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2017年1月27日 金曜日

1月27日:壁を作れ~俺第一主義

1月27日(木):壁を作れ~俺第一主義

 アメリカで新大統領が就任してほぼ一週間。今度の大統領は就任して即座に大統領令をバンバン発行するという人だ。
 メキシコとの国境に壁を作る。アメリカ側が一方的かつ勝手に作って、金はメキシコが払えなんて、メキシコ側からすれば押し売りもいいとこだろう。今度の大統領はそれができる人であるようだ。

 選挙活動として、演説をする。これは選挙立候補者なら誰もがすることである。この演説にはある種のパターンがある。
 まず、現状を訴える。こういう悲惨な状態がありますよということを提示する。続いて、それをこういうふうに解消しますという公約が続く。そして、最後に、その状況を解消することによって、このようにしていきたいといった理念・理想が語られる。
 これは「問題提起(不安の提示)~問題の解決(安心の提供)~理想」という流れで捉えることができる。真ん中の問題解決、安心の提供という部分がマニフェスト、公約となり、最後の理想がスローガンとなる。どの候補者のどの演説も、この三者が揃っているもので、大体、その順に述べられる。アメリカの新大統領の演説も同様の流れを有していたように思う。

 この三者にはそれぞれ問題を孕みうると僕は考えている。
 問題提起(不安の提示)の部分では、問題提起のために活用した資料が公平性を有しているかという問題がある。また、候補者によってその資料が公平に読まれているか、候補者の偏見や歪みを持ち込んでいないかという問題がある。候補者の個人的な感情が入り込みすぎていないか(多少は入り込んでしまうことは避けられないと僕は思うが)という問題も生じえるだろう。言わば、公正な資料、判断に基づいてその問題が提起されているかどうかという問題である。
 続く問題解決(安心の提供)の部分では、例えば、その問題解決は現実的であるか、実現可能であるかどうかという問題があるだろう。それに提示された問題が果たしてそれで本当に解決できるだろうかという検証も大事な観点だと僕は思う。さらに、その解決策は創造的か破壊的かという観点も僕は重要だと思う。
 最後の理想は、先の問題提起と解決によって確かに導かれる理想であるかどうか、あまりにかけ離れすぎていないかどうかといった問題が生まれうるように思う。

 さて、この三者の含みうる問題を念頭に置いて、新大統領の演説を振り返ってみよう。
 最初の問題提起の部分では、しばしば「誤解」が指摘されている。資料の一部分だけが強調されたり、他国に関する部分が無視されていたりしていた。資料が不十分だった可能性もあるけど、それ以上に、資料が公正に読まれていない可能性が高いように僕は思う。
 続く問題解決の部分ではどうだろう。僕の個人的な印象では、ここであまり創造的な案が出てこなかったように思う。不法入国者を防ぐ~壁を作るというのは、いささか短絡的な発想である。メキシコとの間に壁を作っても、その他の国からの密入国者を防ぐには役に立たないだろう。それなら、メキシコだけに限らず、不法入国者の検挙率を高めるような手段を講じていく方が、よほど建設的であるように僕は思うのだ。
 そして、最後の理想の部分だ。アメリカを強くするというのはいいだろう。自国の復活を訴えることは当然のことだ。しかし、それらの公約を実現することで、本当にその国が強くなるかどうかは疑問であるように思う(僕がそう思う理由は後で述べよう)。このスローガンは「アメリカ第一主義」と呼ばれたりするが、この「第一」という部分が不明である。何に於いて第一であろうとしているのか、何に対して「第一」であろうとしているのか、どうもよく分からないと僕は感じている。あくまで僕の場合はという意味だけど、この「第一」(first)を「優先」(priority)に入れ替えると、演説に筋が通るような感じがした。

 あまり新大統領のことをあれやこれやと書くのはもう控えよう。いろんなところからお叱りを受けるかもしれない。最後に僕が書こうと意図していたところのものを書いておこう。ずいぶん長い前置きになってしまったけど。
 とにかく、「壁を作れ」っていうのは、とても象徴的だ。
 僕は「壁」をつくりたがる人たち、「壁」を必要とする人たちを何人も知っている。休み時間になるとトイレの個室にこもらないといられないと言う大学生の彼は「壁」を必要としているわけだ。子供が引きこもったままであることを心配する母親もいるが、その子はやはり「壁」を築かないといられないのだ。
 これらの「壁」はその人を守る働きはしているけど、決して、この「壁」そのものはその人を「強く」はしないのである。人を「強く」するのは、「関係」であって「壁」ではないのである。
 この人たちは「壁」がなくてはいられないのだ。自分を助けるためにはそれがどうしても必要と感じられているのだ。その必要性がその人たちにはあるのだということは、僕にも理解できる。しかし、その時、その人を動かしているのは、「とにかく自分が助かればいい」という心理であるように思う。他からどう言われようと、早急に自分を救済しなければならず、それが最優先事項なのである。ある意味で「自分第一主義」に陥っている(陥らざるを得なくなっている)ように僕には思われるのだ。
 だから、「壁を作れ」は「俺第一主義」でもあると、僕はそのように思うわけである。あくまでも僕の個人的な見解に過ぎないので、不快に思われた方々には申し訳なく思うが、苦情やお叱りの類は遠慮していただきたく思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年1月26日 木曜日

1月26日:痛みに襲われる

1月26日(木):痛みに襲われる

 本当の予定では、今日、外回り関係のことをやってしまうつもりでいた。昨日、多少のことはやっておいたので、今日は時間的に余裕が持てそうだと思いきや、足がめちゃくちゃ痛い。
 この痛さは、まず、膝がある。怪我をした左膝である。それと、昨夜の酒が効いたのか、ツー(通風のこと)のような痛みがある。それと、昨日は歩きすぎたためか、何となく足の筋が痛い。この三者がそれぞれとても痛いのである。
 それで、今日はもう歩き回ることは中止にした。外回り関係を終わらせて、蛍光灯交換作業も完了させてしまおうと計画していたのに、また延期だ。
 外回り仕事をするから、今日は予約を入れないようにしていた。それが少し幸いした。面接をできる気分じゃない。
 静かに職場にこもって、ひたすら原稿を書いたり、本を読んで勉強したりする。検定試験勉強も今日はきちんとできた。今日は、ホント、それだけで終わった一日だった。

 足が痛む。痛いのは構わない。でも、無事に帰れるかどうかで不安を覚える。痛み止めを飲んでおこうと思い立つが、そうだった、病院で処方された分はすべて消費したのだった。
 ああ、面倒だ。薬を買いに出なければならない。お隣のオレンジ薬局さんに初めて足を踏み入れた。ここで買うことができたら話は早かったのに、ここには置いてないと言う。それで、結局、足を伸ばして、スギ薬局さんで購入する。いつもなら何でもないような距離なんだけど、とにかく遠かった。
そこからいつもの喫茶店に向かう。そこで薬を飲み、薬が効いてくるまで、本を読みながら、滞在する。2時間もすると、かなり痛みが緩和されてきた。これなら帰れそうだと思い、真っ直ぐに帰宅する。

 ウイリアム・ジェームスの『宗教的経験の諸相』を今日から読み始める。岩波文庫から出ている上下2巻本で、合わせると800ページ近くになる大著だ。過去に手を出そうとして止めた本だ。あの時、読んでいればよかった。
 僕はずっと、これは宗教に関する本、もしくは宗教心理学に関する本だと信じていた。でも、紛れもなく、これは臨床心理学の本である。今日、すでに100ページほど読んでいるけど、その中でさえ、多くの示唆を僕は得た。
 とにかく大きい本なので、一回、通読してから、特に必要だと思う部分だけを重点的に読み直していこうと考えている。

 帰宅してから、映画を一本観る。マカロニウエスタンDVDマガジンで、一月分を昨日購入しておいた。その中から「ミネソタ無頼」をチョイスする。どの作品から鑑賞してもよかったのだけど、セルジオ・コルブッチ監督作品ということで本作を選ぶ。なかなか良かった。
 このDVDマガジンシリーズ、続けていくと、当時のヨーロッパの俳優さんに自然と詳しくなってくる。「ミネソタ無頼」もなかなかいい顔ぶれが揃っている。
 主人公はキャメロン・ミッチェル、悪役はジョルジュ・リヴィエールという配役だ。
 山賊のボスにフェルナンド・サンチョ。この人は悪役をやらせるといい味を出す。「南から来た用心棒」の彼が一番いい。
 悪役の部下にジーノ・ペルニーチェが扮する。この人の顔が好きだ。「黄金の棺」の長男役も良かったけど、「続・荒野の用心棒」のジョナサン神父役が印象深い。
 主人公の友人にアントニオ・カサス。この人もいい演技をするなあと僕は思うのだが、「続・荒野の1ドル銀貨」のアル中保安官が秀逸だ。アル中になって、手が震えても、ああやって酒を飲むのかと、僕は一つ学ばせてもらった。
 最初の方に登場する医師はフリオ・ペーニャだ。チョイ役なんだけど、主人公が眼病にやられていて、いずれ失明するということを観客に知らせる重要な役どころである。この人は、同じくお医者さんの役で登場する「荒野の大活劇」がいい。やはりチョイ役なんだけど、どこかとぼけた感じがしてユーモラスだった。
 恐らく、分からない人からすれば、僕が何を言っていることやらチンプンカンプンだと思う。まあ、趣味ってものはそういうものだ。他人にはさっぱり分からないものである。

 予想外の足の痛みのために、いくつかの予定は延期せざるを得なかったけど、その分、捗ったものもある。とにかく、多少とも前に進んだことで、良しとしようと思う。本の一冊一冊が、映画の一作一作が、僕を豊かにしてくれるようだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
 

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2017年1月25日 水曜日

1月25日:バカ正直

1月25日(水):バカ正直

 寒さで目を覚ました。時刻は夜中の3時。眠れそうもないので、布団の中で寒さに凍えながら、ずっと本を読んでいた。6時頃、布団から出て、活動を開始する。

 今日の午前のクライアントがキャンセルになったので、朝のうちに外回りのことを少しやっておこうと決める。それに、母が病院へ検査に行く日でもあったので、少しだけ付き添った。
 母の付き添いを終えてから、銀行に行ったり、必要なものを買い揃えたりした。

 昼ごろ、職場に到着する。キャンセルされたクライアントから再び留守電が入っている。人はそれぞれの置かれている状況があるし、事情がある。突発的に何かが起きることもあれば、急な用事が生まれたりすることだってある。キャンセルすることは別に構わないのである。そこはあまり気を使わなくても結構なのであるが、ただ、次のこと、今後のことを意志表示してくれないのが困るのである。
 今日、また新規の予約が入った。なかなかいいぞ。今年はなかなか好調な滑り出しである。
 午後から仕事を二件こなし、夕方、ようやく昼休みに入る。昼食をとろうと決めるが、何か拵えるのも億劫だった。それで、食べに出ようと思う。腹は空いているが、特に何を食べたいとかいうヴィジョンもなかった。ぶらぶら歩いて、どこに入ろうか、何を食べようかと悩む。結局、餃子の王将さんに落ち着く。いつものパターンだ。
 職場に戻る。あとは原稿を書いたりして過ごす。夜は少し早めに切り上げる。19時半頃に今日は閉めた。

 あまり寝ていないせいか、とてもしんどい。膝の具合もあまり良くない。痛む上に、うまく動かない感じがする。今日はそこを無理して動かしていったが、少々、無理をしすぎたかもしれない。
それに疲労感に襲われている。本当は、夜は勉強をして過ごそうと考えていた。昨日始めた心理学検定のことをやろうと計画していたけど、もう、面倒だ、中止だと言って、ついつい、飲みに行ってしまう。
 いつもの飲み屋に入る。珍しく、今日は知った顔に一人も出会わなかった。みんなも今日は大人しくしているのだろうか。
 もっとも、この寒さのせいか、高槻の町もひっそりとしている。人が歩いていない。どこのお店もあまり客が入っていなさそうだ。寂しい風景である。 
 飲み屋では、僕の隣にいた客がバイトの人のことでマスターに苦情を言っていた。僕は、素知らぬ振りをしながら密かに耳を傾けていたのであるが、その客の言っていることもよくわかる。このバイトの人は、ある意味バカ正直なのである。
 僕もよく行くお店なので、そのバイトの人とは面識があるのだけど、この人はバカ正直だなと思う場面がいくつかあった。僕がジョークを言う。ウケない。それはいい。僕は慣れている。僕の場合、大体、10個ジョークを飛ばすと、その中の一つくらいで小さくウケる程度である。ウケなくても、客が言うことなので、演技でもお愛想でもいいから少しくらい笑えばそれでいいのである。客もそれで怒ることもないし、不快になることもない。でも、この人はバカ正直に「今のジョーク、面白くない」ということを、直接的にしろ間接的にしろ、はっきりと客に表明してしまうのだ。もちろん、本人はそれを意識していないだろうとは思う。
 バカ正直すぎるのも未熟である。それをマスターにいちいち苦情を言うってのも未熟である。それを隣で盗み聞きしている奴はどうかは分からないけど。

 まあ、今日はこんな一日だった。外回りをしたり、隣の客を盗み聞きしたりと、外側のことに関わりっぱなしで、内面のことに触れることが少なかったようにも思う。それでも、まあ、悪くない一日だったように思う。
母の検査も特に問題はなかったそうだ。これ以上良くなることは見込めないのだけど、悪くはなっていなかったそうである。何よりである。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年1月24日 火曜日

1月24日:予約キャンセルと心理学検定

1月24日(火):予約キャンセルと心理学検定

 今日は定休日だ。それでもいくつかの雑用をこなすために、それと明日のクライアントの準備のために職場に来る。
 定休日に限って電話が多い。職場に着いた時、すでに何件かの留守電が入っている上に、FAXまで届いている。どれもこれも僕とは無縁のものばかりだ。

 いきなりFAXを送りつけてくるような営業は最低である。僕はほとんどFAXを受け付けない。それでも何年かに一回はインクリボンを交換する。こんな営業の輩のためである。無駄な経費である。それでお得な情報をFAXで送ってくるわけなんだけど、先にこちらに損失を生み出しておいて、何がお徳なもんか。

 いくつかの雑用をこなす。何度か席を外す。戻ってくるとまた留守電が入っている。ああ、明日のクライアントのキャンセルだ。この人の準備のためにもここに来たのに、なんだか意味がなくなってしまった。

 今年に入ってから、少数ながら新規の人が来られた。今のところ、継続率100%だったのに、これで記録が途絶えるのか。
 僕の個人的な記録はどうだっていいけど、この人、キャンセルしてどうするつもりだろう。
 先週、新規でお見えになられた方だった。その時は僕の中で明確ではなかったけど、どうもこの人は自分自身や家族のことで見落としている何かがあるような気がしてならなかった。今日、もう一度前回の録音を聞きなおしてみて、それを確認しようと思っていたのだ。
 先にこの確認作業をやっていたら、本当に無駄に終わっていたところだった。それだけが不幸中の幸いである。
 しかし、この人のことは気になる。今はなんとかやっていけているからいいと、この人は考えているかもしれない。確かにそれは事実だと思う。だから、あまり問題意識が高くなかったクライアントであるようにも僕は思うのだ。それでも今後のために今取り組んでおく方がいいとも僕は思うのである。将来のことは何とも言えないけど、数年後、ある条件が整うと、この人は苦しむことになるかもしれない。
 あまり個人に関することは記述できないが、このクライアントのような人もけっこうおられるのだ。自己を縮小させることで現状を乗り切っているというような人である。この適法方法は後々問題となることも多いのである。本音を言うと、その適応方法自体がある種の「病理」を含んでいるのである。まあ、人様のことに触れるのはこれくらいにしておこう。

 書架を整理していると書店のブックカバーがついたままの本が見つかった。何やったかいなと思い、見ると、2年ほど前に買った心理学検定のテキストと問題集だった。そうだった、面白そうだから挑戦してみようかと思ったことがあったっけ。
 この心理学検定というものであるが、興味はあったものの、中身を紐解いてみると、けっこうザツやなあと思ったのだった。
 心理学は幅広い学問である。この検定はそれを10領域に分けている。各領域20問の検定試験である。試験は3科目で1時間というように時間設定されているので、平均すると1科目に20分、1問につき1分しか割けないという、なかなか厳しい条件のテストである。10領域のうち、どの領域を受験してもいいのだけど、合格数によって検定2級、1級、特1級と認定される。最後のものは10領域すべてに合格すると得られる。
 それで、今日、最初の1領域目の問題を解いてみた。研究と歴史に関する領域である。この辺りのことはもう長年離れているので、かなり忘れているものもあったし、「あれ、これ、どうやったかいなあ」というあやふやなものもあった。それでも6割ほどは正解した。試験勉強していない状態で6割だから、案外イケそうな気もしてきた。今年はちょっとチャレンジしてみてもいいなと、今は思い始めている。
 ちなみに、その領域は通常では「心理学研究法」と「心理学史」に分けられる部分である。それぞれが幅広い内容を有している分野であるが、それが一つにまとめられ、尚且つ両分野からたったの20問しか出題されないというわけだ。その辺が妙にザツやなあと思われてくるのだ。
 その他の領域も同様である。「学習・認知・知覚」という領域では、学習心理学、認知心理学、知覚心理学の3分野が一まとめにされているし、「社会・感情・性格」領域も社会心理学、性格心理学(パーソナリティ)、感情(情緒)が一まとめである。3分野から20問が出題されるのである。3分野がお互いに共有している部分や重なり合う部分もあるとは言え、ザツと言うか、荒い感じがしてならないのである。
 まあ、各学会のエラい先生方がお決めになられたことだ。変な口出しするのは止めておこう。今年は少しそういうのにチャレンジしてみるかもしれない。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2017年1月23日 月曜日

1月23日:テレビCMより

1月23日(月):テレビCMより

 この一週間から十日ほど、けっこう忙しい日が続いた。ブログも怠っている。それでも今日は<Q&A>ページにて、Q021~Q030までを公開した。そろそろ、このQ&Aも面白くなくなってきた。取りあえず、今月準備した10問は、十分に完成したとは言えないけど、公開しておくことにした。気に入らない部分は今後手直ししていくかもしれない。
 いろんなことを後回しにしている。金曜日に出版社さんから留守番電話が入っていたのを思い出した。金曜日は時間がなかったので、さらに土日が続くので、月曜日に電話しようと考えていたのだった。出版のこととか、今は時間を割けそうにない。

 さて、何を書こう。
 そうそう、最近気になっているテレビCMがある。別にこれは言っても大丈夫だと思うけど、auさんのCMだ。昔話の主人公たちが登場するCMで、実は、僕はあまり好きではなかったのだ。今回、ちょっと気になるところがあったので書いて残しておこう。
 CMはこうだ。3人が揃っている。浦島太郎さんが木から落ちるリンゴをみて、どうしてかな、地球が引っ張ってるのかなと疑問を呈する。感激した金太郎さんが、「君、学校へ行かないか」と持ちかける。それだけのCMである。
 木から落ちるリンゴを見てという部分は、ニュートンに逸話である。実際にそういうエピソードがあったかなかったか不明だけど、ニュートンによって物理学は始動したのである。
 では、ニュートン以前に物理学は存在していなかったかと言うと、そうではないと僕は思う。確かに学問としての物理学は誕生していなかったかもしれない。それでも、いわば「素人物理学者」の人たちがたくさんいただろうと思う。「素人物理学者」たちは、それぞれ自分の「物理学」を述べていたと思う。そういう時代があったと僕は確信している。どの学問も、その学問が成立する以前に始まっているものである。
 しかし、一旦、学問として成立し、その学問が成長・発展し、専門化していくと、「素人学者」は姿を消すのである。物理学現象に対して、もはや「素人物理学者」は存在しないのである。その代わり、人々は専門の「玄人物理学者」に教えを請うようになるのだ。
 哲学には「哲学以前の哲学」があり、心理学には「心理学以前の心理学」がある。両学問も、学問として成長・発展してきたし、専門化してきた。それなのに、「素人哲学者」や「素人心理学者」は健在なのである。正直言って、僕も自分のことをどこまで「玄人」と呼べるのか定かではないのだけど、けっこう多くの人が自分なりの「心理学」を持っていたりする。人はみな「素人心理学者」であり「素人哲学者」である。
 こうした「素人学者」が学問の発展に寄与することも少なくない。そういう意味では「素人学者」の存在は重要である。ただ、困ったこともある。具体的な例を挙げることは控えるけど、学問が人を攻撃する手段になったりするのである。僕もそこは気をつけるようにしているのだが、他の人たちを見ていると、僕なんかはましな方だとも思えてくる。
「素人学者」は「玄人学者」から見ると間違っている点なんかもよくあるものである。ある意味では、「玄人学者」の方が素人っぽかったりする。「玄人学者」ほど誤りを修正していくものだと僕は思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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