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2018年2月21日 水曜日

2月21日:理性の回復 (#1035)

2月21日(水):理性の回復

 今日は水曜日。僕にとっては新しい週の始まりだ。気合を入れて、この一週間を乗り切っていこうと決意する。

 決意するなんて言うと大げさと思われるかもしれない。でも、昨日、歩いた時に、体力がかなり落ちているのを実感した。多分、同じだけ気力も落ちているかもしれない。
 体力、気力ともに回復していくこと、それを今の課題にしようと決めた。

 今日も比較的予約が入っているけど、空き時間もある。昼休みが取れたのは幸いである。外を歩く時間もできた。
 あまり激しい運動もできないけど、毎日ある程度の時間を歩くことにしよう。これはかつてはやっていたことだが、この一か月くらいはまったく怠っている。風邪を引いたためとか、歯医者に行っていたためとか、あるいは寒いためなどと理由をこじつけてはサボってしまったのだった。その反省も踏まえつつ、毎日の運動もしていこうという気持ちになっている。
 気力の回復は難しい。カウンセリングの勉強を始めた頃のノートを読み返す。これは少し効果的だった。あの頃の情熱が欲しい。少しでも思い出すかもしれないと思い、試みたが、悪くはなかった。
 それにしても、ずいぶん忘れていることもあるなと気づく。かつて頭に叩き込んだことだから、すぐに思い出すことはできたけど、定期的に記憶を新たにしておかないといけないなとも思い始めている。自分の迂闊さ、至らなさばかりが目についてしまう。

 金曜日に予約を取られた方のキャンセルがあった。本日最後のクライアントの後、少し席を外している間に電話があって、留守電に吹き込まれていた。
 不思議と気にならない。何となくそういう気もしていた。関係を築き、維持していくことより、逃げる方を選ぶだろうなという予感もしていた。しかし、留守電の様子では、その人と関係が切れたわけでもないので、また次に来られることを期待しておこう。

 フロイトはこういう言葉を使っているわけではないが、精神分析は理性的である。無意識を意識化するという命題は、人間の理性回復を謳っているわけでもある。
 一方、ロジャースのカウンセリングは、むしろ理性の鎖から人間を解放しようとする部分が感じられる。理性よりも、非理性の領域、例えば感情とか直感とか、そういったものを重視する。
 やはりフロイトである。ロジャースも好きであるが、現代こそ理性が回復されなければならない時代はなかったかもしれない。人間を人間たらしめているものは理性ではないかと思う。動物にそれはない。動物には本能しかないと言い切るのは言い過ぎだろうか。当然、ロボットやコンピューター、AIにもそれはない。理性は人工的に作り出せないものかもしれない。
 理性的であるとは、自分に常に問いかけられる問いに答えることだと僕は定義する。僕が生きていると、常に僕は問われる。特定の誰かに問われるわけではないけど、僕は常に問われる。今それをするべきなのか、本当にそれが正しいと信じていいのか、お前が今まさにやろうとしていることは本当にお前を成長させるのか、そんな問いに僕は常に曝されている。この問いを回避することなく、応答していくことが理性なのだ。

 体力、気力、理性、すべてが回復していかないといかんなと今は感じている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2018年2月20日 火曜日

2月20日:休日を過ごす (#1034)

2月20日(火):休日を過ごす

 今日は火曜日で、定休日だ。休みだ。毎回これを言っておかないと、ウチが火曜日が休みであることが伝わらない。何度も繰り返して、読み手に刷り込んでいかないと。

 昨日までの一週間はなかなかハードだった。特に昨日が一番きつかった。新規が2人に再新規が1人あった。再新規とは、しばらく間の開いたクライアントだ。再スタートということになるのだけど、僕はこれを新規扱いしている。
 新規がたいへんだと言うのは、きちんと再聴しておかなければならないからだ。初回というのは、それだけ重要なのである。

 さて、今日であるが、朝は少しだけゆっくりした。それから高槻に出て、昨日のクライアントの面接を聞きなおしたり、記録を作成したりして過ごす。
 夕方、職場を後にする。今晩は家族揃っての夕食ということになっていたので、それに間に合うように帰りたかった。
 それでも、幾分、時間があったので、長岡京市で途中下車する。天神さんにお参りに行っておく。よく考えたら、これが今年の初詣である。
 参拝の後、その周辺を歩いて、古書店に入る。この辺りに来た時には立ち寄る古書店である。このお店に足を踏み入れるのは久しぶりだ。
 久しぶりなので、本の顔ぶれが変わっていた。アカン、面白そうな本ばかり目に付いてしまう。結果、大小7冊の本を買ってしまう。買うのはいいけど、これをすべて読む余裕があるかどうか疑問だ。
 その足で喫茶店に入る。早速、購入した本を読む。帰りの電車内でも読む。帰宅後も読む。今日一日で200ページ近くは読めた。
 喫茶店を後にすると、電気屋さんに立ち寄る。パソコン関係のものや、その他諸々のものを買おうと思っているが、いくらくらいするものなのか、値段の偵察に寄ったものだ。思い切って、必要なものを一度に買ってしまうと清々するのだけど、経済的にそうもいかない。徐々に購入していかなければならないし、値段を知っておくと、予定や予算も立てやすい。

 それから帰宅。珍しく家族揃っての夕食。つい食べ過ぎる。
 食後は自室にて横になり、マカロニウエスタンを観る。今号でまだ未鑑賞の一本があるので、それを観る。
 タイトルは「ガンマン牧師」というものだ。いかにもB級っぽいタイトルがついているが、内容はそれほど悪くはなかった。ガイ・マディソンやリチャード・ハリソンもまあまあいいなと思い始めている。クリス・ヒュエルタがひょうきんな役どころで、マリア・マーティンとコミカルな夫婦を演じている。悪役のトーマス・ムーアは、ボスの迫力に欠けるきらいがある。ボスの片腕のような立場が似合っているように思う。

 その後はサイト用の原稿を一本書いて、本を読み、思い出したところでこのブログを書いている次第である。
 今日はそんな一日だった。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2018年2月13日 火曜日

2月13日:待ち時間にて (#1033)

2月13日(火):待ち時間にて

 世間ではピョンチャンオリンピックで盛り上がっているのかどうか、僕はよく知らないが、オリンピックに興味のない僕でもテレビを見ていると否応なしにオリンピックの情報が入ってくる。けっこう飽き飽きしている。
 どうやらひどい状況で競技をしているらしい。ジャンプでは強風で何度も中断したりとか、スノーボードでは転倒者が続出したとか、そんな話も聞いている。先にオリンピックありきで始めたことのように思えてならないのだけど、東京でも同じことになるんじゃないかと、他人事ながら心配にもなる。
 スポーツには興味がない。好みや価値観の違いであるかもしれないが、スポーツに熱中するよりも、もっと大事なものがあると僕は考えているからである。

 さて、今日は定休日だ。火曜日の定休日だ。朝の内は家でゆっくり過ごす。テレビをつけるとオリンピックのことばかりなので、それで上のようなことを書かざるを得なくなっているのだ。
 午後から職場に出る。特に今日やらなければならないような作業はないのだけど、何かとやっておこうと思う。
 原稿を書き、記録を残し、パソコン内の資料をディスクに落としていく。最後の作業が一番時間がかかった。本音を言えば、早く片付けてビールでも飲みに行こうと考えている。しかし、作業が終了するまではここで待っていなければならない。
 その待ち時間にこのブログを書いている次第だ。

 2月は、書架から100冊本を減らすという目標を掲げている。一日5冊ずつ持ち帰ることにしている。今日の5冊を選ぶ。こうして書架の本を減らしてから、並び替えをやっていく予定だ。
 この職場をスッキリさせたい。贅沢を言えば綺麗にしていきたい。後の方はあまり贅沢は言えない。12年も居れば何かと汚れるものである。綺麗にするとしても限界がある。その限界内で綺麗にしていきたい。
 スッキリさせる方は、意外と見えない部分では捗っている。ただし、これは見た目には変わらないという難点があるのだけど。

 それにしても、この旧パソコンはディスクの部分にガタがいっていて、開かないのだ。今日も何度か試したのだけど開かない。それで今日は諦めかけていたのだ。最後、帰る前にもう一度試したところ、このタイミングで開くのだ。まるでコントだ。
 開いたのだから少しでもやっておこうということになって、こうして時間をかけながらやっている。用意してあるディスク分はやっておこうと決める。
 明日は午前中は歯医者だ。午後から出勤になる。午後も少し時間的に余裕があったのだけど、仕事が入った。なるべく今日のうちに明日の準備はしておこう。明日から、少しばかり忙しい一週間となりそうだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2018年2月 9日 金曜日

2月9日:書架より~『ストア哲学』 (#1032)

2月9日(金):書架より~『ストア哲学』(ジャン・ブラン著)

 哲学の勉強をする中で、ストア哲学に関する事柄を僕はいくつか読んだことはある。僕はこれが哲学の一つのまとまった体系であるとは思っていなかった。ソクラテス、プラトン、アリストテレスに継いで現れた流れで、紀元前3世紀から紀元後2世紀の500年間の哲学運動を漠然と指している呼称だと思っていた。どうやら僕の認識を改めなければならないようだ。
 この時期の哲学がまとまった一体系の観を呈していないというのは、プラトンやアリストテレスなどと比べて、ストア哲学者によるまとまった著作が少ないためである。残されているのは書物の断片であったりする。そういう断片から学ぶのと、後は他の哲学者による引用で学ぶしかないという一面がストア哲学にはあるためである。
 本書はストア哲学に関する研究書であり、入門書でもある。本文は100ページほどのものだが、内容は濃く、ストア哲学に関して、それが深い哲学的思索であることを改めて認識できる一冊である。
 短い序説で幕を開き、三つの部で構成されている。第1部はストア学派の哲学者たちとその歴史に触れられている。第2部が本書の主要な部分であるが、ストア哲学の中身に入っていき、4つの章で構成されている。第3部はストア哲学のその後とも言えるもので、パスカルやニーチェなどを引用し、ストア哲学が後世の哲学に残した遺産を考える。
 ストア哲学を論じていくにあたって、著者はそれ以前の哲学、主にアリストテレス哲学との比較、あるいは同時代の哲学、例えばエピクロス派、懐疑派、(新)アカデミア派とも比較することで、ストア哲学の輪郭を明確にしようと試みている。その中で、ストア学派が何を問題にし、何を発展させていったかなどが明確になってくる。
 僕がストア哲学を好きになれないでいたのは、セネカの著作に代表されるように、どこか処世のための哲学という感じが伴うからだった。それに「ストイック」(ストア的)などという言葉から連想されるように、それが禁欲や克己を推奨している哲学のような印象を持っていたからだ(例えば、マルクス・アウレリウスの著作など)。本書を読むと、ストア哲学にはそのような要素がないわけではないが、それは主に後期ストア哲学に属するものであり、ストア哲学のごく一部分だけが強調されているに過ぎないことが理解できる。

 さて、本書の主要部分である第2部から、僕が学んだことをメモしておこう。
 まず、論理学としてのストア哲学だ。ストア哲学が目指すのは、自然に従って生きる人間になることである。この哲学は人間と世界の相互浸透の経験主義であり、この世界観はストア学派の弁証論にも影響している。弁証論は、ここでは帰属を含まず、あくまでも事象を言い表すのみであり、諸関係の時間的半立が知恵を規定する。
 この論理学は表象、同意と学、さらには弁証論(命題と推論)などの理論を含むものである。
 自然学。これは世界、神、人間それぞれに関する学である。神学もここに含まれる。
 倫理学。これこそもっともストア学的と言っていい分野だ。最高善と徳。霊魂の病理としての情念。そして賢者になるとはどういうことであるかが考察される。賢者とは理性に従って生きる人のことであり、情念から免れている人であり、自己と自然とに一致した生を送る人である。
 情念に関する考え方には、現在の認知療法や論理療法がすでに語られている。エピクテトスの一節を引用(一部変更有)してみよう。「汝を侮辱するものは、彼らについて汝が抱く考え、汝を侮辱していると彼らをみなそうとする汝の考えなのだ。だから、誰かが汝を苛立たせるなら、汝を苛立たせるのはその人間ではなくて、汝の考えなのだと知れ」。僕は認知療法には何ら新しいものを見出さないのである。ギリシャの哲人たちの知恵を復活させた功績しか見出さないのである。

 面白い本だった。興味が尽きない一冊であった。ソクラテス以前のタレスに始まるギリシャ哲学はストア学派らの時代を経て、新プラトン派のプロティノスらによってキリスト教に吸収されていく。以後、キリスト教神学が西洋思想の中心となっていく。ストア哲学は、キリスト教神学への橋渡しの時期において、最後のギリシャ哲学らしい哲学であったのかもしれない。

 さて、本書の唯我独断的読書評は断然5つ星である。面白いというよりも、一冊でかなり多くのことを学ばせてもらったからである。

<テキスト>
『ストア哲学』(ジャン・ブラン著、1958年) 
有田潤 訳 文庫クセジュ(273)白水社

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2018年2月 9日 金曜日

2月9日:飲み友達 (#1031)

2月9日(金):飲み友達

 そうだ、今日は朝の一枠目のクライアントが変更になっていたのだった。随分前に聴いていたのに、予定表を訂正しておくのを忘れていた。おかげで朝は時間が空いた。音楽を聴いて、本を読んで過ごす。
 最近、本もよく読める。哲学関係のものに惹かれている。臨床関係のものももっと読みたいとは思うけど、こちらは気分が乗らない。
 ジャン・ブラン『ストア哲学』を読み終える。他にダンハム『鎖につながれた巨人』の前半(上巻)を読む。前者は初読、後者は再読である。どちらも新書で手軽なのがいい。
 読むのは読んだけど、十分に頭に入った感じがしていない。どうも、風邪で寝込んでから頭が本調子ではない。徐々に取り戻していこう。

 本を読むことに加えて、本サイトの第2章のことを考えていた。何を書くか、もう一度リストにした。さらに以前に書いた原稿なんかも読み直してみる。言いたいことは明確にあり、且つ、たくさんあるのだけど、それがどうしてもまとまらない。どういう風に提示すればより理解してもらえるだろうかなどと、いろいろ試行錯誤している。
 確かに、そんなに手の込んだサイトにしなくてもいいとも思っている。真面目に読む人は少ないし、正しく読む人はさらに少ない。ただ何かが書いてあれば、それだけで信用する人も多いようだ。だからと言って、あまり妥協する気持ちも僕にはなれない、それで困るのだ。
 この第2章というのは、僕のカウンセリングで前提にしている事柄を綴る章になる。僕がこの仕事をしていく上で前提としている考えなどである。このサイト全体を通してももっとも重要な章となるだろう。それだけに過剰に力が入っているのかもしれない。

 夜はいつもの飲み屋に顔を出す。いつものメンバーが揃っている。特に変わり映えもしなかったが、悪い経験はしなかった。可もなく不可もなくといったところで、それで十分である。
 いつものメンバーと別れた後、すごく久しぶりに会う飲み友達とバッタリ遭遇する。これでハシゴ確定である。彼と一緒に少しだけ飲む。彼を見ていると、企業勤めがいかに厳しいかが窺われる。特に若い人にとってはそうだ。まあ、あまりそういう話をここではしないでおこう。とにかく、良い酒になったのだから、あまり水を差すようなことはしないでおこう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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