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夫婦関係(2)~離婚

夫婦関係の問題(2)~離婚―INDEX

<テーマ41> 夫婦関係の問題としての「離婚」 
<テーマ42> Aさんの事例:カウンセリングを受けるまで 
<テーマ43> Aさんの事例(続き) 
<テーマ44> Aさんの事例(続き) 
<テーマ45> Aさんの事例(続き) 







<テーマ41> 夫婦関係の問題としての「離婚」 

(41-1)DV問題と離婚問題は切り離すことができない
 夫婦の問題については二つの大きなテーマがあります。一つは既にいくつか論じてきましたDVであります。もう一つは離婚の問題です。夫婦間の問題を抱えてカウンセリングに訪れる人は、たいていこの両者のどちらか、あるいは両方を持ちかけてくるものなのです。
 このホームページの原稿を書き始めた頃、私は離婚もDVもともに夫婦関係の問題として一緒に扱おうと考えていました。しかし、両者はそれぞれが大きな問題であるので、二つに分けて掲載していった方が良いように思えてきました。それで、今後は離婚のことは「離婚」のページにて、DVのことは「DV」のページにて掲げることにします。
 ただし、これはこのホームページ上における分類でありまして、読む人、検索する人の便宜を考慮してのことであります。現実には、離婚問題にはDV問題が潜んでいることも多く、DV問題が離婚問題へと発展することも多々見かけられるのです。私の印象ですが、離婚問題の一部にDV問題が含まれていると捉えております。両者は現実には区別できないものです。その点をご了承していただきたいと思います。

(41―2)離婚は幅広い問題である
 さて、離婚の問題を考えていきますと、それが単に離婚という一出来事の問題に尽きないということが理解されてくるのです。離婚の問題を考えることは結婚の問題を考えることにもなり、更には未婚、非婚(未婚とは結婚していない人のことで、非婚とは結婚を拒否しているかできないと捉えている人のことを指すというようにここでは理解してください)の問題をも含めて考えざるを得なくなるのです。従って、取り上げるテーマは広いものとなっていくかと思います。
 また、離婚は当事者である夫婦だけの問題で収まらないのです。その夫婦の子供もまたこの問題に巻き込まれてしまうものです。子供だけでなく、しばしば親や親類、友人たちをも巻き込んでしまう例も少なくありません。巻き込まれる人たちのことも取り上げることになるでしょうし、そうして巻き込んでしまう夫婦のことも考察してみる予定をしています。
ここで周囲を巻き込んでしまう夫婦のことを、若干先取りして申し上げますと、どれだけ周囲を巻き込むかということは、その夫婦の成熟度と関係があるように私は捉えております。もちろんそれぞれの夫婦の状況というものに違いがあるので一概に断言できるものではありませんが、夫婦のそれぞれが未熟なほど、夫婦間の問題を自分たちだけでは抱えきれず、周囲を巻き込まざるを得なくなってしまっているようであります。

(41―3)一人の人生における離婚
 さらに、離婚の問題は、その当事者の離婚前の問題と離婚後の問題をも含むことになります。従って、離婚だけを取り上げるのではなく、結局は、一人一人の離婚者の人生全体が視野に入ってくるのです。人の一生というものが一つの連続体を成している以上、離婚はその時だけのイベントとして捉えることは望ましくないのです。その人の生まれてから現在までの流れにおいて、離婚ということが生じているのでありまして、更に、離婚後もその連続線上において、その人は生きていかなければならない、人生のプロセスを続けていかなければならないのであります。離婚の問題を考える際には、この視点を持たなければならないと私は痛感しています。
離婚を人生の一時点における一つのイベントのように捉えてしまうから、「離婚はしてはいけない」とか「世間体がみっともない」とかいう不毛の議論に陥るのです。この点は後々述べる機会を設けるつもりでおります。

(41―4)本項以降の流れ
 今後の予定でありますが、まず本項に続く<テーマ42>から<テーマ45>までの四回は、かつて「マイベストプロ大阪」に掲載していた原稿を再録します。当時、離婚問題を持ちかけてくるクライアントが多かったので、それに取り組んでいた時に書いた事例を掲げます。Aさんと仮に名づけました。Aさんのカウンセリングはかなり以前に私が経験したものでありますが、「マイベストプロ大阪」のために書いた原稿は昨年書かれたものであり、基本的に私の考えは変わってはおりません。
 それ以後のテーマに関しましては、Aさんの事例以後に「マイベストプロ大阪」に掲載した内容のものを新たに書き直していく予定でおりますし、更にその後に継続していく予定をしていたテーマをも掲載していく予定です。「マイベストプロ大阪」での掲載は途中まででしたので、今回、これを機に最後まで継続させていく予定をしています。私の考えていることや経験したことが、一人でも誰かの役に立つことを私は願っています。

(文責:寺戸順司)






<テーマ42> 離婚(1):Aさんの事例:カウンセリングを受けるまで 

(42―1)はじめに
 本項より、Aさんの事例を記述していきます。これは前項で述べたように、かつて「マイベストプロ大阪」に掲載していたものです。そこで、私は離婚のケースを取り上げると同時にカウンセリングについても理解してもらえることを考えていました。従って、随所で離婚問題から離れて、カウンセリングで問題になる事柄や、カウンセリングのプロセスをも述べています。その点はご了承ください。

(42―2)Aさんがカウンセリングを受けるまでの経緯
 カウンセリングを受けに来た一人の男性がいました。仮に、ここではAさんとしておきます。
 Aさんは結婚しており、その夫婦生活は極めて円満でした。最初の頃、Aさんは胸を躍らせる思いで妻の待つ家に帰っていたのでした。その生活はとても充実しており、仕事もやりがいをもってこなしていました。Aさんにとって、その結婚生活におけるもっとも幸せな日々でした。
 結婚生活も数年経つと、何かが変わってきたことに彼は気づきました。彼には日に日に妻のことが煩わしく感じられてきたのでした。妻の言動が時々神経に触るようになっていたのです。彼は、その頃は、これはちょっとした倦怠期だろうくらいにしか受け止めていませんでした。そして時間が経てばまた以前のような関係、以前のような生活に戻れるだろうと純粋に考えていました。
 しかし、彼の期待とは裏腹に、状態はますますひどくなっていきました。かつては胸躍らせて妻の待つ家に帰っていた彼が、今では、家に帰るのを何とかして遅らせようとするようになったのでした。特に急ぎの仕事でもないのに残業をしたり、用もなくだらだらと会社に残ることもありました。会社帰りに寄り道することも増えました。これはかつての彼からは考えられないことでした。それでも家に帰らなくてはなりません。家に帰っても、妻との会話は減っていき、些細なことでケンカになり、彼にとって妻の言動はますます耐えがたいものに感じられてきたのでした。
 こうして彼は、家庭では憂うつな気分に襲われ、生活からは活気が失せ、火が消えたように消沈した日々を送るようになったのでした。気分は落ち込み、食欲も減退し、睡眠も十分に取れなくなっていきました。会社では、仕事に集中できず、小さなミスを繰り返すようになり、成績も下がってきました。
 以前よりも状態が悪化している。彼はそう実感しました。もはや時間が経てば回復するだろうという楽観的な期待をすることはできませんでした。彼はすがるような思いで精神科を受診しました。その時の診断は「軽いうつ病」ということで、薬を処方されました。
 薬は彼にはよく効いたようでした。集中力が増し、食欲や睡眠を取り戻していったのでした。しかし、その一方で、妻に対してはますます耐えられないほどの怒りの感情を覚えるようになったのです。今では、妻の一挙手一投足がすべて彼の神経に障り、妻のことに関してはいつもイライラしていました。
 この頃、会社の女性とお喋りすることが増え、それは彼にとっては久しぶりに女性との会話を楽しんだ経験となったのでした。こういうことは結婚当初の彼からは想像もつかないことでした。結婚した頃は、他の女性と会話することは、妻に対して罪悪感のようなものを感じていたと彼は述べました。それが、今では、他の女性と話すことは楽しみであり、新鮮な体験ですらあったのでした。
 一方、家庭の方ではますます口論が激しくなり、夫婦の関係は完全に冷えきっていました。そこにはお互いに対する愛情も思いやりもないということが、お互いに分かっていたようでした。それでも夫婦関係を維持しなければいけないと思い込んでいたのは、子供のためでした。彼は言いました。もし子供がいなければもっと早く離婚していただろうと。
 彼がカウンセリングを受けに来た時は、さらに状況は悪化していて、家庭は崩壊寸前というところまで来ていました。「同じ男性だからわかってくれるだろう」と思って、私に会いに来たと、彼は述べました。この時点では、まだ離婚はしていませんでした。

(42―3)変化を過小評価してしまうこと
 ここまでAさんがカウンセリングを受けに来るまでの経過を見てきました。これは彼がカウンセリングの中で語ったことを私が時間順に再構成したものです。上記のようないきさつは数回に渡って語られてきたものでした。もちろん、その間には他に多くのエピソードが語られているのですが、必要な話のみを取り上げているのです。
 さて、事例を先に進める前に、ここまでの所で重要と思うポイントを述べていくことにします。
 まず、結婚して数年目に、彼は夫婦生活に変化が見られたことに気づいていました。彼はそれを倦怠期に入ったのだろうと考えました。彼は自分が体験している変化を過小評価していたと言えます。本当はこの時期にカウンセリングを受けるなり、何らかの対処をすることができれば良かったのですが、彼はそれを大したことはないとみなして、そのままにしてしまったのであります。
 その後は、先述したとおり、状況はますます悪化していきました。このことはAさんだけに該当するわけではありません。カウンセリングを受けに来た人の話を聞いていますと、自分の状況に対してAさんがしたような過小評価をしてしまって、どうにもならない状況に追い込まれて初めて援助を求めるという例が本当に多いのです。自分の後退や生活に変化が見られたにも関わらず、それを大したことはないとみなしたり、そのうち良くなるというように考えたり、時にはそうした変化に気づかなかったり、見過ごしてしまったりする人もあります。これらはみな自分自身の変化や状況を過小評価していることになるのです。
 彼にもそういうことが起きていました。早い段階で援助を求めていれば、自体はもっと違った展開になっていたことでしょう。

(42―4)「病」の背後にある夫婦関係の「問題」
 彼はまず、心身の状態が不調であるということを訴えて、お医者さんにかかったのです。お医者さんは彼を診察して「軽いうつ病」と診断しました。この診断は間違ってはいないのですが、私は個人的な見解として「うつ病」と「うつ状態」ということの区別をもう少しつける方がいいのではいかと考えています。Aさんの場合は、「うつ病」として診断するより、「うつ状態」と診断する方が適切であると思います。
 医者から処方された薬はAさんにとてもよく効きました。彼は以前の集中力が回復し、生活習慣を取り戻したのでした。しかし、困ったことに、妻に対する怒りの感情や不平不満が噴き出すようになったのです。このエピソードから、こうした感情を彼は表に出さないように努めていたということが推察されるのです。
感情を表に表さないということは、彼に莫大なエネルギーを消費させていたのでした。これが彼に「抑うつ」感をもたらし、ひいては集中力や気力を奪っていたのでした。言い換えるなら、薬がとてもよく効いたがために、「うつ状態」に陥ってまで抑えていた感情と向き合わされることになったのです。
 ここで重要な点は、Aさんはお医者さんから診断名を貰ったことで、「うつ病」ということが彼の問題であるというように分類される可能性が高くなるということです。その「問題」や「病」の背景に夫婦の問題が潜んでいるということが案外多いのですが、表に現れた問題に診断名を付されると、背景にあるものが見過ごされる可能性が出てくるのです。
 実際、ほとんどのケースにおいて、クライアントがカウンセリングを受けにくることになった直接の問題の陰には夫婦の問題や家族の問題が潜んでいるものです。しかし、病院に行くと、それは「うつ病」とか「人格障害」や「摂食障害」などといった問題としてみなされることになりかねないのです。そして、そういう例を私は時々体験するのです。
 Aさんは確かに「うつ状態」に陥っていました。彼に抗うつ薬を処方するのは適切だったと思います。しかし、彼が何とかしたいと思っていた問題は、自身の「うつ状態」にあるのではなかったのです。その点はAさん自身が自覚されていました。彼は精神科医には夫婦間のことを十分に伝えることができなかったようです。彼からすると、精神科医はまずこの「うつ状態」に手当てをするということを第一義的に捉えていたように映ったそうです。
 この医師の処方が正しいとか間違っているとかを論じるつもりはありません。押さえておきたいことは、Aさんの場合、「うつ状態」という症状よりも、夫婦間の関係の方が根が深いということです。なぜなら、夫婦間の問題が先に生じて「うつ状態」が見られているということと、Aさんの「うつ状態」が改善されていっても尚、夫婦間の関係は相変わらずの状態で留まっているからです。
 もしAさんの治療が「うつ病」治療に限定されていたとすれば、今後のカウンセリングでみられるような展開は望めなかったかもしれません。

(文責:寺戸順司)






<テーマ43> 離婚(2):Aさんの事例(続き) 

(43―1)再びAさんの事例に戻って~離婚の先にあるもの
 Aさんのカウンセリングは8回程度で終了したのですが、妻に対する不平不満は最初の頃に少し見られただけでした。彼は言います。「妻のことに関しては腹が立つこともあるし、不満もあるけど、どういうわけかあまりそれを話す気にもなれない」と。
 私は、Aさんが妻のことで苦しんでいるのだから、当然、妻に対しての愚痴がもっと彼から語られるだろうと思っていたのでした。彼がそう言うのだから、無理に愚痴を語らせる必要もないので、「今後、どんなふうになればAさんにとって望ましいことなのでしょうか」と尋ねてみました。彼は、「離婚した方がお互いの為だと思う」と答えました。彼の気持ちは、この時点でかなりはっきりしていたようでした。
「それでは、離婚してからどのようなことをしたいと思いますか」と私は尋ねました。この質問に彼は答えにくそうでした。それもそのはずで、離婚するということが彼の最大の関心事であるのに、それより先のことを聞かれているのですから、彼が「そんなこと考えたこともない」と答えたのは当然でした。
「考えたこともないから答えられないのは当然ですよね。でも、いい機会になるかもしれませんから、この場でそれを少し考えてみるのはいかがでしょう」と私は、彼に考えるように促しました。
 彼が考えるために私はいくつもの質問をしてそれを手助けしました。例えば「離婚することによって、あなたが得られるもの、もしくは取り戻せることがあるとしたら、それはどんなことでしょう」とか、「離婚してから、あんたはどんなふうに変わっているでしょう、今とどういうところが違ってくるでしょうか」といった質問をしていきました。こういう話し合いは、カウンセリングというよりも、むしろコンサルティングに近いものです。彼は、離婚後の自分というものをなかなかイメージできませんでした。私は「現実の制約を一時的にでも無視して考えてみませんか」といった助けを出していかなければなりませんでした。
 こういう話し合いを何回か続けていく中で、明確になったことを要約すると次のようになります。まず、Aさんは、家庭よりも仕事に戻りたいと考えていること。仕事の方を生きがいにしたいということ。それは、彼には仕事に対しての理想があるからで、家庭を持っていては、その理想が達成できないように思われること。それが達成されてからでないと、再婚のこと、家庭を築くことは考えられないということ。離婚した場合、妻と子供への生活費はきちんと送るつもりでいること。そのための経費を別にしても、贅沢さえしなければ一人でも生活できるめどはついているということでした。


(43―2)離婚後の生活を考えるということ
 前回同様、ここまでのことで少し解説をしていくことにします。
 離婚するかもしれないという危機感から、カウンセリングを受けにきた人の大部分は離婚してしまった後のことをあまり考えていないという傾向があるようです。目先の事柄にあまりにも囚われ過ぎているためにそうなってしまうのでしょう。仮に、考えていたとしても、それが漠然としていたり、非現実的であったりすることもあります。離婚するにしてもしないにしても、お互いにその後の人生があるので、その後のことを現実的に検討しておくことは有益であると私は考えております。
 Aさんも、他の多くの例と同様に、目先の離婚のことで頭がいっぱいで、それから先のことは視野に入っていないという感じでした。彼は、私の質問にすらすらと答えたわけではありません。随分深く考え込みながら、時間をかけて答えたのでした。これは私の質問が難しいからではなく、私が質問するようなことを彼が考えたことがなかったためなのです。考えたことがあったとしても、改めて質問されると答えられないことが多く、その時になって初めて十分に考えていなかったことが分かったり、考えているつもりでいたということに気付いたということも案外多いものであります。
 ここで指摘しておきたい点は、考えるのはAさんの仕事であり、カウンセラーである私は質問したりして、Aさんが考えるのを手伝っているということです。カウンセリングでは、作業をするのは常にクライアントの方でなければならず、カウンセラーが代わりに考えてくれるものではありません。もし、アドバイスを与えるタイプのカウンセラーがいたとしても、そのアドバイスを受け入れるかどうかはクライアントが決めなければならなくなるのです。カウンセリングの場において、クライアントは常に自分の生活や人生、考え方や物の見方について、向き合うことになるのです。

(43―3)見えてきた願望
 Aさんは離婚の決意をかなり固めておいでのようでした。しかし、離婚後の生活に関しては非常に貧弱なイメージしか抱いていませんでした。この状態で離婚すると、その離婚は、「離婚のために離婚した」とか「いやになったから離婚した」という感覚しか残さないものです。離婚後のことを考える作業をしていく中で、何のために離婚するかが見えてきたのでした。
 見えてきたのはAさんの願望でした。彼は仕事の方で生きたいというのがその願望なのです。
「仕事よりも家庭が大事じゃないか」とか、倫理的、あるいは価値観に関する事柄は除外します。それらはAさん自身の観点ではないからです。
 Aさんが苦しい夫婦生活を終わりにして仕事に打ち込みたいということであれば、それはそれで構わないのです。Aさんの人生であり、Aさんが決断しなければならないことだからです。
 Aさんの場合、離婚してどうするかを考えていく中で、何のために離婚したいのかということがこうして見えてきたのです。こうなると、離婚という出来事を彼の人生において位置づけことができるのです。

(43―4)愚痴の効用
 Aさんのケースでは、妻に対しての愚痴がほとんどありませんでした。家庭内では妻のことで腹を立てながら、カウンセリングの場ではそれがあまり語られませんでした。
 よく、「愚痴をこぼしても解決にはならない」と言って、愚痴をこぼそうとしない人もあります。その人はある意味では正しいのです。愚痴は直接的に解決につながることはありません。しかし、愚痴をこぼしているうちに見えてくることがあり、もしくは愚痴を十分にこぼした後で見えてくるものがあり、それらが解決に役立つということも案外多いものです。直接的な解決はもたらさないかもしれないけれど、愚痴をこぼすことによってもたらされるものもあるということです。これを「愚痴の効用」と私は呼んでおります。
 さて、Aさんは妻に対する愚痴をこぼしませんでした。このことは何を表しているのでしょうか。妻に関して愚痴をこぼしている時、その人は、どこかで妻に対する未練や期待を語っているものであります。Aさんが妻への愚痴をこぼさないということは、このこともまた妻に対しての感情を語っているものとみなすことができます。その感情とは、妻に対して期待することも未練もないという感情ではないかと思われます。それだけに、彼の離婚への決意は相当しっかりしているとみてよいと思われたのです。

(文責:寺戸順司)






<テーマ44> 離婚(3):Aさんの事例(続き) 

(44―1)再びAさんの事例に戻って~知り合った頃のことが話題になる
 離婚後のAさんの生活がどのようになっていくかを、彼に考えてもらい、イメージするという作業をしていきました。どのように変わるかということは先述したとおりであります。私は「そのような生活はAさんにとって、どのような意味があるのでしょう」と尋ねました。それに対して彼は「以前の生活を続けることになる」と答えました。
「それはどういうことでしょう」と私が尋ねると、彼は結婚前の生活を語りました。時はバブル経済崩壊後の、大学生の就職難の頃でした。彼が大学に入学した頃は、まだ景気がよくて、彼の先輩たちはとんとん拍子で就職を決めていたのです。ところが、彼が就職活動する頃には、様相がすっかり変わってしまい、新入社員を取らない企業がたくさんあったのです。就職は困難でしたが、かろうじて彼は神戸にある小さな会社に入ることができました。大学時代に、社会の明暗をはっきり見てきた彼にとって、会社に入れただけでも良かったことだと述べていましたが、一方で、大学の先輩たちとの不公平感から、彼はますます上を目指そうという気持ちを起こしたようでした。
 彼の理想は、このままこの会社で出世していって、ゆくゆくは自分の支店を持つということでした。この理想にかんしては後に取り上げることになるでしょう。
 入社した翌年、阪神大震災が起きました。彼の会社もダメージを受けました。会社が再建するまで、かなり時間がかかりそうだったので、彼は実家のある大阪に戻り、再就職することに決めました。
 再就職は、知人のコネも使って、利用できるものはなんでも利用するというような気持ちで取り組み、どうにか成功しました。それほど大きな会社でもないのですが、やりがいのある仕事だと彼は感じました。
 彼が取り戻したいと考えている生活というのは、震災で中断されるまで続いた生活のことのようでした。入社して、高い理想を抱きながら、一年も経たずに終わってしまった、あの生活をやり遂げたいと願っているようでした。
 さて、Aさんの妻とは、再就職先で知り合ったのでした。そこでは妻の方が先輩にあたり、彼の面倒をとてもよく見てくれたようでした。Aさんは彼女に惹かれていきます。そして結婚ということになりました。結婚してからのことは、<テーマ42>で述べたように、彼に幸福と充実感をもたらしてくれていました。
 Aさんの妻という人は、彼の話からすると、とても面倒見のいい人のようであります。甲斐甲斐しく相手に尽くし、相手を助けようとする人のようであります。それも、母親が子供の面倒を見るような感じでするのでしょう。それと、おそらく、同情心にも厚い女性のように私には思われました。
 Aさんは、こういう妻を得たことで満足があったわけです。それが、年月を経るに従って、同じ人に対して不満がつのってきたのです。これはどういうことなのでしょうか。

(44―2)鍵と鍵穴の関係~夫婦の一つの形態
 さまざまな夫婦のあり方がある中で、鍵と鍵穴のような関係の夫婦も少なくないようです。それは一方の空隔を他方がきっちり埋めてくれるというような関係であります。鍵と鍵穴がぴったりフィットしている限りにおいて、その二人は最高のパートナーどうしに思われているのです。
 Aさんの場合もそういうところがあったようです。お互いがフィットしている間は良かったのです。ところが、一方の形が変わってしまったために、鍵穴に鍵が合わなくなってしまったのです。
 では、変わってしまったのはどちらなのでしょうか。Aさんでしょうか、それとも妻のほうでしょうか。この例では、Aさんの方が変わってしまったのです。
 Aさんは就職難の時代にかろうじて入った会社で、理想を掲げながらも、それの実現に近づくこともなく、震災ですべてを失ってしまったのでした。彼の話では、地震が起き、半倒壊したマンションから、取るものも取りあえず、斜めに傾いた階段を下りて逃げ出したそうでした。そして、仕事も失ったのでした。大学を出て、一年も経たないうちにすべてがなくなってしまったのでした。不本意な挫折を味わされたのです。彼はそういう体験をしたのでした。
 妻となる女性は、再就職したAさんにとても同情したのでしょう。当時のAさん自身、そういう同情に飢えていたのかもしれません。ここに鍵と鍵穴が成立したと見ることができるでしょう。彼は何もかも失ったサバイバ―で、妻は彼に与えることのできる救世主のようになったのです。
 彼が変わったというのは、年月が過ぎ、震災の影響から回復していくにつれて、彼はもはや同情を乞う哀れな存在ではなくなっていたということです。もはや、同情も、いかなる援助も必要としない、一人の自律した人間に彼は戻っていたのです。妻の方は、まだ彼を同情と援助が必要な哀れな男と見ていたのであり、ここに両者のずれが生じてしまっていたようであります。妻は彼の面倒を見ようとします。既に彼はそんな面倒を見てもらう必要はなくなっているのにもかかわらずにです。だから、妻が彼に対してすることは、彼には不必要なものになっており、彼には煩わしいだけのものになってしまっていたのです。妻に甲斐甲斐しく世話を焼かれることは、今の彼にはむしろ自分のプライドが傷つくような体験となっていたのかもしれません。
 彼はもはや援助が必要な子供のような存在ではありませんでした。彼が一人の男性として、女性社員とお喋りを楽しむことができ、またその時間を充実したものとして体験していたということもそれを表しているのです。
 簡潔に述べるなら、彼には自分が子供扱いされることが耐えられなかったのだということになるでしょう。


(文責:寺戸順司)






<テーマ45> 離婚(4):Aさんの事例(続き) 

(45―1)Aさんの事例に戻って~妻の意味を洞察する
「再就職して、とても結婚を焦っていたように思います」
 当時を振り返って、Aさんはこう述べます。
私、「失ったものがあまりにも大きいので、何か、取り戻したいような気持ちだったのではないでしょうか」
 Aさん「とても不安定だったように思います」
 私「結婚することで、安定が取り戻せるように思われたことでしょう」
 Aさんは、彼にとって、妻にどういう意味があったかを洞察しようとしています。Aさんに限らず、自分にとって相手がどういう意味があったかを見ていくことは重要であり、この作業をしなければ、しばしば、同じことを繰り返したり、結婚生活をしていた期間を失敗としか受け止められなくなるということが起きるように思われるのです。
 このような話し合いをしていって、彼が行き着いた結論とはどのようなものだったのでしょうか。その結論から見えてきた現実とはどのようなものだったのでしょうか。簡潔に述べれば、彼は妻を愛していなかったのだということであります。Aさんによると、妻の方もまた同じだったのではないだろうかということでした。
 Aさんの夫婦関係は、Aさんが哀れな弱者である限りにおいて成り立っていた関係でした。「可哀そうな人」と「可哀そうな人に愛の手を差し伸べる人」の関係であり、対等な関係になることはありませんでした。
 詳しく述べるなら、ここで愛していなかったというのは、援助者と被援助者という関係の愛情ではあったかもしれませんが、夫婦としての愛情ではなかったということであります。Aさんは、自分が救われるために妻を必要としたのであり、必要としたのにはそれ相応の理由があるにしても、基本的に自分本位の関係なのであります。妻の方も、おそらくAさんを助けることで自分の存在理由を確認していたのでしょうから、こちらも自分本位だったのであります。妻にとって、自分の存在価値を保つためには、Aさんが永遠に援助が必要な人間でなければならなかっただろうと思います。
 これを読んでいるあなたは、自分が救われるために妻を必要としたというのなら、Aさんはなんて自分勝手な人なんだろうと憤りを覚えているかもしれません。確かにその通りです。彼はかつては「助けが必要な人」でした。妻は彼を「助ける人」でした。彼が妻に嫌悪するようになったのは、彼が妻に「助けられて」成長したからであります。妻を失うことを恐れて、いつまでも「助けが必要な人」で留まり続けるとするならば、それこそAさんは「心の病」ということになってしまうでしょう。彼が妻を嫌悪するようになったということは、彼の心が「健康」であるということの証でもあると私は思うのです。
 Aさんは確かに妻に助けられたのです。妻に助けてもらえたからこそ、今の彼があるわけなのです。それがAさんには理解できるようになっていました。だから、妻を煩わしく思えても、妻を恨んだりはしてこなかったのであります。
 それと、もう一点、重要なことは、Aさんが苦しんでいたのは、実際には妻のことではなかったのであります。彼が震災で最初の職場を失ったということは述べましたが、彼はその時の生活、その時の生き方を取り戻したいと願っていたのでした。このことはカウンセリングを通して、次第に彼に明らかになってきたことなのですが、最初の頃はそれに気づいていませんでした(もしくは、それが見えていなかったのです)。結婚以前の生き方において、彼はやり残したことがあるように思えてならなかったようです。妻よりもそちらを優先したくてならなかったのです。妻と一緒にいる限り、彼は、自分がそれを取り戻せるとは思えなかったのでした。
 そうして、彼は離婚の決意を固めたのでした。

(45―2)カウンセリングは常に不完全に終わる
 彼が決意を固めたことで、彼はカウンセリングから離れていきました。離婚を成立させて、新生活の準備に取り組みたいと言うのです。私は、彼が下した選択であり、判断であるので、反対はしませんでした。
 カウンセリングというのは、完全な形で終わるということはありません。常に何らかの問題を残したまま終わるものなのです。その理由は、一つは人間というのは常に変容していくからです。ある時点での解決は、次の時点での問題を形成するものです。すべてを解決するということは人間には起こり得ないことなのです。もう一つの理由として、クライアントの多くは当面の問題にめどがつけばそれで十分であると考えるからなのです。そこから先を追及していこうとはしないものでありますし、また、追及する必要がない人もたくさんいます。
 Aさんの場合、何が不完全に終わったのでしょうか。それは、彼の掲げる「理想」の問題です。
 彼の言う「理想」に関しては、それほど述べてこなかったので、少し説明する必要があります。彼が最初の会社で掲げた理想は、出世して自分の支店を持つということでした。それは就職難を経験したことから生まれた考え方であると、彼自身も捉えていました。最初の会社で、彼がそのような「理想」を熱く語ると、上司や同僚は彼のことをとても頼もしいと感じたようでした。誰も、彼の「理想」に異議を唱える人はありませんでした。
 ところが、二度目の会社で、尚且つ、彼自身が三十代になっていて、以前と同じように「理想」を熱く語っていると、周囲の同僚や上司は彼を疎ましく感じ始めたようです。時には、「理想を語る前に現実の仕事をしてくれ」などと注意されたり、「君は理想論者だ」と批判されることも増えてきたようです。ある時、彼は私に言いました。「理想を語ることは、そんなにいけないことなんでしょうか」と。
 理想を抱くことは何も悪いことではないのです。問題はその抱き方にあると言えるかと思います。私は一度、彼の理想話に付き合いました。それはとても熱心に語り、一生懸命なのであります。私は感じました。彼がそれだけ熱心に「理想」を語り、その「理想」を追及しなければならないということは、彼が自分自身に欠乏を感じているからではないかと。
 自分の内面に欠乏があるからこそ、それを埋め合わせるために、外部にあるものを追及しなければいられなくなるのです。彼もそうなのではないかと感じました。
そして、この欠乏は、彼が震災に遭うよりも以前から存在していた欠乏だったと思われるのです。震災を経験したことは、彼が内面に漠然とでも感じていた欠乏を、現実のものとして体験してしまう機会となったのでした。従って、その時に始まった欠乏ではないはずです。
欠乏が現実のものになったがために、彼はより一層その埋め合わせをしなければならなくなったのです。しかし、職場を失った彼には、それまで彼を埋めていた「理想」を追求することができなくなったのです。
そこで、彼は「理想」で内面に欠けているものを埋め合わせることを放棄して、「妻」にそれを求めたのです。初めのうちはそれが成功していました。
しかし、やがて「妻」は彼の欠乏を埋め合わせることができなくなります。そうなると再び「理想」が求められるようになったのです。
 こうなるとAさんの問題とは、離婚でも妻のことでもないということになります。問題は彼がその内面で感じている欠損にあるということです。しかし、彼自身には、自分がそういう問題を抱えているとは認識できませんでした。もし、今後、その「理想」が彼を埋め合わせることができなくなったということが起きた時、彼は自分の本当の問題に向き合わざるを得なくなるでしょう。

(文責:寺戸順司)






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「夫婦関係(3)~離婚」へ続きます。