<1-4>「文学的記述」

<1-4>「文学的記述」

 前節で、一つのことを記述するのに、どれだけの言葉を重ねなければならなくなるかということを私は述べました。簡潔に要点を述べればそれで済むのですが、そうもいかないのです。
私が書いたものに関して、方々から(クライアントから、問い合わせの人から、業者さんから)、「ここはどういう意味だ」とか「別の人はこう言っているけど、本当はどっちが正しいのだ」などと、様々な質問や意見が持ち込まれるのです。そういう質問や意見には、純粋にそれを尋ねようという動機以外の動機によると思われる例も多いので、律儀にそれに応じなくてもいいという一面もあるのですが、ついつい私も律儀にそれら一つ一つに答えていたのです。
 律儀に応対していたらそれだけで手一杯になるので、できるだけそういう質問や意見が来ないようにしようとやっているうちに、どんどん文章が回りくどくなっていった次第なのです。確かに、初期の頃に書いたものはもっと簡明だったと自分でも感じるのです。

 さて、記述が複雑になるのは、上記のような事情ばかりではないのです。このサイトで取り上げているような問い、人間の心とか内面に関する問いは、簡単に答えることができないという性質を有しているのです。
 つまり、問い自体が複雑であるために、それに関する考察もすべて複雑になるということであります。簡単明瞭に答えられない類の問いに取り組んでいるためであります。

 本サイトの初版でも、「科学的記述」と「文学的記述」とう区別を設けてこの辺りの事情を説明したのですが、その考えは今でも変わりません。
「科学的記述」というのは、データを提示して、統計処理をして、結論を出すといった記述スタイルを指して私がそう呼んでいるものです。そこでは著者の主観はできるだけ排除して、客観的であることが求められます。そして、明確な結論が提示されるのが常です。この結論とは、大部分因果関係であり、要するに、この記述スタイルで書かれたものは、「これが原因でこういう結果になる」といった論点が明確に理解されるのです。
 一方、「文学的記述」というのは、一人の個人に、その人生に、どういうことが起きたのか、一つの出来事がどのようにして次の出来事を引き起こしたかというプロセスを記述するようなスタイルであります。ここでは明確な結論も学説の樹立も目指されないのです。読み手は、一つの結論を得るのではなく、各々の読み手が読み込んでいき、読んだことを、各自の問いに、各自の体験につなげていくことになります。

 私のこのサイトの記述は、その大部分が「文学的記述」となるでしょう。明確な結論を導き出すというような記述はなされないでしょう。一人の個人が、どのような経験をし、どのような経緯を経て、変容していったか、その変容にどういうことが与り、その人にどういう影響を与えたと考えられるか、といった記述が大部分を占めることになるでしょう。
 各々のケースごとに考察すること、それを私は大切にしたいと思うのです。それぞれのケースから、共通項を抽出し、パーセンテージを計算したり、結論づけたりするといった作業はほとんどしないつもりでおります。

 もし、テキストを作るのであれば、「科学的記述」で行わなければならないでしょう。しかし、「科学的記述」をすることで、得られることも多い反面、失われるものも多いことでしょう。同じことは「文学的記述」にも言えることですが、何を失って、何を得るかということを天秤にかけると、私の場合、「科学的記述」による損失が一番大きいと感じられるのです。
 例えば、「子供時代に親から虐待を受けた人の8割が憎しみを抱えながら生きる」という文章は極めて「科学的記述」であります。これを読むと、なるほど、そういう後遺症を持つ人がそれだけ多いのかと、単純に理解できます。
 しかし、同じような内容の記述であれ、「子供時代の親からの虐待を契機に、彼は20年以上、やり場のない憎しみを抱えながら生きてきた」という「文学的記述」では、どれだけの割合の人が彼のような経験をするかといったデータは得られないけれど、彼個人の事実が描かれていることが分かります。
「科学的記述」で損なわれるのは、こうした一人一人の個人的な真実なのです。「科学的記述」ではここを取り上げることがないのです。でも、本当に人間を理解するためには、一人の人間に生じた事実を掘り下げていくことが欠かせないと私は考えます。
 人間の経験する事実、個人の真実、生きた人間を理解し描くこと、これらの目的には「科学的記述」は不適格なのです。

 さて、本節の要点をまとめておきます。
 以前から私のサイトには何が書いてあるか分からないとか、難しいとか、言い回しがややこしいとか、どこに何が書いてあるか分からないなど、種々雑多な不平不満が寄せられました。そうなってしまう理由について取り上げました。
 理由の一つは、できるだけ正確に書こうとするからであります。これに関しては前節で取り上げました。
 二つ目の理由として、取り組んでいるテーマが簡単には答えられない性質のものだからであるということを述べました。
 三つ目の理由として、私が「科学的記述」をしないためであるということを述べました。生きた人間の事実を描きたいという私の目的には「文学的記述」が適していると私が考えているからです。

 おそらく、今後の記述においても煩雑な表現や回りくどい言い回し等が出てくると思われるのですが、一部は上記のような事情によるものであり、一部は私の癖によるものでありますので、辛抱してお付き合い願えればと思います。

(文責:寺戸順司)