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2019年6月30日 日曜日

6月30日:結婚と仕事

6月30日(日):結婚と仕事

 今日は二件のキャンセルが発生して、エライことになった。メチャメチャ忙しい一日になるはずだったのに、スッカリ、余裕が、それも十分すぎるほどの余裕が生まれてしまった。
 朝のクライアントの変更は予想外だった。午後からのクライアントは、まあ、そうなるだろうなという予測はついていた。継続する人はキャンセルの話なんかしないものなのだ。だから予測がついていたわけだ。
 おかげさんでブログを書く時間が確保できた。

 昨日はチョイと飲み過ぎた。飲み仲間の男性が二人そろってお見合いパーティーに参加した。彼らの話を肴にして酒を飲んだというわけだ。なかなか僕も人が悪い。
 しかし、お見合いパーティーとか婚活パーティーとかいうのは、あんな感じなんだ。ありゃ絶対にカップルなんて成立しないだろうなと思う。
 何しろ、男女とも20人近く集まるのだ。20人全員の自己紹介を受けて、20人全員にこちらも自己紹介するなんて、それだけで時間が過ぎてしまうんじゃないかと思う。とても親しくなるなんて余裕はないだろう。仮に、親しくなるのはパーティーの後だとしても、結局、社交性の高い人がそこでは有利になるわけだ。短時間で相手と親しくする能力(ラポールの形成ということだ)がないと、あぶれることになってしまう。

 まあ、合コンのようなノリで参加するのが無難だと僕は思う。あまり真剣にやるもんではなさそうだ。
 僕も「上手く行かない」夫婦を何組も知っているし、当事者ともお会いした。彼らの結婚のいきさつの第1位が「できてしまった婚」で、第2位が「お見合いパーティー」だ。もちろん、僕の経験ではということだ。
 ああいうパーティーが悪いとは言わないけど、そういう形で知り合って、結婚した人たちは、案外、離婚率も高いかもしれない。
 そもそも、相手と知り合い、交際し、徐々に結婚ということが結晶化されていくものだと僕は思うのだ。それが、先に結婚ありきになっているところに、何となくだけど、問題がありそうな気がする。
 単刀直入に言うと、結婚っていうことが先走りし過ぎて、相手と深く関わる時間が短いのではないかと僕は思う次第である。

 しかし、まあ、それも良しとしよう。お見合いパーティーで知り合って結婚するとか、あるいはその後離婚してしまうとか、そういうことは個人的な事柄なので、僕が口出しできる筋合いはないものである。
 結婚の前に、男性の場合、仕事を一生懸命にやった方がいい。僕は、結婚と仕事とは相通じるものがあると思っている。上手く行っている夫婦は、仕事も上手く行っているものだと、僕はそういう印象を受けている。
 自分が選んだ職業に対する姿勢と、自分が選んだ相手に対する姿勢とは、やはり通じるだろうと思う。縁があって就くことになった仕事に対する取組みと、縁があって一緒になった相手に対する取組みとは、やはり共通するだろうと僕は思っている。仕事に真剣な男性は結婚相手に対しても真剣になれるだろうと思う。自分の仕事を恥じていたり、そういう仕事しかできないなどと自分を卑下する人は、相手に対しても、あるいは相手との関係に対しても、同じことをやらかしてしまうだろうと思う。
 女性の場合はどうとも言えないのだけれど、男性の場合ではそういうことがありそうに思う。
 限りなく無職に近い男性がいた。要するに仕事を蔑ろにしてしまうのだ。彼は妻に対しても蔑ろにするのである。強迫的に仕事をするある男性は妻との関係にも強迫性を持ち込む。根無し草のように仕事を転々とするある男性は、妻に対しても気まぐれな関係しか築かない。そういうものではないだろうか。
 よく女性は「わたしと仕事とどちらが大事なの」などと夫の問い詰めたりすることがある。僕からすると、それは別々ではないのだ。

 僕が結婚できない理由も分かってくるというものだ。自分独りで仕事をする(なんでも自分でやりたがるのは未熟な働き方である)人間なので、結婚しても、お互いに別々になりたがるだろうと思う。放っておいてくれとか、独りにさせてくれとか、しょっちゅうそんなことをいう夫になりそうだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2019年6月23日 日曜日

6月23日:やっちまった!~がんばれショッカー

6月23日(日):やっちまった!~がんばれショッカー

 相変わらず分冊本が人気だ。いろんなシリーズがある。僕は「マカロニウエスタンDVDコレクション」を最後に、ああいう分冊には手を出さないでおこうと決めていた。
 でも、やっちまった。デアゴスティーニが出している「仮面ライダー」シリーズの創刊号に手を出してしまった。ついつい衝動買いしてしもうた。
 いや、確かに「仮面ライダー」シリーズをもう一度観たいなとは思っていた。いつかレンタルDVDで制覇してやろうなどとも考えていた。だから、こんな分冊本が出てくると、ついつい手を出したくなってしまうのだ。

 本号では初代ライダーの第1話から第5話までが収録されている。当然、旧1号ライダーだ。
 主人公の本郷猛を演じるのは、藤岡弘さんだ。若いなあ。それに、アツイ。あの顔からして、太い眉毛からして、とにかくすべてがアツイ。藤岡弘さんが演じなかったら、仮面ライダー人気は生まれなかったんじゃないかって思うくらい適役である。
 その本郷猛であるが、ショッカーにつかまって、改造されてしまうのだ。抜群の運動神経を持つということらしい。
 優れているのは肉体だけでない。頭脳も明晰で天才的であるとのことだ。なんでも知能指数が600だと言う。んなアホな。IQ600とは、オーソドックスな計算式を適用すると、それは次のことを意味する。仮に本郷猛が20歳だとすれば、その精神年齢が120歳ということである。そうでないとIQ600にはならんのだ。そして、精神年齢120歳ということは、120歳用の問題が解けるということである。しかし、120歳向けの問題作成並びにデータをどうやって取るのだ。ムチャクチャやな。

 さて、初代のライダー、つまり「旧1号」のことであるが、全身黒ずくめである。ヘルメットも、手袋も、黒である。ハッキリ言って、悪役カラーである。ショッカーの改造人間ということで、まだまだ悪役性を帯びている感じがして、なかなかいい。
 しかも、初期のマスクは口の部分が完全に閉じていないのだ。少し隙間ができている。呼吸のためなんだろう。後ろも、うなじの辺りが開いている。暑さ対策なんだろう。そして、大きな目の下のガラスの部分から人間の目が時折見える(オープニングなど)のもご愛嬌である。そういう人間臭さの部分も魅力だ。

 主演の藤岡弘さんを始め、立花藤兵衛演じる小林昭二さんを筆頭に、島田陽子さんも出演していたんだ。知らなかった。ショッカー首領の声は納谷悟朗さんがやってたんだ。納谷さんと言えば、「ルパン三世」の銭形警部の声をやっていた人だ。今回、初めて気づいたことも多々ある。

 さて、仮面ライダーと言えば敵の怪人たちである。悪役こそ本当の主役である。毎回毎回、よくもまあ、あれだけの怪人を作るなと感心するくらい、さまざまな怪人が現れ、ライダーに倒される。
 冊子には怪人紹介のコーナーがある。最後の一文だけ引き抜くと次のようになる。
 「ライダーキックを受け、泡状に溶けて絶命」(蜘蛛男)、「ライダー投げで地面にたたきつけられて絶命」(蝙蝠男)、「ライダーキックを受け、液状になって消滅」(さそり男)、「ライダーキックを受けて消滅」(サラセニアン)、「ライダーキックを受けて消滅」(かまきり男)。ヒサンすぎる。
 それにショッカーだ。世界征服とか人類滅亡とかの大野望を抱きながら、その下位計画のどれ一つとして成功したためしがないという、それでもめげないという、素敵な面々である。
 よし、僕はそんなショッカーを応援する。がんばれショッカー。明後日の創刊第2号も僕は必ず買う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2019年6月21日 金曜日

6月21日:「捨て読み」開始

6月21日(金):「捨て読み」開始

 夕方4時半。今日はまだ終わっていないけど、今日のブログを書いておこう。

 動画広告を終わらせるために追われている。火曜日から、いつもより一時間早く職場入りして、作業をやっている。
 今日、動画広告完成記念コラム25本すべてに手を入れた。毎日、少しずつ手を加えている。一応、メインの動画広告に必要なコラムは揃った。あと2本の動画広告のコラムを作成しようと思う。せっかくなので、ボツになった企画分もコラムに残しておこうかと考えている。
 動画広告3本のうち、インタビュー編はオクラ入りするかもしれない。最初にチェックした時には見過ごしていたけど、今日、もう一度見直してみると、チョット映してほしくないものを映してくれているので、そこは修正しなくてはならない。二か所ほど、そういう個所がある。その修正も面倒なので、いっそのことすべてお蔵入りしてしまおうかと考えている。こんなの誰も見やしないんだから、ボツにしても構わない。
 ああ、面倒だ。前もって注意していなかった僕にも非があるのだけど、撮影の時に、これは映しても構わないかとか、この映像を使用してもいいかとか、そういうことを訊いてくれたら良かったのに。撮影時には、僕もどの素材を使用するつもりなのか分からないのである。まさかそこを映すとは思わなかった。
 それで、昼頃、そこに気づいた僕は早速担当者に電話する。あいにく、担当者は不在であった。週明けに連絡してくれるとのこと。これでまた公開が伸びる。

 あれこれと計画していたこと、予定していたことがどんどん遅れていく。動画広告がけっこうな大仕事になっている。負担がかなり大きい。最初にこれこれのことをすると決めてしまった以上、それだけはやっておかないといけない。
 本の「捨て読み」も今月辺りから始めようと思っていた。「捨て読み」とは、本を捨てることなんだけれど、捨てる前にもう一度読んでおこうと思うわけだ。せっかく買った本だし、捨てるのも気が引けるのだけれど、少し処分しないと、本が多すぎる。
 読んで捨てるのではなく、捨てるために読む。だから「捨て読み」と呼んでいるんだけど、これは昨日から少し取り掛かっている。今年の下半期で100冊を目標にしている。

 職場横のトイレも掃除した。しばらくそこまで手が回らなかったのだけど、今日、少しの時間を見つけては、掃除する。大雑把にしか掃除できなかった。近いうちにもう一度掃除しよう。
 こんなことはいちいち書いて残さなくてもいいのだけれど、こうして書いておくと、頭に残るのだ。忘れないために書いておく。書きながら暗記しているわけだ。

 今、時刻は19時半。
 今日の予定は一応こなした。けっこうクタクタである。
 ここ数日は足の痛みに再び悩まされている。夕方辺りまでは順調だったのに、夜になると痛みがぶり返してきた。いつまでこれに悩まされ続けることになるのか、そう思うと、気が重い。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2019年6月13日 木曜日

6月13日:不可視の音楽

6月13日(木):不可視の音楽

 今日は比較的時間がある。これを機にサイト作業をやろう。
 2月ごろに書いていたコラムを7本ほど公開する。
 コラムページを開いてビックリ。12年目コラムのインデックスが中途で終わっている。なんで中断したんだろう。
 ついでに、パソコンに12年目コラムの原稿が残っているかどうかも確認した。確認して、これまたビックリだ。パソコンの方に原稿が残っていないではいか。
 それで、インデックスを完成させると同時に、サイト作業画面から原稿をワードにコピーする。
 これだけのことをやるのに4時間ほどかかる。ぶっつづけでやって、いい加減、目が疲れている。

 サイトの方も手を加えていかないといけないなと思う。なかなかそこまで手が回らないのであるが、少しずつでも着手していこう。とにかく、何がどこまで進んでいるのか確認していくことから始めよう。
 ああ、こんなことをしていたら、きっとネットの容量が足りなくなる。月末辺りは開けなくなるんじゃないだろうか。これから動画完成記念コラムも公開していく予定なのに、そうなると具合が悪い。

 作業をしながら、音楽もよく聞いた。音楽が「いいなあ」と思えた。これは僕にとってはいいことだ。
 音楽と美術との大きな違いは、音楽は目に見えないということである。絵画や彫刻、建築などは目で見える。映画などの映像芸術もまた可視的である。文学もまた視覚に訴えるものであり、視覚的要素の強い芸術である。その点、音楽は不可視である。
 不可視なものを「いいなあ」と思える。僕にとってはこれが特に重要である。人の言葉もまた不可視である。カウンセリングという営み自体、不可視な部分がとても多い。もし、僕が不可視な対象に対して、「いいなあ」とか感情的に経験できないとすれば、僕は人の言葉からも、面接からも、それらを経験できなくなるだろうと思う。そうなってしまうのが僕には恐ろしい。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2019年6月12日 水曜日

6月12日:経営とネットワーク

6月12日(水):経営とネットワーク

 相変わらず足は痛い。でも、日に日にましにはなっているようだ。もうしばらくこの痛みが続くだろうけど、そのうち治まる見通しがつくように感じられている。
 朝一番の枠に空きがあり、時間があるので、散髪に行っておく。なかなか行く機会がない(ホンネはあまり行きたくない)。本当なら昨日行っているはずだったが、足の件でウヤムヤにしてしまった。

 朝はニュースを見る。正確に言うと、朝食時に食卓でテレビがついているので、食べている間だけ見るのである。
 最近、朝見たニュースを夜には忘れていることが多々ある。ニュースを見ている時、これはブログのネタに使えるなと思ったことも、夜になると、何かネタになることがあったな程度には思い出すのだけれど、ハテサテ、それが何だったかがサッパリ思い出せない。
 時には、薄ボンヤリと思い出すこともある。確かこういうネタだったなと思い出す。しかし、今度は、それが今日見たやつなのか昨日見たやつなのかがハッキリしない。
 記憶力がだんだん悪くなっているようだ。いずれ認知症になるだろう。僕はそれをけっこう確信している。認知症というものは、脳の話にすぐ持っていかれるのだけれど、本当はかなり心理的な話である。孤独な人、不幸な人がなりやすいと僕は思う。
 いや、もっと確信していることがある。僕が認知症になる前に、僕は死ぬだろう。自殺とかいう意味ではない。病死か、もしくは事故死・災害死かするだろう。きっと長生きはできない。まあ、今でも十分長生きしたとは思っているのだけれど。

 今朝のニュース、今朝のニュース...。そうだ、M救急センターだ。高槻にある救急病院だ。
 医師、看護師不足を解消するための資金として2000万円をクラウドファンディングで集めたというニュースだった。つまり、それだけのお金を寄付で集めたということなのだ。
 病院も経営難なのだ。小さなクリニックなんかはもっと厳しいんだろうな。
 今、医師が独立して開業しようとすると、銀行が金を貸さないそうだ。一昔前ならジャブジャブ融資していたものだ。と言うのも、病院とか診療所なら必ず回収できるからである。今はそんな時代ではなくなったらしい。
 開業する医師に集客できるかどうかが、まず、判断されるようだ。従って、2代目とか分院の方が有利なのだそうだ。先代からの患者さんとか本院から回される患者さんが期待できるからである。
 病院でさえそんな有様である。医者になっても、医者になるために投資したお金が回収できないといった時代も、そう遠くはないような気がしている。

 近くに医大があるので、近所の呑み屋で医大生と会うこともある。これから医者になろうという人たちだ。
 彼らと会話する機会があれば、僕は必ず言うことがある。医者になったら、もっといいところで呑め、と。安っぽい店に出入りするなと。
 それにはいくつか根拠がある。一つだけ言うと、一流の店で飲んでいると、一流の人たちと面識が増える。店の人を通じて、この医者の噂が彼らの耳に入る。一流の人が患者として来てくれるようになるかもしれないし、その人たちが他の一流の人たちにこの医者を勧めるかもしれない。安っぽい店で飲んでいると、安っぽい患者さんとしか縁ができなくなってしまう。安っぽい患者は、何らかの形で、治療費を値切ってくる。
 つまり、病院の外でどんなネットワークを築くかである。経営をしていこうということになれば、安っぽいところでネットワークを作ってはダメである。
 僕の持論である

(寺戸順司―高槻家運sリングセンター代表・カウンセラー)

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