<10-3-2>感情的正当性の優位(2)~さまざまな場面(1)

<10-3-2>感情的正当性の優位(2)~さまざまな場面(1)

 感情的正当性の優位とは、快感情は良くて、不快感情は悪いという判断をしてしまうということであり、その傾向が優位であるということを意味しています。感情的正当性が優位であることが、どういう場面でそれが分かるのか、少し考えてみたいと思います。

(ストーカー様の行為)
 もっとも分かりやすいのはストーカーのような行為であります。当人は相手に対しての恋愛感情を持っているのかもしれません。この恋愛感情は彼にとっては快感情であり、正しいものであるとしましょう。そして、その感情が正しいものであるから、相手に対して何をしても正しいと判断してしまうのでしょう。相手にとって迷惑行為であっても、自分の感情がその正しさの正当性を証明しているものと体験されているのではないかと思います。
 ストーカーとまではいかなくても、恋愛がうまくいかないという人の中にはそういう傾向があるように思われる例も私は経験します。自分が快感情を体験しているので、それが正しいと判断しているので、どうして相手から拒絶されなければならないのか理解できないという人もおられるように私は思うのです。これも自分の感情だけでその正当性が判断されているからであります。
 ちなみに、このようなケースでは、「相手の立場に立つことができない」ということが問題視されることもありますが、それは非常に曖昧な表現であると私は考えています。なぜ相手の立場に立つことができないのかをさらに追求しなければならないからです。むしろ、相手の立場に立てないというのは、自分の感情だけに立っているからであると表現する方が正しいように私は考えています。自分の感情だけですべてが判断されているのだと私は考えています。

(暴力、DV)
 これらの問題でも、加害者か被害者のいずれか、あるいは双方が感情的正当性の優位を示すことが多いと私は感じています。
 例えば、感情を爆発させるとスッキリする(快感情)、だから爆発させるのが正しいと判断してしまうなどであります。あるいは、相手が不愉快なことをするからそれを正そうとしたのであって(不快感情の追放)、自分は何も間違っていないと開き直っていたりするなどもあります。
 被害者側の場合、相手(加害者)が悪いのだから相手が治療を受けるべきだと訴える(不快感情の追放)といった形で感情的正当性の優位さが見られることがあります。自分が被害を受けたのだから自分こそ治療が必要だ、などとは思わないのであります。これは次に述べる「逆転性」に通じるものであります。

(逆転性)
 感情だけで判断された場合、普通の常識的な判断と真逆の判断になることがあります。私はこれを「逆転性」と呼んでいるのですが、これは広く見られる現象ではないかという気もしています。
 例えば、普通なら喜ばれ、感謝されるようなサービスなのに、それを最悪の最低のサービスだと酷評したりといったことがありました。実はこれはある看護師さんの話なのですが、この患者さんに同情したのか、その看護師さんはかなり親身になってケアし、特別扱いまでしてあげたのでした。しかし、この患者さんは、その看護師さんのことを悪しざまに罵るのでした。看護師さんはショックを受けて私のカウンセリングを受けに来られたのでした。
 この患者さんのいうところでは、この看護師さんに対して生理的嫌悪(後に取り上げますが、これは注意を要する言葉であります)を感じていたらしく、本当は近寄られるだけでもイヤだったということであります。
 これは、言わば、「好きになれない悪い相手から良いものを受け取った」という場面と言えるでしょうか。私たちは(というか私だったら)、そういう時、与えてくれた良いものには感謝するだろうと思います。その人のことが好きになれなくても、私のために尽くしてくれたことには感謝できるのではないかと思います。
 感情だけで判断するとそれは難しいだろうと思うのです。好きになれない悪い相手(ここに感情が付与されているわけです)から与えられるものは、どんなものでも不愉快(感情と一致させている)でなければならなくなるでしょう。だから、この患者さんがこの看護師さんのことを、自分が看護師としていい評価を得るために親身なフリをしているだけだと評価するのも理解できないわけではないのです。悪い人がいいものを与えてくれたなどということは感情的に矛盾する(この矛盾が処理できない)ので、感情的に不快な人物に対しては、その人が与えてくれるものも、その人の行為の動機も、要するにその人に関することはすべて不快なものにしなければならなくなるのでしょう。
 次は架空のお話ですが、例えば、子供が虫歯で苦しんでいるとしましょう。この子を歯医者に連れて行く母親は、通常の感覚で言えば、いい母親と評価されるでしょう。ところがそれが逆転してしまうような人もあるのです。歯医者に連れて行って痛い治療を受けさせた(不快感情)母親は悪い母親で、虫歯なんて放っておいたら(神経が死んで)痛みが感じられなくなるからそれまで子供を放置するような母親が良い母親になるのです。母親が正しいことをしたかどうか、その子は自分の感情体験だけで判断しているわけであります。このような話はAC信奉者から聴くことが多いのです。
 また、私は暴力はよろしくないと考えています。だから感情を爆発させて相手を攻撃してしまったという人の話を聞くと、それには共感しないのです。感情的正当性が優位である場合、他者の共感は自分の判断の正当性が認められたと評価する可能性が高いからでもあるのですが、それだけではなく、感情を爆発させて好き放題に振る舞うとしたら、それは獣と同じだと思っているからであります。その人のことを人間であると認めるなら、獣じみた行動は受け入れるわけにはいかないのであります。この人は私が共感しないことへの不満を訴え、並びに、感情を爆発させることはどうしても必要なことだと訴え続けました。恐らく、この人自身はそこまで考えていなかったでしょうけれど、この人にとって、あなたは獣と同じだと言ってくれる人はいい人で、あなたは人間だから獣のような行動は慎まなければならず、それ以上のことができるはずだと信じている人は悪い人になってしまうようです。これもまた逆転性であると私は考えています。
 こうした逆転性はさまざまなケースで、さまざまな場面で認めることができるように私は感じております。感情だけに基づく判断は、常識的(と言ってよければだけど)な判断とは真逆なものになり得ること、そして、当人はそのことを理解することが難しいようであります。
 このような「逆転性」が頻繁に生じるとしたら、その人はかなり生きにくい経験をしていると思います。周囲の外界や他者との間でそぐわない自分、調和しない自分を経験する機会が増えることだろうと思います。

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)