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2017年11月30日 木曜日

11月30日:「空耳アワー」(#0983)

11月30日(木):「空耳アワー」

 今日、夕方の時間帯にキャンセルがあった。時間が空いたのをいいことに、パソコンをインターネットに接続し、ユーチューブで少しばかり「空耳アワー」を見る。これはタモリさんの「タモリ倶楽部」のワンコーナーにあるものだ。
 先日のことだった。行きつけの飲み屋の人が「空耳アワー」の話をしていた。それがきっかけで見てみることにしたのだ。
 僕もその番組やコーナーは知っていた。あまり面白いとは思わないので、長いこと見ていない。今でも続いているそうで、驚きである。
 そんなわけで、今回、「空耳アワー」を見てみる。アカン。いくつかのネタでは笑ってしまった。

 僕の知っている曲もあった。ビートルズもあった。「I want to hold your hand」が「アホな放尿犯」になっていた。絶対にそうは聞こえんと思うのだが、まあ、よう「アホな放尿犯」の画を撮ったなとは思う。
「Ask me why」のサビの部分が「おでんにも水割り」ってのは、少しだけそう聞こえた。
他の曲も、確かにそう聞こえるものもあれば、まったくそうは聞こえないというものまでさまざまだった。

 しかし、あれは「空耳」でも何でもないという気もしている。外国語の曲を聴きながら、日本語のテロップを読んでしまっているだけという気もする。日本語を読んでいるので、音声が日本語に引きずられてしまうのだと思う。実際、目をつむって聴いてみると、日本語には聞こえないというネタもあった。
 そうして視覚情報に影響されるのと同時に、馴染みのない外国語を馴染みのある日本語に変容してしまうということも起きているかもしれない。僕たちは馴染みのないものを馴染みのあるものにすり替えてしまうということをしてしまうのだ。
 今のことは心理学の実験でもある。被験者に絵を見せる。その後で、どんな絵だったかを思い出してもらい、再現させるのである。提示された絵は内容のはっきりしない図柄だったのに、再現された絵は我々に馴染みのある図柄になっているというものだ。

「空耳アワー」の経験が僕に教えてくれることは、いかに我々は耳にしたものを正確に聴いていないかということである。視覚情報に左右されたり、馴染みのあるものに変容したりして、いかに耳に届いた音声を歪めてしまうかということである。これは僕の日頃の信念を裏書きしてくれているようにも思った。

 最近、どうして面接を録音するのか、他所ではそんなことをしないのにと苦言を呈したクライアントがおられた。きっと、他所さんのカウンセラーは録音などしなくてもいいだけの、完璧な耳をお持ちなのだろう。視覚情報に決して左右されることなく、馴染みのある観念に変容させることなく、耳に届いた音声を完璧にそのまま聴くことのできる、そういう人間離れした能力をお持ちなのだろう。そういう人にあっては、空耳アワーを見ても絶対に面白くないと感じることだろう。
 生憎、僕はそういう耳を持っていない。だから録音しないといけないのだ。耳は僕を裏切るからだ。常に間違いなく完璧に正しく音声を聴けているなんていう保証はどこにもないからだ。クライアントは録音されることが気に食わなくとも、僕はそれをしないといけないのだ。僕は僕の耳を完全には信用していないからである。録音されるのがイヤだというのであれば、完璧な耳をお持ちのカウンセラーの所に行けばいいだけのことである。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年11月24日 金曜日

11月24日:臨床と生活におけるパンセ集(3)(#0982)

11月24日(金):臨床と生活におけるパンセ集(3)

(3A)過去
 過去は、どれだけ問題のある過去であれ、問題にはならない。問題になるのは過去ではなく、過去が紛れ込んだ現在である。現在こそが問題なのだ。

(3B)過去は変わらないのではない
 過去は変えられないと信じている人がいる。半分は正しくて、半分は間違っている。彼らが過去は変えられないと言う時、それは過去の再現を食い止められないということを意味している。
 過去は繰り返される。我々が将来において経験することは過去において既に経験していることである。かつて怖い父親に怯えていた人は、その後、怖い先生に怯え、今では怖い上司に怯えている。過去に出会った人とこれからも会うのだ。それは過去の繰り返しである。繰り返される過去とは、その過去が変わっていないことである。
 過去が変わるとは未来が変わるということに他ならない。かつて経験したことが繰り返されなくなった時、過去が変わったのである。変わらない過去が繰り返されるのだ。

(3C)過去と他人は変わる
 過去と他人は変わらないと人が言う時、その過去と他人は客観的な存在である。それは主体を欠いており、ただ、現実に在るという在りかたをしている存在である。主体にとって、そのような存在はまったく意味がない。
 過去や他人が個人にとって意味がある時、そこにはその個人の何かが付与され、その過去や他人にある種の性質が帯びているのである。その性質を我々は現実と呼んでいるだけかもしれない。
 過去や他人が変わるということは、個人がそれに付与している性質が変わることである。

(3D)二種の愛
 愛には二種ある。目に見える直接的な愛と目に見えない愛である。
 幼い者は目に見える愛だけが愛だと信じ、目に見えない愛は存在しないに等しい。
 目に見えない愛が十分に分かるようになると、その人の愛情飢餓感が薄れる。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年11月20日 月曜日

11月20日:生への償い (#0981)

11月20日(月):生への償い

 今日はそれほど予定が埋まっていないが、この一週間は割りと忙しかった。来週(明後日からの一週間)は比較的予定が少ない。つまり、ヒマ週になりそうだ。
 まあ、ヒマと言ってもヒマではない。やることはゴマンとある。

 今日は予定の仕事をこなした他、事務的な作業をする。
 サイトの原稿も二項書いた。一日一項のペースで書いていこうと思うが、今日はちょっと時間もあったので二つ書いた。
 後は勉強し、本を読む。ツルゲーネフの『父と子』に着手。半分ほど読み終える。『退却神経症』(笠原)の後半を読み終える。新たに『妄想症例の研究』(高橋)に着手し、三分の一ほど読み終える。『犯罪心理研究』の創刊号より二つ読む。
 夜は喫茶店にて書き物をして過ごす。今日の日誌を書く。それと、今日読んだところから必要と思うところ、重要だと思うところをノートに書き写す。
 それから帰宅して、家のパソコンでこれを書いている。

 朝のうちは足の具合が悪かったが、夜は大丈夫だった。普通に歩けるようになっていた。休憩時間や空き時間に体操をしたが、最初は体が十分に動かなかった感じがあった。適度にやっていくうちに多少は動くようになった気がする。足のためにできない体操もあるが、それ以外の体操をやることにした。
 身体の不安は相変わらずだ。少しでも健康を回復しようとは思うのだが、なかなかである。今日は酒は飲まなかった。それだけが今日の取り柄である。

 生きられる時間は限られている。ボンヤリしている間に死を迎えるかもしれない。せっかく生まれてきたのに、限られた時間をどれほど空費してきたことだろうかと思う。そう思うと、僕は僕の生を後悔する。
 健康な心身を失うだけでなく、人生をも失うことだ。これまでの生をこれからの生で償おう、いつもそんな思いを抱えている。少しでも僕の人生への償いはできているだろうか。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年11月14日 火曜日

11月14日:火曜は休みだ (#0980)

11月14日(火):火曜は休みだ

 今日は火曜日、定休日だ。毎回これを書く。ウチの定休日が火曜日であることを知らない人が多いからだ。
 今日は朝早く起きた。朝食を採り、健康的な一日を送ろうなどと考えていたが、ここで二度寝してしまう。
 寝るつもりはなかった。とても目が疲れていて、横になって目を休めていると、いつしか眠り込んでしまったのだ。起きた時にはお昼を過ぎていた。
 ああ、なんてこったい。せっかくの休日を半日寝て過ごしてしまうなんて。
 外は雨。外出する気分になれない。家で原稿を読み直したりして過ごす。
 その後、やっぱり一日家にいるなんてのは良くないと思い、夕方から外出する。少しでも外を歩かないといけないと思う。歩かないと、どんどん足が悪くなってしまいそうだからだ。
 外を歩いても、結局、電車に乗り、高槻に出る。あとは職場で過ごす。原稿を読んだり書いたり、本を読んだり勉強したりして過ごす。これじゃ家にいるのとあまり変わらんなと思いつつ。

 職場にて、2回も電話が鳴る。取るとFAXだった。いきなりFAXを送りつけるような人たちとは関わりあいとうないと思い、ストップする。案の定、無関係のFAXだった。こういうのが鬱陶しい。

 本はラカンの『パラノイア性精神病』を数日前から読み始めている。以前、読んだきりになっていた本で、とかく難解だという印象しか残っていなかった。以来、ずっと書架に眠り続けているという本だ。
 今回読み直してみると、前回よりもよく分かる部分が増えている。それでも、難解なことに変わりはないが。
 これを読むには、まず、ある程度の精神医学の知識が必要だ。この点は以前よりも増えた気がする。
 次に、文章の問題がある。おそらく原文がそうなのだろうけど、少々凝った文章が多い。文章をしっかり読み解くようにしないといけないが、それでも意味がよく伝わらないという文章もチラホラあった。
 最後にフランスの精神医学という問題がある。日本の精神医学はドイツをモデルにしているわけで、ドイツとフランスでは一部異なるところがある。例えば、フランスでは解釈妄想という分類があるけど、それはドイツにはなく、従って日本でもそういう名称は使用されない。そのような、フランスの診断分類にはあるけど、日本にはそれがなかったり、別の名称が用いられたりするものがあるので、馴染みのない名称に遭遇してしまうのだ。
 上記のような要因が本書を難解にしているという面があると思う。

 難解な本に取り組んでいると疲れてくる。それで軽く読めるようなものを読もうと思い立つ。最初はミステリ系のものをと思ったけど、結局、戯曲を選ぶ。イプセンの『幽霊』という作品だ。いつだったか、古書店で叩き売りされているのを安く買って、手付かずのままになっていた本だ。
 さて、これを読み始めると、あらたいへん、どうにも止まらなくなってしまったのだ。三幕ものの戯曲だけど、一幕目を帰宅前に。ニ幕目を駅の喫煙ルームで。三幕目を帰りの電車の中で読んだ。それだけ面白かったのだ。これはぜひ読書評に挙げなければと思っている。

 帰宅する。母がオムレツを作ってくれていた。オムレツといえばワサビであるが、今日はワサビストを控え、普通にケチャップで食する。
 その後、コスミック出版の『ゾンビの世界』より、未鑑賞のものを観る。今日観たのは『歩く死骸』という作品だ。ボリス・カーロフ主演で、この人も顔に力があるな。特にその鋭い眼光は悪夢に出てきそうだ。

 と、今日はこんな一日だった。午前を無為にしてしまったのが悔やまれるが、それなりに悪い一日ではなかった。何より、イプセンが収穫だった。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年11月10日 金曜日

11月10日:「締め出される夢」(#0979)

11月10日(金):「締め出される夢」

 昨日、クライアントと夢の話をした。僕は毎日のように夢は見ているのだけど、以前のように、毎日公開するようなことはなくなった。それをやるとたいへんな作業量になるからである。だから、現在では特定のテーマに絞って公開するようになった。
 まあ、たまにはテーマ以外の夢を取り上げてみるかと思い、ここに記す。

(夢)「締め出される夢」
 どこかに行こうとしていたのか、僕は市内を歩いている。ある建物の前に立つ。僕は昔ここで働いていたのを思い出す。ビルの5階だったのを思い出す。懐かしくて、行ってみようかと思ったが、柵がしてあって、建物の中には入れなかった。
 仕方がないので諦め、再び歩き出すと、何かの作業を思い出した。その時、この近所に母校があるから、その地下の自習室を拝借しようと考える。
 母校に着く。校舎に入る。途端に先生らしき人に声をかけられ、部外者は入ってはいけないと言われ、学校から締め出される

(連想と感想)
 以上が今朝観た夢であるが、全体の一部分である。確かその前後の部分もあったはずなんだけど、忘れてしまう。
 市内というのは京都市内のことだ。最初の建物は僕の通っていた高校の校舎を思い出させる。感じが似ていた。
 しかし、ここは僕の昔の職場があったところだということになっている。5階という数字は、正直言って、何も思い当たらない。現在の職場は3階だし、以前の職場も5階というのはなかった。どうして「5」なのかがさっぱり思い至らない。
 ここで最初の締め出しを食らうことになるのだけど、建物の入り口のところに柵がしてあり、中に入れなかった。建物に入れないということは、どういうことだろう。所属感や帰属感の喪失だろうか。どこにも所属させてもらえないということだろうか。
 二度目の締め出しは母校である。夢に登場する母校は現実の母校とまるで様子が違う。最初の建物の方が母校を思わせる。
 地下に降りていく。通常なら、深い部分、心の深層に下りていくといった連想を思い浮かべるところだ。しかし、これは中断される。先生に止められるからだ。この先生は高校時代の先生にそっくりだった。

 昔の職場と母校、この二つから締め出された夢だ。どちらも過去に関することだ。過去から締め出されるかのような感覚があった。その一方で、過去に浸ってはいけないという感じもしている。
 また、一方は上(5階)、他方は下(地下)である。そのどちらにも行く手が遮られている。上にも行けず、下にも行けない。どちらにも行かせてもらえない。それは窮屈ではあるが、上にも下にも行かず、足を地に付け地上に留まることなのかもしれない。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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