<1-2B>お互いの「より善く」に資すること

<1-2B>お互いの「より善く」に資すること

「ただ生きることではなく、より善く生きること」
 ソクラテスのこの命題は現代でも生きています。おそらく、人類はこの命題、課題から解放されることはないでしょう。どの時代であっても、今の時代に生きる私たちなりの「より善い」が求められることになるでしょう。
 では、「より善い」とは何かという問いが生まれるのですが、その論議にここでは立ち入らないことにします。ただ、それは私たち個々人が追及していくテーマであると私は考えているということだけを述べるに止めます。

 本章はこのサイトに関する諸事項を記述することを目的としているので、上記の命題と関わる事柄を述べることにします。
 IT業者からは、私のこのサイトについていろいろな意見を言われてきました。もっとこうしたらどうかといった意見の類をいくつも受けてきました。彼らの言い分も分かるのですが、基本的に、彼らが目指していることと私が目指していることとが違うので、お互いに理解し合えない部分もあっただろうと思います。
 私は私の「より善く」の一つの実現としてこのサイトを維持したいと考えています。業者さんたちはすぐに集客ということに注目されるのです。私にとっては、「集客」は副次的な意味合いしかないのです。
 どうしてこんな文章ばかりのサイトになるのか。私が活字中毒だからというのも理由に一つなのですが、第一の理由は、私が私を与えたいと願うからです。私の何かを与えることができる、これは私にとっては私が「より善く」なっていくことの一つの志向であると考えています。それは愛の実践でもあると考えています。(補足1)
 私は私の「より善く」を目指してこのサイトを作っています。そして、これがあなたの「より善く」に資するものとなれば、これ以上の幸いはないと考えています。

 個人が与えることのできるものの中で、最も価値があるのは、その人自身の経験であり、思想であると私は考えています。物品の贈り物よりも、それらの方がはるかに価値があるのです。(補足2)
 私はこのサイトで私の経験を綴り、その都度、感じたことや考えたことを打ち明けていくことになるでしょう。従って、このサイトは心理学のテキストのようなものにはならないでしょう。また、心理学のテキストに書いてあるようなことは、ほとんど述べられることはないでしょう。そのようなわけなので、心理学の勉強をしたいという人は、どうぞ私のサイトではなく、優れた教科書を探して勉強していただく方がよろしいでしょう。
 私は他のサイトをほとんど閲覧しないのです(インターネット自体に馴染めないというのもあるのですが)。IT業者さんから、事例として、他のカウンセラーさんのサイトを拝見する機会がありました。そのHPを閲覧させていただきましたが、そのカウンセラーさんが本当に書いたものなのかどうか怪しいという印象を受けました。それは、まるでテキストを丸写しにしたような文章で、そのカウンセラーの個人的な経験が述べられていないのでした。
 業者さんは、分かりやすいサイトの一例として提示されたのでした。確かに分かりやすいと言われれば、それはそれで正しいでしょう。ただ、私はそれと同じことをするつもりにはなれませんでした。失礼な言い方をお許し願いたいのですが、私から見ると、そのカウンセラーさんは人に何も与えていないのです。そのように私には見えるのです。

 ここまでを少しまとめておきましょう。私にとって「より善く生きる」の一つの実践としてこのサイトを活用したいと思うのです。私は私の経験したことを与えたいと思うし、与えることのできるものの中でこれ以上に価値のあるものはないと考えています。私の与えるものがあなたの「より善く」に資することになればいいと思うのです。
 もちろん、私が与えたからと言って、受け取るか受け取らないかはあなたの自由です。このサイトの毎月のデータを見ると、大体7割近くの人が「受け取らず」、素通りしていくだけの人たちであることが分かるのです。でも、後の3割の人たちは、多少なりとも受け取ろうとしていることも窺われるのです。そして2割の人たちはかなり受け取ろうとしているように思います。
 それでいいと思います。通過しただけの7割は無縁の人たちなのです。この3割の人たちとは、このサイトを通じて縁ができたわけです。その人たちといつかお会いできる日が来るものと私は信じているのです。むやみやたらと「集客」を目指すより、縁のある人たちとお会いする方が、私としても嬉しいのです。

(補足1)この辺りの事情を詳しく知りたいと思われる方は、「12年目コラム」で掲載した「愛の実践」を参照してください。
(補足2)個人の体験や思想が、人に与えることのできるものの中でもっとも価値があるということに関して、これは様々なところで実証できます。学問、思想、文学などの歴史を見ればいいでしょう。現代の日本だと、例えば、戦争の語り部さんたちを見れば、このことが理解できるでしょう。

(文責:寺戸順司)