<11-4D>敗北の否認(1)

<11-4D> 敗北の否認~「勝った時の快感が忘れられない」

(「勝った時の快感」はウソである)
 ギャンブル依存者に、どうしてギャンブルをしてしまうのかと尋ねてみると、「勝った時の快感が忘れられない」という言葉が返ってくることも稀ではありません。私にはそれがそんなに快感であるのか分からないのですが、確かに、快感なのでしょう。
 しかし、大半のギャンブル依存者のその言葉はウソであります。私はそれを字義通りには信用していないのです。

(それは常勝者の言葉である)
 そもそも、「勝った時の快感が忘れられない」という言葉は、常勝者の言うことであります。あの快感を再体験したいという欲求が生まれ、ギャンブルをして勝ち、「やはりこの快感は忘れられない」ということであれば、私も頷けるのです。それを連敗者が言うから私には不自然に響いてくるのです。
 一体、ギャンブル依存者がどれくらいその快感を経験しているのかは不明です。初期の一回だけ経験し、その一回が強烈な印象を残しているだけであるかもしれません。あるいは、定期的に、何回かに一回とか、何ヶ月に一回といった割合で経験していることなのかもしれません。私にはよく分からないのです。いずれにしても、連敗者にとって、その快感は過去経験であるということが伺われるのです。

(どんな種類の快感か)
 私にはよく分からないけど、ギャンブルで勝った時は相当な快感が経験できるようです。では、それはどんな快感なのでしょう。私の経験では、ギャンブル依存者にこれを尋ねてみると、なんともアヤフヤな答えしか返ってこないのです。
 パチンコ台の盤面がきらびやかになり、電球の点滅が激しくなり、音や映像も景気が良くなり、面白いほどタマが入って、それ以上にタマがジャラジャラ出てきて、などと彼らは説明してくれるのですけど、一体、何が快感なのかがまったく私には伝わってこないのです。
 この時、彼は不労所得を実現し、負ける側から勝つ側へ、搾取される人間から搾取する人間になったのです。自分が特別な人間であるという願望を、つまり、「利己主義」を実現させているのです。この実現が快感として体験されているのではないかと私は推測します。
 勝つことで、彼は欲求を満たし、夢を叶えています。しかし、その後ですべて搾取されてしまい、儚い夢で終わることも多いようです。あるいは、次の日にはスッカラカンになるなど、一夜限りの夢で終わらせてしまう人もあるようです。結局は負けてしまうようであります。
 勝った時の快感が忘れられないというのは、この敗北の否認ということになるのだと私は思います。自分は勝つ人間であり、現実に勝った。でも、すぐ後には負ける人間に舞い戻っているのだけど、自分がそこに舞い戻ったということをなんとしてでも否認したいのだと私は察します。

(敗北の否認の言葉)
 この否認に関しては、次のような説にも現れているように思います。それは、「ギャンブル者は勝った時の話しかしない」という説です。誰が言ったのかは知らないけど、言われてみれば、確かにそれもあり得る(「空耳アワー」みたいだ)ようにも私は思います。敗北の否認という傾向を考慮すると、それは十分あり得ることであります。
 私も幾人かのギャンブル者(依存者とは限らない)から、パチンコで勝ったという武勇伝を聞かされたことがあります。こちらとしては別に興味もない話題なのですが、その人が懸命に武勇伝を語っているのを見ると、邪険にするわけにもいかず、困ってしまったという覚えがあります。
 彼は自分が勝った時の話をしています。言い換えれば、自分が特別な人間であった瞬間のことを話しています。彼がそれを話さなければならなくなるのは、現在の彼が特別な人間ではなくなっているからです。しかし、彼は自分が特別な人間であったと主張することで、自分がもはや特別な人間ではないという事実に蓋をしているのです。私にはそのように感じられてくるのです。これもまた敗北の否認であると思います。

(現在の自分の否認)
 敗北を否認するということは、敗北している自分自身を否認しているということでもあります。特別な人間ではない、現在のありのままの自分が否認されているのです。そして、儚い瞬間的経験だった自分が本当の自分であると信じ込もうとしているかのようです。
 いずれにしても、否認されているのはその人自身なのだと思います。自分はかくかくの人間(理想)であるべきであって、しかじかの人間(現実)ではないということを訴え続けずにはいられなくなるのでしょう。
 人が不幸になればなるほど、過去の幸福だった時代への郷愁が強まるというのと、根本的には、同じような心的過程があるのかもしれません。

(否認とは見ることができないということ)
 さて、本項の冒頭に戻りましょう。ここまでの話でお分かりいただけると思うのですが、「勝った時の快感が忘れられない」という彼らの言葉の中に、すでに敗北の否認が含まれているのです。負けている時の自分が不問にされているのです。そこは否認されているのです。
 否認されているということは、言い換えると、そこに目を向けることができないでいるということです。見ることができないのです。
 しかし、現実は残酷なもので、ギャンブル者が見たくないと思うところのものを、半ば強制的に、彼らは見せつけられてしまうのです。そのような時に、初めて、彼らは自分の敗北と向き合ってしまうのです。
 もっとも、それを見せ付けられても、素直に受け入れる人ばかりではありません。それでも尚、否認し続けようとする人もあります。
 いずれにしても、彼がそれを見てしまう時、つまり自分は勝つ人間でもなければ、特別な人間でもないということを知ってしまう時には、すでに多くのものが彼から失われており、多くのことが手遅れになっていたりすることさえあります。財産を失っていたり、家族を失っていたり、地位や職業を失っていたりしてしまっているのです。気づくのが遅すぎたのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)