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夫婦関係(3)~離婚

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<テーマ96> 離婚~Aさんの妻はどうなるか (約2900字)

<テーマ98> 離婚を子供に伝えるべきか (約4000字)
<テーマ99> 離婚~その不一致





<テーマ96> 離婚~Aさんの妻はどうなるのか (約2900字)

 Aさんの事例をシリーズで追って行ったのでありますが、最後にAさんの妻はどうなるのかという点に触れておきたいと思います。
 カウンセリングを受けに来たのはAさんであり、彼の妻ではありませんでした。援助を求めてきたのはAさんであり、私はAさんに対してできることをしなければならないと考えます。従って、彼の妻はここでは枠外に置かれていたのであります。非常に冷酷な考えだと思われるかもしれませんが、援助を必要としている人に対してだけ援助をしていこうというのが私の考えであります。もし、彼の妻もカウンセリングを受けに来たとしたら、やはり私は同じように援助していこうとするでしょうし、この二人に対して援助を与えようと試みるでしょう。しかし、彼女は一度も姿を現しませんでした。Aさんの妻は常にAさんの話の背景において存在していたのみでした。姿を現さない人に対してはいかなる援助も施しようがないものであります。

 一組の夫婦が離婚するかどうかは当事者間で決めるべき事柄であると私は考えます。倫理的に望ましくないとかいう議論は、当事者以外の人たちの論理であります。そうでありますので、倫理的な観点というものは、離婚の危機を迎えている夫婦に対しては何の意味もないと私は考えております。離婚するかどうかは当事者間において決定される事柄であり、その後に起こる事柄についても当事者たちで責任を負わなければならないことであります。もし、離婚という選択が間違っていたということにいつか気づいたとしても、その責任は離婚した当事者たちにあるものであります。第三者はそこまで責任を負えないものであり、彼らが後悔しないような選択を推し進めようとしても、外部の人間にはそれ以上何もできないものであります。彼らがその後の人生で後悔しても、それは彼ら自身に還元されるものであります。
 他の場合でもそうですが、第三者(それは友人であれ、専門家であれ)ができることは、彼らに対しての提案だけであります。彼らに代わって決定することはできないことであり、彼らが選択するべき事柄をこちらで決めるということはできないことであります。また、彼らの下した決断が望ましくないように思えたとしても、周囲の人はそれを止めさせることはできないのであります。「それは望ましくないと私は思う」というように、一個人の意見として彼らに提示するか、「もう少し考える時間を取ってみればどうか」といった別の提案ができるだけなのであります。そして、彼らの下した決断によってもたらされた事柄は、彼ら自身が負っていかなければならないものであります。彼らの人生上の出来事であるので、それを他者が肩代わりしてやることなどできないものなのであります。

 Aさんの妻は私を恨むかもしれません。カウンセラーなどという人種は「ひどい別れさせ屋」だと認識されるようになったかもしれません。離婚はカウンセラーが唆したものだと主張したがるかもしれません。彼女がどのように考えようとも、彼女は決してカウンセリングの場には顔を出しませんでした。あるいは、夫に対しての自分の役割をカウンセラーが乗っ取って行ったというように感じておられたかもしれません。どうして自分の助けを求めず、部外者のカウンセラーなどという人間に助けを乞うのかと、Aさんともども恨んでいるかもしれません。
 Aさんの妻はどうなるでしょう。私の個人的な見解では、この離婚を機に(と言うのは、離婚するということは彼らの間ですでに決定されていたからであります)、彼女自身もまた自己を振り返ってみられることが望ましいと私は考えております。
 Aさんの夫婦は、Aさんが助けが必要な人であり、妻がそれを助けてあげられるという関係で成り立っていたものと私は見做していました。Aさんに援助をしたいというのは、妻の抱えている何かの表れであります。Aさんが援助の必要な人である限り、彼女の何かが維持されていたのだと私は捉えております。もしそうだとすれば、Aさんが哀れな存在ではなくなった時、彼女は自分自身が維持できないような感覚に襲われたのではないかと思います。彼女は常に被援助者を必要とする人だったのかもしれません。しかし、それは彼の妻の側が抱えているテーマであり、彼女自身がそれに気づいて乗り越えていかなければならないことであると私は思います。
 この離婚を機に、彼女は自分自身のために動き始めるでしょうか。私はそうは思わないのであります。彼らの子供は、Aさんではなく、妻が引き取ることになっていました。この子は、Aさんに代わって、彼女の被援助者になっていくでしょう。つまり、「この子は父親のいない可哀そうな子だ」と言って、子供に対して過大なほどの援助を与えていくでしょう。それは単にかつてのAさんが占めていたポジションを子供が占めることになるだけであります。Aさんがいなくなっても、Aさんに代わる存在がいるわけですから、それだけに彼女の危機感は小さかったのではないかと思います。もし、Aさん夫婦に子供がいなくて、それでAさんが離婚しようとしていたとしたら、恐らく、彼女はカウンセリングの場に顔を出していたことでしょう。なぜなら、この場合の方が彼女の危機感情を高めるからであります。
 もし、Aさんの占めていた位置が子供に置き換わっただけで済むのであれば、彼女はそれほどの危機感情を抱かないと思います。「夫には私が必要だ」ということが「この子には私が必要だ」に代わるだけであります。そして、この仮説に基づいて考えていくと、子供が哀れな存在である限り、この母子関係は一見良好なものになるでしょう。彼女は子供をいつまでも援助が必要な子供のままにしておくかもしれません。きっとその可能性の方が高いでしょう。しかし、子供が母親の援助を拒むようになっていく場合もあり得るでしょう。そうなった時に、彼女は改めて自分自身の抱えているテーマに向き合わされることになるかもしれません。
 従って、Aさんはこの離婚を機に、かつての自分を取り戻そうと動き始めたのに対して、彼の妻は子供をAさんの代わりとして、これまでの生き方をそのまま維持していくのだろうと私は捉えたのでありました。そして、子供をAさんの代わりとして、彼女の「補助自我」としていく限りにおいて、彼女は喪失するものもなく、以前と変わらない役割を取り続けるであろうということが予測されるということでした。子供が母親から離れようとするとき(これは可能性としては低いと思います)、あるいは、子供が何らかの精神的な問題を顕在化させたとき(こちらの方が可能性が高いように思います)、それを彼女は自分自身の問題として向き合うか(これは可能性が低いと思っています)、それは子供の問題だと見做す(こちらの方が可能性が高いと捉えております)か、どちらかの選択を迫られることでしょう。

(文責:寺戸順司)






<テーマ98> 離婚を子供に伝えるべきか (約4000字)

 子供がいる夫婦の場合、離婚することが決まった時、離婚の事実をどのようにして子供に伝えるかということで悩まれるケースもあります。これはとても重要な問題でありますので、親としては悩むのが当然であります。
 まず、このような問題を相談に来られた方の事例を掲げます。
 面接には夫婦でお見えになられました。二人は近いうちに正式に離婚するということが決まっていました。その意志は覆せないということでありました。問題は離婚の事実をどのようにして子供に伝えるかということでした。それを私に相談に来たのであります。
 この夫婦には二人の子供がいて、上の子は小学校に通う年頃だったのですが、下の子はまだ幼稚園児だということでした。この二人に離婚の事実を打ち明けなければならないのであります。
 彼らは自分たちの離婚のことを子供はまだ知らないものと、無邪気に信じておられたようでした。この夫婦のように、子供たちは離婚の事実を知らないと思い込んでいる親は意外と多いかもしれません。しかしながら、多くの子供は親が離婚の事実を伝える以前にそれを察知しているものであります。もちろん、離婚ということがどういうことであるかということは子供にはわからなくても、子供は両親の間でただならぬことが起きているということを感じ取っているものであります。子供はそれを察知しても、言葉ではそのことを表現しないでしょう。その代り、子供にとっては世界(それは両親の間にある世界であり、両親と自分とを含めた世界であります)が変わったかのように体験され、感情的に不安定になったり、問題行動を起こしたりして、それを表現するものであります。そのような形で表現されているということは、子供が既に父親と母親との間に生じている緊張感を感じ取っているということの証拠であるのではないかと私は捉えております。とにかく、子供というのは、親が思っている以上に親のことをよく見ているものでありまして、両親の間で起きていることを、たとえ大人のようには理解はできなくても、それとなく感じ取っているものだと思って間違いないことであります。
 さて、この離婚が決定している夫婦ですが、離婚を伝えることがどうして難しいのかと言いますと、それが子供を傷つけるのではないかということを心配されていたからでありました。この夫婦には言わなかったことでありますが、離婚の事実を伝えて、その時初めて子供が傷つくというように理解するのは間違いであります。そのように理解してしまうのは、自分たちはまだ子供を傷つけていないのだということを信じたいからなのだろうと思います。しかし、夫婦の間に、ただならぬ緊張感が生じている時点で、子供はすでに傷つきを体験しているものではないかと私は思います。
既に傷ついているとかいえ、現実に親が離婚をすると、確かに子供は傷つくかもしれませんが、子供はそれを克服する可能性を秘めているのでありまして、私たち大人はそういう子供の強さを信じなければならないとも私は考えております。ただ、子供を傷つけたくないというのであれば、夫婦がきちんと夫婦関係を築いていればいいと私は捉えております。繰り返しますが、夫婦の間で離婚の影がちらつくようになった時点で、子供はすでに傷ついていると考えなければならないと私は思います。
 もし、子供を傷つけるのが嫌だったら、離婚しなければいいではないかということになります。しかし、不仲な両親の下では、やはり子供は傷つくようなことを繰り返し体験してしまうものではないでしょうか。子供が同じように傷つくのであれば、そして子供を傷つけたくないのであれば、より傷が小さいほうを選択する必要があると私は考えるのであります。どちらを選択しても子供が傷つくというのであれば、より傷の小さい方を選択するというのは、せめてもの親心ではないかと私は考えております。私はそのように考えておりますので、離婚する方がより傷が小さいと判断した夫婦の場合、離婚を選択することが望ましいということになります。ただ、それは個々の夫婦に任されている事柄でありますので、何が正しいかということは私にはわからないのであります。

 この夫婦の例に戻ります。彼らにはもう一つの問題がありました。彼らが言うには、上の子供は離婚を伝えて理解できるだろうと思われるが、下の子はまず理解できないだろうとおっしゃるのであります。それは下の子はまだ離婚ということが理解できる年齢に達していないからだと言うのであります。
 そこでこの夫婦は、上の子には伝えて、下の子には伝えないでおこうと考えておられたのでした。これを聞いた時、私は滅多にしないことをしたのであります。それは、彼らの考え方は間違っているということを指摘したのであります。上の子に伝えたことは、下の子にも同じように伝えるべきだと私は主張したのであります。たとえ下の子が今の段階では理解できないとしても、上の子にだけ伝えて下の子には伝えないということはしてはいけないのであります。兄弟に同じように伝えなければならないのであります。その根拠というのは、下の子も家族の一員であるからであります。それだけの理由であります。まだ理解できないからと言って、下の子を家族から除外してしまうことの方が、もっと子供を傷つけることになるのではないでしょうか。この夫婦にはそういう発想がないのであります。
 仮に、今は伝えないとしても、下の子はいずれ気づくでしょう。友達には二人の親がいて、自分には一人の親しかいないということをいつか知ることでしょう。その時、自分の両親が離婚していたということを誰から聞かされるかということが問題になってくるのではないでしょうか。他の子や近所の人から聞かされるでしょうか、上の子から聞かされるでしょうか。いずれにしても、親以外の人から親のことを聞かされる可能性があるわけであります。従って、自分にとって大事なことを部外者から聞かされてしまうということが、またこの子を傷つけてしまうのではないでしょうか。この夫婦にはそこまで考えていないようでしたが、私はそのように考えております。

 私がこの夫婦に提案したことは、今は同じように上の子にも下の子にも離婚するという事実を伝えなければならないということでした。下の子が理解できなくてもそれをするのであります。そして、下の子が大きくなって、今の上の子と同じくらいの年齢に達した時、その時改めて、親の口から離婚の事実を伝えるべきだと私は彼らに伝えたのでした。
 これは一つの提案でしかないので、最善の手段であると断言できるわけではありません。しかし、離婚の問題は親だけの問題ではないはずであります。子供がいる場合、子供たちもまたそれに巻き込まれるものであります。従って、親だけではなく、子供も当事者なのであります。離婚することが悪いとは決して言えませんが、子供を抜きにした行為には私は賛成しかねるのであります。

 ここで本稿のテーマに戻って、離婚を子供に伝えるべきかという点を取り上げます。子供がいない夫婦にはこのことは問題にならないかとは思います。しかし、離婚する夫婦の多くは子供を抱えているものであります。だから、どうしても離婚の事実は子供には伝えられなければならないのであります。
 子供を傷つけたくないからと言って、嘘をつく親もいます。私はこの考えには賛成できないのであります。親が離婚したという事実よりも、親に嘘をつかれていた、長年騙されてきたという事実の方が子供はより傷つくかもしれないというようには、この親は考えないのであります。
 そして、子供が傷つくから離婚の事実は伝えないというのは、親の方便でしかないと私は考えております。親の離婚は、その夫婦だけの事柄ではなく、その家族全体の問題であります。だから子供も家族の一員である以上、子供は既に親の離婚問題に巻き込まれており、傷ついているのでありますから、決して子供を除外してはいけないというのが私の考えであり、そのことは既に述べました。そして、離婚の事実を子供に伝えるということは、離婚を決意した親が負わなければならない責任であると私は捉えております。従って、私の見解では、事実を伝えない親は、子供を傷つけたくなかったからだというような理由を挙げようと、子供に対しての責任を回避するものに他ならないのであるわけであります。
 例に挙げた夫婦は部分的にこの責任を回避しようとしていたのだと見ることもできます。私が下の子供にも事実は伝えられなければ、それも親の口から伝えられなければならないと強く推したのは、彼らの負うべき責任を回避させないためであったのであります。

 本項を読まれて、私がとても厳しいことを言っているように聞こえる人もおられたかもしれません。私がお会いするクライアントの一部は、子供時代に両親の離婚を経験している人たちであります。彼らの話を窺っていて、離婚がいかに子供を傷つけてきたかということ、仮に子供が傷つくのは仕方がないとしても、子供の傷つきにいかに親たちが無関心であったかを痛感するのであります。その思いがあったので、私の考えや言葉が厳しいものとなってしまったかもしれません。
 肝心な点は、子供がいる夫婦が離婚する場合、それは夫婦間だけの問題ではないということを知っていただきたいのであります。既に子供たちは巻き込まれているのであり、子供たちも当事者である以上、子供たちを除外してはいけないということなのであります。

(文責:寺戸順司)






<テーマ99> 離婚~その不一致(約2500字)

 よく芸能人なんかが離婚記者会見で「性格の不一致」が離婚の原因だと述べることがあります。これをお読みになられているあなたもそのような場面を見かけられたことがあるかと思います。「性格の不一致」のために離婚したと聞いて、私たちは何となく納得しているのですが、一体、「性格の不一致」というのはどういうことなのでしょう。
 そもそも、二人の人間がいて、各々には各々の性格があるとして、その性格が一致するということはあり得ないことだと私は思うのであります。一時、私は「性格の不一致」とは「性の不一致」のことではないかと考えたこともありますが、今では「性」に限定して考えてはいません。いずれにせよ、そこには何らかの不一致(ずれ)が体験されており、それが夫婦関係を維持していくことを困難にさせているということは理解できるのであります。それなら、この不一致(ずれ)はどこから生じているのでしょう。

 ここで再びA さんの事例に戻ります。
 前回までに述べたように、Aさんと妻とは「鍵と鍵穴」のような関係だったのではなかったかということでした。その関係においては、不一致は見られなかったはずであります。不一致が見られるようになったのは、彼がもはや援助を必要とする哀れな男性であることから抜け出た時からでした。おそらく、この時点で不一致がお互いに体験されてきたのだろうと思います。ただ、不一致をお互いに体験しておりながら、二人ともそれをそのままにしてきたのだろうということでした。
 Aさんの夫婦において、この不一致が生じたのが、彼が援助を必要とする人間であり、妻が援助を与えるという関係が破綻した時であると仮定しますと、次のような疑問が生じるのであります。確かに最初に形成された関係の破綻が離婚に結びついたと考えられるのですが、その最初の関係そのものはかつて結婚の動機でもあったものではないかという疑問であります。
 私はその通りだと思うのであります。Aさんの夫婦のおいては、かつて結婚の動機であったものが、後には離婚の原因を形成してしまっているのであります。

 かつて結婚の動機であったもの(あるいは相手を好きになった理由)が、その後において離婚の原因(あるいは相手を嫌いになる理由)となってしまうということは、私は非常によく生じていると感じております。
 例えば、彼の無邪気で子供っぽいところに惚れたという女性がいるとしましょう。実際、このように語った女性と会ったことがあります。そして、交際し、結婚までしたのですが、今では彼女は、夫は単に大人になれないだけで、軽蔑しているし、母親役を取らされることにうんざりしていると感じているのであります。両親を大切にするところが彼の美点だったのですが、今では「マザコンなだけ」とまで言う始末であります。彼女自身はあまり気づいておられないようでしたが、彼女が夫に対して非難している箇所というのは、かつて彼女が感じていた彼の魅力であった部分であり、好ましいものとして体験されていたものであったのであります。
 また、別のある女性は、仕事熱心な彼に対して好感と尊敬の念を抱いていました。しかし、付き合い始めると、彼は「仕事に逃げている」だけであり、「仕事中毒なだけ」であり、頼まれると断れない「弱気の男性」だとわかったと語られました。彼女は彼のそこが好きになったはずなのですが、彼の同じ傾向が、今では嫌悪の対象になってしまっていたのでした。
 こうした例はいくつも挙げることができるのでありますが、基本的な構図は同じであります。かつて好きだったところが、今では嫌いなところになってしまっているというものであります。結婚の動機であったものが、離婚の動機になるという構図であります。

 私は人間関係というものは常に変動、流動していくものだと思います。決して不動のものではないと思います。つまり、お互いの関係において、常に何かが動いており、変化しているものだと思います。良好な関係が続いている間はそれで構わないのですが、付き合いが長くなると、少し合わなくなってきたとか、波長が合わなくなってきたというような感じを受けることがあります。「相手が変わってしまった」というように感じられる場合
もあるでしょう。何か噛みあわない感じがするといった形でそれを体験する場合もあるでしょう。
 こういう時、当事者自身が変わったのだというように考えても間違いではないと思います。しかし、当事者の一方が変わったということは、その人に関わる人たちとの人間関係に何らかの変化が生じることは想像に難くないのであります。ここで関係が変わっていくことになるわけであります。もし、その人との関係を維持していこうと思うなら、相手のこうした変化に自身が気づいて、自分自身もまたその人との関係を変えていくように努めなければならないと思います。もっとも望ましいと私が思うのは、相手の変化に臨機応変に対応できるくらいの柔軟性が備わっていることであります。一つの役割や関係に固執し過ぎず、その時々に応じて、相手と新たな関係を築くようなつもりで自身も変わっていくことだと思います。もちろん、こういうのは理想論かもしれませんが、そのように対応できることができれば、不一致はかなり防げるのではないかと思います。

 先に、彼の無邪気で子供っぽいところが好きだと言った女性のことを述べました。今では彼は大人になれていないだけと彼女には映ります。彼に対する見方が変わっているわけであります。この見方の変化は、彼女自身の心の変化によるものだと考えられます。
 彼女はどうするべきでしょうか。一つの解決策は、相手の子供っぽさを許容できるだけの自己拡張を行うということであります。これは彼女の方が彼に合わせて変えていくことになります。一方、彼の方が変わっていくようにこちらが関係を変えていくことも可能なことではあります。彼女がどんな彼になってほしいかを彼に伝えることもできます。しかし、彼女はそれをしてきませんでした。「夫は子供っぽい」と言うだけだったのであります。彼女は彼にもっと大人になって欲しいと願っていたかもしれません。しかし、それは決して口に出しては言いませんでした。つまり、彼女は自分の要求や望みを一言も語らずして、自分の望むように彼に変わってもらうことを期待していたのであります。これは一言で言うと「甘え」だと私は思います。
 
 人間は常に変容していくものであり、ある人が変容していくということは、その人が関わる人たちとの関係も否応なしに変容することになるのであります。かつて結婚の動機であったものが、離婚の動機となりそうな場合、それは関係を見直す一つのサインのようなものではないかと私は捉えております。一旦築いた関係というものは、不動のものでも、こていされたものでもありません。関係は常に流動的に変容していくものであります。関係は常に築きなおされなければならないものだと私は思います。一つの関係の在り方でやっていこうとすると、必ずどこかで破綻をきたすものであると私は捉えております。

(文責:寺戸順司)






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