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カウンセリングの枠組みについて(3)

カウンセリングの枠組みについて(3)~INDEX

<テーマ29> 間隔~事例
<テーマ31> 間隔の利用
<テーマ36> カウンセリングの期間




<テーマ29> 間隔~事例

 前項では、カウンセリングの間隔が空きすぎても望ましくないということを述べました。私の経験では二週間が妥協できる限度であると感じております。一方、間隔が狭すぎるのも個人的にはあまり望ましいことではないと捉えております。
標 準的な精神分析が毎日分析を行っているくらいですので、カウンセリングでも毎日面接しても構わないではないかと思われるかもしれませんが、精神分析はその 方法としては毎日の面接が理にかなっているのであります。精神分析の方法は自由連想法と名付けられておりまして、クライアントはカウチに横になり、心に浮 かぶことは何でも自由に話すことを求められます。分析家はクライアントの後ろに位置します。クライアントからすると、この体勢は退行をもたらすものであり ます。身体を横たえ、枕元の方から分析家が声をかけるわけでありますが、私の考えるところでは、これは幼児が体験する世界と共通するものなのであります。 こうした退行が促されるような方法では、毎日会うことが必要であり、むしろ毎日会わなければ危険でもあるわけであります。
 このような自由連想法 に限らず、毎日のように面接を組むことは、私の経験では、どうしてもクライアントの退行を促してしまうことになるのです。一部のクライアントは、たとえ面 接でなくても、何らかの手段で毎日私と接触しようとする人もあります。その人の状態によっては、私は敢えてそれに応じたこともありますが、これは上手くい かない場合も多いということを私は苦い経験を通じて学んだのであります。

 ここで、毎日でも受けに来たいと言った一人のクライアントの事例を掲げることにします。
  クライアントは男性でした。このクライアントの話の内容に関しては省略しますが、最初の一時間の面接を彼が経験して、私はまた受けたいという気持ちがある かどうかを彼に尋ねました。彼はまた受けたいと答えました。このカウンセリングが彼にとって何か良いものをもたらしたのだろうとは思います。そこで彼は 「明日もまた来たい」と述べ、さらに「できれば毎日受けたい」とまで語ったのであります。
 私は敢えて週に一回の割でやっていきましょうと提案しました。彼は「そんな一週間も待てない」と言って、怒るのでした。彼の要望を敢えて断ったのは、彼の場合「待つ」ということがとても大きなテーマだったからであります。
 それに彼の話からして、彼が自分の生活に耐えられないでいるということがよく分かりました。彼は自分の生活空間から毎日少しでも距離を取りたかったかもそれません。彼にとって「待つ」ということは、この苦しい生活空間に留まることを意味していたわけであります。
  彼と私との間で、次回の日時についてのやりとりがあったのでしたが、結局、次は三日後ということで話がまとまりました。この三日という時間は、彼が自分の 生活に耐えることができる限度なのだと理解することができるのであります。こういうことをどこまで許容するかは微妙な問題ではありますが、毎日というのは 無理なので、週に二回のペースでやっていくことを私は提案したのであります。彼は、恐らく不承不承ながら、それに応じたのでした。
 三日後に彼は 再び訪れました。この三日間はたいへんだったと彼は語ります。しかし、彼がカウンセリングなしで三日間を耐えたのは良かったことだと思います。この三日間 が耐えられずに、何らかの接触(例えば電話をかけるなど)をしてくる可能性もあったのですが、彼はそれをしませんでした。苦しくても三日間を耐える強さが 彼にはあったということが窺われるのであります。
 彼には彼の今現在の生活があるわけであります。それがいずれは変わっていくものだとしても、今 は彼はその中で生きなければならないのであります。そこから逃避することはできないのであります。一時的に逃避することができたとしても、彼はそこに戻る しかないのであります。面接を始めてから4回目くらいのところで、彼にそのことへの自覚が少しずつ生じてきたようであります。それまでは、毎日受けたいと いう希望を私がのまなかったということを、彼は自分が嫌われているからだとか、自分のことが避けられているとかいうように体験していたのでした。
  最初の数回は週に二回のペースで彼とはカウンセリングをしていきました。彼が、カウンセリングにおいて自分が支えられているということを体験していくほ ど、この間隔は彼にとって耐えがたいものではなくなっていったのです。つまり、彼が支えを獲得していけばいくほど、カウンセリングまでの間が耐えられるよ うになったわけであり、それは言い換えれば、彼が彼の現実生活の中に留まることがより容易になっていったわけであります。
 彼はその後、週に二回のペースから、週に一回でも十分に耐えられるようになり、最後は二週に一回でもやっていけるようになったのです。
  もし、これが彼の希望通りに毎日面接していたとしたらどうなっていたことでしょう。確かに、その方が私は儲かります。しかし、毎日カウンセリングをしてい たとすれば、カウンセリングがあまりにも彼の生活に入り込み過ぎてしまっていただろうと思います。カウンセリングは、できればクライアントの生活の一部に はなってほしいとは思いますが、あまりにも生活の場を占め過ぎてはいけないものであると私は考えます。カウンセリングがあまりにもクライアントの生活に溶 け込み過ぎれば、カウンセリングはもはやクライアントにとって特別な時間ではなくなってしまうのであります。特別な時間ではなくなるということは、カウン セリングがクライアントの生活空間を占めてしまっているということであり、そのような時間並びに空間は「守り」を提供することができなくなってしまうこと を意味するのであります。このためにも、カウンセリングにおいては間隔を空けるということが必要になるのであります。クライアントにとって日課になってし まうのは望ましくないのであります。

(文責:寺戸順司)






<テーマ31> 間隔の利用

 カウンセリングにおいては、面接と面接の間を空けることが大切であるということを前項では述べてきました。この点に関して、もう少しだけ補足しておきたいと思います。
  私の考えでは、カウンセリングはまずクライアントの生活から区別される必要があるということです。またクライアントの生活に侵入し過ぎないということも大 切なのであります。従って、生活空間を提供するような援助(例えば入院することとかDV被害者のためのシェルターなどの施設)とは異なるわけであります。
  また、クライアントの生活空間に侵入しないという点において、私のカウンセリングは必然的にクライアントの方から面接室に足を運んでもらうことになりま す。クライアントの生活空間においてカウンセリングをすることは、(それをしている人たちもありますが)私は個人的には反対なのであります。これに関して は、後に「場所」に関する項目で述べる予定でおります。同じように、クライアントが面接室にあまりにも彼の生活を持ち込んでくるという場合もあります。そ れは家族で受けに来るというような場合であります。クライアントが家族全体で来た時、私は最初はその全員に会うことにしていますが、いずれ、その中の、本 当にカウンセリングを必要としている人(これは必ずしも問題行動を示している人とは限らない)とだけ会うようにしています。家族療法をされている方々もお られますが、私は家族全員と一度に会うということはどうも苦手なのであります。それに、その場合、カウンセリングが家庭環境の延長になってしまうという点 で、私はあまり賛成できないのであります。

 間隔ということに話を戻しますと、クライアントはさまざまな形でこの間隔を利用していることが分かるのであります。それをいくつか紹介しようと思います。
  あるクライアントは、面接の最中は私の言葉であるとか、話し合っている事柄に関しては十分に理解できないでいました。しかし、その人はそれを一旦家に持ち 帰って、次回の面接までに振り返るということをしていました。すると、その時はよく分からなかったことが、その人の生活体験の中で、カウンセラーはこうい うことを言っていたのかと気づく場面を経験してきました。簡単に言えば、面接では十分に理解できなかったことが、その間隔において理解できてくるというこ とであります。
 面接で不十分だったところが、次回までの間隔において補われるというような例はいくつもあります。クライアントは普段の生活で、 ふとそれが分かると報告してくれることがよくあります。カウンセリングで話し合ったことが、生活の中で出てくるのですが、その時にカウンセリングで話し 合ったことがどういうことなのかが本当に理解できたり、私の言ったことが腑に落ちたというような体験をクライアントはするのであります。
クライア ントはカウンセリングの場で気づきを得ることもありますが、それと同じくらい、普段の生活の中で自分自身への気づきを体験するものなのであります。しか も、その場合、生活場面においての「気づき」を得るには、カウンセリングで行った作業が不可欠なのであります。なぜなら、カウンセリングを受ける前からク ライアントはその生活場面に身を置いているはずであり、カウンセリングを受けてからもその生活環境においてクライアントは生きているのであります。それま でに気づきを得られなかったとするならば、同じ生活環境において、今までと同じ態度で生活している限り、やはり気づきは得られないままであろうということ が言えるのであります。
 もう少し述べるなら、人が自分自身の事柄に気づくかどうかということは、単に注意力や視野の問題だけではないと私は考え ているのであります。今まで気づかなかったことに気づくということは、そこには必ず心の変容が伴っているはずであります。心の状態が同じであるならば、や はり同じものしか見えないだろうし、気づかないものは気づかないままだろうと私には思われるのであります。心の変容という部分にカウンセリングが深く関 わっているのであります。この点については、いずれ項を改めて述べるつもりでおります。
 
 上に述べたことは、簡潔に述べれば、面接と面接との間に、カウンセリングで行った作業への理解が深まるということでありました。もちろん、そういう場合がよくあるということでありまして、そういうことがまったく見られないというようなクライアントもおられます。

  さて、一週間後にまた受けに来るということは、一部のクライアントにとって一つの希望となる場合があります。あるクライアントはそれを「待ち遠しい」とい う言葉で表現しました。前項で掲げた事例が、どちらかと言えば「耐える」ものとして間隔を体験したのに対し、この人たちはこの間隔を期待や希望として体験 していたのであります。
 次の面接までの間に復習していようと、期待して待っていようと、あるいはガマンして待っている場合であっても、クライア ントはその間、いい意味でも悪い意味でも、心の中でカウンセラーと関わっているものではないでしょうか。イメージの世界でカウンセリングを追体験している ものではないかと私は想定しております。
私がかつてカウンセリングを受けていた頃にもそのような体験をしていたのを覚えております。実際にカウン セラーと一緒に過ごすのは一時間足らずです。次の面接までの間、私はイメージの中でカウンセラーと関係を続けていたのであります。その時、私は客観的には 一人ではありましたが、常にカウンセラーと関わり、カウンセラーの存在が側にあったのであります。この体験は当時の私にとって非常に心強いものであったの を覚えております。そうして私は一人でいることに耐えてきたように思います。
 次のカウンセリングまでの間にこうした体験をするというのは、カウンセリングの一部だと思いますし、クライアントによってはそのような体験が非常に重要で意味がある場合も多いのではないかと私は捉えております。

  しばしば「うつ病」や「ひきこもり」と診断されている人たちにとって、一週間後のカウンセリングが唯一の予定となることもあり、これをきっかけに彼らの時 間が構造化されていくこともあります。当初、彼らには将来に何の予定もなかったりするのであります。そこに、例えば「水曜日はカウンセリングの日」という ように、予定が生まれ、習慣が形成されていくことがあるわけであります。こうして一つのことが彼の生活の中で形成されていくことが、他の予定、習慣が形成 されていくことの一助になるのであります。実際、「水曜日はカウンセリングの日なので、散歩は火曜日にすることに決めた」というように述べられたクライア ントもおられます。それまで無秩序に、好きな時や気の向いた時にしていたことが、カウンセリングが予定に組み込まれたことによって、生活が構造化され、秩 序だってきた人もおられました。カウンセリングがこの人の生活に組み込まれたことによって、カウンセリング以外の生活場面が変わってきたのであります。こ の人も、カウンセリングの間隔をうまく利用した例であるとみなすことができるかと思います。

 本項の要点を述べますと、実際にカウンセ ラーとクライアントが対面している時間だけがカウンセリングなのではなくて、次の面接までの時間もまたカウンセリングの一部を成しているものであります。 より正確に言えば、カウンセリングで話し合ったことや体験したことが、カウンセリングの場以外の生活場面で生きてくるのであります。そしてクライアントの 変化や心の変容はむしろ面接と面接との間の時間に生じ、確立されていくものであります。その意味でも、このカウンセリングの間隔ということにはとても重要 な意義があるわけであります。

(文責:寺戸順司)






<テーマ36> カウンセリングの期間 

 これまでは一回のカウンセリングの時間ということと、カウンセリングとカウンセリングの間の間隔ということを述べてきました。ここで時間に関しての三つ目のテーマである、カウンセリングの期間ということに焦点を移していくことにします。
 カウンセリングの期間というのは、カウンセリングを始めてから終結するまでの間の期間を指しています。このことを論じることは意外にも非常に難しいものでありまして、それはこのテーマが次の三つの問題点を孕んでいるからであります。その一つは、まずカウンセリングの終結とはどういうことかという問題であります。次に、カウンセリングの期間は誰が決定するのかという問題であります。最後に、この期間ということがそれほど重要な問題なのか否かという問題であります。
 この三つの問題点に関しましては、後々別箇所で述べていくことになるかと思いますが、ここでは大雑把に私の考えているところを述べるに留めておきます。最初のカウンセリングの終結ということでありますが、やはりどのクライアントであれ、終結する時が来るものであります。カウンセリングが終結すると言っても、その人の人生のプロセスは引き続き展開されていくものでありまして、その都度、カウンセリングを必要とされるクライアントもあります。こう考えますと、完全な終結というものはあり得ないのかもしれません。
 二つ目の問題点である、カウンセリングの期間は誰が決定するのかということに関しては、本項は主にこの問題に焦点を当てるつもりでおりますので、詳細は後に譲ることにします。
 三つ目の問題でありますが、期間ということが本当にそれだけ重要な問題なのかということであります。一部の人たちにとっては、これはとても重要な事柄であります。どれだけ通うことになるのかという見通しがついていないと不安で仕方がないという人もおられます。また、そこには費用の関係もあるでしょう。私はとりあえずの目安として、半年から一年くらいは通う気持ちでいてくださいとお伝えすることもあります。これは必ずしも、半年や一年で解決するという意味ではありません。しかし、カウンセリング関係がうまく築かれれば、半年から一年でそのクライアントの状態がかなり変わっていくものであります。ですから、あくまで一つの目安としてお伝えしているのであります。
 私はカウンセリングや「心の問題」に関しては、スピードを競うようになってはいけないと考えております。近年、いかに短期間で終結するかということがますます重視されているように感じております。私はこれはよくない兆候であると捉えております、もし、臨床家が時間を競うようになったとしたら、それはいかに早くクライアントを望ましい状態に変えていくかということだけに注目するようになるのではないかと危惧しております。従って、よりテクニカルな関係へと陥ってしまうのではないかと考えております。
 私にとっては、短期間も長期間もあまり関係がないのであります。短期で終えることが素晴らしいとも思いませんし、ただ長引いているだけなのも望ましいとは思いません。クライアントと私の双方にとって、一回一回が意味ある限り、意味のある発見がある限り、そのカウンセリングは価値があるわけでありまして、期間の長短はそれには関係ないと捉えております。

 さて、本題に戻って、カウンセリングの期間ということですが、これを決定するのは誰かという問題を取り上げます。
 私が以前勤めていたクリニックでは、臨床家が面接回数を設定していました。これはマンの「時間制限精神療法」に基づいているということでした。私もそのやり方で試みてみたこともあります。そこでは一定の回数をクライアントと契約することになるのですが、それはそれで利点もありました。その回数分はクライアントも臨床家も双方が守られているという安心感がありました。しかし、後半になると、私は自分がその回数に縛られている(恐らくクライアントもそうだっただろうと察します)ことに気づきました。そして、無理な動きをしてしまうのであります。これは私だけかと思いましたが、私の上司たちも案外同じような束縛を経験しているのではと思える場面もありました。安心をもたらしていた回数ということが、束縛となってしまって、双方が自然さを失っていたように思います。それは私の技術上の問題であると言われればそれまでなのですが、どうも私にはそのやり方はうまくいかなかったのでした。
 また、あるクライアントは他所でカウンセリングを受けに行った時のことを話してくれました。このクライアントはそこで「どのコースになさいますか」と聞かれてびっくりしたと言います。私は「そのコースっていうのは何ですか」と尋ねてみますと、それは例えば「10回コース」とか「20回コース」とかいうようなものだったのです。クライアントは話します。「こんなコースって意味があるのかしら」と。私も同感であります。一般のサービス業であれば、このようにお客さんがコースを選べるというのは、お客さんにしてみれば嬉しいことでしょうけれど、カウンセリングでそれをすると、かえって困惑するクライアントもおられるのではないかと私は考えます。
 また、回数を臨床家が設定することは、臨床家としては「10回単位」で面接を重ねていくつもりで伝えたとしても、クライアントはその10回ですっかり良くなるというように誤解される方もいらっしゃるのではないかと思います。その辺りのことも、私が賛成できない部分であります。

 基本的に、私の方から回数を設定するということはしません。ただ、先述のように、半年から一年くらいかけるつもりで受けてほしいということは伝えることがあります。それでも、厳密に何回受けなさいというようなことは言わないようにしています。
 私はクライアントがカウンセリングを必要とするだけ受ければいいと考えております。しかし、このことは、クライアントが好き勝手に中断してもいいという意味ではありません。それに関しては別項にて述べるつもりでおります。
 多くの場合において、クライアントはカウンセリングから離れていくものであります。終結するというより、離れていくと言う方が、私にはより事実に近いように思います。そして、その時期というのが、私にもある程度予期できるのであります。従って、このクライアントはそろそろカウンセリングから離れていくだろうなという予感がすると、そのクライアントは面接の間隔を広げたりして、離れる準備を始めるのであります。もし、カウンセリングがうまくいくと、クライアントは徐々に外側の世界に関心を向けるようになっていくものであります。そして、その人にとってカウンセリングよりも重要だと思われる事柄に少しずつ取り組むようになっていくものであります。そうなっていくと、しばしばクライアントの方から終結を申し出るものでありまして、私もその人のこれまでのプロセスをみていると、その終結に同意できるのであります。継続がお互いの同意のもとでなされるのと同じように、終結もお互いに同意の上で終わりたいというのが、私の望んでいることなのであります。
 また、カウンセリングの最初の時点で、クライアントがどれだけの援助を求めているかということにもクライアントによって差があるものであります。一人一人が異なっているのに、こちらが一律に回数を設定するというのは、やはり無理なことではないかと私は考えているのであります。

 カウンセリングの期間に関する私の考えをまとめておきましょう。
 私は基本的に回数を設定はしません。しかし、クライアントには半年から一年程度通うつもりでいてほしいと願っています。そして、終了に関しては、クライアントと同意の上で終わりたいのであります。

(文責:寺戸順司)






以上、「カウンセリングの枠組みについて(3)」は終了です。
「カウンセリングの枠組み(4)」に続きます。