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2019年7月30日 火曜日

7月30日:脂汗を流しに

7月30日(火):脂汗を流しに

 火曜日は定休日だ。お休みだ。

 今日は朝から歩きに出る。日ごろの運動不足を解消しなくては。しかし、外は猛暑だ。気持ちがくじけそうになる。まあ、それでもとにかく外には出よう。
 特に計画は立てていない。暑いのであまり遠くには行かないようにしよう。
 最初に近所を歩いて、それから電車に乗る。長岡天神駅で下車する。天神さんには月参りすることに決めていたのだけれど、ここしばらくはできていないことを思い出す。それで今日はお参りしておこうと決めた。

 駅から出る。まずはコンビニに寄って、そこの灰皿でタバコを一本喫う。天神さんへはどちらから行こうかなどと考える。池側から行くか、正面の鳥居から行くかを考え、今日は正面から攻めることにする。
 炎天下をテクテク歩く。ああ、やっぱり暑い、中止しようかなという気持ちがもたげてくる。トイレにも行きたくなった。それで急遽、道中にあるパチンコ店に入る。トイレを済ませ、ロビーで涼む。
 パチンコ店は客がまばらだ。平日の午前といえばこんなものなんかもしれない。人が座っていなくても台はきらびやかだ。節電が言われているのにこの業界だけは無縁だな。人が座ると明かりが点灯するような台にすればいいのにとも思う。多分、それをすると、今度は店内が陰気臭くなるんだろうけど、僕の知ったこっちゃない。ちなみに、まばらな客たちを見ていると、楽しそうにしている人や幸せそうな人は皆無だった。
 天神さんをお参りする。最近はスマフォを再び持ち始めているので、いくつか景色を写メに残しておく。参拝を終え、神社裏の広場というか散策路を歩く。様々な梅の木が植えられている。梅の木にもいろんな種類があるんだなと思う。僕のような素人が見るとどれも同じ木に見えるんだけれど、専門家が見ればそれぞれ違いがあるんだろうな。素人と専門家の認識次元の違いということを考える。

 駅に向かう。少しだけ古書店に入る。以前、この店に来た時に、いつかこれを買おうと思った本があった。そういう記憶はあるんだけれど、それが何の本だったかを忘れてしまった。記憶を新たにするためにも入店する。ああ、そうだ、黒島伝治の全集だ。すごく興味がある。でも、買っても読む時間があるだろうか。それを思うと、今日は買うのが憚られた。

お昼は長岡天神駅周辺で食べようと決める。そう決めたものの、店が決まらない。食べたいと思うものもなかった。さんざん迷って、ウロウロした挙句、カレーに決める。カレーの「ココイチ」さんに入る。
 長岡天神駅の「ココイチ」には初めて入る。高槻のは何度も行ったことがあるけど、ここは初めてである。高槻よりも席数が多く、店内も広い。
 席に着く。最初に店員さんが来る。「ココイチ」はどことも、決まったら呼んでくださいというスタンスを取る。それはいいんだけど、時々、呼び鈴的なものが置いてあったらと思うことがある。呼び鈴を置くほど広くはないのだけれど、店員さんを呼びにくい時もある。微妙な感じだ。
 こんなことを思うのは、次のような場面に遭遇したからだ。僕はカウンターに座っていた。その男性客は僕の真後ろのテーブル席に座った。その男性が注文を聞きに来ないと言って、怒って出ていったのだ。
 その人は僕よりも後に入店した。僕は先に注文したけれど、僕の注文品が来る前に、その男性は出て行った。だから、彼は少しも待たずに出て行ったわけだ。何か急いでいる事情もあるのかもしれないけれど、いささか早急すぎやしないかとも思う。
 それに、彼は店員さんを呼んだかもしれないんだけど、少なくとも、僕には聞こえなかった。近くにいた僕にも聞こえなかったのだから、当然、店員さんにも聞こえないのだ。まあ、そんなに怒らんでもいいことではないかと思うのだが、他人のことは放っておこう。
 さて、僕はカレーを食する。「ココイチ」では、具はその時々で変えることはあっても、4辛、400グラムは決して変えない。4辛くらいが僕にはちょうどいい。
 外で思い切り汗を流して、さらに大盛りの辛口カレーで汗を流す。きっと、後で汗臭くなるだろうなと思いつつ、そんなの気にしてたまるかと思っている自分がある。
 今、僕は汗と言ったけれど、こいつは本当は言い過ぎだ。良いように言っている。僕の汗はヤングの汗ではないのだ。若者がかくような汗ではないのだ。汗と言えば汗なんだけれど、本当は脂である。僕の場合、汗をかくとは、脂汗を流すことなのである。サラッとした汗ではなく、もっとドロドロしたものだ。そんなのが流れ出ているような感じがしている。

 昼食後、やはりコンビニの灰皿のところでタバコを一服。この後のことを考えている。結局、高槻に出ることにした。
 高槻に出ると、結局、いつもの感じで過ごした。有意義であったようななかったような、そんな休日を今日は過ごした。一つ良かったことは、たっぷり脂汗を流したことくらいか。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2019年7月23日 火曜日

7月23日:吉本興業社長の会見を見て

7月23日(火):吉本興業社長の会見を見て

 今日、火曜日は定休日だ。今日は休む。
 午前中、いくつかの用事があって外出する。午後、一旦帰宅するが、その後、京都は大雨が降り、以後の外出を断念。
 テレビなんかを見て過ごすが、ワイドショーと言えば、京アニ放火事件か吉本興行のことかで独占されている感じだ。

 吉本の件と言えば、発端は反社会グループへの闇営業だった。宮迫・田村両氏が会見を開いた。個人的にはこの会見の意味がよくわかっていない。謝罪なのか、吉本の内部告発なのか、あるいは引退会見なのか、どうも会見の目的というか性質が不明瞭な感じがしている。もっとも、この会見を最初から最後まで見ていないので、せいぜい特定の場面をいくつか見た程度なので、どうとも判断できないのであるが。
 この芸人の会見に引き続いて、先日、吉本の岡本社長が会見を開いた。こちらは5時間にも及ぶというのだから、とても全部は見ることができない。テレビでも部分的に取り上げられているので、全体の文脈から評価しない限り、社長のそれぞれの言葉の意味を迂闊に判断するわけにもいかない。
 年末の笑ってはいけないでお馴染みの藤原さんが副社長だったのは初めて知った。
 まあ、今のは余談だけれど、5時間も会見をすれば、その間に意味のアイマイな言葉やいささか不評を買うような発言が出てしまうのも仕方がないとも思う。これをすべて社長の人格に帰属させることは慎む必要もあるかと思う。
 芸人さんたちと社長さんたち、両者の言い分のうち、僕は個人的には社長の言い分の方を評価している。芸人と社長とでは立場が違うので、当然、見えていることも考えていることも異なるものである。記者会見の意味も自ずと両者で相違が生じるだろうと思う。
 これまた個人的見解だけど、闇営業するということ、つまり事務所を通さずに仕事を取ってくるというのは個人プレーである。今回の芸人の会見もやはり個人プレーという感じがしないでもない。
 しかも闇営業先が反社会的なグループであるという点が問題だ。これが一般企業とか個人レベルのものであれば問題もなかっただろうに。芸人さんたちも、ある意味では、詐欺グループの詐欺に遭ったようなものかもしれない。
 さて、社長の方は、会見を開いた芸人さんたちよりも守らなければならないものが多いと思う。会社は6000人の芸人を抱えているそうだ。その他の従業員なんかも含めるとさらにその人数は増えることだろう。社長はその人たちを守ろうとしているようだ。僕はそういう印象を受けた。そして、それは社長の立場であれば当然のことでもあると思う。芸人さんたちは、あるいは一般の視聴者もそうかもしれないけど、この立場の相違を無視しているかもしれない。
 
 さて、岡本社長の会見模様から、僕はある哲学上の問題、倫理学上の問題を思い浮かべた。それは「100人を救うために1人を犠牲にすることは許されるか」という問題である。
 何が「善」であるかは、人によって考え方が異なるだろう。基本的に「最大多数の生存」という法則が善である。しかし、1人の命を犠牲にして100人の命を救うことが「最大多数の生存」の法則に則っているかを評価することは難しい。少なくとも次の二つの考え方が可能であろう。
 A・1人の犠牲のおかげで100人が助かった。これを「最大多数の生存」を満たしていると考える人もあるだろう。
 B・その1人でさえも犠牲にせず、その分、他の100人がそれぞれ負担を分け合えば、101人が助かる。これこそ「最大多数の生存」を満たしていると考えることもできるだろう。
 僕の受けている印象では、岡本社長は、最初Bの立場で考えていたのではないかと思う。それに対して芸人さんたちが反抗したので、Aの立場に切り替えたのかもしれない。この切り替えが周囲には非情なものとして映っているのかもしれない。
 まあ、いずれにしても、芸人さんたちもいささか自分勝手なところがあったように僕には思われている。反社会的グループと関りを持ってしまうこと、これは芸能人にとっては致命的なゴシップになるだろう。事務所から即刻解雇されてもおかしくない出来事ではないかと思う。社長は最初に謹慎処分を言い渡している。そして、穏便に済まそうとしたところがある。それを芸人が「気に入らない」と文句を言いだしたのだ。本当にそんなことを言える身分なんだろうか、と僕だったら思う。

 僕がそんなことを言っても始まらない。こんなの、言ってしまえば、すべて他人のことだ。僕は僕のことに専念していこう。
 ちなみに、上述の「100人を救うために1人を犠牲にしてもよいか」といった問題は、加藤尚武先生の『現代倫理学入門』(講談社学術文庫)に詳しい。興味のある人は一読されるといいでしょう。
 さらにちなみに、加藤尚武先生の応用倫理学は、世の中の仕組みのウラで働いている哲学や倫理を理解させてくれる。なんか、世の中のことがすごく分かったような気(錯覚)を与えてくれるので、僕のような世間知らずには最良のテキストだった。一度も面識はない先生なんだけれど、僕にとっては尊敬する先生の一人であり、その著書を通してたいへんお世話になった先生でもある。
 芸人さんのファンが減るのは構わないけど、加藤先生のファンはもっと増えてほしい。そんなことを思いつつ、今日は筆を置こう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2019年7月15日 月曜日

7月15日:島根を後に

7月15日(月):島根を後に

 今日、島根を後にする。
 毎年、この日は寂しい感じを経験する。もう少しここに居たい気持ちもあれば、次はここに来れるだろうかという気持ちも生まれる。それでも、帰宅して、僕の日常に戻らなければならない。
 朝食後、旅館を後にする。一日かけて京都まで帰ることになる。
 最初にコンビニに寄る。ローソンだ。僕がビックリしたのは、お弁当にご飯がないのだ。店舗でご飯を炊いていて、お弁当を買った人はそこでご飯を入れてもらうのだ。すごいシステムだなと思った。でも、おかずだけ欲しいという人にはいいかもしれない。

 のんびりと国道を走る。道中、二か所の道の駅に寄る。
 最初の道の駅では、僕は喫煙場所でタバコを吹かしていた。びっくりしたのは、そこにお坊さんがやってきたのだ。僕は思わずお坊さんに会釈をした。お坊さんも会釈を返した。一体、こんなところにお坊さんが来て何をするんだろうと思っていたら、なんてことはなかった。喫煙所の横に自動販売機があって、そのお坊さんはお茶を買いに来ただけだった。
 母たちは買い物をしている。そこでアイスクリームを食べる。食堂があるから、そこで食べていきなさいと勧めてくれる。食堂はまだ営業していなかった。食券の販売機を何気なく見ている。「わさび」なんてメニューがあるのは、驚きであると同時に、ワサビストとしてはなんか嬉しい。
 もう一軒の道の駅は、毎年ここに寄るのだけれど、母たちはここで買うものを決めているようだ。僕は何も買わない。

 高速道路に入ると、後は楽しみと言えばサービスエリアくらいなものだ。何も買わないけれど、店とか商品を見て回るのが楽しい。それに、周辺を歩いてみると、いろんな景色も見ることができて、それも楽しい。
 今日になって、ようやく天気が良くなった。夏らしい感じがしてきた。
 サービスエリアも生き残りを賭けているんだろう。そこでしか味わえない料理や商品、サービスを打ち出している。建物の横に、小さいながら、散策路を設けているところもあった。これはすごくいアイデアだと思った。ずっと車の中にいると、少し歩きたくなる。そこで歩く道を用意してくれているわけだ。でも、歩いているのは僕だけだった。

 連休の最終日なんだけれど、車は少ない。でも、関西に近づくほど、車の量が増える。景色も、山河の代わりに、建造物が増える。帰ってきたなという感じが強まってくる。
 家に近づいてくると感じられると、無性に本が読みたくなった。車中でジャネの本を紐解いたりもした。これは要するに、僕の日常に戻る前に、心的には日常に戻ろうとしていることなんだと思う。日常的にやっていることを、すでに始めたくなっている。

 夜には帰宅する。もっと遅くなるかと思いきや、割と早かった。荷物の整理がたいへんである。僕も運ぶのは手伝ったけれど、そこから先のことは僕には分からないので手が出せない。
 僕自身の荷物整理は簡単なものである。いや、ほとんど整理するものがない。お土産などを僕は買わないからである。島根に行くことは誰にも知らせていない。そこも例年通りである。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2019年7月14日 日曜日

7月14日:津和野へ

7月14日(日):津和野へ

 島根の二日目。
 朝、トイレに行く。僕の部屋にはトイレがないので、その階にある共同トイレを使わなければならなかった。男性用のトイレは使用中だった。すると、通りがかった旅館の人が「女性用を使いんさい」と勧めてくれた。誰も使っておらんけえ、使いんさい、と言ってくる。う~む、都会では考えられんことだ。僕は両親の部屋に行って、トイレを使わせてもらった。
 そこで、今日は津和野まで足を延ばそうということになった。

 津和野までの道は、なかなか景色が良かった。片方には山があり、反対側には川があり、小さいながら町が並んでいる。静かでいい所だろうなとは思うけど、車がなければ生活できないといった場所だ。
 津和野に着く。小京都の一つだそうだ。確かに両サイドを山に挟まれていて、盆地みたいになっているし、街並みもどこか風情があって、よろしい。

 最初に稲荷大社にお参りに行く。伏見の稲荷大社と比べると幾分規模は小さいけれど、山の中腹の建立は風格が感じられる。また、伏見のは本殿から鳥居の道が山まで続いているのに比べて、こちらは鳥居道を通って本殿にたどり着くという構造になっている。こちらの方が正しい感じがした。
 僕たちは本殿の直下にある駐車場まで車で来たのだけれど、本当は鳥居道を登ってきた方がいいのだろう。駐車場のところにトイレがあって、トイレの男性用、女性用を示すマークがキツネになっているのもご愛嬌だ。

 稲荷大社を後にすると、西周の旧宅を見に行く。こんな所にあるなんて知らなかった。看板で知った。
 ところが、西周宅は分かりにくく、最初は通り過ぎてしまった。車通りから細い道に入るのだ。一車線しかない道で、かつては畦道だったのだろう。その途中に昔の家がある。そこが西周旧宅である。
 屋内に足を踏み入れることは禁じられていたけれど、庭をぐるりと一周できて、外から屋内の様子が見えるようになっていた。
 昔の家だ。ここなら静かに勉強できたことだろうなと思わせる家だった。

 西周旧宅から森鴎外の旧宅はすぐ近くである。川を挟んでいるだけだ。次に僕たちは森鴎外旧宅に向かう。こちらはすぐに見つかる。
 西周邸とは違って、ここは入り口までは入れるけれど、その奥に入ろうと思えば入場料が必要となる。入場料を払ってでも見たいっていうほどのファンでもないので、入り口までにしておく。
 旧宅の奥側には森鴎外記念館が建っている。ここも入場料が必要になるが、そこまでのファンでもないので、前から覗くだけにする。

 そこからさらに足を延ばして長門峡まで行く。単調な一本道路を延々と行く。
 到着したが、そこは自然の景観が堪能できる散策路で、雨天のため行くのは中止した。天気のいい日でないと、ちょっと危ないかもしれない。
 結局、そこの道の駅で休憩する。道中、線路際にカメラを設置していた人たちがいた。鉄道マニアだろうか。撮りテツのような人だろうか。ひょっとしたら汽車が走る日かもしれない。僕も線路際で少し待機する。来たのはディーゼルの貨物車だ。一応、写真に収めておく。後で聞いたところでは、今日は汽車の日ではなかったそうだ。

 益田に戻る。ユメタウンで買い物だ。去年まで知らなかったけど、これのすぐ裏は海である。風力発電の風車が今日は回っていた。
 僕の方は特に買いたいものなんてない。去年同様、帽子を一着購入する。
 母たちは買い物をしている。僕の鞄を買ってあげると母が言う。最初は辞退したのだけれど、結局、お言葉に甘えて、鞄を一つ買ってもらった。
 僕は感覚がおかしくて、普段の生活でお金を使うことはためらわないのに、旅行でお金を使うことには抵抗感がある。旅行やレジャーに行っても、極力、お金を使わないことにしている。多分、普通の人はそういう時にこそ財布のひもが緩むのだろうけれど、僕は反対で、財布のひもが固くなる。

 帰る前に今日も病院に行く。伯父の見舞いだ。僕はと言うと、前日同様、病院内には足を踏み入れず、周囲を歩く。
 この病院の周囲には住宅がけっこうあるんだけれど、この人たちはどこで働いているのだろう、どうやって生計を立てているのだろうとか、そんな余計なことを考えてしまう。益田にも産業はあるんだけれど、大阪のようなオフィス街とか工場地帯とかいうのがなさそうだ。みんなどこに働きに行っているのだろう。

 旅館に戻る。
 今晩、父は旧友と会うことになっていて、旅館の部屋に集合することになっていた。だから、母が僕の部屋で過ごすことになった。
 また、近所ではお祭りがあり、花火も上がっていた。僕の部屋から花火がよく見えた。
 しかし、母と二人ってのも、なんか気まずいな。結局、僕は独りのほうが落ち着くようだ。母がテレビを見ながら、横になっている。僕はそのそばで黙々とジャネを読んでいる。あまり家族らしい光景ではないな。

 父の方は宴会が終わったので、母は部屋に引き上げた。
 僕の方はそのままだ。テレビはつけたままだったけれど、相変わらず、本を読み続けている。それが一番、僕らしいと、思った。
 
 前日同様、遅めに風呂に入り、スーパードライをひっかけて、眠る。島根の二日目がこうして終了。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2019年7月13日 土曜日

7月13日:武器を持つということ

7月13日(土):武器を持つということ

 島根に到着。天気の都合で、今日、山に行くことになった。僕の予定では明日のはずだったのだけれど、今日よりも明日の方が天気が悪くなるとのことだったので、急遽、今日に変更となった。
 こんなことなら車中で眠っておけばよかったと、幾分、後悔する。

 僕たちが最初にやるのはお墓の掃除である。都会のような霊園ではない。原っぱにポツンとお墓があったりする。やることと言えば、お墓周辺の除草である。
 雨のおかげで地面が柔らかい。鎌で刈るよりも、大きな草は引っこ抜いたほうが早かった。大した力も要せず、根元から引っこ抜くことができる。
 父、母、それに僕と、三人がかりで取り掛かるので早いものだ。一時間も作業すると、墓も周辺もすっかりキレイになった。

 それから僕は山へ。父は車で待機しているとのこと。母は僕についてきた。
 当初の予定では、山へは僕一人が行くことになっていた。行くのはいいけど、独りってのは心細いなと感じていた。人が通らない山なので、寂しいだろう。それに道は荒れているし、熊とか出てくる場所なので、正直言って、現地に行くまでは怖い思いがあった。
 しかし不思議なもので、現地に行くと覚悟が決まるのか、今度は逆に、早く山に入りたいと気が急くのである。
 もう一つ気づいたことがある。今回、道をきれいにするために草刈りの鎌を持って入山した。この鎌が心強かった。もし、大きな動物の遭遇して、万に一つでも襲われたりしたら、この鎌で戦おうという気持ちになった。思い切り、この鎌で一突き入れてやると、動物の方がまいるだろうと思った。要するに、「武器」がもたらす心的作用は意外なほど大きいということに気づいたのだ。
 何となくなけど、どうして武士や兵士が勇敢に戦場に行けるのか、その気持ちが分かるような気がした。武器を持っているからである。この武器が安心感を与えてくれるのだと思う。
 そういえば、「派出書」(「こち亀」と言った方が分かりやすいか)にもボルボ西郷なんてキャラがいたな。体中に武器を仕込んでいるのだけど、丸腰になるとてんでダメになってしまうっていう警官だ。案外、人間ってそんなものかもしれない。
 さて、山道を歩いていると、イノシシが地面を掘り返した跡を何度か見かけた。こんな所にも出没するのだと思った。もっとも、昼間はイノシシと遭遇することはないので、怖くはないが。他にも、やや大型の動物が藪の中を逃げていった。キツネかタヌキか分からんが、かつては人間の仕事場だったこの山も完全に動物たちのエリアになってしまっているようだった。
 水はけが悪く、水路を作ろうとしていた場所は、さほどでもなかった。去年は豪雨の後だったので特に水が多かっただけかもしれない。この作業は一旦、保留にしておこう。
 下山。山を下りながら、山道の写真を撮っておく。適度に立ち止まっては写メを撮る。その間も僕は「武器」ということを考え続けていた。「自信がない」と言う人は、自分の中に「武器」を持たないからだと思うようになっていた。そして、僕自身ももっと「武器」を身に着けなければと思う。身に着けるだけでは不十分で、その「武器」は定期的に磨かれなければならない。もちろん、ここで言う「武器」とは殺傷能力のある武器という意味ではない。知識とか、経験とか、技術とか、そういったものだ。人格も武器になるのだ。一つ、僕の中にテーマが生まれる。

 父が休憩したいと言うので、僕たちは蟠竜湖に向かう。朝食も取る。
 最初にここに来た時、僕は松葉づえをついていた。だから、周辺を歩くことができなかった。今回、一つ歩いてやろうと思った。
 湖の中央に対岸へ渡る橋がかかっている。そこから散策路が伸びている。天気が悪いのと朝が早いのとで、他に歩いている人は見かけなかったが、よく整備された道が続ている。ただ、階段がやたらと多いのであるが、ちょっとした運動にはいい。
 散策路の突き当りは円形の広場になっていて、ベンチが数台設置してある。そこから道が二分する。右へ行けば登り、左は下りである。どちらもぐるりと一周して元の地点に戻るのだけれど、雨が降ってきたので、下り道を取る。
 この下り道はアスファルト道で自動車が入れるようになっている。一度、公園管理の自動車とすれ違った。雨のため路面が滑りやすくなっているので、幾分、ゆっくり歩く。
 この下り道のゴールは広い公園である。けっこうな広さだ。公園を縦断して道路に出る。自動車はここまで来れる。バス停もある。ありがたい、灰皿がある。僕はそこで一服して、その後のコースを考える。ここからさらに登り道を取ると、柿本神社に行き着くらしい。そこまでは行こうとは思わないので、道路を歩く。
 道中、「まほろばの園」と名づけられた庭園風の広場を眺め、「人麻呂展望広場」に上がって景色を楽しむ。後は車道に沿って歩いて、湖の駐車場まで出る。
 なかなかいいコースだ。今度、ここに来ることがあったら、反対側、つまり円形広場から登り道を歩いてみたいし、柿本神社までの道も歩いてみたい。

 両親と合流して、親戚の家に行ったりする。
 近所の神社にも行く。母には何かと思い出があるようだ。今は寂れているけれど、かつてはこの神社境内に子供たちが集まったりしたのだろうし、村の行事なんかも行われたのだろう。
 その後、入院している伯父の見舞いにも同行するが、僕は別行動を取った。どうも病院の中に入るのは気が進まなかったし、弱っている伯父さんを見るのもイヤだった。僕は病院周辺の道をひたすら歩く。ともかく歩きづめの一日となる。
 それから母の旧友を訪れるために駅方向に向かう。益田駅だ。僕はいつか一人で来た時のために、いろいろ資料を収集しておこうと思った。駅の時刻表とか、バスの路線図とか、あと周辺で利用できる店とか設備とか、そういうものも見ておいた。

 その後旅館に入る。両親は二人部屋、僕は個室。これは例年通りだ。
 部屋に入ると、僕はこのブログを書き始め、さらにジャネの本を読む。テレビはあるけれど、何も観ない。静かに本を読んで過ごす。
 夕食、食後の散歩、そしてゆっくり入浴。もちろん、寝る前のスーパードライも欠かさない。こうして、長い一日を終える。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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