<10-1-1>「治る人」「治らない人」について

<10-1-1>「治る人」「治らない人」について

(本章の要旨)
 カウンセリングや心理療法を受けて、何らかの変化なり改善なりが見られる人もあれば、それらがまったく見られないという人もあります。本章では便宜上、前者を「治る人」とし、後者を「治らない人」と称することにします。
 これは本当に不思議であります。同じようなカウンセリングをしていても、ある人は「治り」、他の人は「治らない」ということが生じるのであります。一体、両者は何が違うのかという疑問が私の中ではいつもありました。
 本章の要旨は、「治る人」と「治らない人」との違いを述べることであります。両者は、カウンセリング場面で、まったく違った行動をし、違った反応をし、違った風に思考するのであります。その違いに焦点が当てられることになります。それだけでなく両者は自分自身に対しても、あるいは自分の人生に対する構えとか姿勢についても異なっており、そうした観点も取り上げて記述したいと考えています。
 要するに、「治る人」と「治らない人」とでは何が違うのか、これをテーマに記述していくわけであります。
 このテーマで書く理由は次の点にあります。カウンセリングという作業は密室で行われる上に、プライバシーや秘密保護の観点からあまり詳しく個人的事例を記述することを控えなければなりません。そのために、クライアントたちは他のクライアントたちがどういうことをしているのかを知る機会が制限されてしまうことになります。「治らない人」たちは「治る人」たちがどういうことをやっているのか、どういうことを考えるのか、どういうものを目指しているのかなどを、学ぶ機会がないということになり、私はそれを非常に残念なことであると考えています。本章がその機会の一つになればと願い記述したいと思います。

(不変の固定化された概念ではないこと)
 さて、ここではクライアントを「治る人」と「治らない人」とに二分していますが、両者はそれぞれ概念化することのできないものであることをお断りしておきます。概念化できないとは、「治る人」とはこういう人であり、「治らない人」とはこういう人であるというようにまとめることができないという意味であります。
 ここでは、「治る人」がどういう人であるか、「治らない人」はどういう人であるかといった区別をしているのではなく、「治る人」のしていることは何か、「治らない人」に見られる傾向は何かといったように、それぞれの人ではなく、それぞれの人が示している現象に着目していることにご注意願いたく思います。
 また、このことも特記しておかなければなりません。「治る人」とか「治らない人」などと本章では表現していますが、これらの概念は固定化されたものでもなく、不変であるという意味でもありません。後々取り上げていくように、「治らない人」は「治る」前に「治る人」になるのであります。同じ一人の人が両者を移行するのであります。敢えて言えば、ある人の一時点におけるその人の地位といった程度の意味で「治る」とか「治らない」と表現しているに過ぎないのであります。

(用語上の注意点)
 本章での用語についても少し説明しておきましょう。
 ここでは「治療」としてのカウンセリングを考えています。そのため「治療」という言葉を使用しますが、これはその他の言葉、例えば「援助」などと読み替えても差し支えありません。
 治療という表記をするので、それに合せて「病」「病気」「症状」といった言葉を使用し、それに対して「治る」「治癒」といった言葉を使用します。これらも別の言葉に置き換えても差し支えありません。「問題」とその「解決」とか、「課題」とその「克服」などと言い換えることも可能であります。
 私たちは用語上のことであまり囚われないようにしたいと思います。多くのことを記述する予定でおりますので、できるだけ速やかに本題に入っていきたいと思いますし、用語が統一されていることで表記が煩雑になることを防いでくれると思います。
 上記のような言葉を使用するというのは、あくまでも本章における約束事のようなものであります。そのようなものとして捉えていただきたく思います。

(私の個人的見解であること)
 また、本章で綴られる事柄は、他の章と同様に、すべて私の個人的見解であります。これを絶対的なものと理解しないでいただきたく思います。あくまでも私個人の考えであり、私にはこのように見えているという意味であります。
 従って、ここに書いていることが単なる私の信仰告白でしかないという批判がなされたとしても、私はその批判は正しいとお答えする次第であります。科学的証明とかエビデンスがないなどといった指摘をされたとしても、その指摘は正しいものであります。何も目新しいことは書かれていないという批判がなされても、その批判は正しいものであります。臨床的な知からかけ離れたことを述べるつもりもありません。
 また、「治る人」と「治らない人」と言っているけれど、それはたんに「軽症」と「重症」の違いではないのかと指摘されれば、そのように受け取ることは当然であるとお答えします。ただ、私個人は症状の「軽い」「重たい」といった言葉はできれば使用したくないという気持ちがあることと、「重症」だから「治らない」というふうな短絡的な結論に陥るのを避けたいと考えて「治る人」「治らない人」と表記することにします。

(治療の二段階)
 治療というものは、「治らない人」が「治る人」になり、「治る人」が治癒を達成していくという二段階で考える方が現実的であると私は考えています。
 その人が「治る人」になれば、その人はどんな治療を受けても、あるいはどんな治療者にかかっても、その人は「治る」と私は信じています。いささか楽観的な見方でありますが、クライアントが「治る」のは、彼が「治る人」になったからであり、それはカウンセラーや医師の手柄ではないと私は考えています。
 「治らない人」から「治る人」になるとは、言い換えれば、ある種の自己形成がそこで行われるということであります。すでに本論に入るのですが、「治らない人」はこの段階をすっ飛ばそうとなさるのであります。
 つまり、自分はそのままで、自分(や環境)から悪いものを取り除いたり、良いものを付け加えたりして、それで十分であると考えているようであります。こう言ってよければ、「治らない人」たちは自分が変わらないで済むことを求めて治療を開始するのであります。自己形成という観点を著しく欠いていることが多いように思うのです。
 「治らない人」は、治る前に、「治る人」になっていく必要があり、それはある種の自己形成の段階を踏んでいくということであります。
 このようなことは、何も特別なことではなくて、他の治療においても時折見られることがあると思います。患者さんに施術する前に、施術に耐えられる身体状態を作るということがなされることもあります。いきなり歯をいじくるのではなく、歯茎の状態を強くしてから歯の治療に取り掛かるという例も私自身が経験したことであります。それと同じようなものと考えてよろしいかと思います。
 「治らない人」が「治る人」になること、これは「治療」の前段階として捉えることも可能でありますが、治療はそのように二段階で理解しておく方が好ましいということであります。では、「治る」とは一体、何が治ることを指して言っているのか、その点は次節で取り上げたいと思います。

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)