<1-2A>「より善く」いきること

<1-2A>より善く生きること

(より善く生きること)
「それから次のことも考えなおしてくれたまえ、一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることであるというわれわれの主張には今でも変わりがないかどうかを」(補足1)
 二千数百年前にソクラテスがクリトンに放った問いかけです。ただ単に生きているということではなく、より善く(良く)生きているかどうか、より善を目指しているかどうか、そこが肝要だということであります。
 この命題は以後のあらゆる学問の礎となっているものと私は考えています。どの学問分野であれ、どんな理論であれ、あるいはどのような発明品であれ、根本には我々の生をより良いものにしたいという願いが含まれているものだと思います。
 ただ、「より善く」は何をもって「善い」と考えるかで、学問の方向が異なってくると言えます。「より善く」とは「より善い思想を持つこと」と考える人は思想家になるでしょう。また、「より善く生きる」とは「自然を克服することにある」と考える人たちは自然科学に進むことでしょう。(補足2)
 私は、個人的には、「より善く生きる」とは「内面を善くすること」だと考えています。だから心理学や精神分析学に惹かれてしまうのでしょう。もちろん、その他の学問分野の価値を認めないという意味ではありません。

(内面)
 私の述べる事柄にはしばしば「内面」とか「外的な事柄」といった区別が出てきます。今後も出てくるでしょう。この区別は大事なことです。
 21世紀に生きる私たちは、昔の人たちに比べれば、便利で快適な生活を送っていると言えるでしょう。でも、この便利さとか快適さと呼ばれているものは、すべて外的な事柄、自分の外側の出来事なのです。外的な部分で快適であっても、私たちの内面が快適になるとは言えず、時には、両者を混同してしまう人もおられるように個人的に感じています。
 たくさんの便利なツールに囲まれていながら、何一つとして生きがいになるような対象を持てず、生涯かけて取り組もうという価値あるテーマを得られることのない人たちの何と多いことでしょうか。つまり、「ただ生きているだけ」と呼べるような人のなんと多いことでしょうか。そういう人たちがとても多くなったという印象を受けるのは私だけでしょうか。(補足3)
  この人たちは慢性的に人生上の困難を抱えているのです。それが大きな問題となって迫って来た時、初めて自分が生の困難を抱えながら生きていたということに気付く例もけっこう私は見聞しています。
慢性的に緩やかな困難を経験しているのですが、それをごまかす手段に私たちは事欠かないのです。例えばゲームであったり娯楽であったり、時には依存症のようになったり、いじめやパワハラとかネット中傷に明け暮れたり、そういうことをしていれば自分の困難に目を向けることもなく、それに取り組むより遥かに安易なのです。
 そこにはただ生きているという生の様式が共通して見られるように思います。その様式において大切なことは、無限に続くかと思われる人生の時間を潰してくれる何かがあるということ、自分から目をそらすための十分な資源があるということなのです。そして、それにしがみつかなければいられなくなるのです。そうでなければ自分自身や自分の抱えている困難を直視してしまうからなのです。(補足4)
 そうして、ある意味ではとても安全な生き方をしているとは言えるのですが、それはその人の生を蝕んでいくことになるのです。気付いた時には、自分がいかに空虚であるか、人生を不毛にしてきたかに愕然とされるのです。カウンセラーとして仕事をしてきて、どれほどそういう人たちに出会ったことでしょう。

(内面から離れるほど自分が分からなくなる)
 つまり、幸福とか生きがいとか、充実感、充足感、といった事柄は、すべて私たちの内面に関わるものであって、決して外的な問題ではないということなのです。同じように、不幸、悲哀、虚無感、不満足感、不安といった事柄も、すべて内面に関係することなのです。
 共感とか理解とか、あるいは人間関係や過去の記憶なども、同様に私たちの内面に属する事態なのです。
 あまり心理主義(補足5)に陥らないように注意しなければなりませんが、それでも私たちが経験することにはすべて心の問題、個人の内面の部分が関わっていると私は考えます。この内面を切り離したり、無視したりするので、そこから各種の生きづらさも生じてくると私は考えています(補足6)。
 現代の私たちに要請されるのは、自分の内面にもっと触れることであると、私はそのように感じています。内面を置き去りにすればするほど、私たちは自分が分からなくなるのです。
 自分の内面に目を向け、それに触れ、新たな理解を得ること、それをカウンセリングという作業を通して達成していくこと、私はそのように考えております。


(補足)
 (補足1)ソクラテスの引用は「クリトン」より。『ソクラテスの弁明・クリトン』(プラトン著)岩波文庫p74を参照しました。
 (補足2)同様の見解はE・シンガー『心理療法の鍵概念』(誠信書房)でも展開されています。「現代物理学や現代科学は、もともと、人間の運命を改善したいという願望から発したものであった。(中略)現代心理学も同様の起源を持っている」(p2)
 (補足3)古いところではD・リースマンの言う「外向志向型」のパーソナリティ(『孤独な群衆』)に近いと私は考えています 
 (補足4)『われわれ自身のなかのヒトラー』(みすず書房)にて、著者のピカートは内的関連性を失った人間の姿として同様のタイプの人たちを取り上げています。私も大いに学ばせてもらいました。また、パスカル『パンセ』においても、人がいかに自分自身を見ないためにゲームなどに興じるかといった考察を随所で述べています。
 (補足5)心理主義とは、あらゆる現象を心理ないしは心理学に還元する思想を指して言われる言葉です。
 (補足6)こうした見解は昔から言われてきたことで、何も特別なことではありません。社会学的な方向を持った研究でよくみられる見解です。エーリック・フロムやロロ・メイなどの優れた著述が残されていますので、興味のある方は調べられるとよろしいでしょう。

(文責:寺戸順司)