誠実なのだと思います。それは、自分が体験していることを正しく見ることができないからであります。本当は遊んだだけなのに、彼は「負けた」と見ているのです。正しく見ようとしないので、思考が歪んでくるのだと私は思います。

 こうした例はいくつも挙げることができます。勝って返せばいいと言って手を付けた妻のへそくりは妻のものなのです。彼のものではないのです。友人が見かねていくらかのお金を工面してくれたとしても、そのお金は、彼に属するのではなく、友人に属しているのです。何が自分の所有で、何が相手の所有であるかをきちんと見ることができないのだと思います。
 本質的な部分が分からないと言っていいようなケースもあります。
 あるギャンブル依存者は、月に2回のペースで受けており、月末に2回分支払うというルールで受けています。毎月、1回目はパスして、2回目に(給料日後に)支払ってもらうことにしています。もし、2回目で支払うことができなければ、一ヶ月開けるようにと私は伝えています。2回以上のツケは、私もイヤですし、彼の負担もそれだけ大きくなるので、できれば避けたいのです。
 しかし、2回目に支払うことができない事態が生じました。これは一ヶ月開けなければなりません。今月分を来月の給料で支払うことになるからで、このペースで継続すればどこかで二か月分を支払うことになるからです。彼の状況を見ると、それは無理であろうと思われるのです。
 さて、2回目に支払えない事態で、彼は「1回分だけ払う」ということにしました。払ってもらうのはいいのですが、それでも一ヶ月開けた方がいいのです。どうも彼の中では、2回以上ツケをしてはいけないという問題になっているようです。
 私も2回以上のツケはいけないと言っているので、彼がそのように考えているとしても不思議ではないのですが、この問題の本質はそこにはないのです。
 この問題の本質は、彼が計画通りにできないというところにあるわけです。月に2回、2回目で支払う、そのために計画を立てて実行するということが守れないのです。計画が狂ってしまうというところに問題点があるのです。そのため、一ヶ月、間を空けて、計画を軌道修正させなければならないと私は思うわけであります。
 さらに、この問題の本当の本質的部分は、計画が狂った時に、彼が何をするかにあります。計画というものは狂うことがあります。それはいいのですが、狂った時にどうするかであります。
 計画通りに行かない事態になって、彼はどのように軌道修正するでしょうか。結局、次の入金を当てにすることで、彼はこの事態にケリをつけたのです。これはギャンブルで当たりが来るのを期待して待つことと同じであります。彼は非主体的に軌道修正したわけであります。予定外の出費ができて、支払い出来ないものが生じたところ、何かを削って、節約して、支払いをしていこうとはならないのです。
 この人の話には随所にそれが出てくるのです。金欠になっても、自分の生活は変えないのです。それで、収入を当てにするだけなのです。当てにする収入がなければ、家のものを質入するのです。
 最悪の場合、計画そのものを変更してしまうのです。言うまでもないことですが、後から作られる計画は、前に作られた計画よりも、彼にとっては厳しいものになっているのです。現状を乗り切ることだけを考えているので、容易に計画が変更されてしまうのだと私は思います。そして、計画が新しくなればなるほど、変更された新しい計画は彼にとって負担の大きいものになっているということに気づけないのかもしれません。
 従って、最初の計画を実行することが彼にとっては必要なことになります。一ヶ月の間を空けてでも最初の計画に戻る事の方が、計画そのものを変えてしまうよりも、望ましいと私には思えるのです。

 私がギャンブルをしないことも手伝うのか、ギャンブル依存者の話の中で、不思議な考え方や表現によく出くわすのです。今後とも気がついたことを取り上げて、綴っていくことにしたいと思います。
 思考は常に認識に従います。外界の出来事などを認識し、その認識に基づいて私たちは思考を組み立てていきます。私たちの思考が歪んでしまうのは、思考の組み立て方が悪かったり、他の内面的要素(感情とか願望など)が過度に混入したりするためでありますが、一方で、最初の認識そのものが正しくない場合もあります。
 本項での「10万円負けた」にしろ、前項の「S県のお店は良心的だ」にしろ、あるいは以前の「勝った時の快感が忘れられない」にしろ、こうした思考はそれぞれ特定の認識に基づいているわけであります。この認識が、正しいのか間違っているのかは別としても、私に違和感を与えるのです。それで私なりの認識を述べてきた次第であります。

 本節、「ギャンブル依存の心理と生」は、それぞれが断片的であり、且つ、相互に関連している事柄を綴っていますが、あまりまとまりはなく、体系だったものにはなっていないので、何かと読みづらいことと思います。いつか、まとめてみたいと思うのですが、それまでに重要であると思うものをいくつか綴る必要も感じています。次項から「ニヒリズム」の問題に入っていくことにします。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)