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カウンセリングの過程(4)

カウンセリングの過程(4)―INDEX

<テーマ79> 初回面接~面接申込用紙
<テーマ84> 初回面接
<テーマ86> 初回面接~問題は何か






<テーマ79> 初回面接~面接申込用紙

 カウンセリングを受けることに決めて、クライアントは予約を取ります。その第1回目の面接のことを初回面接と呼びます。
 初回面接はお互いが初めて顔を合わせる場となります。お互いの紹介から始まるということは普通の人間関係と変わりがありません。ただ、クライアントは「面接申込用紙」に記入していただくことになります。記入していただくのは名前、性別、年齢、住所、連絡先だけであります。この項目について述べておきます。こうした情報を記入することに何の抵抗感もないという人は、この項をとばしていただいても結構であります。

 名前は基本的にフルネームでの記入をお願いしております。これは私が来談された方をどうお呼びしていいかということに関わるので、ぜひとも記入していただかなければなりません。フルネームでお願いしますと言うのは、同姓の方がおられるからであります。
 ほとんどのクライアントはこれに困難を示さないものであります。ただ、ごく一部の人だけが名前を記入するのを拒んだり、苗字だけを書いたりします。あまりにも不安が強い人などに見られる傾向であります。一方、自分の名前に対しての態度は、そのまま自分自身に対しての態度と共通するものがあるように私は思います。

 性別。これは「男」「女」のどちらかに○を付けるだけであります。これも大多数の人にとっては問題になることはありません。
「性同一性障害」の人の場合はどうするのかと言うと、その人の判断に委ねることにしています。体は男性だけど、心は女性だというような人の場合、「女」の方に○をしていただいてよろしいのであります。それに基づいて、私はその人を女性として接するようにします。つまり、本人が○印を付けた方を尊重しようと思っています。

 続いて、年齢ですが、これを拒む人が時々おられまして、私は困るのであります。「心の問題」ということとその人の年齢ということは、実はとても関連があるのであります。実際にお会いすれば、そのクライアントが何歳くらいの人であるかということは予測できるのでありますが、やはり正確な年齢は知っておきたいのであります。ですから、どうかこの項目はご記入いただきたいのであります。
 年齢ということに関して、その年齢に特徴的な問題というものがあるのです。10代の男性が初恋で悩むということと、40代の男性が初恋で悩んでいるということとはまったく意味が異なるのであります。10代の男性においては自然な悩みであっても、40代の男性においては、同じ内容の悩みであっても、かなり不自然な悩みになってしまうのであります。反対に、40代の男性が貧困妄想(職を失って、生活できなくなり、路頭に迷うのではないかといった不安のこと)を訴えることと、10代の男性が貧困妄想を訴えることとは明らかに意味が異なるのであります。
 悩みや「病」には、その年齢層に特徴的に見られるというものがあるわけでありまして、悩みや「病」がその人の年齢に一致しているか不一致であるかということは、その悩みや「病」の意味が異なるというだけでなく、その後の展開においても差が生じることであります。従って、クライアントの年齢ということはとても重要なのであります。年齢を記入していただくこと、それも正直に記入していただくことをお願いする次第であります。

 次に住所ということであります。これを拒む人はさらに多いのであります。個人的にはこの欄はいい加減削除しようかとも考えています。
 クライアントに住所を記入してもらうことには二つの目的と言いますか、理由がありました。一つは、どの地域からから来談してくれる人が多いかということを私が知りたかったからであります。これは広告を出す時などに参照しようと考えていたからであります。もう一つは、その人が住所を持っているかどうかということを知るためでありました。住所があるということは、その人には住む家や部屋があるということであります。それはその人が生活できているかどうかということの目安にもなるのであります。住所を記入してもらうのは、あくまでもその二つの目的、理由のためだけなのであります。しかし、実際にクライアントとお会いして、お話を伺っていますと、自ずとこの二つの事柄がある程度明確になるのであります。
 住所を記入することを拒んだある人は、ここに来ていることを家族に知られたくないからだと、その理由を語りました。私がその人の自宅に訪れたり、何かを送ったりするのではないかと心配されていたようであります。しかし、私はそのようなことはしませんので、どうかご安心していただきたく思います。ただでさえ、私は余計な手間を省きたがっている人間であります。わざわざその人を訪問したり、贈り物をしたりといったことをする暇が私にはないのであります。

 面接申込用紙の最後の欄は、連絡先であります。これはクライアントの電話番号を記入してもらうことになります。これを拒む人は更に多く、拒否率は第1位であります。
 私の方からクライアントに連絡するということはほとんどありません。その点を真っ先に申し上げておきます。また、無理に記入していただいたこともありません。
 しかし、クライアントの連絡先が分からなくて困ったということが過去において二、三回あります。私の都合が悪くなって、予約されているクライアントに予約の変更をお願いしようと思って調べてみると、連絡先が書いてなかったというようなことが生じたのであります。連絡先を記入して欲しいと私が求めるのは、このようなことが生じた時のためなのであります。
 私の所は火曜日が定休日であります。それ以外に臨時休業する日があります。事前に分かっているものに関しては、このHPの「休室日のご案内」で前もって告知するようにしていますし、その日はクライアントの予約を入れないようにできます。しかし、急遽、休まなければならないというようなことが生じた場合には、予約を入れている人たちに対して変更をお願いする義務が私に生じます。そのような時に連絡先が分からないというのが本当に困るのであります。従って、連絡先を記入しなかった人が、予約した日時に訪れて、私の所が閉まっていたとしても、それは自己責任でお願いしたいのであります。過去においては、その事態を避けるために、その時間のためだけに予定を変更して出勤したりしたこともありましたが、できればそのような苦労を減らしたいのであります。
 高槻カウンセリングセンターで独立してから、今年(平成23年)で7年目であります。この7年間で、クライアントの方から連絡をくださいと頼んできた場合を除いて、私の方からクライアントに電話をかけたのは、わずか6名だけでありました。これはかなり少ない数であります。全体の1~2パーセントであります。基本的に、私の方からクライアントに連絡を取るということはほとんどないのだと理解していただいてよろしいかと思います。もちろん、それは今日までの数字でありまして、今後変わる可能性はあり得るかとは思います。ただ、緊急の場合や不測の事態に備えて、やはり連絡先が分かっている方が助かるのであります。

 さて、取り敢えず、面接を受ける人は最初にそのような用紙に、氏名、性別、年齢、住所、連絡先を記入することになるのだということを知っていただければ結構でございます。そして、その各々の項目には記入していただく意味や目的、理由があるのだということを理解していただければ結構であります。私の方は無理強いすることも強制することもできませんので、どれに記入し、どれを拒むかということは、クライアントの責任において、クライアントに一任するつもりでおります。そのために不都合なことが生じたとしても、それはクライアントの自己責任においてお願いする次第であります。

(文責:寺戸順司)






<テーマ84> 初回面接

 クライアントが予約した日時に訪れ、面接申込用紙に記入し、お互いの紹介が済んでから、私の方から若干の説明があります。この説明というのは、この面接を実施していくについての注意点や押さえておくべきポイントなどを述べます。大半はこのサイトのいくつかの箇所において述べられていることであります。この説明に関しては、ほとんど時間を取りません。
 その説明が終わったところで、面接が開始されます。初回面接はこの時点から60分を取るようにしています。
 この面接においてどのような展開がもたらされるかということは、各々のクライアントによって異なることであります。本項の以後においては、多くのクライアントが感じられることと、私が望むことなどを述べることにします。

 まず、初回面接とは当然のことながら、私は初めてクライアントであるあなたにお会いするわけであります。私はあなたのことを何も知らない状態でお会いしているわけであります。私はあなたのことを一から知っていかなければなりません。あなたのことが何も理解できなうちは、私は何一つあなたにかける言葉を持たないのであります。できるだけクライアントに彼自身のことを、彼自身の言葉で表現していただくということがここでは本当に大事なことなのであります。
 それから、しばしば生じていたことでありますが、クライアントの中にはこの初回面接において、失望される方もおられました。よくよく聞いてみると、そのような人は初めから何か素晴らしいことが生じると期待していたのでありました。あるいは、もっと内面に入っていくものだと思ってらした方もおられました。ここではっきり明言しておきますが、そのようなことは初回ではまず生じないものであります。
 初回面接での話し合い、また、それに続く数回の面接は、クライアントの外側のことを尋ねざるを得ないことも多いのであります。つまり、表面的な部分や外的な事柄に関しての情報を尋ねたりすることもあります。いきなり内面の問題や、深層のコンプレックスなどを取り上げるわけではありません。私が理想とするカウンセリング、またそれは望ましいカウンセリングでもあると私自身は思うのですが、それは表面的な浅い部分から、回を重ねるに従って、少しずつ深い部分へと目を向けていくような進み方であります。そして、一方で、深い部分に不必要に入り込むことは避けなければならないと私は考えております。深い部分にそれほど入り込むことなく、それでクライアントがうまくやっていけるようになるのでなればそれにこしたことはないと、私は個人的には考えているのであります。どこまでのところを取り上げなければならないかと言うことは、個々のクライアントによっても異なるところでありますが、いずれにしても、初回、および初期の面接というのは浅い領域から取り掛かるのだというように理解していただければよろしいかと思います。

 初回面接において、クライアントは自身のことを話すように求められます。クライアントはそのつもりで来たこと、それをする覚悟や準備が既にできているものとして、私は話すことを求めます。もちろん、いつ話し始めるか、どのように話すかはクライアントに任せることにします。クライアントは自分のペースで話せばいいし、上手に話そうと思わなくてもよいのであります。クライアントの中には、あまりにも筋道立てて話そうとし過ぎる人や、話が前後してしまうことに罪悪感を感じられる方もおられます。クライアントはどの人も多少なりとも混乱しているものであります。混乱している人が理路整然と話ができるはずがありませんので、多少、支離滅裂であろうと、話が行ったり来たりしようと、まったく構わないのでありますし、そういう話に私も慣れておりますので、余計な気遣いはなさらなくて結構なのであります。
 そして、クライアントは初対面の人間に対して自分のことを話せと要求されているのであります。人によっては、このような要求に困惑される方もおられるかと思います。そうでなくても、初めて訪れる場所で、初めて会う人に、自分の悩みを打ち明けるのですから、そこにはある種の居心地悪さを感じられたとしても私は当然だと思うのであります。初回面接でクライアントが緊張したり、不安になったり、居心地の悪い感じがしたりということは、私からみると、とても自然な反応なのであります。多くのクライアントにおいては、最初のうちはそのような感情を体験されていても、回を重ねていくにつれて、そういう傾向が減っていくものであります。そこには「慣れ」ということもあるでしょうが、安心できる感じが育っていくのだと私は捉えております。従って、初めのうちは緊張感や居心地の悪さを体験されるとしても、それは自然な反応なのであり、どうかそのような感情を恐れないでいただきたいのであります。

 ところで、クライアントは自身のことを私に分かるように話すことを求められているわけであります。これはクライアントにとってみればけっこう面倒な作業かもしれないと私は考えます。
 望遠鏡で遠くの景色をあなたが見ていると仮定しましょう。そして、あなたはそこで目に見えている光景を隣の人に分かるように説明しなければならないとします。あなたはかなり困難を感じるのではないかと思います。あるいはもどかしいような思いをされるかもしれません。その光景は隣の人には見えていないけれども、あなた自身にはよく見えているのであります。当たり前のようにあなたにはそれが見えているのであります。自分にはよく見えている光景を、隣の人に、あたかもその人も同じ景色を見ているかのように理解できるように説明するということは、想像してみても、とてもたいへんな作業だということがわかるのではないかと思います。初回面接のクライアントはそのような体験をどこかでされているのではないだろうかと、私は思います。
 クライアントがそのようなもどかしさを体験していようと、やはり私はクライアントを理解したいと思いますし、できればクライアントが目にした光景を私も同じように思い浮かべることができればいいと願っています。もっとも、完全な説明などということは誰にもできないことであります。私も事細かに説明を求めるようなことはしていないつもりであります。ただ、たいへんな作業であっても、それをしなければならないのだということが理解していただければと思います。
 あなたが見てきたものがあなたを構成しているはずであります。あなたが見てきたもの、体験してきたことに基づいて、私たちは話し合っていかなければならないのであります。それが欠如している会話は、単なる知的議論なのであります。

(文責:寺戸順司)





<テーマ86> 初回面接~問題は何か 

 初回面接の目標はクライアントの問題が何かということを正確に把握することにあります。ここで言う「問題」には二種類のものがあります。一つはクライアントがカウンセリングを受けることになった直接の「問題」であります。クライアントは当面の「問題」であるこれが解消されれば良いと考えられるものであります。もう一つの「問題」とは、クライアント自身が訴えるものとは別の「問題」であります。私から見て「問題」と感じられる部分と申せばいいでしょうか。クライアントが自分の「問題」として見做しているものと、私がこのクライアントの「問題」と見做している部分とは、往々にして異なるものであります。私にとって、初回面接の目標は、この二つの「問題」を明確に把握することであります。
 なぜ二つの「問題」が生じるのかと言いますと、クライアントはしばしば自分の主観において、しかも近視眼的に自分の問題を見てしまう傾向があるからであります。私は問題を訴えるクライアントよりかは外側に位置していることになりますので、恐らく、私は当のクライアントよりも、若干客観的に見ることができるでしょうし、時間的にもより長い範疇でその問題を捉えることができるでしょう。実際、事態に圧倒されているクライアントほど、視野が狭まり、時間的に短期間の事柄しか見えていないことが多いのであります。
 私は、一方で、クライアントが訴える「問題」を取り上げるのでありますが、徐々に、もう一つの方の「問題」も視野に入れていくように試みるのであります。もっとも、そのような試みは初回面接では必ずしも達成されるとは限らず、もっと後の面接において初めて取り上げられることも少なくありません。

 次のような例を考えてみましょう。少々内容に踏み込まなければならないので、次の例は、現実のクライアントから抜粋したものではなく、私の創作であります。クライアントは男性で、大学を卒業して、今年入社したばかりだという設定にします。彼はカウンセリングルームに入って、私と対面で座ります。最初は、まず、私から切り出すことになるでしょう。

私「今日はどういうことでここに来ることになったのでしょうか」
クライアント「実は、母に対しての罪悪感を自分でも処理できずに困っているのです」

 このクライアントの曖昧な返答はある種の特徴を含んでいると、私は感じます。「神経症」的な人ほど訴えることが曖昧になるものなのであります。私はその可能性を抱きながら、彼の訴えをまずは明確化していくことでしょう。

私「お母さんとの間で何があったのでしょうか」
クライアント「はい、実は、僕は今年入社したのですけど、新入社員の歓迎会を開いてくれた時のことです。上司や先輩たち、それに同期の人たちとワイワイ騒いでとても楽しかったのです。それでうっかり、母との約束を破ってしまったのです」

 このクライアントの発言から、彼は何かある事柄がとても言いにくそうであるという印象を私は受けるでしょう。私はここで「お母さんのことで話しにくいことが何かあるのですね」と応じることもできるでしょう。しかし、始まったばかりなので、恐らく、私だったら様子を見てみようと考えるでしょう。

私「何か約束事をお母さんとしていたのですね。それを結果的に破るようなことになってしまったということでしょうか」
クライアント「そうです」
私「どんな約束をされていたのでしょか、お差し支えなければ聞かせてもらえませんか」

 クライアントが一体どの部分に対して罪悪感を抱いているのかは今の所よく分からないのであります。ここまでのクライアントの話では、約束を破ってしまったというところにそれがあるように聞こえます。

クライアント「母は九時に帰ってくるようにと僕に念を押していたのです」
私「ほう、そうですか。立派に成人した社会人男性が夜の九時に帰ってこいと言うからには、家庭の方でよほど重大なことが起きていたのでしょうね」

 私のこの応対はカウンセリング的には正しい応答ではありません。しかし、クライアントは、母と約束したのではなく、母から「念を押された」と語っているので、これが母親からの一方的な押し付けであったことが窺われるわけであります。そこで、若干、皮肉をこめて、息子にそこまで念を押すということは、よほど彼がいなくてはならない重大な問題が家庭に起きているのだろうと吹っかけているわけであります。

クライアント「いや、家庭に何かあるというわけではありませんが、ただ、夜の九時というのが家の門限なのです」
私「その門限はお母さんが決めたということですか」

 ここでも私の応答は幾分、カウンセリングの教科書からは外れていることをしているのであります。彼は、母が念を押したということ、さらに門限があるということを語ったので、恐らく、その門限は母親が決めたのだろうという推測を私がして、その推測を彼にぶつけているのであります。「そのことについてもっと話してくれませんか」と尋ねる方が、より望ましいでしょうし、現実の面接場面では私はそのように応対するかもしれません。

クライアント「そうなんです。昔からそうでした。家のこと、家族のことはみんな母が決めるのです。僕が大学生の頃から門限は九時と決められていたのです。僕はそれをずっと守ってきたのに・・・」
私「今回、初めてそれを破ってしまった」
クライアント「そうなんです」

 ここではクライアントが途中で語れなくなり、私が語れなくなった部分を補っています。もし、クライアントのことが正確に理解できていて、なおかつ、クライアントとの歩調が合っているとすれば、二人で一つの文章を作成しているようなやりとりが往々にして生じるものであります。私のここでの応答は、彼が言えなくなった部分を補うようなことをしているのでありますが、彼がこれまで母親に対して従順に約束を守ってきたことが理解されます。それを初めて破ってしまったということで、とても悪いことをしてしまったというように感じられているようだと私は受け止めます。

私「今まで門限を守ってきたあなたが、その時に限って、門限を破ってしまったということは、あなたにとって何か相当な訳があったのではありませんか」

 この私の応答は彼の罪悪感を和らげるものであります。彼は生まれて初めて門限を破ってしまったと話しているわけでありますが、それに対して、私が門限を破らなければならない理由が何かあったのでしょうを尋ねているわけであるからであります。多くの人は、自分が抱いている罪悪感が和らげられると、より語れるようになっていくものであります。

クライアント「ええ、実は、その歓迎会がとても楽しくて、僕は時間が経つのも忘れていました。いえ、でも時間のことは気にはなってました。でも、少々のことなら弁解できるだろうと考えていたのです。そうしたら、同期の一人が酔いつぶれてしまって、僕は彼を送って行かなければならなかったのです。彼とは帰る方角が一緒だったので。最初は駅まで送るつもりでした。でも、彼を放っておくということがなんだか悪いような気がして、結局、彼を家まで送って行ったのです。その後、気付くともう電車がなくなっていました。それでタクシーで家に帰ったのです。家に帰ると、母が起きていました。物凄い顔で僕を睨み付けたのです。母のあの顔をみることに僕は耐えられないのです。母は僕を見るなり、『一体何時だと思ってるの』と食って掛かるのです。僕は、酔っていたのもあったけれど、思わず、『うるさいクソババア』と怒鳴ってしまったのです。母はワッと泣いて部屋へ戻りました。それ以来、僕は母になんてことを言ってしまったのだろうと苦しいんです。あれ以来、母とはギクシャクして、もう以前のような関係には戻らないように思えてくるんです。でも、門限が九時なんて、今時信じられないとも僕は思うし、一回、それを破ったからと言って、あんなに怒るなんて、母はとても厳しすぎるんです。先生はそう思いませんか」

「それは本当に厳しいお母さんですね」と思わず言ってしまいそうになるのを堪えて、私はきっと次のようなことを彼に言うでしょう。

私「なるほど、その時はカッとなって思わず『クソババア』と怒鳴ってしまったけれど、今は言ってしまったことを後悔するようなお気持ちなんですね」とか、あるいは「そんなことをお母さんに言ってしまった自分が、とても悪い人間のように思えてきて、その思いがあなたを苦しめているのですね」などと応答するでしょう。ちなみにこの応答はカウンセリングの教科書に載っているような「正当」な応答であります。

 この後、いくらでも続けていくことはできるのですが、一旦はこれくらいにしておきましょう。クライアントは母に怒鳴ったことに対しての罪悪感に苦しんでいる、母との関係において取り返しのつかないことをしたかのように感じている、この感情を何とか処理して、母との関係を回復したいと願っている、彼が「問題」として持ち込んできたのはそういうことになるかと思います。
 一方、私の方は、それはそれで確かに取り組むべき「問題」ではあると見做しております。しかし、彼が母親からの支配から抜け出すということが隠された「問題」があるのではないかと考えているのであります。言い換えれば、思春期の「反抗」のテーマを、彼は今から達成していかなければならないというように私は見立てるのであります。彼の望んでいることが、母との関係の回復であるとするなら、私は彼が母親から離れることを望んでいるということになります。両者には自ずとズレが生じます。もし、初回面接から、私が望んでいる方を全面に打ち出すと、しばしばクライアントは反感を覚えるものだと思います。しかし、もし彼が今後継続してカウンセリングを受けることになれば、どこかでもう一つの隠された方の「問題」が顕在化してくるものであります。その時に、この「問題」は取り上げられることになるでしょう。
 ここに挙げたやりとりだけでも、他に数多くの可能性が考えられるのであります。例えば、歓迎会で彼は初めて横のつながり、仲間関係を経験したのではないか、彼は仲間とワイワイやったというような経験が乏しいのではないか、そうすれば彼の抱えるテーマは児童期の仲間関係にまで遡って考えることができるかもしれません。少なくとも、彼は歓迎会において、一方では門限を守ろうと時間を気にしていました。他方で、彼は同僚を家まで送って、この会が終わるのを引き伸ばそうとしていたようにも考えられます。彼をして帰れなくさせたものが何であるのかということが私には疑問として残ります。こうした疑問は後々の面接で取り上げられる可能性がある「問題」なのであります。
 また、彼が夜遅くに帰った時に見た母親の顔のことも私は気になっています。彼はその顔をみることが耐えられないと語るのですが、それを以前に何度も見てきているから、彼は耐えられないのだと推測します。つまり、あの母親の顔を見るのは今回が初めてではないはずであり、その都度、彼を苦しめ、彼をして一定の方向へと向かわせることになっていたはずではないかと、私は捉えます。恐らく、あの母親の顔が、彼を発達の一時点に停滞させることになったことと、何か関連があるだろうと予測します。
 私の推測や予測が、後々の面接において、当たるかもしれないし、外れているかもしれないし、それはその都度私が検討していかなければならないことであります。ただ、ここでは、クライアントが語る以上の「問題」が見られるということを知っていただければよろしいのであります。

 例を続けることは控えて、この隠された方の「問題」ということに焦点を当てます。それはクライアントが訴えている「問題」の、より本質的な部分であると私は理解しております。このような「問題」を私が速やかに把握できるかどうかということが、初回面接において、私にとっては何よりも重要なことなのであります。初回面接の間に、私はそれを達成しなければならないのであります。これがうまくいかなかった場合、クライアントは継続しないか、継続してもすぐに中断するか、うまくいかないまま終わるかといった経過をたどってしまうものであります。
 面接を開始して、最初の15~20分で、私はそれが把握できなければならないのであります。それは私の側の課題であります。もし「問題」のより本質的な部分が把握できると、私はそのクライアントに対して展望が開けていくような体験をするのであります。私にそれができるかどうかで、その後のことが影響するのであります。初回面接は、私にとっては試練のようなものであります。
 さて、表面的な「問題」を解決するのは簡単なことでもあります。上の例では、彼が母親の前に手をついて、「お母さん、僕が間違っていました。あんなことを言ったことをお詫びします。今後はお母さんの言うことに背きません」と、詫びをいれればお終いです。母親も一回約束を破った息子を処罰しようとは考えないでしょう。むしろ母親は機嫌良く彼を許すでしょう。この関係の在り方がこの母子関係の「問題」でもあるわけですが、それでも彼の表面的な「問題」は解決します。しかし、この表面的な解決は、彼が多くのことを犠牲にすることで成り立っているものであります。本質的な部分が何も変わらないとすれば、彼はこの先、どこかで同じことを繰り返すでしょうし、同じことを彼が繰り返すということは、彼が一つの地点に留まったままでいるということを表すものであります。そして、いつかまた同じことを繰返すのであれば、この機会に取り組んでおくことは、私は望ましいことであると捉えております。
彼が「うるさい、クソババア」と怒鳴ったのは、その行為は反社会的なものに見えたとしても、その感情は健全なものであります。ただ、感情は健全なものなのだけど、その表出が激しすぎたというだけであります。その表出がそれだけ激しくなるということは、いかに彼がそれを抑えて生きてきたかということを示すものでもあります。従って、いかにして私たちは彼のこの健全さを育て、それを適切な形で表出していくかということが、このカウンセリングでの本当のテーマになるということなのであります。この場合、彼が訴えるような母子関係の改善ということは、副次的な重要性しかないと、私は考えるのであります。

 本項において、理解していただきたいと私が望むのは、クライアントは何か一つの「問題」を訴えるのでありますが、その「問題」はそれ単独で生じているものではなく、クライアントの抱える他の「問題」や本質的な「テーマ」と絡み合っているものであり、カウンセリングを機会に、より本質的な部分に目を向けなければならないのである、ということであります。

(文責:寺戸順司)






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