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2018年11月30日 金曜日

11月30日:思うようにいかずに

11月30日(金):思うようにいかずに

 11月も今日で終わり。9月、10月と何かとキツイことが多かったが、11月もたいがいだったな。あまり暮らしぶり、仕事ぶりに変化はなく。新しいことを始めることは決定したけれど、これが稼働するのは来年の話だ。もう2,3か月はこの状態が続きそうだ。
 ともかく、めげずにやっていこう。

 今日は午前中に空きが生じた。これを機会に病院に行く。持病の治療を始めようと思う。もっとも、これもいつまで続くか分からないが。
 いずれにしても、12月は少しばかり体力の回復を図ろうと計画している。健康の回復ではなく、体力の回復だ。無理のない範囲で鍛えようと考えている。
 今朝も病院の往復に加えて、少しの距離のウォーキングをやっておいた。足の痛みがまだ少々残っているので、長距離は歩くわけにはいかない。変なくせをつけて歩くと、後でどこか不具合が生まれるものだからだ。痛みがなくなってから、しっかり取り組むことにする。
 それ以外のところ、腕力とか上半身に関しては、今日は少しだけ運動をする。あまりいきなりやってもいけないものである。徐々に慣らしていく方がいいらしい。
 何はともあれ、この体と最後まで付き合わないといけないのだ。どれだけ自分の身体を呪わしく思おうと、僕は僕の体とも付き合っていかなければならないのだ。

 昼から職場入りする。一応、予定の作業はこなした。
 予定作業以外の時間は、もっぱら本を読み、ものを書いて過ごす。仕上げなければならないもの、仕上げたいと思うもの、いやというほどある。ウンザリするくらいの分量を読んで、書いていかなければならない。少しの時間も無駄にできなくなっていく。
 とにかくキツイ。体も思うように動かせない上にあれもこれもしなければならないとなると、本当に嫌気がさしてくる。
 おまけにクスリだ。今朝の病院で処方されたクスリだ。少し強いクスリなので副作用が出るかもしれないという説明は受けていた。この説明を受けたせいもあるのかもしれないけど、夕方、服用したところ、今、非常に気分が悪い。副作用のところに吐き気やむかつきなんて言葉が載っている。ああ、やっぱりこいつのせいかと思いつつも、もう、どうしようもない。クスリの効用が切れるまで待つしかない。
 何事も順風満帆とはいかないものだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2018年11月29日 木曜日

11月29日:お金の話

11月29日(木):お金の話

 さて、今日から少しばかりヒマになる。この週末は時間的に余裕がありそうな感じである。この機会に書くものは書いて仕上げてしまおうと考えている。

 火曜日の外回りと、さらには昼と夜の酒とが祟ったのか、若干、足の具合がよろしくない。少々の痛みがある。今のところ、歩行などに支障はないが、要注意の状態だ。
 とにかく、今月も終わろうとしている。なんとか乗り切った。毎月、綱渡りのような生活である。
 裕福そうに見えるかもしれないけど、それは出ていくお金が少ないからである。
 まず、家族がいない。子供のことでかかるお金というものがない。
 今では人付き合いもなくなった。今頃の時期だと、世間一般の人たちは忘年会だのなんだのとお金が出ていく機会が多いことだろうと思うけど、僕はそういう予定は一つもない。お歳暮、年賀状、そういうものもすべてやめましょうと言ってある。
 また、車やバイクに乗ることはないので、車のローンだの、車検代だの、ガス代、駐車場代、保険だのといった支払いがないのだ。
 おまけに、金のかかる趣味、例えばゴルフとか釣りといった趣味もない。道具を買い揃える必要もなければ、会員権を買うこともないし、コースや海に出るということもない。
 当然、ギャンブルもしない。宝くじでさえ僕は買わない。
 同じく当然、女遊びもしない。もう女もコリゴリである。
 ゲームやなんかもしない。あれも意外とお金がかかるものだと僕は感じている。
 足が悪くなってからは山歩きとかウォーキングなんかもしなくなった。旅行なんかもまったくしない。旅費だの交通費だのもなくなった。
 酒は飲むけど、スナックとかラウンジとか、そういう金のかかる店では呑まない。せいぜい立ち飲み屋かショットバーくらいのものである。一回飲みに行って3000円で十分収まる。そこまでいかない時もある。
 本は読むけど、新刊を買うことがめっきりなくなった。古書店で安く買う。安く買った本がいい本だった時はけっこう幸せである。
 グルメにも凝らない。行列ができる店とか美味しいと評判の店とか、興味がない。スイーツとかそんなものにも凝らない。たまにおやつが欲しくなることもあるけど、100円ショップなんかで間に合うものばかりだ。普段の食事も凝らない。毎朝、たまごかけご飯(withワサビ)とみそ汁。昼はインスタント麺にご飯とサラダ。夜は食ったり食わなかったりする。お昼はたまに外食をすることがある。それでも基本700円までと決めている。ちょっと奮発するとそれをオーバーしてしまうこともあるけど、それでも900円は越さないように気を付けている。
 ファッションなんかになるとまるでダメである。まったく興味がない上に、服もありあわせのものを着る。そして、十分に着古してから新しいのを買う。今月、スーツを買ったけど、ほんと、5年ぶりくらいではなかろうか。一着買うと、10年くらいは着るつもりでいる。
 僕の鞄は破れがあるのだけど、そこを繕って今も使用している。音楽が好きで、CDも買うけど、基本的に中古だ。これも買う時は6~10枚くらい買う。そしてそれを半年ほどかけて聴きこむ。買うのは年に2回程度である。映画を観るという習慣も形成されつつあるけど、それも1枚100円のレンタルDVDだ。喫茶店でコーヒーを飲む頻度も少なくなった。最近は滅多に行かない。
 唯一の贅沢品はタバコくらいなものかもしれない。こいつだけはいくら値上がりされても止める気がない。

 要するに、意外とお金のかからない生活をしているのだ。それだからなんとかやっていけているという部分もあると思う。
 『雨月物語』の最終話に「貧福論」という話がある。昔、これを読んだときはあまり感銘を受けなかったけど、今回はひどく感激してしまった。この話だけ3度ほど繰り返して読んでいる。
 拝金主義になるわけではないけど、お金は大切にしよう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2018年11月28日 水曜日

11月28日:メンヘラって?

11月28日(水):メンヘラって?

 さあ、今日は昨日と打って変わって、少々忙しい一日となりそうだ。午前中と夕方に用事並びに仕事が入っている。昼は若干の時間的余裕もあるけど、いくつか連絡しなければならないところもあり、それに充てることにした。
 昨日、留守電に吹き込んでくれた業者とも連絡が取れた。もっとも、これは向こうから電話してきてくれたのだが。

 昨日読んだ『雨月物語』の感動が薄れてしまう前に唯我独断的読書評に書いて残しておこうと決める。拙い文章ながら、とにかく書いておく。後で校正すればいいので、とにかく忘れてしまう前に書き残しておかなければならない。
 夕方の仕事は、その頃にはいささか疲労してしまっていて、集中できない瞬間もあったが、なんとかこなす。昼休みをきちんと休んでおかなかったことを少しばかり後悔した。

 昨夜、バーの女の子が面白いことを言っていたな。「メンヘラと付き合ったらどうしますか」と僕に尋ねてくる。僕は「メンヘラって何?」と、そこから始めなければならなかった。
 メンヘラってのは、よく分からんけど、彼女の説明では、付き合ってくれないと手首を切るとか、そういうことをする人のことのようだ。ああ、あの診断がつくような人たちのことかと僕は理解した。
 僕個人はそういう人とあまりプライベートで付き合いはない。間接的に経験したことはあるけど。
 もし、付き合ってくれなかったら手首を切ると言われたら、救急車を呼ぶかそのまま死ぬか、限られた時間内に決めなさいと僕は言うかもしれない。
 そういえば、その種の「脅し」はよくある。「今日カウンセリングしてくれ」と言ってくる。僕は当日の面接を受け付けないので、今日はダメですと断る。明日にしてくださいとお願いする。相手は言う。「死んだらどうしてくれるのですか」と。僕は「何言っているんですか」と答える。ものすごい勢いで電話が切れる。それでいいのだ。そんなもので人が動いてくれるなどと学ばれたら社会にとっても大迷惑なことである。
 こういうのは気が強いとは言わないのだ。何が何でも自分の意思を押し通すという感じの行動は気が強いわけではないのだ。DVのことで来談されるクライアントが相手のことをそう言うことがよくある。奥さんはどんな人だったのですかなどと尋ねると「すごく気が強かったですね」などと彼らは答える。
 思い通りに事が運ばなくても堂々としていられるほど気が強いわけではないのだ。それはせいぜい「我が強い」とでも言うものだ。本当は少しでも思い通りに行かなければ激しく動揺して、どんな手を使ってでも思い通りのことを押し通そうとしているわけだからである。
 それがメンヘラとやらと同じかどうかは何とも言えないけど、それなりに共通した心理があるように僕は思っている。

 本当に、人間になることは難しいことだ。どの人も自分は人間だと信じていると思う。でも、それは単にヒト科であるということに過ぎない。ヒト科として生まれ、そこから人間になっていくことは多難な道のりである。メンヘラと呼ばれる人たちも、きっと人間として生きることに困難を感じている人たちなんだろう。人間社会で生きていくことに困難を覚えている人たちだろうと思う。その人たちがメンヘラにならざるを得なかった理由もあるだろうとは思うけど、それでは人間として生きていけないから問題になるのだ。
 昔、スパルタの国では、国に貢献できない人は容赦なく切り捨てられた。周囲に敵国に囲まれていたとか、そうした状況も影響しているのだろうけど、役に立たない人間は生きていけないという世界だった。現代はもう少しましであるが、例えば社会や企業の常識の中にはそうした考え方が残っているかもしれない。生きるためには切り捨てられないようにしなければならないという一面もあると僕は感じているし、切り捨てられても尚人間として生きていかなければならないのだと思う。
 昔の日本でも、借金をした武士は切腹したと言う。主従関係において、主が富を与えているのにも関わらずさらに借財するとは、主に対する裏切り行為になるのだろう。そういうのは武士としては生きていけないということなんだと思う。
 いつの時代でも、生きていくことの厳しさがあるものだ。スパルタの国では切り捨てられていただろう身体障碍者も現代では生きていくことができるし、借金まみれの会社員だって死刑になることはない。でも、厳しさがまったくなくなっているわけではないのだと僕は思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2018年11月27日 火曜日

11月27日:空しい一日

11月27日(火):空しい一日

 今日は定休日だけど、月末の外回り作業をやっておこうと計画していた。支払い関係と買い物関係、ついでに天神さんにお参りもしておいて、レンタルDVDの返却もしておく。
 外回りのお供に上田秋成『雨月物語』を選ぶ。僕はこの作品が好きだ。とは言え、原文は読めない。現代語訳だけを読む。邪道な読み方だけど、その方が正確に内容が理解できる。全9話から成るが、分量的にはそれほど大部のものではなく、一日あれば読み切れる。

 途中、長岡天神で下車して、天神さんにお参りする。紅葉もあって、それ目当ての人たちもけっこうおられた。写メで写している人もいるけど、お構いなしに前を横切る。
 いつものように10円玉を賽銭箱に入れる。これは10円と決めているのだ。御縁を祈願する人が5円賽銭するように、「十分に生きる」ことを祈願するから10円だ。「十二分に生きる」となれば12円の賽銭をすることになるけど、そこまで僕は欲張らない。十分に生き、十分に仕事もでき、十分に勉強もできれば、それこそそれで十分である。
 参詣の後は、ついフラフラと古本屋に入ってしまう。止せばいいのに7冊も買ってしまった。それで1000円だから、安い買い物をしたのは確かだ。でも、この7冊を読み切る時間が確保できるかどうか自信がない。

 さて、午後になって、ある程度の予定をこなしてしまうと、無性にビールが飲みたくなった。高槻にある朝から営業している立ち飲み屋に入る。
 お昼だというのに、すでに4,5人の男性がお酒を飲んでいる。前の大阪万博を知っているという人たちばかりだ。その話で盛り上がっていた。
 別にそれで当人たちは楽しんでいるのだから水を差す必要もないのだけど、なんだか空しい人生だなと、しみじみそう感じてしまった。昔話に花を咲かせて、自分たちは昼間から酒を飲むしかできない、そんな人たちに見えてしまった。
 おそらく、実際の彼らはそうではないのだろうけど、僕にはそう見えてしまった。僕自身に空しさを覚えているからだろうか。

 夕方頃、職場入りする。少々酔っぱらっているが、構うことはない。今日は休日なんだから。人と会うわけでもない。仕事もしない。
 もっとも、これからやらなければならないことがゴマンとあるのだけど、今日は何もしない。
 とりあえず、パソコンの電源を入れる。そして、これは日課となってしまっているのだけど、ゲームの画面を開く。街を作るというゲームをやっている。施設なんかを作って、それを稼働させて、利益が上がれば回収して、さらに施設を作る。これを延々と繰り返すだけのゲームだ。最初は町ができていくところに面白味もあったけど、いい加減、この風景も見飽きた。よって、このゲームは今日限りでアンインストールする。これでこのゲームともオサラバだ。
 何事も経験とは言え、ゲームの経験は何ら有益なものを僕にもたらさなかった。せいぜい、みんなこういうのをやっているんだなということが分かったくらいだ。
 それから、何か書こうと思ったのだけど、考えはまとまらず、言葉が思うように出てこない。ついでに、自分が空腹であることに気づく。

 そういえばお昼を食べていなかった。空きっ腹でビールを飲んだのだった。少しだけ立ち飲み屋でつまんだけど、きちんとしたものを食べておかないといけないと思い、コンビニに弁当を買いに出る。
 戻ってくると、留守電のランプが点滅している。聞いてみると、業者さんからだ。ああ、もう無視だ。今日は仕事をしないと決めておるのだ。
 弁当を食う。腹も膨れた。さあ、執筆にとりかかろうかいなと思ったら、ドッと疲れが込み上げてきた。やたらとしんどくなった。それで横になる。横になり、いつしか眠ってしまった。寒気がして目が覚める。チョイとばかり寝すぎたようだ。こんなことやっていると、本当に風邪をひいてしまうし、健康的ではないなと思いつつも、なぜかそうなってしまう自分が不甲斐ない。

 結局、職場にいても何も捗りそうにないので、少しばかり行きつけのバーに顔を出して、それで今日は帰ることに決めた。
 唯一の収獲は『雨月物語』くらいだ。あとは空しい一日であった。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2018年11月23日 金曜日

11月23日:ここ数日

11月23日(金):ここ数日

 三連休ということもあって、この週末は仕事がイレギュラーな感じになっている。今日は比較的余裕があったけど、明日がけっこうたいへんだ。
 それにしても、今週並びに先週は割と忙しかった。けっこういろんな予定が入り、それなりに仕事も入った。その分、来週が少しヒマになりそうだ。ヒマになるといっても、こういう機会にできるだけ雑多な作業をこなしてしまおうと思う。

 体調はあまり良くない。火曜日辺りからまた足の具合が悪くなった。水曜日がピークだったように思う。膝とその他に痛みが走る。昨日までは杖をついていたけど、今日は杖なしでなんとかやっている。杖がなくても大丈夫なんだけど、あった方がラクではある。
 あった方がラクっていうのは、駅の人込みで困ることが何度かあった。連休初日ということもあってか、人が多かった。特に京都は紅葉だのなんだのということで特に多かったように感じた。なかでも子供がチョロチョロするのが怖かった。ぶつかってきそうで、ヒヤリとさせられることが何回かあった。
 杖をついていて、足が悪いんだぞってのをアピールした方がよかったかもしれない。

 生活自体は変わりがない。忙しい割りには充実した感じもなく、ただ、次から次へとこなしたという感覚しか残らない。取り掛かっていることを前に進めようとはしているのだけど、思うようには捗っていない。
 足が痛くて、行動範囲を制限しているのも関係ある。加えて、わずかな移動でも時間が倍はかかるということ、それでやたらと疲労感を感じることも関係ある。これは冗談ではないし、誇張でもない。すぐそこのものを取りに行くのが億劫になるのだ。それでも足を引きずって取りに行く。戻ってきた時にはけっこうな重労働をしたような気分になる。
 この身体にも飽き飽きしているところだ。

 そういえば動画広告のことで電話すると業者が言っていたけど、どうやら電話はなかったようだ。多分だけど、あの業者も長くはないかもしれない。だんだんひどくなっているように思えてならない。
 業者がなくなれば、このサイトも閉鎖の憂き目をみるかもしれない。最悪の場合のことも考えておかなければ。

 酒は飲むこともあれば、飲まない時もありといった感じだ。昨夜は少しばかり飲んでしまったけど。
 すごく久しぶりの飲み仲間と会った。最後に会った時、彼は無職中だったけど、その後、どうなったんだろう。昨夜はそこに触れずにおいた。まあ、元気そうでなによりではあった。

 先月からレンタルDVDで映画を借りてくるようになった。あれこれいろんな映画を観た。
 懐かしくてゴジラ映画を観たところ、これがけっこう面白くて、毎回、必ず一本はゴジラ映画を入れることにしている。
 子供のころは映画そのものを楽しんでいたけど、今はけっこう制作側のことを考えて観るようになっている。特に音楽だ。
 子供のころにレコードでサントラ盤を持っていた。今でも残っているだろうかと、火曜日に実家を探した。驚いたことにちゃんと残っていた。プレーヤーにかけてみると、ちゃんと聴ける。ライナーはシワクチャなのに、レコードは傷一つなかった。けっこう丁寧に扱っていたのかもしれない。
 音楽の話だった。ああいう子供向けの映画の音楽っていうのは、とかく分かりやすいものでなければならないと僕は思う。大人が鑑賞するような複雑で規模の大きい音楽ではいけない。加えて、感情表現や感情喚起も適度なものでなければならないと思う。あまり激しい感情表現は子供にはキツイかもしれない。そう思うと、子供向け映画や番組の音楽もいろんな制限があるのかもしれず、独特の難しさがあるのかもしれない。
 それはともかく、僕は伊福部昭さんの音楽は素晴らしいと思っている。僕の中で再評価されている。低音ならびに中音部の動きが特徴的で、ムソルグスキーなんかのロシアの作曲家の管弦楽を聴いているかのような錯覚に陥ることもある。
 宮内国郎さんも一作手がけていたのは初めて知った。この人はウルトラマンの音楽も作った人だ。あの「来たぞわれらのウルトラマン」の歌もこの人の手によるものだ。この人の曲はどこか健全な明るさがあって、好感が持てる。
 いつかこういう音楽の話もしたいものだ。

 音楽は相変わらず聴いている。というか、できるだけ聴くようにしている。少しでも時間が空いたら、デスクワークしながらでも音楽をかけている。音楽を聴いて、何も感じなくなったら僕も終わりだ。それは感情の枯渇を意味するからであり、僕がもっとも恐れる状態だ。
 最近はクラシックはほとんど聞いていない。ロックかジャズだ。映画音楽も興味がある。幅広く聞くけど、アルバムをしっかり聞きこむように心がけている、少々飽きがきても繰り返し聞くようにしている。一枚のアルバムを作るのも大勢の人が関わり、けっこうたいへんな作業だと思う。それを思うと、簡単に聞き捨ててはいけないという気持ちになる。

 あれは月曜日だったか、久しぶりにユーチューブを開いた。前日のクライアントが子供が動画ばっかり見てるとぼやいていたのもあって、そんなに動画っていいいものなんかねと思い、あれやこれやと見てみた。
 そこで音楽を聴くこともできるけど、ああいう聴き方はあまり好きではないな。アルバムを買って、買ったアルバムを大切に聴きたい。無料で簡単に入手したものは、簡単に捨てられるものだ。
 9月にも一軒、今月に入ってからも一軒、ロックバーに入った。ロック音楽が流れていていい感じなんだけど、レコードやCDは一枚もない。テレビがあって、ライブ映像やPVが流れていたりする。あれはすべて動画なのだ。僕は一気に興ざめする。昔なら、その手の音楽バーはレコードとかCDが流れていた。店主の好みとかがはっきりわかることもある。レアな、その店でしか聴くことのできないアルバムなんかもあったりする。特に長年続いたというジャズ喫茶なんかにはそういう貴重盤があったりする。わざわざそれを聴きに店に足を運ぶこともあった。もうそういう楽しみもなくなったんだなと寂しい気持ちに襲われた。
 動画の話だった。ユーチューブを開くとアホみたいに動画がアップされている。あんなもの長時間は見ていられない。パソコンで見ると疲れるのだ。それにエンドレスでお勧めを流してくる。こういうのにハマったら終わりだなと感じただけだった。

 動画を見たのは一日だけだ。ついでに動画広告にも注意して見ていたけど。ああいう広告って真面目には見てもらえないものだと僕は決めつけている。そのせいでかもしれないけど、自分のとこの動画広告は今一つ気合が入らないのだ。
 そして、ウッカリ忘れていた。動画を長時間視聴すると、ネット接続が重たくなるのだ。失敗してしまった。すでに接続が重い。あんなもの見るんじゃなかったと今では後悔している始末だ。

 さて、最近はブログを書くのも面倒になっている。原稿書き用のパソコンがいかれたことによる脱力感にいまだ苛まれている。公開予定の原稿、未完成の原稿が100本以上取り出せなくなったのだ。書き直す気力もない。
 ブログも書こうと思うことはあっても、どうも乗り気になれない。それで何日も空いてしまったわけだ。ここ数日のことを拾い出して、ダラダラと書いている次第である。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

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