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「うつ病」について(3)

「うつ病」について(3) INDEX

<テーマ80> 「抑うつ前駆症状」(1)
<テーマ81> 「抑うつ前駆症状」(2)~退屈と落ち着きのなさ
<テーマ82> 「抑うつ前駆症状」(3)~と身体愁訴





<テーマ80> 「抑うつ前駆(代理)症状」 

 本項より、「抑うつ前駆(代理)症状」に関して述べていくことにします。
 この概念を私はI・B・ウェイナーの『青年期の精神障害(下)』(星和書店)を下敷きにして見ていくつもりでおります。
 ウェイナーの本では「抑うつ代理症状」と記されておりますが、私は後に述べる理由により、これを「抑うつ前駆症状」と呼ぶことにしております。その点を予め指摘しておきます。

 ウェイナーが挙げている「抑うつ前駆症状」とは、次の五つの傾向であります。
(イ) 退屈と落ち着きのなさ
(ロ)疲労と身体的愁訴へのとらわれ
(ハ)集中困難
(ニ)行動化
(ト)他人への接近と逃避
 この五つのそれぞれについては順次述べていきます。本項では、ウェイナーの著書に基づきながら、まず、「抑うつ代理症状」について概観しておきます。

 ウェイナーの同書は40年以上も前に書かれたものでありますので、若干ですが、現在の考え方と相違する箇所があります。
「青年期にうつ病は稀である」というのはその一つであります。
 現在では青年でも児童であっても「うつ病」と診断される例が多々見られます。
 しかし、一昔前は青年や児童において「うつ病」は見られない(少なくとも成人のような「うつ病」は見られない)と考えられていたのでした。
 ウェイナーによれば、青年には成人のような「うつ病」は稀でありますが、その代りに、「抑うつ代理症状」を示すということなのです。
 そして、この青年の「抑うつ代理症状」は、青年期にある若者にとっては、成人における「うつ病」と等価なものであると述べています。
 なぜ、青年期の「うつ」と成人の「うつ」では様相が異なるのかということですが、青年期はその特有の傾向・発達過程・環境などのために、青年は成人のような「うつ症状」を表さないということです。
「抑うつ代理症状」は青年期前期(10代の前半頃)に見られるものです。
 それが青年期後記(10代後半から20代の初めくらい)に至ると、症状は「抑うつ代理症状」よりも、もっと成人の「うつ病」に似通ってくるということなのです。
 成人の「うつ病」への前段階とも捉えることができるので、私は「抑うつ代理症状」を「抑うつ前駆症状」と呼ぶことにしているのです。
 実際、成人の「うつ病」であっても、その「抑うつ期」に突入する以前に、ウェイナーが示しているような「抑うつ代理症状」を示す人もよく見かけます。
 従って、私はウェイナーの挙げる「抑うつ代理症状」を青年期だけに限定しないようにしているのです。

 以前にも述べたことですが、「うつ病」に対して国が対策を立てようとております。
 それはそれで望ましいことではありますが、私から見ると、この対策は的が外れているのであります。
 同じように、臨床家や「うつ」を経験している人が予防や対策と称して述べていることも、いささか焦点が外れているように私は感じているのです。
「うつ病」に対しての対策とは、何よりもこの「抑うつ前駆症状」に対しての対策でなければならないと私は考えているのです。
 ところが、私の受ける印象では、多くの場合において、「抑うつ前駆症状」は度外視されているか、非常に軽く触れられているかのどちらかなのです。
 私の個人的考えでは、「うつ病」について理解を深めることよりも、「抑うつ前駆症状」について理解を深めることの方が、予防という観点に立つならば、はるかに重要なことなのです。

 私は以前に「うつ病」と「うつ状態」「うつ症状」とを分けて考える必要があると述べたかと思いますが、この「抑うつ前駆症状」に関しましては、一旦、その区別を取り外すことにします。
 それは話を簡潔化するためであり、また、「抑うつ前駆症状」に関しては、「うつ病」と診断された人にも、「うつ状態」にある人にも、「うつ症状」を抱えている人にも、みな等しく観察されるからです。
 また、ウェイナーの本を下敷きにして述べていくのですが、この本自体が青年期に関して書かれているものでありますので、そこで「青年」と「成人」というように言葉を使い分けていかなければならなくなっているのです。
 本項においては、これらの言葉はその人の年齢を表すだけのものであります。もしくはその発達の地点の違いを表すものであります。
 便宜上、「青年」と「成人」という言葉を用いざるを得なくなるかとは思いますが、私の述べる事柄、この後考えていこうとする事柄に関しては、基本的には「青年」や「成人」といった区別はないものだと捉えていただきたいのです。

 また、「抑うつ代理症状」ないしは「抑うつ前駆症状」といった言葉で表されているものは、「うつ病の初期症状」のことであると思われる方もいらっしゃるかと思います。確かにそれは正しい理解だと私は思います。
 ただ、「初期症状」という表現を私がしないのは、この「初期症状」は後の「本症状」とはあまりに違った形を取ることが多いためなのです。
 つまり「初期症状」とその後の「本症状」とが、一見すると同じ連続線上のものに見えないということなのです。そのため「初期症状」と表記するよりは、「前駆症状」と表記する方が、より正確であると私は考えているのです。

(文責:寺戸順司)






<テーマ81> 「抑うつ前駆症状」(2) 

 本項より、五つの「抑うつ前駆症状」について、その一つ一つを見ていくことにします。
 その際に、まずウェイナーがどのように述べているかということを引用し、その上で私なりの見解を付加したり、事例を掲げて説明するという形を取ることにします。

 最初は「退屈と落ち着きのなさ」ということであります。ウェイナーは次のように書いています。
『青年における退屈と落ち着きのなさは、しばしば潜在性うつ病を反映している。まったく関心を失ったり、活動や物事に没頭するのを反復する者、思いのまま熱中しすぐに興味を失い、自分をとりこにする何か新しいものを必死に求める者、耐えられない退屈からの単なる逃避として恒常的活動性を熱望する者、孤独に耐えられない者など、これらの若者は、より年長の者では症候学的には伝統的なうつ病を形成するような、根底にある虚無感と孤立感に対して防衛しているよい実例なのである。』
 
 ウェイナーの記述を読まれて、どのような人の姿を思い浮かべられたでしょうか。
「うつ病」というイメージからは若干かけ離れた人の姿を思い浮かべた方も少なくないのではないかと私は思います。
 ある意味で、この落ち着きのなさということは、過活動の様相を呈するのです。
 しばしば、この状態を「操状態」などと表現されることもあるのですが、「落ち着きのなさ」と述べる方がより適切な表現であるように私は思います。
 この活動性はある種の強迫性を帯びているということが窺われます。
 しかし、「強迫性障害」と決定的に異なる所は、その根底にあって、その人の行動を支配している感情にあります。
 通常、「強迫性障害」の行動は不安に彩られており、当人もまた強い不安に支配されており、尚且つその強い不安を認識しているのです。
 しかし、「抑うつ前駆症状」の強迫的な行為は、ウェイナーが述べているように、その根底に虚無感や孤立感があるわけです。
 その虚無感や孤立感への対処として、そのような活動性が現れているということになります。
「強迫性障害」で見られるような強い不安は、まったく存在しないとは言えないかもしれませんが、「抑うつ」の前駆にある当人自身からはあまり報告されないことが多いという印象が私にはあります。

「抑うつ前駆症状」の活動性は、これも適切な言葉だと私は思いますが、その「退屈」感に支配されているのです。
 この「落ち着きのなさ」による活動性は、しばしば周囲の人によって正確に把握されないことが多いように私は思います。
 つまり、ウェイナーの記述にあるようなことを誰かがしていても、それが「うつ病」であるとは疑われないのです。
 せいぜい「あの人は飽きっぽい人だな」とか「新しい物好きなのだな」とか、あるいは「三日坊主だ」といったように見做されてしまうことも多いのではないかと私は思います。
 つまり、その人の外観からだけではよく分からないことでなのです。
 従って、その人をそうした行動に駆り立てているものに目を向けなければならないということになるのです。
 でも、それはどうしても当人にしか分からないという面があるのも確かなのです。

 三十代の男性が「うつ病」と診断されて、私のカウンセリングを受けに来られました。その人は今では「平凡」(あまり適切な言葉ではありませんが)な会社員でした。
 その彼が自分は大学生の頃は公務員になりたかったのだと語りました。
 私が「なぜ公務員に憧れたの」と尋ねますと、彼は「毎日書類にハンコを押すだけをしていたい」と答えたのでした。
 お断りしておきますが、これは彼の中での「公務員イメージ」であります。
 これはウェイナーの述べる「恒常的活動性を熱望する者」に該当するかと思います。 彼は、三十代になって「うつ病」と診断されたのでありますが、すでに大学生の頃から「抑うつ前駆症状」を抱えていたのだろうと推測できるのです。
 その頃から、彼は活動と自己の世界を広げていくことに関して、あまりに抑制的だったのではないかと私は思うのです。

「抑うつ期」に陥る直前に、「活動期」が見られるという人も少なくありません。
 その女性クライアントは、一時期のような「抑うつ」から解放されてきていました。彼女はいろんなことを始めたいと考えるようになりました。
 それはそれで望ましいことではありました。しかし、彼女は一時にいくつもの活動を始めてしまい、再び「抑うつ期」へと陥ってしまったのでした。
 私は「やりたいことがいくつもあるのは分かるけれど、一つずつやるようにしましょう」と提案していたのですが、恐らく彼女の焦り、遅れを取り戻そうとする焦りがあったのでしょう。それで一度にたくさんのことに着手して、収拾がつかなくなってしまったのでした。
 これに関しては、私は自分の認識が甘かったのだと思っています。
 彼女の活動性は、「うつ病」から本当に回復したことによってもたらされたものではなく、それは「うつ病」から「抑うつ前駆症状」の段階まで回復したにすぎなかったことを示しているものと現在では認識しております。
 確かに回復に違いはなかったのですが、それは部分的な回復であったわけであります。

 退屈や虚無感に襲われた時に、私たちがもっとも頻繁に用いる対処法は、外部に刺激を求めるということです。中でも「暴力」はもっとも強烈に刺激をもたらしてくれるものです。
 ある抑うつ状態に陥った男性は、家に閉じこもってゲームばかりしていると話しました。
 そして、今とてもハマっているゲームがあると言います。私はそれがどんなゲームなのかを彼に尋ねました。
 ゲーム業界でこの種のゲームを何と呼ぶのか私は詳しいことを知らないのですが、要は「バトルもの」のゲームだったのです。それもかなり生々しいもののようでありました。
 この男性が「うつ病」であるかどうかには疑問があったのですが、彼のこの行動には根底に退屈感と孤立感があるのだろうと感じました。

 抑うつ状態に陥っている人が、自分の状態を述べる際に、「なんか、こう、無気力なんです」というようにおっしゃられたことがありました。
 この「無気力」という言葉に私はいつも引っかかるのであります。「最近、落ち込んでいて」とか「憂うつなんです」と言うのではなく、「無気力なんです」とその人は述べられるのです。
 その人にとって「無気力」という言葉が自分の体験している事柄を表現するのにもっとも適しているからそのように述べられたのだと思います。
 そして、それは「落ち込む」とか「憂うつ」とかいった言葉で表現される体験とは、あきらかに異なった体験をしているのだと思います。
 この人の言う「無気力」とは、「退屈」感のことではなかったかと私は思うのです。
 実際、退屈感、虚無感、倦怠感という体験は、「うつ」と表現されることよりも、しばしば「無気力」という言葉として表現されることが多いという印象を私は抱いております。「うつ病」と診断された人が「気力が湧かないんです」と言うのとは、少し「気力」のニュアンスが違うように私には思われるのです。
 恐らく、退屈感や虚無感を言い換えるとするなら、「無気力」という言葉がもっともそれに近いのだと思います。

 無気力感、虚無感から自分を守るための活動ですので、こうした活動はその人に真の喜びをもたらさないだろうと思います。
 もたらしたとしても、それは一時的なものであり、活動そのものの喜びというよりも、虚無感に覆いがかけられたことへの安心といったニュアンスを帯びることになるかと思います。
 また、一つ一つの活動は、何一つ達成されることなく終わるのが常だと思います。
 当人にはそれで構わないのです。それは達成されることを目的としてなされる活動ではないからなのです。ただ、この空虚感を埋め合わせるためのものであるにすぎないからです。
 このような活動性の在り方は、「自閉的活動性」として概念化されていることでもあります。もしくは「躁的防衛」として捉えることができる活動であります。
 機会があればそれらをテーマに取り上げるつもりでおりますので、詳細はそちらに譲ることにします。

(文責:寺戸順司)






<テーマ82> 「抑うつ前駆症状」(3) 

「抑うつ代理症状」(私の用語では「抑うつ前駆症状」)の二つ目の症候は、「疲労と身体的愁訴へのとらわれ」ということです。
 前回同様、まずはウェイナーの記述を引用し、その上で、私なりの見解や体験などをお伝えする予定でおります。

 ウェイナーは次のように書いています
『快活な活動性と圧倒的な疲労とを交互に感じる青年は、十分な睡眠の後にも疲労が続く時は特に、人格機能の上にうつ病の抑制的作用を受けていることになるであろう。ふつう身体的に発達している破瓜期の若者に特徴的な身体的関心を超えて、必要以上に示される身体的懸念は、頭痛、腹痛、嘔吐のような精神生理学的反応がそうであるように、潜在性うつ病と同様のものである』

 なかなか適切な表現であると思います。補足的に説明を加えながら、もう少し丁寧に見ていくことにします。
 述べられていることは、まず疲労感です。
 それも「快活な活動性」と「圧倒的な疲労」とを交互に感じるという表現は、それが両極端を揺れ動くものであるということが理解されます。
「うつ病」でなくても、私たちはある程度の感情や気分の揺れ幅を経験するものです。 そして、それらは通常それほどの苦痛をもたらすこともなく、私たちはその揺れ幅の範囲内において、日常を生きることができるものです。
 それ以上の揺れ幅、それも極端から極端へと揺れ動くものであるということがここでのポイントであると思います。
 では、どこまでが「正常範囲」の揺れ幅で、どこからが「極端な揺れ幅」になるかという疑問が生じるかと思いますが、私にはこれに正確な線引きをすることができません。 ただ、一つの目安は、その揺れがある程度了解できるものであるかどうかということになるかと思います。
 疲労感を強く感じているけれども、その疲労感をもたらした要因がよく理解できており、その要因に見合った疲労感を体験しているというような場合です。
 ただし、それも一つの目安にしか過ぎないのでありまして、絶対的なものではないということは強調しておく必要があるかと思います。

 しかし、上記のウェイナーの表現は「うつ病」を体験された方なら説明を要しないことではないかと思います。
 あるクライアントは、気分の浮き沈みに理由などないとおっしゃられて、その上で「上がる時にはとことん上がるし、落ちる時にはとことん落ちるような感じです」と自分の体験を表現されました。
 つまり、それに関して理由もなければ、了解することもできないのです。加えて、その上昇と下降を自分でもどうすることができないでいるのです。私たちはそのようなものとしてこの揺れ幅を理解する必要があると思います。

 ウェイナーは強調していますが、そのような疲労感が十分な睡眠を摂った後でも続く時は特に「うつ病」的なのです。
 このような疲労感は「うつ病」では特徴的なものであると私は理解しています。
 ある女性クライアントが言いました。彼女は午後遅く目覚めるのですが、夕方くらいからまた布団にもぐりこむという生活をしておりました。
 彼女が「抑うつ期」の真っただ中におられた頃です。彼女は「それだけ十分に寝ても、また眠れるんです」と語り、「それでもどうしても疲れが取れない感じなのです」と語られました。
 彼女は休養を取ることが勧められていたので、「必要なだけ眠るといいですよ」と私は伝えました。
「うつ病」のこのような傾向を「易疲労感」として表現されているのを見かけますが、私は少し違うように思います。
 疲れやすくなるのではなくて、疲労から回復する感じがしないのだと述べる方がより正確であると思います。「疲労回復困難感」と呼ぶ方がより適切ではないかと思います。

 続いてウェイナーは身体について触れていきます。
 青年期は自分の身体に対しての関心がいやが上にも高まる時期でありますが、必要以上に見られる身体的懸念ということを取り上げています。
 しかし、「うつ病」においては、青年期とはまた違った形になるかもしれませんが、やはり身体的な関心の高まりが見られることも少なくありません。
 例えば、「うつ病」と診断された人の多くは初めに身体的な訴えを持ってくるものです。
 頭痛、腹痛、吐き気といった現象は確かに代表的な訴えです。
 身体がだるいとか重いとかいう訴えもこれに属しているものと私は考えます。
 そして、成人においては、この身体的訴えが「うつ病治療」の入り口になることもしばしばなのです。
 これは人によって様々だとは思いますが、心の状態を身体で感じ取る傾向が強い人ほど、「心の病」を身体的な訴えとして表現されることになるのだと思います。
 そして、まず内科などで身体的な処置を求めるのです。ところが内科では何も異常が見つからないということがほとんどです。
 時にはいくつもの内科を巡って診断を求める人もおられますが、結局、何も異常が発見されず、初めて「うつ病」が疑われるというような例もあります。
 こうした人たちは「仮面うつ病」などと呼ばれたりするのですが、「仮面うつ病」とは身体的に体験されている「うつ病」のことです。
「仮面」などと言うと、どこか「隠されている」というニュアンスを帯びてくるように思われるのですが、決して「仮面」ではないと私は考えております。「身体うつ病」と命名する方が適切ではないかと私は個人的には考えております。
 ある女性クライアントでしたが、彼女は「抑うつ期」に突入する以前に、嘔吐感を体験しておりました。そして内科を受診されたのですが、特に異常は認められず、「軽い胃炎による消化不良」といった診断を貰ったのでした。そして胃薬を処方されたのです。 彼女の様子からすると、この診断に彼女は不服なようでした。
 検査をしても異常が見当たらず、医師としてはそれ以上どうすることもできないのですが、当人にしてみればかなり具合が悪いと体験されているのです。
 そして、彼女は何軒も内科を巡ったのであります。もちろん、結果はどことも同じものでありました。
 そして最後に訪れた内科医から「心の問題」を彼女は指摘されたのです。
 それでも彼女は自分の体験していることが「心の問題」であるということが、なかなか認識できずにいたようです。
 その後、彼女は抑うつ感に襲われ始め、自分の「うつ病」をしぶしぶ認識したのでした。

「疲労回復困難感」と「異常が発見されない身体異常感」は、成人の場合においては、「うつ病」発見の重要なポイントになることが多いように私は感じております。
 従って、それが「身体の問題」ではなく、「心の問題」であるということが速やかに認識されるということが重要であると私は考えております。

(文責:寺戸順司)






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