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2017年12月31日 日曜日

12月31日:2017回顧(後)(#0998)

12月31日(日):2017回顧(後)

7月~9月
 蕁麻疹のピークだった時期だ。一方で書籍の執筆に熱中していた時期でもある。
 両親の故郷である島根県にも行く。島根の山を受け継ぐ。
 電話会社をNTTからソフトバンクに切り替える。これで電話のことで頭を悩まさなくて済むかと思いきや、その後、いくつかのトラブル(というか、ソフトバンクのいい加減さというか)が生じる。現在も軌道に乗っていない。
 仕事は、横ばい状態から徐々に上昇傾向を取り戻す。
 新たにランディングページを始める。タウンページで失敗しているので、今度こそという思いもあった。ランディングページのいいところは、好きなキーワードで何ページでも作ることができるという点にあった。最初の30ページは業者が作ってくれることになったが、この30ページに不満が募る。

10月~12月
 ランディングページに着手しようとするも捗らず。業者の作ってくれた30ページをすべて消去する。僕がやって欲しくないと思うことを彼らはふんだんにやる。意思疎通ができていないというのもあり、半分は僕の責任でもある。「医療機関」をイメージさせる写真や文言は困るのだが、彼らはそんなこと知る由もなく、お構いなしでやっていく。他にも困る箇所がいくつもあった。一つ一つ修正するつもりでいたが、他人の作ったものをいちいち修正するのも腹立たしく思い、すべて消去する。消去して、一から作ると決めたが、まだ1ページも完成していない。そこまで手が回らないのだ。
 ブログでは書かなかったけど、この時期、家族の方で大きな事件があった。この事件のケリがつくまで、僕は将来どうなるか分からなかった。場合によっては僕と家族の生活が大きく変わり、僕も廃業を検討しなければならなくなっていた。その覚悟をするようにと親にも忠告されていた。現在、どうにかケリがついてきて、僕も今の仕事を続けられそうな見通しがついている。
 書籍の方は手付かずの状態が続いている。9割は完成しているのに、もはや僕の興味が薄れていく一方である。書いている時は「いい内容だ」と思えていたけど、距離を置いて眺めてみると、こんな本はクズ以下だという気がしてきてならない。出版社側から何か言ってくるかと思っていたが、何の音沙汰もない。僕の本なんかどうでもいいのだろう。
 タウンページでこけて、ランディングページでもこけて、書籍でもこけて、動画広告でもこけて、おまけに電話のトラブル、身体のトラブル、家族のトラブルに見舞われて、この時期から酒の量が増え、散々な一年であった。
 そんな散々な一年でも、どうにか生きてきた、そこだけは評価すべきだろうか。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年12月31日 日曜日

12月31日:2017回顧(前)(#0997)

12月31日(日):2017回顧(前)

 今年、2017年(平成29年)も終わる。いろんな出来事があって、僕には長い一年に感じられている。今日は一年の締めくくりということで、この一年を回顧しようと思う。

1月~3月
 膝を悪くしてから初めての冬だった。未経験の辛さをいくつも味わった。
 昨年の12月まで、週に2回のリハビリに通っていた。両日とも、少なくとも半日は仕事を休まなければならなかった。そのために仕事をいくらかセーブしていたのだけど、このリハビリを止めることを決意した。
 そうして1月からはバリバリ仕事をするぞと張り切っていた。新規の仕事も次々にこなしていった。この勢いは3月頃まで続いた。
 2月には電話回線の工事をする。デジタル回線に切り替える。頻繁に電話がかかってくるのにもウンザリしていたので、ここいらで実施することにしたのだ。ところが、この後、実に面倒なトラブルに発展し、未だに解決されていないという状況である。
 また、昨年の12月にお流れになった書籍出版の件が復活する。2月頃のことだ。2月から3月にかけて、あるテーマで書き始める。
 バリバリ仕事をこなそうと考えていた僕は、とにかくサイトの窓口を増やそうと思った。その頃、アイ・タウンページの営業が来たので、タウンページなんてまったく信用していないのだけど、一年だけやってみることにした。どんなことでもやってみようという思いだが、結局、これはやるんじゃなかったと後悔するだけに終わった。ページ自体、まったく手を付けることなく終わった(これは操作のことなどを教えられていないからである)。さらに、自分のところのページを見ることもなく終わりそうだ(どうして閲覧すればいいか分からない。閲覧した人がいるので公開されているのは知っている)
 順調に行っていた仕事は3月末辺りでぐらつく。幾人かの「キツイ」人たちのことで気に病むようになった。

4月~6月
 気に病んだ結果、書籍のテーマを変更する。「治る人と治らない人」のテーマで書き始める。これは夏ごろにはある程度完成しており、後はいくつか細かい点のチェックと修正をするだけになっているのだけど、秋には興味を失う。
 仕事は、大きく伸びることはなかったが、比較的横ばい状態で続く。
 タウンページのことは頭にあったけど、6月頃、これに見切りをつける。その頃、NTTの不義理に関して頭に来ていたからだ。これは2月の工事に端を発するのだが、まったく彼らの言っていたことと違う結果になっていたのだ。一例を挙げると、僕のところは回線は一つなのに(彼らもそれを確認している)、彼らは二回線用のモデムを取り付け、二回線分の料金を請求してくるのだ。他にもある。料金が少しは安くなるという話だったのに、また、そのようにシミュレートしていたのに、結果は料金が3倍に膨れ上がっただけだった。まったくもって惨憺たるものだった。これもあって、NTTとは一切縁を切ろうと決意したわけだ。
 こんな電話のことなんかでトラブルに巻き込まれる自分がイヤでならない。12年間もなんの気苦労もなく使用できていた電話が悩みの種になるなんて。アナログ回線のままでなんの不自由もなかったのに。
 冬の間に生じた蕁麻疹がひどくなる。最初は乾燥肌のせいかと思っていたけど、明らかにそうではなかった。一部はストレスから来るものだと思った。本を出版するというのがとても負担に感じられていた。それと一部は身体から来るものだ。いよいよ体が悪くなったかと思い、陰鬱な気分に襲われることも多かった。この蕁麻疹は、かなり良くなったとは言え、現在も完治したわけではない。
 また、この時期、母のことが心配の種になる。母に癌の疑いがもたれたのだ。これは現在では横ばい状態になっているけど、いつ悪くなるかわからないものだ。母の生きているうちに、もっと母親孝行をしたいものだと思っているのだけど、なかなかそれも実現しないままである。自分が不甲斐ないと思い始める。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2017年12月31日 日曜日

12月31日:一年の締めくくり (#0996)

12月31日(日):一年の締めくくり

 朝はおせちの手伝いをする。と言っても、大したことはできないのだけど。母の指示通りに動く。それから高槻へ向かう。
 駅はすごく人が多かった。一本、電車を見送る。この年の瀬に、みんなどこへ行くのだろうか。
 前の電車ではホームにけっこうな人が並んでいたけど、次の電車ではそれほどでもなかった。電車一本でずいぶん違うものだ。
 周囲のことは気にせず、駅にて電車を待つ。高槻に着くまでにラカンの論文を一本読む。

 高槻に着く。一階のそば屋が店頭販売やってる。毎年恒例のやつだ。本当は迷惑だと僕は思っているけど、それも仕方がない。そば屋にとっては稼ぎ時なんだから、僕の方がガマンしよう。
 それにしてもあのそば屋、毎年大晦日だけ店頭販売していたのに、今年は昨日もやっていたな。年に一日だったのが二日になったわけだ。彼らも厳しいのだろう。
 職場に入る。ここだけは時間の流れが止まっているかのよう。季節感ゼロの部屋だ。
 今日の予定では、もし、パソコンが動けばサイト作業をする、パソコンが昨日と同じ調子だったら、窓拭き掃除をする、そう決めている。
 まず、パソコンの電源を入れ、ネットに接続してみる。昨日開かなかったページが開いたら、サイト作業だ。開かなかったら、3時間くらいかけて窓拭き掃除をする。果たしてどうなるか。
 これもなんでこんなふうになるのか分からないけど、昨日はダメだったのに、今日はいけるのだ。その間に何も特別な処置をしたわけでもないのに。まったく訳が分からない。
 サイト側の原稿を7本ほど公開する。どれも第9章に属するものだ。およそ2時間かかる。実際にはそんなに時間のかかる作業ではないのだけど、休憩とか昼休みを挟んだのでそんな時間になった。
 その後、夕方まで本を読んで過ごす。高槻ではそれだけだ。

 帰宅する。帰りの電車ではウイリアム・ジェームスの本を読む。
 さて、夕食の後、ダウンタウンの番組を観る。大晦日の恒例行事となった感があるが、今年はあまり興味が湧かなかった。今まで観てきたから、その流れで今年も観たという感じだ。もう、あの番組も面白いとは思わなくなってきた。
 そんなこんなで年明けを迎えた。ろくでもない一年がこれで締めくくられると思うと、感慨深い。次の一年はもっとましな年にしていこう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2017年12月30日 土曜日

12月30日:仕事納め (#0995)

12月30日(土):仕事納め

 今年は今日が仕事納めとなる。
 いつも土日に来るクライアントたちだ。そのうち、一人は昨日来られた。もう一人は予約されなかった。
 そういう事情もあって、午後から空き時間が生じる。その時にサイトの更新をしようと決める。サイトとブログで20数件の原稿がある。一挙公開といこう。
 ところが、パソコンをネットに接続して、サイトページを開こうとしたら、どういうわけか開かない。パソコンが重くなっているのかと思い、一度、動くまで待ってみる。接続がリセットされたというメッセージが出る。
 なんでか訳が分からない。スッと接続できるページもあれば、なかなか開かないページもある。開かないページでも、何度も繰り返していると、微妙に開くが、最後まで開かない。
 セキュリティを更新してみたり、パソコンを再起動させてみたりと、いろいろやってみたが、あまり変わらない。
 夕方のクライアントを終えて、ダメ元と思いながらも業者に電話してみる。案の定、休業している。電話番の人に繋がったけど、担当の人に連絡してみるということになった。もっとも、その人にいつ繋がるかもわからないし、いつこちらに連絡が入るかも分からない。
 しばらく待つが、もう、どうでもよくなる。来年になってもいいやと投げやりな気持ちにもなる。
 それで職場を後にする。今年の仕事納めが、トラブルで終わるっていうのは、いかにも象徴的だ。今年はトラブル続きの一年だった。このことは明日、書こう。

 夜。ムシャクシャしてるので、酒でも飲みに行こうと決める。
 居酒屋に入る。ああ、年末という感じだ。団体客が多く、賑やかである。瓶ビールを注文する。最初はよかった。飲み干して、もう一本注文する。すると、店員さんがやってきて、瓶ビールが冷えていないけどどうするか、と訊いてきた。冷やすのが追いつかないということだ。僕は常温でいいから持ってきて、と答える。
 冬場なので、常温でも多少はヒンヤリしているけど、やはり物足りない感じがした。これもまたトラブルだ。

 その居酒屋に居ても、冷えたビールがないのなら、店を換えようと決める。それでいつものバーに行く。
 バーでは、最初は気持ちよく飲んでいた。そのバーで数年前まで働いていた女性が来た。男性客と一緒だった。
 この女性はかわいらしい人で、僕は好きだった。いつの間にかお店を辞めていったのだ。今日はこの男性客(僕は親しくはないけど、よくこの店で顔を見かける人だった)が誘ったのだろう。会話を聞いていると、さほど親しくない者どうしという感じだ。
 なんか、つまらなくなってきた。僕はこの女性がどうしているかなと気になることがよくあった。というのは、彼女の勤め先が閉業したということを聞いていて、それがあって夜の仕事も辞めることになったからである。それから音沙汰なしだった。
 彼女も大人なので、自分の人生をなんとかやっていくだろう。元気そうなのは良かったことだ。一応、僕のことも覚えていてくれたので、それも良かった。彼女のことも心配することはなかったのだ。まあ、僕が勝手に心配していただけなんだけど、余計なことをしてきたと感じ、空しくなってくる。

 バーを出る。タバコを切らしたので、買いに行く。その道中、ああ、あのY君に遭遇する。一番、会いたくない人だ。
 彼の方が僕に気づいて、声をかけてくる。これは決して仲がいいとか親しいからとかいうことではない。彼が退屈しているだけなのだ。相手になってくれそうな人だったら誰でもいいってことだ。たまたまそれが僕だったというに過ぎない。
 面倒だ。ちょっとだけ付き合って、後は逃げようと考えていた。コンビニで缶ビールを買い、それをその辺で飲む。奴は道行く人に声を掛けたりするから厄介なのだ。道行く人は相手にしないけど、こちらに視線を投げかけたりされると、僕はたまらなく恥ずかしくなる。こんなのと付き合っている自分もイヤでイヤでたまらなくなる。

 結局、Y君を撒くタイミングもなく、おまけに寒いので、僕の行きつけのもう一軒のバーに入る。奴がバーテンダーをつかまえてウダウダやってくれている。束の間の安堵が僕に訪れる。その間に、どうやって撒こうかということばかり考えている。
 一杯ずつ飲んで、金を払って、出る。Y君を先に表に出して、店の人に年末の挨拶をしておく。それから店を出る。Yがいない。この隙に駅に向かおうと思う。
 ところが、路地のところでYが待っていた。ああ、最悪だ。僕は帰るからと言って、駅に向かう。道中、Yが「小便したい」と言うから、「その辺でタレてこいや」と僕が答える。彼がその辺で立小便している間に、これこそ天が与えてくれたチャンスとばかりに、僕は彼を置いて駅に急ぐ。どうにかYを撒くことに成功する。

 疲れた。帰りの電車で、いつもなら立つのだけど、つい、座ってしまう。眠ってしまう。ギリギリのところで寝過ごさずに済んだ。
 なんだか、今日一日、不完全燃焼だ。シメにラーメンを食って帰ることにする。ああ、ここも一杯だ。客が多い上に、レジで待たされる。これまた一つのトラブルである。

 トラブル続きの一年だったけど、最後までトラブル続きだった。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年12月29日 金曜日

12月29日:臨床と生活におけるパンセ集(5)(#0994)

12月29日(金):臨床と生活におけるパンセ集(5)

(5A)IT業者と臆病者
 IT業者によるとカウンセラーを探している人がとても多いらしい。僕は知らないけど、きっと一人一人にアンケートでも取ったのだろう。まあ、それはどうでもいいことだ。
 僕が腹立たしいのは、カウンセラーを探している人たちと僕のサイトとが結びつかないのは僕のサイトが悪いらしいという指摘だ。カウンセラーを探している人たちがカウンセラーと出会わない責任が僕の方にあるみたいな言い方をされるのが腹立たしいのだ。
 僕から言わせれば、カウンセラーを探している人は一生探し続けるものだ。分かりやすく言うと、その人たちが臆病だからである。
 臆病がって動き出さないままでいるうちに年月は過ぎ去り、問題はますます大きくなり、症状は進行する。動き始めた時は手遅れだ。でも、それはその人たちがそうしているのであって、その責任まで僕に被せられるのは御免蒙りたい。僕は僕の人生以外の責任を背負うつもりはない。ましてや会ったこともない人の分まで背負うつもりはまったくない。

(5B)神経症的取り組み
 人は自分自身を良くしよう、治そうと試みる。健全な人の取り組みと神経症的な人の取り組みの違いを述べよう。
 健康な人は数学者になるために数学の勉強を一生懸命にする。神経症的な人は数学者になるために考古学の勉強を一生懸命にする。その違いだけである。才能や努力に違いがあるわけではない。見当違いのことばかりをし続けるだけなのだ。
 だから彼らは言う。何十年も考古学を勉強してきたのに、どうしても数学者になれないんですと。自分が何をしてきたのかを本当には知らないのだ。

(5C)治らない
 治そうとして無関係なことをすること。
 治すために治らないことをすること。
 治す努力をして、それが治らない努力であることに気づかないこと。
 治らない人にはそうした欺瞞がある。

(5D)選択
 例えば食事に行こうとする場面。「何を食べたい?好きに選んでいいよ」「和食でも洋食でも、どちらでもいいよ」
 こういう言葉がけは自分が愛されていない証拠と受け取る人たちもいる。「好きにしていいよ」「どっちでもいいよ」「何でもいいよ」、すべて自分が突き放される言葉として受け取る人たちだ。自由に選んでいいという状況は、通常なら喜ばれるところだが、この人たちはそれが逆転する。
 こういう人には選択肢を与えない方がいい場合もある。「僕は君と一緒にラーメンを食いに行きたい」と言った方が、「この人は私と一緒にラーメンを食べに行きたがっているのだ」と相手は思えるわけで、自分が愛されていると感じることもあるようだ。

(5E)対人恐怖
 いわゆる対人恐怖者は、自分が人から嫌われると信じているが、それは間違いなのだ。彼らは確実に嫌われているのだ。嫌われる要素がその人にはあるのだ。相手がそれに反応して、その人にある種の態度を見せるのだ。相手のその態度を見て、彼は対人恐怖を発動させるのだ。そして自分の対人恐怖が問題だと彼は考えるのだけど、大間違いである。彼が人から嫌われるような何らかのことをやってしまっているのだ。相手との関係で、彼の方が先にやってしまっているのだ。彼はそれに気づいていない。
 例えば、今、自分は嫌われたのではないかと不安に襲われる人があるとしよう。相手に対する猜疑心は、相手の側にではなく、この人に先に生じるのだ。その猜疑心が現実に相手からの嫌悪を引き出してしまう。

(5F)動機
 私を動かすのは私の動機である。脳ではない。また、意志は方向づけるけれど、力を持たない。
 達成に動機づけられれば、私は達成に向かってひたむきになるだろう。失敗に動機づけられれば、失敗に向かってひたむきになるだろう。
 自分が変わるとは、自分を動かしている動機の性質が変わるということでもある。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

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