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2019年8月31日 土曜日

8月31日:内向と外向

8月31日(土):内向と外向

 足の痛み、並びに胃痛と、かなりましにはなっているけれど、まだ少々の痛みがある。足の方は限られた一部分に痛みが残っており、平地では問題ないものの、階段でかなり苦労する。胃痛の方も部分的になっている。
 この胃痛は以前にも経験している。その時のことを思い出していた。すると、以前と今回と共通するところがあった。それがツーなんかの後に生じているということだ。僕は鎮痛剤の副作用のことをすぐに思い浮かべた。効能書を読んでみると、確かに胃腸の副作用のことが書いてある。きっとこれだろうと納得する。
 食欲はほとんどない。空腹感がない。それでも胃を空っぽにしてしまうのはよくないということで、少しずつ食べる。昨夜はお茶漬け一善、今朝はパン一個、昼はカップのそばと、それだけである。食べたいとは思わないけれど、胃を保護しなければとの思いで食べる。
 鎮痛剤は今日から減らしている。朝、一錠だけ飲んだ。それで今日一日持ち堪えさせるつもりだ。

 昨晩からずっとサイトの原稿を書いている。「被虐待児のその後」のページだ。すでに20数項分の原稿が揃っている。まだ完成ではないので、校正をもっとやっていくことになるのだけれど、まだまだ予定している内容には達していない。もっと書かなければという思いで今はいっぱいである。

 今日の午後から予約を入れているクライアントをキャンセルした。お金が払えないと電話してきたのだ。お金が払えないのなら止めてくださいと、僕はお願いした。世の中の常識では普通のことである。
 彼はお金が払えないのではないのだ。後回しにするのだ。これは僕もやってしまうのでよく分かる。支払いの優先順位を密かに持っているのである。それで払えない分は後回しにされるのである。
 問題はなぜ払えなくなるのかである。優先順位の中にはおかしなものが上位に来ていたりもするが、それはさておくとして、要は、他のことで使ってしまうのである。この時に後回しの心理が働いているのである。だから、8月末の支払い分は、その後回し作業が8月の最初にすでに行われているわけだ。
 もうこの人は切ってもいいと考えている。進展する見込みがなさそうである。

 おかげで昼から夕方までの時間が空いた。このブログもその時間に書いている。サイト原稿もすでに2項ほど書いている。昨日、ダウンしてしまったから、今日はまだまだ作業をする。

 夕方の面接を終えた。今一つ集中できなかった感じが残っている。
 一方で、内向と外向ということを考えている。ここで言う内向的とか外向的とかいうのは、ユングが性格類型として言っているもので、世間一般で言うものとは若干意味が異なる。外とか内とかいうのはリビドー(心的エネルギー)の方向を指している。
 世間一般的には、例えば、外向的な人というと社交的な人を連想するかもしれない。同じく、内向的な人というと非社交的な人を連想するかもしれない。そういう意味ではないのである。外向的な人は外向的な社交をし、内向的な人は内向的な社交をするのである。外向的な人でも非社交的な人はあるのである。内向的な人でも、人間嫌いではなく、静かで表面立たない人間愛に満ちている人もあるのである。
 自分と向き合ったり、自分を理解するとかいう場面でも、外向的な人と内向的な人とは、そのやり方が異なるのである。内向的な人は自分自身に目を向けて、そこから自分にフィードバックするというやり方をするだろう。外向的な人は外側に目を向けて、外側の何かを通して自分にフィードバックするというやり方をするだろうと思う。
 僕は直接お会いしたことはないんだけど、気象予報士からカウンセラーになったという人がいる。この人は人間の心の動きと天気図とは同じだということを発見したのである。僕が思うに、この人は多分に外向的なのである。心の動きを、自分の心を通してではなく、気象を通して理解しているのである。
 内向的な人は外向的な人と同じようにはできないし、外向的な人は内向的な人と同じようにはできないものである。そして、それでいいのである。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2019年8月30日 金曜日

8月30日:胃痛にやられる

8月30日(金):胃痛にやられる

 今日、金曜日という日は極力仕事を入れないようにしている。と言うのは、事務とか、その他の作業をまとめてやってしまいたいからである。毎日少しずつというのは、僕の場合、あまり上手くできない。一週間分を一日にまとめてやる方が性に合っている。
 午前中は外回りである。薬局に行って鎮痛剤を買っておかないと、この数日でかなり消費してしまったし、今日も服用している。足の痛みは少しましになっている。
 その他、買い物を少々しておく。銀行に記帳に行く予定も入れていたのに、通帳を忘れてしまったので、これは午後からにする。
 なかなか順調な滑り出しだった。昼からサイトをいじくろうと計画していたけれど、午前中に取り掛かれそうである。パソコンを開き、ネットに接続する。そしてサイト画面を開ける。初期化されておる。
 この初期化は時々ある。ユーザー名、パスワードを放り込めば回復するのだけれど、それらを忘れてしまった。そこで業者に問い合わせる。この件はそれでケリがついた。
 しかし、あの業者、最近、僕が電話するとビックリされる。「えっ!高槻カウンセリングセンターさんですか」などと言われる。今日もそういう反応だった。そないにユーレイでも見たような反応をせんでも、と思うのだ。まあ、僕の方も今は滅多なことでは電話をしなくなっているのだから、そういう反応をされても仕方がないな。
 サイト作業はブログを公開した。6月で止まっている状態だった。急遽、7月分のブログ原稿を揃えて、読み直し、いくつか修正なり校正なりをして、順次公開していく。公開と同時に、インデクスにリンク張りもしておく。すべて終了すると、HPを開いて、リンク張りが上手くできているか、一個ずつ確認する。問題があれば修正だけれど、問題なければそこで作業は終わりである。今回は修正もなく、一発で完了する。
 リンク張りが上手くできていないこともある。毎回一つくらいはそういうのがある。URLをドラッグする時に、最初とか最後が一文字欠けたりするのである。原因はもっぱらそれである。画面上の細かい文字上の作業なので、そうした手落ちをやってしまうことも多いわけだ。
 そこまでやって、お昼だ。午後からはサイト原稿を書いて、大掃除も一部やって、明日の準備をしてと、予定を組んでいた。午前中に行き損ねた通帳記帳もやらないといけない。ところが、この予定は不可となる。
 お昼はパスタをゆがいて食する。食後、少し休憩する。なんか胃が痛くなってきた。最初は耐えられる程度だったのに、だんだんひどくなる。めちゃくちゃ痛くなって、動けないような状態になる。じっとしていても痛むし、動くともっと痛む。
 鎮痛剤を服用して、少しだけ横になる。横になっても痛い。なんとか痛みがましになる姿勢を探してみたが、何をやっても一緒だった。
 気分も悪い。トイレに駆け込む。激しく嘔吐した。もう無理はできない。とにかく横になり、安静にする。
 いつしか眠ってしまったらしい。目が覚めたら19時を過ぎていた。4時間近く寝てしまった。胃の痛みはかなり小さくなっていたし、気分がすごく良くなった。最近の寝不足が祟ったか。
 眠っている間に夢を見た。僕は電車の中で立っている。けっこう満員状態だ。車掌のアナウンスが聞こえる。次はB駅、B駅などと言っている。B駅だったら通り過ぎている、一つ手前のA駅で降りなければならないのに。僕は少し焦った。どの辺りを走っているのかと、僕は窓際に駆け寄る。窓際に立っていた男性と衝突しそうになる。窓外を見ると、A駅手前の景色である。アナウンスの方が間違っていたのだ。やがてA駅に着く、僕は下車する。窓際の男性もここで下車する。内容は覚えていないけれど、そこで僕は彼と何か会話している。世間話のような感じだった。
 そういう夢を見た。夢はウソつかない。僕は焦り過ぎているのだ。
 目が覚めてから、少しだけパソコン作業をして、職場を後にする。午前中はトントン拍子だったのに、午後からはサッパリだ。しかし、自業自得でもある。少しは身体も労わらないといけないな。
 職場を後にして、いつもの喫茶店にこもっている。このブログもそこで書いている。ああ、しまった、銀行の傍を通ったのだからついでに記帳しておけばよかった。月末の引き落としがちゃんとできているのだろうか、気になる。
 毎日がこんな感じである。常に何か気がかりがあり、何かと心配事を抱えている。一つ一つ処理していっても、何か手落ちが見つかり、何かが抜け落ちる。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2019年8月29日 木曜日

8月29日:足が痛む

8月29日(木):足が痛む

 一昨日の火曜日からまた足が傷みだした。雨天のせいもあっただろう、左ひざが痛みはじめ、うまく動かせない感じがしている。加えて、タイミングの悪いことに、右足にツーのやつが現れ始めた。両足がダメになった状態である。
 火曜日は安静にして過ごした。本当なら運動不足解消のためにウオーキングを予定していたのだけれど、それどころではない。一日、家で過ごす。
 昨日の水曜日は仕事も入っていたので、鎮痛剤で痛みをごまかして、どうにか仕事はこなした。
 そして今日を迎えている。痛みはちっともましにならない。この三日間の鎮痛剤の消費量はけっこうなものである。とにかく、鎮痛剤が効いているうちに次の服用をしておく。痛みが復活してから服用したのでは間に合わないからである。
 今日は仕事の方はヒマである。午前中に病院に行こうかとも思ったが、病院へ行くまでが億劫だ。それに、恐らく、かなり待たされることになるだろう。病院は中止だ。
 昼頃、職場入りする。最初にしたのは昼食だ。昨夜も今朝もあまり食べる気がしなかったので、さすがに腹が減った。つい、ガッツリいってしまう。
 それから少しだけ仮眠する。昨夜はあまり眠れなかった。痛かったのである。それで、仕事前に少しだけ眠っておくことにした。
 仕事並びにその他の予定は、どうにかこなす。足が痛いのであまり動かないようにした。それに、腰痛の兆しが見え始めている。この三日間で不自然な歩行、動きをしてきたので、腰に来ているようだ。無理をすると、今度は腰痛にやられることになる。ともかく、必要な時以外は極力動かないようにして過ごす。
 そんなんだから今日はほとんど座ってばかりだ。座っているのはラクなんだけれど、それでも痛みが生まれる。本当は横になっている方がいい。膝を伸ばしている方がラクだし、足が着地していない方が痛みが少ない。
 今、これを木曜日の深夜に書いている。今日はけっこう本が読めた。座って、本ばかり読んでいた。書くこともやったけれど、こちらはあまり集中できず、言葉が出てこないという例の病気も始まっている。
 本と映画と、今はそれくらいしか興味が湧かない。ああ、そうだ、今日は音楽も聴いた。なるべく一日にCD一枚は聴こうと決めているのだけれど、それさえも今は覚束ない。今日は聴いた。ヴェルヴェット・アンダーグランドを久しぶりに聞く。このバンド、あまり好きになれないのだけれど、今日聴いたところ、そんなに悪くないと思えるようになった。
 このブログで、音楽の話もしてみたい。でも、映画の話も全然進んでいない。映画は相変わらず観ているけれど、感想を書くことを怠っている。同じことは本にも言える。ミステリにしろ、その他の文学作品にしろ、あるいは学術書にしろ、読んではいるけれど、ブログに書くのが面倒に思えている。
 昨夜からスタンダールの『パルムの僧院』を読み始めている。現時点で3分の1ほど読んだ。最初の2章まではとっつきにくかったけど、第3章から面白くなりはじめた。物語に政治が絡むのがどうも僕には苦手だ。政治的な話で、分からないものは分からないままにして、登場人物たちの動きだけを追うという読み方をしている。
 あと、木々高太郎の短編をいくつか読んだ。学術系ではブランケンブルグを再読し始めている。『自明性の喪失』はいいね。素晴らしい本だと思っている。

 ふう、この足の痛み、明日も続くのだろうか。気が重い。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2019年8月20日 火曜日

8月20日:ワイドショー日和

8月20日(火):ワイドショー日和

 明け方頃までサイト原稿を書いていた。4時か、5時近かったかもしれない。そこから少し眠る。8時ころに起床する。ワイドショーなんかを見ながらのんびり過ごす。

 煽り運転をして、相手の運転手を殴りつけた男性の事件を見る。同乗していた女性も幇助の罪で起訴されたか逮捕されたか、そんなことを言っていたな。
 この幇助した女性が言うには、テレビでは自分たちが一方的に暴力を振るったように見えるけれど、相手の運転手の方が危ない運転をしたのだ、とのことだった。僕が思うに、この女性は認識次元が低く、掲げているのは子供の理屈なのである。あの個人制裁が罪に問われていることが理解できないのだ。制裁することになった出来事の善悪ではなく、あの制裁行為に罪が問われているのである。彼ら二人のその他のエピソードでもそうなのである。個人制裁が問題になっていることが彼らには分からないようだ。男性の影響もあるのだろうけれど、どうもこの女性自身にもそういう傾向があるようだ。

 あと、一年後に控えたオリンピックネタも多い。トライアスロン会場の水質がひどいとのことだ。これは台風なんかの影響らしいのだけれど、いささかズサンな感じがしないでもない。東京でオリンピックをやること自体、無理なのだ。
 ところで、このオリンピック、本当に開催できるのかね。開催はできるだろうけれど、それまでにどれほどのお金がかかるのだろうか。僕は絶対に観ない、観戦しないと決めている。今でもオリンピック開催には反対である。
 現地の観戦チケットはどれもけっこうな高額であるらしい。開会式や閉会式になると、入場料が桁違いに高いらしい。これって、おかしくないだろうか。富裕層しか愉しめないイベントではないだろうか。入場料を取るのは必要なことだけれど、ある程度の限度はなければならない。ある程度の収入のある人であれば手の届く程度の額でなければならないと思うのだ。そして、希望者が多く、チケットが足りなければ、公平に抽選すればいいと僕は思うのだ。
 スタッフはボランティア頼りだ。無償の労働力を当てにしているわけだ。真夏の猛暑の中で、無料で働いてくれるという人に期待しているのだ。能天気な人たちである。気前よく働いてくれる人が何百人もいると考えているのだ。開催・実行のために働いてくれる人たちなんだから、きちんと時給を出さなければならない。そうでなければ、それは搾取でしかない。喜んで搾取される国民がいると彼らは期待しているようなものである。絶対にあんなボランティアに入ってはいけない。
 このオリンピックというもののルールを僕は知らないので、何とも言えないのだけど、開催国がシーズンを選ぶことはできないのだろうか。どうしていつも真夏に開催するのだ。春先とか、秋口にずらしてはいけないのだろうか。猛暑の時期で、集中豪雨や台風も発生しやすい、そんな時期にわざわざ国際的なイベントをやるのだから、どうかしてる。

 日本はやがて、株が暴落して、リーマンショック以上の不景気に見舞われるだろう。アメリカと中国の動きで影響ないしは決定される。CMでも海外株投資のものを見ると、やはり、不景気が来るという確信につながる。
 不景気が予測されるのであれば、その不況の対策なり準備なりをしていきたいところであるが、日本はオリンピックだと言って、ジャブジャブと湯水の如く金を使うのだ。オリンピックやって破綻する国の一つに日本もなる。そこに不況が来れば、再起不能である。日本撃沈も間近に思えてくる。
 僕の厭世観も手伝っているだろうし、心的投影物を通して見ているかもしれないけれど、日本は長くなさそうな気がするのだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2019年8月19日 月曜日

8月19日:「被虐待児のその後」ページ作成

8月19日(月):「被虐待児のその後」ページ作成

 「被虐待児のその後」というページを作ろうと思っている。そこでどいうことを書くか、昨日はメモを取っていた。B5用紙に16ページほどになった。それを今日、いくつか文章化する。8ページ分、つまり24枚分、ワードで作成した。空き時間のほとんどはそれで費やした。
 サイトのページは、大体、A4で3枚程度を目安にしている。この3枚を書くのに一時間ほどかかる。今日は8時間ほどそれに費やしたことになる。朝から取り掛かり、今、20日の午前4時である。まだまだ書き足りない。

 継続していたクライアントが先週、中断することになった。僕からすると利益ゼロのクライアントさんだ。それでも彼を援助していこうという気持ちではいた。
 利益ゼロというのは、3回で12000円という契約でやっていたからである。一回当たり4000円ということになる。一回が4000円というと、ここの諸経費に該当する。要するに、僕の利益をカットしているわけだ。
 それで、3回ずつの支払いのうち、未消化である残りの回数分を返金してくれと要求されたのだ。僕はそれに応じた。親切からではない。縁を切るためである。その返金が今日であった。一週間近く相手を待たせたのだ。これにはちょいとばかり理由がある。まあ、それはいいとしよう。
 さて、夕方、指定していた時刻に現れたのは、クライアント本人ではなく、代理の人である。ああ、なるほど、そうしたか。被虐待者がやる典型的な行動だ。

 このクライアントがよく才能ということを言っていたな。才能なんて自分で分かるもんじゃない。周囲が認めるものである。自分にはこれこれの才能があるなんてことを自分で言うのはどうかね。本当にその才能の持ち主ならそんなことは言わないものだ。
 それに才能というものは、認識次元の高さを指しているもので、所有されるようなものではないのだ。
 加えて、才能の上に胡坐をかいているような天才はいないものである。自分の才能に頼り切っている芸術家なんてのもいないだろう。
 彼に才能なんてものがあったとしても、そんなの誰も羨んだりはしない。その才能で金持ちになったとかいうのならまだしも、その才能が一円の稼ぎも生み出していないのだから、そんなもの誰が欲しがるかね。自分にとっても、他者や社会にとっても、なんら利益を生み出さない才能になんの価値があるのだ。
 まあ、僕にはどうでもいいことだ。その才能とやらでスターにでも有名人にでもなったらよろし。そんなもん、僕は興味がない。彼が生きていけないということだけに僕は興味がある。

 来なくなった人のことはどうでもよろし。「被虐待児のその後」ページのことだ。密かにそのページの宣伝をしておくつもりだったのに、話があさっての方向に向いてしまった。
 被虐待者に関するページを作成すると、そのページを見て来談する人が増えるのではないかと心配していた。来談者が増えるのならいいことではないかと思われそうだけれど、被虐待者に関しては、少し事情が違う。彼らに必要なのは育て直しの環境である。僕個人の力ではそれだけの環境は提供できない。ほんのわずか一小部分だけを担うに過ぎない。それだけのものしか提供できないのに、料金はしっかりいただくことになるので、いささか申し訳ないような、後ろめたい気持ちに襲われるような、そんな気分になる。
 育て直しの環境って言ったけど、これは単刀直入に言えば、彼らはまともに育っていないということなのだ。身につけるべきものを身につけず、学ぶべきものを学べずに生きてきたのだ。そこをやり直さないといけないと僕は思うのである。
 おっと、話がまた脱線しそうだ。そのページを作ったからとてクライアントが増えるとは限らないのだ。むしろ、その逆の結果になるような気がしている。それは僕が書こうとする内容によるのだけれど、それを読んで、ここで受けようなんて気持ちにはならないだろう。今日、書いた部分だけでも、それが分かる。それを読んで来談する人はいないだろうと思う。
 だから文章化して、公開すればいいのだ。それに、公開したとて、現実にはほとんど変わりがないと思う。そもそも、被虐待者のような人は、自分に関する文章なんて読まないのだ。過去、僕のところに来た被虐待者はほとんど皆がそうであった。ネットで検索して、ヒットしたところに電話をかけて予約したといった経緯である。そこのサイトをまともに見てはいないのだ。料金や営業時間、定休日なども見ずに予約を取ったりするのである。そういう人たちである。だから気にせず書いていこう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
 

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

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