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親子関係と家族(2)

親子関係と家族(2)―INDEX

<テーマ144>「自称AC」と母親






<テーマ144>「自称AC」と母親

(144―1)AC理論について
 ACとはアダルト・チルドレンのことです。「自称AC」というのは、当人が自ら「自分はACだ」と宣言するか、それを仄めかす言動をしている人のことを指します。
 一時期、私は「自称AC」とその母親の方々と頻繁にお会いしました。それで、旧サイト版で「自称AC」について書いたところ、ぱったりとそういう人たちが来なくなったのです。これはいかにも彼ららしいという感じがしないでもありません。
 それはともかく、旧サイト版をご存知の方であれば、これから私が書こうとしていることを既に知っておられるかと思います。新たに付加するような事柄もあまりないので、前にも読んだとおっしゃられる方は素通りしていただければけっこうであります。
 ACというのは、心理学者や福祉関係の人たちの間で生まれた言葉だそうです。もともとはアルコール依存症の親に育てられた子供を指して述べた言葉だったと記憶しています。そういう親は、親自身も大人になれていないので、親の機能を果たせないのです。そういう家庭で育った子供もまた大人になれないでいるということなのです。
 この理論はそれなりに正しい側面を含んでいると私は思います。ところが、問題は、その理論の正しさではなく、その理論がどのように利用されているかにあるのです。本項は、それに関しての私なりの見解を述べていくことにします。

(144―2)母親を送り込む
 ある時、一人の母親からカウンセリングの依頼がありました。私はその母親とお会いします。どうしてカウンセリングを受けようと思われたのかを尋ねますと、母親は「娘が受けに行ってと頼むもので」とお答えになられるのです。
 一時期、こういう母親とよくお会いしました。不思議なことに、母親をカウンセリングに送り込むのは娘なのでした。息子に頼まれたという例は、私の経験した範囲では、一度もありませんでした。
 娘にカウンセリングを受けに行くように頼まれて、それで実費で受けに来られているのですから、なかなか良い母親だと思うのです。正直に言えば、良すぎるくらいの母親だと私は思っています。
 私は、それで娘さんはお母さんにどういうことを期待しているのでしょうかと、尋ねます。実は、この問いを発せられると、こういう母親は困惑されるのです。娘が何を期待しているのかよく分からないでいて、娘がカウンセリングを受けてくれと頼むから、取り敢えず受けてみるという母親が多かったように思います。
 ここで、例えば、この母親は自分の娘の期待しているところのものを察する能力に欠けているのだという指摘も可能でしょう。ただ、私はそれは間違っていることの方が多いと思います。
 子供の期待を感知する能力には当然個人差があるでしょう。敏感な親もあれば鈍感な親もあるでしょう。鈍感だからと言って、その親が悪いことをしているということにはならないと私は考えます。
 それに、自称ACの娘さんが母親をカウンセリングに送り込む時、自分の期待を明確に述べていないことの方が多いのです。中には、実際に娘に何を期待しているのかを尋ねたという母親もおられまして、その時の娘さんの返答は「そんなん、カウンセラーの先生から聞いて」というものだったそうです。
 こういう形でお会いした母親の半数以上が、娘からある本を読むように言われています。その本は100パーセント「毒になる親」という本でした。私が思うに、これは一番の悪書だなということです。
 ここには良すぎるくらい良い母親が多いので、その本を読みましたかと尋ねると、間違いなく読んだと答えられるのです。
 そして、読んでみていかがでしたかと尋ねますと、何だかよく分からないという答えが返ってくることが度々ありました。
 つまり、あの本は、子供の立場の人が読むと、自分にとてもよくあてはまり、自分の親はまさにそういう人だと感じられるようです。でも、親が読むと、そこに自分のことが書いてあるとはとても思えない内容であるということなのです。
 中には、あの子から見ると、私ってそんなにひどい親なのかしらと嘆いておられる母親もありました。お会いして、とても痛々しい思いがします。恐らく、そんな風に反省されている母親は「毒になる親」とは無縁な母親なのでしょう。
 ところで、問題はその本にあるのではなく、娘さんが何かを主張する代わりに、その本を読めと強要しているという点であります。この娘たちは自分の期待を言わないのです。その代りに、カウンセリングを受けてとか、カウンセラーに聞いてとか、この本を読んでと母親に要求しているのです。一言も発しないで相手に何かを察して欲しいと願うのは、実は甘えの一つであり、それも甘えの典型的な構造なのです。
 せっかく母親も足を運んでいただいているので、私は一時間面接をします。いろいろと娘さんとの関係なども聞いていきます。そして、娘さんからもお話をお伺いしたいと思いますので、娘さんに足を運んでみるようにお願いしていただけませんかと、私は母親に頼みます。母親がそれを娘に伝えているかどうかは定かではないのですが、それでカウンセリングを受けに来られた娘さんというのは、私の経験では、一人もありませんでした。自称ACとはそういうものなのです。

(144―3)母親を変えて欲しいと願う
 上に記述したのは、自称ACの娘が母親をカウンセリングの場に送り込んでくるという例でした。娘は母親を理想の母親にするために、カウンセラーを当てにしているのだと思います。その気持ちが分からなくもないのですが、その当人は決して姿を現すことがありません。私は姿を見せない人のために仕事をする気はまったくありません。
 そうした母親を送り込む娘さんだけでなく、わざわざ母親を連れてくるという娘さんもおられました。そこで母親をカウンセリングに同席させるのです。そういう母娘と何組もお会いした経験があります。
大抵、娘さんの方は20代前半から中頃のいい年齢の娘さんたちでした。その娘さんたちが、カウンセリングを受けるということで母親を伴って来談されているわけなのです。
 娘さんに、このカウンセリングで何を期待しているのかと私は尋ねます。彼女たちは、例えば自分の言い分を母親に伝えて欲しいとか、母親がどれだけひどい人であるかを証明してほしいとか、いろいろ述べられます。私はその期待には応えられないかもしれませんよとお伝えすることにします。
 それで、お話を二人から伺うのですが、話されるのは娘の方です。もっぱら自分がこの母から何をされたとかどういうことを言われたとかを訴え続けます。
 ここには、はっきり言えば、大きな温度差が感じられます。娘の方が熱くなればなるほど、母親の方は冷淡にと言いますか、淡泊になって、冷めていかれるのです。これは母親の性格が冷たいという意味でなく、仮にそういう場合があったとしても、娘に付き合わされていることの不快感の方が全面的に出ている可能性もあるでしょう。
 そして、まず、こういう形でのカウンセリングは誰の利益にもならないというのが私の結論なのです。娘は母に分からせようとします。母はそれが自分の理解の範囲を超えているか、不快感のために分かる気がしないで終わるのです。それで、自分に味方をしなかったと言って私に八つ当たりしてお帰りになられる娘さんもおられました。
 ACというのは、自分を変えていく代わりに親を変えたがる人たちのことだと、私は自分の経験からそう考えています。そして、親を変えるために、カウンセラーなどの専門家を利用する人たちだと捉えています。これは言葉がきついと認めますが、私はそういう娘さんたちに「操作」されているかのような錯覚に陥ることも多々ありました。
もし、こうした娘さんたちが自分を変えていくためにカウンセリングを受けるというのであれば、私は喜んでお引き受けしたいと願うのですが、母親だけを送り込んだり、一緒になって母親を攻撃してくれという依頼は、できれば引き受けたくないのです。
 おそらく、AC理論を信奉されている方々からすれば、私の述べていることに対して相当怒りを感じられるかと思います。こんなカウンセラーは全然わかっちゃいないと思われることでしょう。
 しかしながら、私がお会いした母親たちというのは、そんなに問題があるようにも見えないのです。アルコールやギャンブルに依存しているとか、性格が破たんしているとか、生活能力がないとか、そうした人たちではなかったのです。むしろ、娘に根気よく付き合っているいい母親だという印象さえ私は受けるのです。

(144―4)人はACになっていく
 誤解のないように申し上げておかなければなりません。この娘さんたちは、何かひどく挫折したり、失望したりした体験を有しておられ、当人はとても苦しんでおられるのです。
 そして、自分がなぜこんなに苦しむのか、どうしてそこから立ち直れないのかということで非常に悩まれるのです。それでいろいろ調べたりされるようです。
 ある時、アダルト・チルドレンのことをどこかで知るのです。そこに書いてあることが自分にぴったり当てはまるかのように体験されるのです。そこに自分のすべての答えがあるかのように感じられるようです。
 でも、ここは注意が必要なのです。これは、自分のことをピタリと当てられたというだけでその占い師を全面的に信用してしまうというのと同じ現象が生じていると私は考えています。そして、しばしば人はその占い師から抜け出られなくなってしまうのです。
 AC理論というのは、ある意味ではすべての人に該当してしまうのです。私たちは誰一人として完全な親というものを経験していないのです。親もまた人間であり、至らない部分や病んでいる部分もあるでしょう。人間が完全な存在でないが故に、私たちは不完全な親に育てられなくてはならないのです。
 そうして、苦しんでいる娘さんにとって、AC理論は限りない魅力を放っているように映ることでしょう。そこにはいくつもの素晴らしい事柄が書かれています。「共依存」だの「機能不全家族」など、きらびやかな専門用語に満ちています。
 こうして、その人は一つの結論に行き着くのです。私がこんなに苦しくて、こんな風になってしまったのは、親に問題があったからだと。これは、私には幻想のようなものに思われるのです。そして、私が良くなるためには親を変えなくてはならないというもう一つの幻想、それは通常児童期から青年期において放棄されることになる幻想なのですが、を再燃させてしまっているのだろうと思います。
 従って、多くの人はACではないのです。ACではなかった人がACになっていくのです。その幻想を実現しようとして、その人はさらにACになっていき、ACから抜け出せないのだと私は考えています。
 私はAC理論に対していささか懐疑的でありますので、AC理論を信奉されている方々に対してはとても厳しい内容になってしまったかと危惧しております。でも、20代の若くて魅力的な娘さんが、恋愛や結婚、仕事や家庭も放棄して、小さな女の子のように理想的な母親を手に入れるために懸命になっている姿は、見ていて本当に痛々しい思いがするのです。

(文責:寺戸順司)