<11-3G>ギャンブル依存の治療論(2)

<11-3G>ギャンブル依存の治療論(2)

(治癒と活動の同時進行)
 ところで、(図2)のように書くと、あたかも2段階で進んでいくという印象を与えてしまうかもしれません。しばしばクライアント自身もそのようにお考えになられるのです。最初にギャンブルを止めて、そこから新しい生に踏み出すのだ、と。そういう2段階で考えてしまうのです。
 しかし、現実に「治って」いくクライアントは(これはギャンブル依存に関わらず、その他の問題においても該当することなのですが)、この二つの軸を同時進行させるのです。
 このことを図示すると(図3)のようになるでしょうか。

(図3)

 

 この図における紫色の線が「治る」人の辿る道なのです。
 図では赤線の左端から紫線が分岐していますが、赤線の途中から分岐することもあります。しかし、「治る」人は、割と早い段階で(時には初回の時点で)この紫色の線の方向へ踏み出すのです。
 なぜギャンブルを止めるということと新生とが同時進行するかということですが、これは特に難しい問題ではありません。彼らがギャンブルを止めていくと、相対的に何か新しいこと(かつてやっていたことを再開することも含めて)を始めざるを得なくなるからです。そこで始めたことが、その人をして次の生き方へと推し進めていくのです。
 つまり、治癒が活動を促進し、活動がまた治癒を促進するという関係があるわけです。

(ギャンブルを止めてみる)
 さて、赤線から青線に2段階で進むのと、紫色の線で進むのと、結果的には同じではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。到達地点が同じなら、そう考えることもできるでしょう。
 しかし、今、仮に赤線の左端から「治療」を開始した二人のクライアントがいるとしましょう。一定期間を過ぎた時、両者はまったく違ったところに位置していることになります。これを敢えて図示すると、(図4)のようになるでしょう。

(図4)

 同じだけの距離を進んだとしても、赤線上にいる人はいまだにギャンブルの世界に踏みとどまっているのです。紫の線上にある人は、すでにギャンブルの世界から遠ざかっていることになります。ここは大きな違いがあります。
 ここで先ほど後回しにした話題を取り上げることにしましょう。ギャンブル問題に取り組めるようになったら、私はクライアントに「ギャンブルをしないで過ごす」ということをお願いするのです。「それができればこんな所に来ていないわ」と反論する人もあるのですが、それでも止めてみる、ギャンブルなしの日を過ごしてみるということをやってもらうのです。一日でも数日でも、一週間でもいいので、その人からギャンブルを除去してみたいのです。
 この指示の眼目は、ギャンブルがなくなった時、この人に何が起こり、どういう方向に進み始めるかを見極めることにあります。少しでも紫線の方向に踏み出すか、赤線に留まり続けるかを確認したいからであります。
 赤線に留まり続けるとは、ギャンブルのことで頭が占められているのに、体だけ家に縛り付けているといった状態であります。紫線に進むとは、ギャンブル以外の何らかの活動が生まれるということです。もちろん、その人がどういう活動をするか、どういう内容のことをするかといったことも「治療」には関係し、注目しなければならない部分なのですが、ここでは詳細に踏み込まないでおきます。
 要するに、ギャンブルを中止してみて、この人が活動を生み出すことのできる人であるのか、それとも無力に留まり続ける人であるのかを私は確認したいわけであります。自発性とか主体性がどの程度その人に残されているのかを見たいのであります。 
 もし、何かの活動が生まれるようであれば、この人には「回復」の見込みが私には感じられるのです。無活動であれば「先が思いやられる」と私は感じてしまうのです。と言うのは、後者は「治療」から脱落していく可能性が高くなるからです。それもそのはずで、この人にとっては「治療」とは単に苦行でしかなくなるからです。
 活動が生まれる人にとっては、その活動をさらに有意義なものへと高めていくことを目指すことができるのです。自発性や主体性をさらに発揮するという方向に進むことができるのです。無活動の人にとっては、何らかの活動をまずは実行してみるということが課題となってきます。自発性や主体性を育てていくということから始めなければならなくなるのです。つまり、ギャンブルを止めてみて、その人がどのようになるかによって、今後のテーマが違ってくるわけであります。そして、これはその人からギャンブルを一旦取り去ってみないことには分からないものなのです。
 もう一つ追記しておくと、ギャンブルを必要としている動機とか感情を無視して、ギャンブルだけを取り上げることは好ましくないと私は考えています。しかし、その動機や感情は、一旦その人からギャンブルを取り去ってみないと分からないこともあるのです。もし、それらの動機や感情が意識化されるようになれば、これは当人にとっては辛い体験となるのですが、それでも私たちは一歩前進できたのです。私たちはギャンブルそのものではなく、それを求める動機を俎上に乗せることができるのです。

(新生の反対方向)
 ところで、本項では図説を試みました。(図1)から始まり、(図4)まで至りました。軸が一方向足りないということに気づかれたでしょうか。つまり、青線の下向きの矢印が欠けています。これを図示すると次のようになります。

(図5)

 

 青線の上昇が新生とか成長、超越を示しているとすれば、下降線はそれらの後退を表しています。ギャンブルを止めた途端に幼児のように無力になったりするなどであります。現在よりも退行するわけであり、これは「廃人」の方向であると私は仮定しています。

(要約)
 以上、おおまかではありますが、ギャンブル依存の「治療」について私の見解を述べてきました。簡潔に振り返っておきましょう。
 まず、「治療」よりも先に「治療」を続ける計画を立てること、生活を再建すること。これを最初に確立しなければならないことを述べました。
 次にギャンブルを止めるという目標を共有することによって、共同作業を推進していくこと。
 そこで、一時的にギャンブルを止めてみるという課題をしていきます。
 ギャンブルを止めてみて何が起きるかを確認し、次の目標なりテーマなりを生み出していくのです。
 それ以後は個人差があり、あまり一概に言えない部分もあります。「心の治療」というのは、入り口は限られていても、出口は無数にあるからです。
「治療」は山あり谷ありの経験であります。初めから成功する人なんていないでしょうし、大部分の人が「禁ギャンブル」を守ることに失敗し、幾度と無く右往左往し、試行錯誤するものです。
 次項において、「禁ギャンブル」が守れなかった場合に関して述べることにします。それで本節を一旦終えることにします。
 次節では「ギャンブル依存の心理と生」と題して、ギャンブルに関して私の見解を述べることにします。
 
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)