<11-4K>思考~「あの店は出る」

<11-4K>ギャンブル依存者の思考~「あの店は玉が出る」

 その人は日帰り出張でS県に行くことになりました。仕事自体は早めに片付いたそうです。会社に報告すると、今日はそのまま帰宅してもよいとのことでした。帰るにはまだ時間も早いので、彼は近くのパチンコ店に入ったのでした。しばらくパチンコを打っていると、なんとまあ、次から次へとタマが出るではありませんか。その日、彼は大勝ちして、上機嫌で帰宅したのでした。
 彼は「S県のパチンコ店は良心的だ」などと言います。
 それに味をしめた彼は、次の休日、わざわざS県まで行って、そのパチンコ店で再度パチンコを打ったのでした。結果は大方の予想通り、ボロ負けして、彼は先日そこで勝った以上に負けたのでした。
 前回は上機嫌で帰った道のりを、今度は惨めな気持ちで帰らなければならなくなったそうでした。
 他にも私はパチンコ打ちの人たちから同じような話を耳にします。時には、「あそこの店はタマを出す」とか「あの店は出ない」とかいう情報交換をしたりしている場面に出くわすこともあります。
 ところで、これをお読みのあなたは、彼らの考え方に違和感を覚えないでしょうか?

 パチンコ店では、裏でタマの出る出ないを密かに操作しているという、まことしやかな噂を私も聞くのですが、おそらく、そういう類のことはされているのでしょう。客はギャンブルのつもりでも、経営側はギャンブルで経営するわけにはいかないでしょう。そんなことをすれば「ラスティ・ネイル」のようになるでしょう(ブログ参照)。店にとって、パチンコはビジネスであります。必ず利益を上げなければならないのです。店舗の維持、従業員の給料のためにも、それは必至であります。
 大体、7割から8割が胴元に入り、2~3割が配当に回されることになるそうです。あなたがギャンブルで3万円勝つためには、胴元がすでに10万円は儲けていてもらわないと無理な話なのです。あなたがボロ勝ちするためには、胴元がそれ以上にボロ儲けしていなければならないことになります。
 これは、おそらく、どのパチンコ店でも同じことでしょう。利益が大きければ、それだけ客への配当も大きくなるでしょう。収益がそれほどでなければ、配当もそれだけ小さくなるでしょう。これはギャンブルの世界では当たり前のことではないかと思います。
 従って、タマをよく出すパチンコ店は、その店が良心的なのではなく、この人が行ったその日がたまたま店の収益が多かっただけのことであるかもしれません。私にはそう思われるのです。店の景気のいい日に、たまたま遭遇しただけのことではないのでしょうか。でも、冒頭に挙げた彼はそのようには考えなかったということです。

 この考え方の違いは、個別化と一般化をする部分の違いということになるでしょうか。パチンコ店はどことも同じような経営をするだろうし、当たりがたくさん出る日はその店にそれだけの収益があっただけのことであると私は考えています。つまり、私はパチンコ店を一般化し、その日を個別化しているわけです。S県出張の彼は、この店は特別良心的で、いつもこれだけの当たりを出すと考えているようなので、パチンコ店を個別化し、その日(自分がボロ勝ちした日)を一般化しているということになります。
 どうしてそういう思考になるのかは私にはよく分かりません。これは思考というよりも、その人の願望なのでしょう。ボロ勝ちした時を個別化して考えず、それを一般化して考えてしまうのも、その人の願望なのでしょう。

 ビギナーズラックという言葉があります。私は一度もこれを経験したことはないのですが、パチンコ依存者はしばしばこれを経験するそうです。初期の頃にボロ勝ちするという経験をしてしまうのです。それで味をしめて、パチンコにのめり込むようになったという話も私はよく耳にします。
 彼らはその幸運を個別化しないのです。それがその時だけのものであるとは考えないのです。そう考えたくないのでしょう。彼はこれを一般化します。つまり、こういうことは普通に自分に起きることであると信じてしまうのです。自分に繰り返し訪れる幸運だと信じてしまうのです。一般化してしまうがために、この幸運な出来事を過去にできないのかもしれません。
 そう信じてしまうのなら仕方がないのですが、もはやそれが信用できないということの証明がなされても、彼はそれにしがみつくようです。彼は「勝った時のあの快感が忘れられない」などと言うのですが、もはやあの時のように勝つことがなくなっているのです。傍目から見てもそれが明らかなのです。それにも関わらず、彼はその幸運を一般化したままでいるのです。
 私には経験がないのですけど、ボロ勝ちした時にはさぞいい夢を見たことだろうと思います。いい夢は一回で十分です。いい夢を見ることのできた自分に満足できればそれでいいのだと私は思います。満足できないとなると、その人は、以後、愚かな夢を見続けることになると私は思うのです。素晴らしい経験は過去に置いておくに越したことはないのです。その経験をした自分が素晴らしいと思えることが重要なことだと私は思います。愚かな夢を見続けるようになって、自分を貶める必要がどこにあるのでしょうか。

 さて、思考の一般化と個別化ということですが、私たちは物事を考える際に、こうした区別をつけていることが多いのです。
 ギャンブル依存者と面接していると、時々、「あれっ?」と思うことがあるのですが、個別化する部分で一般化をしていたり、一般化していい部分を個別化したり、どうもそういうところが私には感じられてくるのです。

 奥さんのへそくりをこっそり持ち出して、「勝って返せばよい」などと考えた男性がいます。この考えは、常勝する人のものであります。常に勝つ人が実現できることであります。そのことを踏まえると、彼は自分が勝つということを密かに一般化していることが伺われるのです。
 現実には、パチンコをして「勝つ」ということが、彼にとっては特別なことであり、個別的な出来事なのです。彼は滅多に勝つことがないからです。それでも「勝って返せばいい」と彼が考えているのなら、本来なら個別化される体験である「勝ち」を、彼は一般化していると考えることができるのです。勝つこと、並びに勝つ自分を、彼は一般化しているのですが、それは単に彼の願望を表しているだけであり、現実を否認していることになると私には思えるのです。
 このような場面では、彼は自分の現実に基づいて思考しているのではなく、自分の願望に基づいて思考していると言ってもいいかもしれません。自分の現実を認知せず、自分の願望だけを認知しているのかもしれません。このように認識し、思考してしまうのは、後に取り上げる予定をしていますが、彼らがあまり自分自身をはっきりと持たない傾向と関係しているようにも私は思います。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)