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2017年7月29日 土曜日

7月29日:なんてことだ!(#0927)

7月29日(土):なんてことだ!

 朝一番にサイト作業を行う。新しいパソコンでやってみる。まだ使い慣れていないので戸惑うことも多かったが、一応、先週までのブログを公開する。

 このサイトだけでは弱いので、いわゆるサテライトページを散りばめることにした。ある業者に委託すると、早速30ページほど業者が作成してくれた。今日、それを確認してみる。
 オーマイガー! なんていうことだ。使って欲しくないワードや表現がふんだんに使用されているではないか。おまけに不要な写真の数々だ。タップすると電話が直通するやつなんかもってのほかだ。それでだろうか、近頃、しょうもない問い合わせ等が増えているのは。
 取りあえず、文章以外はカットだ。その文章も僕が一から書いていくことになるが、当面は今ある分を置いておく。10ページほどその作業をしたところでクライアントが来られたので、そこで中断だ。今後、それを早急にやっていかないといけない。

 業者に作らせると、とかくとんでもないものを作りおる。彼らからすれば、僕のサイトの方がひどい出来栄えだと言うだろうけど、彼らとは水と油のような気がしてくる。
 彼らは「解決に導きます」「アドバイスします」などといった表現を使用する。そんな僕にできないことを書かれては困るのだ。解決に導くのはクライアント自身であり、アドバイスなんて基本的にはやらないのだ。
 あと、平気で医療機関を連想させるような文言や写真を使用するのも困りものだ。今日削除したものの中には、白衣を着た人物が写っている写真があった。医師が問診しているようなイメージを掻き立ててしまうように思う。そういうのは真っ先に削除しないと、僕のところが誤解されたり、先入見を与えてしまったりしてしまう。
 とにかく、彼らは写真を載せたがる。見栄えが良くなるとは思えないのだけど、彼らは好んでそれをする。この写真は、つまり視覚イメージということなのだが、こういうものが文章よりも先に閲覧者を方向付けてしまう。僕には暴力的なツールであるように思われるのだ。だから使用したくない。文章だけのページで十分だ。
 文章ばっかりで殺風景だと言うけれど、無意味な写真を散りばめるのと、専門家の文章がいきなり読むことができるのと、どちらが親切かを考えてみるといい。文章を読んで、写真にも目を奪われてでは閲覧者もしんどいだろうに。それなら文章だけを提示してあげる方が負担が少なくなるのではないだろうか。僕はそういう考え方をしている。文章内容に関連のない写真は不必要だ。

 ムシャクシャした気分でクライアントたちと会う。心ここにあらずという瞬間が幾度かあった。それでも、どうにかこうにか予定の仕事はこなす。
 あと、書籍の方にも取り掛かった。この二週間くらい手付かずだったが、今日から再開する。第1章を読み直し、一時間ほどかけて文章のチェックをする。修正を要する箇所がだんだん少なくなっている。多少なりとも完成に近づいているのだろうか。

 夜。喫茶店に入って、3時間ほど本を読む。土曜日の夜ということもあって、やたらと賑やかだった。団体さんが多かった。
 左隣の席では耳障りな相槌を打つおばさんがいたけど、あれは人の話を聞いていないな。まあ、そんなことはどうでもいいか。
 読んだのは、バルザックの「『絶対』の探求」、ロゾラートの「精神分析における象徴界」だ。合わせて200ページほど読んだろうか。前者は初読で、後者は二度目だ。後者のほうは、いささか難解で読んでいて訳が分からなくなったりするが、それでも読んでいて面白いと感じるという、僕の中では変わった本だ。

 と、そんな一日だった。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年7月24日 月曜日

7月24日:オリンピック被害 (#0926)

7月24日(月):オリンピック被害

 2020年の東京オリンピックの会場の建設作業員が過労のため自殺したと報じられた。23歳の若い男性で現場監督を任されていたと言う。その若さで現場監督を任されているというところにも問題があるのだけど、過酷な労働条件の方が要因が深いと思う。僕は東京オリンピックに反対している一人であるが、恐れていたことがついに起こるべくして起こったといった感じがしないでもない。
 労働条件を過酷にした責任はどこにあるのだろう。会場に関しては、現在ある施設を活用するという意見もあった。でも、これを排斥して、新たな施設を建設するということに決まった時から、こうした問題が生じる可能性が生まれていたと思う。誰もそこを考えていなかったのかもしれない。
 尚且つ、新競技場のデザインを巡って、案が二転三転し、なかなか決定しなかった。決定が遅れるということは、それだけ建設の着工が遅れるということだ。でも、オリンピックの開催日は送らせるわけにはいかないのだ。そのしわ寄せがすべて現場作業員に押し付けられるわけだ。上の人間が能無しだと、下の人間にすべてしわ寄せがくることになるのだ。
 とにかく、自殺した男性は東京オリンピック被害者の第1号だと僕は捉えている。この先、何人こういう被害者が現れることやら、わかったものではない。

 1964年の東京オリンピックは戦後の復興を世界に示す意味合いがあったように僕は思う。戦後20年足らずで日本はここまで復興を成し遂げたということを世界に見てもらうという意味合いがあったように思うわけだ。
 今回、2020年の東京オリンピックは、日本にはまだこれだけの力があるという示威的な意味合いを僕は感じている。
 1964年が復活なら、2020年は死に際である。
 僕は2020年の東京オリンピックが恐ろしい。日本の破滅をもたらすかもしれないと、そう思っている。
 日本人が一丸となってオリンピックを成功させようと謳うのであれば、僕はその一丸から降りさせてもらう。僕は一切、オリンピックに関わらない。当然、テレビも見ないし、イベントごとの類にも参加しない。23歳の現場作業員もすでに一丸から離脱したのだ。僕は彼とは違ったやり方で離脱を表明する。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年7月21日 金曜日

7月21日:車内CM (#0925)

7月21日(金):車内CM

 昨日はあまりできなかったけど、今日は新パソコンの設定に取り組んだ。プリンタ関係をインストールしたので、これで一応、入れるものは入れた形になる。ワードを除いてはということだけど。
 ワードとか、エクセルとか、なんで最初から入っていないんだろうと思う。絶対使用するツールじゃないかとも思うのだ。それで以前のパソコンに入れていた分が使えるかと思ってやってみたが、どうも使用できないようだ。設定が異なるのだろう。今、体験版でワードを使用することができているが、やがては購入しなければならない。ああ、面倒だ。
 パソコンなんて、基本的にワードが使用できて、ネットが開けたらそれでいいのだ。その他のツールなんてまず使用しない。メールさえ設定しないのだ。ましてやスカイプだの何だの、そういうのは絶対に使用しないのが分かっている。ゲーム関係も不要だ。

 昨日から読み始めたシラーの『招霊妖術師』を読み終わる。なかなか面白かった。近いうちに再読しよう。他、ヴィゴツキーの論文1、西丸四方のエッセイ6を読む。
 停滞していた著書の方も取り組む。停滞していたといっても、好き好んでそうしているわけではないのだ。他のことがかぶさってくるので、後回しになってしまうのだ。それはともかく、今日は第2章と第3章に取り組む。校正し、文章をチェックし、説明不足のところには言葉を追加し、煩雑になっている部分はスッキリさせる。本当に、いつ完成することやら、まったく見通しがつかない。

 夜、喫茶店で読書と書き物をして過ごす。人が多い。天神祭りの時期だから、お祭りに行ってきた人たちかもしれない。当然、酔っ払いもたくさん見る。
 酔っ払いよりも歩きスマフォのほうがタチが悪い。真っ直ぐ歩いているつもりでも、微妙にフラフラしているのだ。右に左にゆらゆら揺れているのだ。追い抜こうとすると寄ってくる。反対側に回ると、今度はこっちの寄ってくるわで、どうしようもない。
 最近、NTTが作ったのか、歩きスマフォに関する映像を阪急電車内で流している。参勤交代で一同がお城から出てくるのだけど、全員歩きスマフォやっているのだ。衝突、転落、転倒、道を間違えるなどの状況を映像で見せてくれる。最後に「皆の者、おもてをあげよ」とテロップで出る。よくできたCMだと思う。
 しかし、皮肉かな。そんなCMを車中にて流しても、スマフォをいじっている人間はまったくそんなもの見ない。一番アピールしたい人たちに届いていないのだ。僕みたいなスマフォをいじらない人間がよく観ているわけだ。さすがNTTだ。やることがズレてる。

 相変わらず、音楽はよく聞いている。面接を除き、何かをする時には音楽を流している。勉強も音楽を聴きながらでないとできない。最近、Little Feetの「Sailin' Shoes」にハマっている。一日一回は聞いている。いいアルバムだと認識し始めている。人それぞれ好みはあるとは思うけど、それでも、世の中にはいい音楽がたくさんあるものだ。もっといい音楽を探したい気持ちになっている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年7月20日 木曜日

7月20日:ユーチューバー廃絶論 (#0924)

7月20日(木):ユーチューバー廃絶論

 ユーチューバーの目に余る愚行を新たに見た。テレビのワイドショーで見た。最近、この手のニュースを見る機会が増えたように感じる。
 今日、僕が見たのは、韓国の若者の動画だった。地下鉄の車内でラーメンを煮て食うというものだった。周りには普通に乗客もいる。その中で、地べたにコンロを置き、寝そべって食べる姿が動画に映されている。
 その他にも、彼の動画といえば、釣り池に飛び込んで、素手で魚を捕らえたりするものとか、後ろから子供に近寄ってぺチンと頭を叩いたりとか、そんなものがあった。
 見ていて、僕はゾッとした。そこにあるのは冷たいばかりの無関心、周囲や他者に対する無関心だった。公序良俗を乱す行為にはこの種の無関心が必ず存在していると僕は思う。周囲や他者に対する無関心とは、言い換えると「自閉」ということなのだ。彼の愚行ではなく、彼の「自閉」性に僕はゾッとするのだ。

 この男性はいわゆるユーチューバーなんだそうだ。ユーチューバーなんて、何をやってるかよう分からん職業である。広告のスポンサー企業がいて、そこからお金が発生するそうだが、あんなユーチューバーのスポンサーになる側も低級である。創造性のある企業なら、ユーチューバーに依存しないと僕は思う。
 何をしてもいい、注目を集めるなら何をしてもいいといった環境では、創造性は発揮されない。そう、あんなユーチューバーは何一つ創造的な活動をしていないのだ。ルールや制限をいくらでも破っていいということであれば、創造性なんか必要とされないのだ。
 創造的な活動とは、ルールや制限の枠内で発揮されるものなのだ。音楽なんかでも、作曲家がいくら型破りな曲を作ったとしても、実際にはその作品の大部分が音楽理論に従っているのだ。その枠内で新しいことをしなければならないから創造性が必要になるのだ。

 僕はユーチューブの動画なんて見ない。昔はいろいろと見たこともあったけど、何一つとしていいと思うものがなかった。どれもこれも下らんものばかりだった。投稿者が個人的な趣味でやってる分には構わない。ただ、それが職業になるのはどうかと思うのである。
 それが職業になると競争が生まれる。この競争は、製品の性能で決まるのではなく、サービスの良し悪しで決まるのでもない。注目をより浴びるか否かという競争になるのだ。注目を浴びて、再生回数が増えるかどうかだけなのだ。
 注目を浴びる最も安易な方法は、常識外れのことをするということである。この安易さはサルでも思いつくことである。食事をする場所ではない場所で食事をすればいいのである。服を着るのが常識の場所で裸になればいいのである。みんなが立って歩く場所で寝転がればいいのである。通常なら道具を使ってなされる行為を素手でやればいいのである。暴れてはいけない場所で暴れればいいのである。禁止されていることを敢えてやればいいのである。なんの創意工夫も要らない。そして、そんな競争になるのだ。

 僕に子供がいれば、サラリーマンとユーチューバーにだけはなるなと教育するだろう。前者はまだ許せるが、後者は絶対にダメだと教えるだろう。子供がユーチューバーになったら、僕は親子の縁を切らせてもらう。ユーチューバーの親になるなんて、人間として恥だと感じてしまうからである。
 いずれにしても、ユーチューバーなんて滅んでくれればいいのだ。企業も彼らに広告を依頼してはいけないのだ。彼らの動画が再生されるよりも、企業の宣伝動画が再生される方がいいに決まっている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年7月16日 日曜日

7月16日:青海島へ (#0923)

7月16日(日):青海島へ

 島根の二日目。今日は親とは別行動をしようと計画していた。親たちが知人たちを訪問している間。僕は一人で海を見に行こうと考えていた。僕がいたら両親もゆっくりできないだろうと思うのだ。
 両親は今日は観光をするというので、それならと僕も同乗した。母親の希望で、山口県まで足を伸ばし、青海島へ行くことになった。
 青海島(おおみじま)は、僕は行ったことがなかった。母たちは昔行ったことがあるそうだ。母にすれば懐かしい思い出があるのかもしれない。

 朝、車に乗り込むとひたすら山口県目指して走る。山口県の方が島根よりも都会だなと感じた。道中、世界遺産の反射炉の脇を通る。ああいうものはもっと山の方にあったり、小高い所に作られたりするのかと思っていたが、意外にも低地に、それも町の中にあるので驚いた。

 さて、道中がたいへんだった。父も昔行ったときの記憶を頼りに運転しているので、なかなかスムーズに辿り着けなかった。一度、大きく通り過ぎてしまう。
 僕は青海島のことは分かっていなかった。ボートで一周するのだと母からは聞いている。そのボート乗り場に着く。土産物屋などが並んでいい感じだった。何も買わなかったけど。
 30分ほどの待ち時間を経て、それからボートに乗り込む。最初は船内にいたけど、すぐに飽きて、後部の屋外デッキに出る。天気は良く、時折、海水がかかることもあるが、それもまた心地よい。以後、デッキに立って周遊する。
 天気が良かったのが幸いだった。素晴らしい光景が広がっていた。海上に突き出た岩山はどれも個性的で、それぞれに名前がついているのが面白い。観音様が拝んでいるように見える岩、男根のように見える岩山、コウモリが羽を広げたように見える岩山など、ちょっとしたロールシャッハテストのようだった。

 青海島を後にする。島根に戻る。ユメタウンにて、両親は昼食を取る。僕は腹が減っていないのと、車中で昨日の残りのおにぎりを食したので、それで十分だった。母たちが食事をしている間、僕はその辺を歩く。阪神タイガースのユニフォームを着た人とすれ違う。一瞬、ここが島根であることを忘れる。
 いろんな店が集まっている。書店もあったので覗いてみる。僕の見落としかもしれないけど、心理学関係の本がまったくなかった。この辺ではニーズが無いのかとも思う。

 昼食が終わると、またお見舞いだ。僕にはあまり馴染みのない人なので、昼食時同様、両親とは別行動をし、僕はその辺を歩く。できるだけ外を歩き、大陽を浴びる。
 その人のお見舞いが済むと、今度は再び伯父さんのお見舞いだ。夕方になっていたので簡単に済ませる。その後、伯父さん宅に向かって、挨拶をし、伯父さんの様子などを報告する。
 その後、旅館に向かう。道中、たくさんの人とすれ違うし、一部交通規制もやっている。何かお祭りがあるようだ。

 旅館にて、夕食を済ませると、僕は歩きに出る。今夜は駅の方に行ってみようと考えていた。駅周辺、いろんなお店もあるけど、今日は日曜日なので休みのところも多かった。この辺りは奈良県に雰囲気が似ているなと感じた。
 旅館へ戻る道中、パーンと花火の音が聞こえる。見ると、遠くの方で花火が打ち上げられているのが見える。どうやら割りと規模の大きい祭りが催されているようだ。旅館まで戻る。そこからでも花火が見えるので、しばらく前に佇んで花火に見入る。旅行先で偶然祭りに遭遇するなんて、なんか得した気分だ。

 旅館に戻ると、少しだけを本を読む。後は何か適当なテレビでも観て過ごす。以上が今日一日、島根の二日目の出来事だ。明日はいよいよ帰宅か。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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