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「うつ病」について(4)

「うつ病」について(4)―INDEX

<テーマ83> 「抑うつ前駆症状」(4)~集中困難

<テーマ91> 「抑うつ前駆症状」(5)~行動化
<テーマ92> 「抑うつ前駆症状」(6)~接近と回避




<テーマ83> 「抑うつ前駆症状」(4)~集中困難

 冬になると風邪をひかれる方も多いかと思います。
 私たちは風の「初期症状」をそれなりに把握できるのではないかと思います。「ちょっと風邪気味だ」ということが自分でも分かるかと思います。そして早めに対策を立てられるのではないでしょうか。
 結果的に風邪で寝込んだとしても、放置していたら一週間は寝込んでいたかもしれないような風邪が、三日寝込んだだけで回復したのだとすれば、その処置は十分成功したものとみなしてよろしいかと思います。
 予防という観点からしても、それは十分意味があることだと私はみなしております。
 風邪の場合、その「初期症状」と「本症状」とは直線的につながるものが多いと思います。
 でも、「うつ病」においては、それが直線的につながらないことが多いので、その「前駆症状」が見過ごされやすいのではないかと私は思います。
 しかし、本項で挙げる「集中困難」という「抑うつ前駆症状」は、比較的、「本症状」と結びつきやすいものではないかと思います。
 
 前回までと同様、まずウェイナーの記述から始めましょう
『集中困難は障害をもった青年における抑うつ代理症として特に重要なものである。というのは、それが若者が援助を求める主要なあるいは唯一の症状であるということが多いからである。集中困難はしばしば学業不振と関連して記載される。たとえば青年はどんなに勤勉であっても、またどんなに長時間学習したとしても、まさに情報を吸収しあるいは記憶することができないことだけがよく訴えられる。うつ病の成人ではこのような集中困難は一般的な無気力あるは心身違和感へのとらわれにおいて普通みられる。しかし、青年前期のうつ病者は集中の問題性を理解できず、潜在性うつ病はただ集中困難の事実からのみ推測されるのである。』

 前項の「疲労感」と「身体的訴え」が成人の「うつ病治療」の入り口であるとすれば、「集中困難」は青年期の「うつ病治療」の入り口になるということをウェイナーは述べています。なるほどと私も頷ける思いがします。
 しかし、このような「集中困難」は成人の「うつ病」においてもよく訴えられる事柄であります。
 この「集中困難」の特徴は、ただ注意が集中できないとか、持続しないとか、注意が散漫になるということにあるのではなくて、新しいことを吸収したり記憶することが困難であるという点にあるかと思います。
 転職を機に「うつ病」に陥ったある男性は、新しい職場の規則や同僚、雰囲気にどうしても馴染めずにいました。
 この馴染めずにいたという感覚は、新規の事柄を吸収し記憶することの困難さを意味していたのではなかったかと私は受け止めました。例えば、もちろん大勢の人の顔と名前を一度に覚えるということはどの人にとっても困難な作業でありますが、毎日顔を合わせる人、隣や向かいの席に座っている同僚の名前さえ、何日かかっても覚えることができなかったと彼は語りました。
 同僚と会話する時、彼は自分が彼らの名前を覚えていないということが悟られないように振る舞わなければならなかったと語りました。
 このような体験をされた時、彼は「記憶力が落ちた」と初めのうちは考えておられました。このように考えてしまうことは、ごく一般的なものだと思います。そして、それが「うつ病」かもしれないという可能性に至らないのが通常よく観察されるパターンではないかと私は思います。

 ウェイナーによると、青年期においては、この「集中困難」が学業不振に結びつき、それを契機に青年は援助を求めることになるということであります。
 しかしながら、成人の場合においても、それは「業績不振」として生じ、それが援助の契機となることもよく起きることであります。
 一つ注意しておかなければならないことは、ここで述べているのは主に次のような場合のことであります。それはこの「業績不振」は、それまで業績を上げていた人が急激に業績を上げることができなくなったという形を取るということであります。
 変な表現かと思いますが、もともと「業績不振」だという人の場合は、もっと別の問題を抱えていると見る方が適切であります。
 なぜそのように考えているかと申しますと、「うつ病」を体験している人の「上昇と下降」が、成績や業績に反映されているためであると私は見ているからであります。従って、成績や業績の急な落ち込みは、その人自身の急激な落ち込みのサインのようなものかもしれないと私は思うのです。
 これはある意味で当然なのかもしれないのですが、「うつ病」に陥る前に、このような業績不振に落ち込んだ経験があると述べた人は男性がほとんどでした。
 「うつ病」と診断された女性で、尚且つ会社勤めをされている場合においては、業績の低下ということよりも、別の点でこういうことが見られる例が多いように私は思います。
 例えば、先述の男性のように同僚の名前がどうしても覚えられないとか、新しい機器の操作や名称が覚えられないとか、女性の場合、そうした部分で「集中困難」さが現れているという印象を私は受けています。
 会社の中でのちょっとしたルール変更に困難を覚えた女性クライアントもいました。書類の置き場所が引き出しから棚に変わるといった程度の変更でさえ、彼女は覚えるのが困難だったのであります。
 それは周囲の人からすると、「ミスが多くなった」というように見えるかと思います。男性は「業績低下」という形で、女性は「ミスが多くなった」という形で、「うつ前駆症状」の「集中困難」が現れることが多いように私は思います。
 もちろん、この区別は絶対的なものではありませんので、相対的にそのような傾向がよく見られるようであるということであります。

(文責:寺戸順司)






<テーマ91> 「抑うつ前駆症状」~行動化 

「抑うつ前駆症状」の4つ目は、「行動化」ということであります。前回までと同様、まずはウェイナーがどのように述べているかを見てみましょう。

 ウェイナーの記述は次のようなものであります。
『多くの場合、行動化による行為―かんしゃく、逃走、種々の犯行、謀反、反社会的行為、非行など―は、愛されない、不十分な、価値のない人間という自分自身の根底にある観念に支配されることに対する青年期の若者の防衛である。古い諺にいわれる「何も考えずに一生懸命やれ」のように考えず行動するだけでなく、行動それ自体も、その行動が危険で、あるいは利用可能な範囲まで、若者は強く勇敢で有能な人間としての自己像を拡大しようとするであろう。(以下、省略。うつ病を避けるために攻撃的行動を利用すること。親や近親者の死後に反社会的行動が見られることを述べている)』

 自分が愛されないとか、不十分であるとか、価値がないといった観念に支配されることに対して、それを防衛するために行動化が生じるということでありまして、青年期ではしばしばその行動が激しいものであったり、危険なものであったり、時には反社会的な行動を取るということであります。
 そうして自己像を、実際に彼が体験している以上のものにしようと試みるということであります。
 成人の場合はどうでしょうか。あまり激しい行動化や反社会的な行動化をする人は少ないかもしれません。
「うつ病」と診断されるような人はしばしば善良な人が多いので、現実にそのような行動を取ることは彼の良心が許さないのではないかと思います。しかし、「うつ状態」や「うつ症状」に関しては、時にそのような激しい行動化をする人も見かけるのであります。

 成人の「うつ病」の行動化で、ウェイナーの挙げている項目の中で該当するのは、「逃走」ではないかと思います。かんしゃくや謀反、反社会的行為、非行といった事柄は、年齢が増していくほど見られなくなるものであると私は捉えております。
 この「逃走」はしばしば「出社拒否」という形を取ったりするのであります。
 私の経験した例では、ある朝、急に行けなくなるという形を取ることが多いようであります。本人はいつものように出勤しようとするのですが、どうしても体がついていかない感じがするようであります。
 しかしながら、「出社拒否」ということは、「抑うつ前駆症状」とはもはや見做すことができないかもしれないのです。「抑うつ」のかなり「本症状」に近い状態であると私は捉えております。
 ある「出社拒否」に陥った若い男性は、その何か月も以前に、仕事上で失敗をしてしまっていたのでした。
 失敗そのものはそれほど大きなものではなかったようでありますし、それの処理も既に終わっていたのですが、彼はそれ以来、自分が碌に仕事もできない人間なのだという観念に襲われ続けていたようであります。
 それでもなんとかして名誉挽回とばかりに頑張ろうとしていたのでしたが、どうしても彼の納得のいく仕事はできないのでありました。
 恐らく、周囲の人たちから見れば、彼は十分すぎるほどの仕事をしていたのだろうとは思います。ただ、彼自身が納得いかないのでした。そして、自分の犯した失敗の埋め合わせができていないという気持ちのまま、彼は仕事を続けていたのでしたが、これは彼個人の中で生じていた、あくまでも個人的な感情でありました。
 失敗そのものはそれほど大きな失敗ではなかったし、その程度の失敗をしでかしてしまった人は同僚にも何人かおられたようであります。従って、周囲の同僚も彼の上司も、彼がしでかした失敗に関しては、もはや気にしていなかった可能性が高かったのですが、彼はそのような失敗をしてしまう自分がどうしても許されないのでした。
 この失敗は、彼の自尊心を木端微塵にしたのです。彼はそれを回復することもできないまま、この「出社拒否」状態に陥ったわけであります。
 彼は「うつ病」と診断され、休養を取ることが許されていました。
 しかしながら、自分が「うつ病」と診断されたことは彼にとっては屈辱的な体験だったようでした。また、そのために休養しなければならないということは、ますます自尊感情を回復できないように思えたのです。つまりますます自信を失くしていったのです。 
 そのような背景もあって、彼は休養もできず、回復までに長い時間を費やしてしまったのでした。

 成人の「行動化」は、しばしば嗜好品の増加として見られることが多いように思います。
 お酒やタバコの量が増えたとか、喫茶店に入る回数が増えたといったような形で見られることが多いように思います。
 また、インターネットやゲームなどに長時間耽るというような「行動化」も見られるようであります。
 これらを「行動化」と見做すかどうかに関しては、異論もあるかと思います。
 むしろ、それ以外の行動が抑制されていると見做すべきかもしれません。どちらかといえば単調な活動に従事し、その人の活動がそれに限定されてしまうという感じであります。
 その活動をしている当人は決して、その活動から喜びも満足を得ていないだろうとは思います。しかし、それをするしかないのではないかと思います。

「抑うつ前駆症状」の「行動化」はしばしば厄介な現象であります。
 なぜなら、「うつ病」とは「行動が抑制され」て「行動できない病気」であると考えられているからであります。実際、私もそのように表現しました。
 そのため、このような「行動化」が「うつ病」とはなかなかすぐには結びつかないのではないかと思います。当人も周囲の人もそれを見過ごしてしまうか、見誤ってしまうかしてしまうことが多いのではないかと私は個人的に思います。
 反抗的であったり、非行に走っている若者に「うつ病」の可能性を考えることが容易でしょうか。その行動を支配している観念、感情を知らない限り「うつ病」を疑うことは難しいと私は思います。
 しかも、その観念なり感情なりということは、当人にしか分からないことであり、当人の報告に依らなければならないのであります。周囲の人が外側から見ている限りにおいて、その「行動化」が「抑うつ前駆症状」であるかどうかは分からないのではないかと思います。
 この行動化は、「自閉的活動性」を帯びるものであると私は捉えております。「自閉的活動性」という概念を、私はミンコフスキーの「精神分裂病」(みすず書房)から借用しております。
「自閉的活動性」に関しては、項を改めて述べたいと思います。今、簡単に述べておきますと、「自閉的活動」というのは、その活動が、その人に喜びや満足をもたらすことがなく、何も達成しないし、それどころか達成されるかどうかは問題ではなくなっていたりします。
 その活動は他者とは接触しないものであり、どちらかと言うと他者は無関係であり、自己没頭的で、その意味において「自閉的」なのであります。生命感情に基づいた行動ではなく、分かりやすく述べれば、時間つぶしのような活動を一人で延々としているといった人をイメージされるとよろしいでしょう。
「うつ病」とは反対に、「躁病」の人は活動過多になるのですが、「躁病」の活動性もすべて「自閉的活動」であると述べても過言ではないと私は個人的に考えております。

 他にも様々な「行動化」の形があり得ることだとは思います。どのような「行動化」があるかということは、調べてみれば興味ある研究になるかもしれませんが、あまり有益なものはもたらさないでしょう。
 肝心なのは、その「行動化」を生み出している感情や観念の方であります。
 ウェイナーの記述のように、自分が無価値であるとか、何の役にも立っていないとか、愛されていない、必要とされていないといった感情(「低い自尊感情」などと呼ばれるものであります)に注目しなければならないことなのであります。

(文責:寺戸順司)





<テーマ92>「抑うつ前駆症状」(6)~接近と回避 

「抑うつ前駆症状」として述べてきましたが、これが最後の症候であります。今回は「他者への接近と回避」ということであります。いつものようにウェイナーの記述から始めることにします。

 このことに関するウェイナーの記述は若干長い物ですが、そのまま引用してみましょう。
『伝統的なうつ病の症状を現さない青年における潜在性うつ病の最後の手掛かりは、人間への過剰な接近あるいは逃避である。他者への接近はすでに述べた孤独への恐れにおいてよくみられ、その中で、多くのうつ病の若者によって感じられた圧倒的な孤立の感覚は恒常的な友好関係への要求をつくり出す。たとえば基底にある愛されていない、求められていないという感情を避けようとする緊急の必要性は、青年を無差別な性的行動に走らせる。そしてその中で、関心と情愛を示す他の人間との親密な身体的接触は、いかなる理由でも大きな満足を与えるものである。
『うつ病の青年は見捨てられ無価値であるという感情のために、人に接近するよりしばしば人を避けようとする。抑うつ代理症としての逃避は、普通、人間関係への関心を抑制する伝統的な抑うつ的無気力と関連せず、また精神分裂病的ひきこもりによる制限された社会的能力とも関連していない。むしろうつ病の青年は、彼が人から見はなされはねつけられていると感じる思いを回避するために、一次的に人々を避けているのである。
『(略。関心を他者から引き離して、それを動物に向けること。動物を愛の対象として選び、世話されている動物との同一化を通して、満たされない依存欲求を代わりに満たすこと、が述べられている)』

 他者への接近と回避は成人においてもしばしば確認されることであります。ただ青年のように性的行動に走ることはそれほど多くないかもしれません。
 また、一人の人に接近と回避が同時に見られるということも起こります。
 ある男性は、「うつ病」と診断される以前に、妻に甘えることが多くなって、妻から煙たがられたという話をしました。
 その一方で、賑やかな場所や人が集まるような行事を避けるようになっていました。彼は、以前は大勢の人の中にいることが何一つ苦痛ではなかったのに、ある時期から、そういう場面が耐えられなくなってきたのだと語りました。
 彼の場合、人間関係が苦痛だったとかいうことではなくて、自分以外の人たちがみんな自分よりも有能で優れているというように感じるようになったのでした。
 従って、人の集まる場所に出向くということは、彼の視点に立てば、自分が一番最低の人間であるということを思い知らされてしまう体験となってしまっていたのでした。
 人が集まる場所において、彼は自分が価値のない、ダメな人間だと感じてしまうのでありました。その感じは、彼を孤立へと追い込むことになっていたのであります。
 しかし、彼はこの孤立感には耐えられず、その分、妻に対しては接触行動が増えたのではないかと思います。
 この妻は、彼にとっては唯一彼に苦痛を与えない存在だったのですが、残念なことに、彼女は彼の「うつ病」がなかなか理解できなかったのでした。そのために、彼は長い間、孤立感と低い自己価値観を抱えながら、誰にもすがりつくこともできず、苦悩されていたようでした。
 彼の「うつ病」がかなり悪化して、妻は初めて夫が「病気」だったのだと知ったのでした。

「うつ病」と診断されたある男性クライアントは、自分が「うつ病」だということがどうしても腑に落ちないと感じていました。
 確かに彼には抑うつ的な気分に支配されていましたし、そこだけ着目してみれば、「うつ病」という診断は頷けるのです。それでも彼は自分が「うつ病」であるとは完全には信じられないのでした。
 私は「なぜそう思うのですか」と尋ねてみました。彼は「うつ病だったら、性欲が抑制されるものでしょう。でも私はそんなことなくて、今までよりも性欲が高まっている」から「うつ病」ではないのだという説明をされました。
 なるほど、「うつ病」の臨床像を紐解いてみますと、確かにその症候の一つとして「性欲減退」ということが挙げられています。
 私は「診断項目に挙げられていることがすべて生じるわけでもないのですよ」と押さえておいて、その上で「性欲が高まるというのはどんな感じだったのですか」と尋ねてみました。
 彼は独身だったので、やたらと自慰をしたり、女性が相手をしてくれるような飲み屋を梯子したりといったことをしていたと答えるのであります。
「性欲というよりも、人と一緒にいたいっていう気持ちの方が強かったのじゃありませんか」と私が尋ねますと、彼は何か思い当たることがあったようでした。
 それをさらに尋ねますと、その頃、彼は会社の後輩(これは男性であります)と飲みに行った時、後輩に帰られるのが嫌で、何とかして引き留めようとしてしまったことが何度もあったと言うのであります。
 彼は性欲だと捉えていたのでしたが、それは純粋な性欲とは言えないもので、むしろ接近欲求が高まっていたのだということがお互いに理解できたのであります。

 私の経験した範囲では、「うつ病」の先駆けとして、接近よりも回避の方がよく見られるという印象があります。
「回避」という言葉が示すほど強くはなくても、他者に対して「一人になりたい」とか「放っておいてほしい」とかいう感情を抱かれることも多いようであります。
 つまり、積極的に「回避」しているわけではないけれども、こうした感情も一つの「回避」行動であるわけです。

 本項では一部省略しましたが、動物との同一視を通して、満たされない依存欲求を満たすということにウェイナーは触れております。
 この動物への関わりということもよく確認されることです。
 実際、「うつ病」と診断された人で、「ペットを飼いたい」と望まれた方もおられましたし、既にペットを飼っているという人も少なからずおられました。
 ある女性はどれだけひどい「うつ状態」を経験していても、ペットの世話だけは欠かしませんでした。
 また、「うつ状態」の真っただ中にあった男性クライアントは、「今の会社を辞めて、動物園で働きたい。動物の飼育をしたい」と呟かれたことがあります。
 このような例を見ていくと、アニマル・セラピーにはそれなりの有効性があるのかもしれません。
 しかしながら、自分の依存欲求に基づいて動物の世話をするということであれば、それが満たされるなりして、飼い主がその状態から抜け出したりした場合には、動物への関心が薄れていくかもしれません。
 しばしば飼い主が最後まで面倒を見ずにペットを見捨ててしまうということが社会問題として取り上げられますが、その背景には案外「うつ病」が潜んでいるのかもしれないと私は思うのであります。

(文責:寺戸順司)






 本ページは以上です。ご読了お疲れ様でした。
 「抑うつ前駆症状」については本ページで終了です。
 「『うつ病』について(5)」ページにて、「うつ病」に関して、新たなテーマで綴っていくことにします。